| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
勾玉100物語・35−37 ■イエローターコイス本勾玉の写真 10:27
イエローターコイス本勾玉
今日で9月は終わり、ルナカレンダーを一枚破いて明日からは10月になる。
山の家ではキンモクセイが満開で、
濃厚な香りにどうにも落ち着けずトリップ気分の一日だった。
アパートのベランダでは、夏の名残の朝顔がいまでも毎日青い花を咲かせる。
日差しが弱まったせいか日中になっても花は衰えない。
その律義さを立派と思う。
 
写真はイエローターコイスの本勾玉(¥4,000)。
ターコイスは空色と思われているが、白色や黄色、緑色のもある。
空色のターコイスの発色成分は銅で、
銅の含有量が減ると色合いは白っぽくなり、
鉄分が入ってくると緑味のある黄色や緑色に発色する。
イエローターコイスはとても軽い。
ストレスがたまってトゲトゲしくなった気持ちをなだめてくれるようなところがある。
日本ではほとんど流通していない珍しい鉱物でもある。


■勾玉100物語・35 
飼い主が猫の首輪に勾玉を付けたことで猫が変貌する話はけっこう多い。
その虎皮模様の猫は、猫は水嫌いという通説を破って、
川の深みへと潜って鯉や鮒を狩るハンターになった。
猫は猫のままでいて十分愛らしいのだが、鳥やイタチへと変身を試みる猫は、
ダイアモンドの原石をブリリアントカットして商品価値を高めるのにも似て、
数十倍、数百倍も可愛くなる。
 
水中での背面宙返り、スクリュー回転、腹づつみ、片足トントン、などなどを
やってのける猫は、ラッコやビーバーやカワウソよりはるかに崇高で優美だった。
 
ちなみにぼくはアメリカの南西部で、小川をせきとめて巣を作り、
巣の近くで泳ぐビーバーを見たことがある。
ロサンゼルスの南にあるモントレーという港町にラッコを見に出かけたこともある。
カワウソの親類のイタチであれば、
子供のころ自宅の庭に出没したからよく覚えている。
そんなふうなのでカワウソやラッコやビーバーがどんなに優美なのかよく知っている。
そのぼくが潜水する猫はカワウソやラッコよりはるかに端麗であるというのだから、
間違ってはいない。
 
虎皮模様で潜水の好きな猫は、水中で獲物を捕ると、
まるで小さなシャチのように水面に躍り出る。
身の丈ほどの大きさの鯉をくわえた勇壮な姿たるや、
言葉がとろけてしまいそうに雄々しかった。


■勾玉100物語・36
守護霊や指導霊に導かれて来店する人は、ものすごく珍しいというわけではない。
本人は無頓着、なぜ来店したかを理解できていないが、
守護霊がそうしむけている場合もある。
けれど、夢に降りた女神の指示で店に来たという人は初めてだった。
 
彼女は辰砂を探していた。スペイン産で辰砂の微結晶が岩塊状に凝集した標本を見せると、
まさにそれが欲しかった、とのことだった。
そうして彼女は半年ほどの間常連になってくれた。
南洋黒真珠のネックレスや立派なエレスチャル、
とびっきり美しい水晶クラスターなどが彼女のもとへ渡っていった。

「あのときは丹生津姫を夢見て、彼女に教えられて店に来た」
いくらか気心が知れるようになってから、彼女は言った。
 
あるときには、ブレスレットを結んであるワイヤーを切ってしまう人が話題になった。
そんなに乱雑に扱っているようではないのに、ある特定の客に限って、
ブレスレットのビーズを結ぶワイヤーが切れてしまう。
何度も修理を依頼してくる。
切らなくてはならないような潜在意識的理由があるかもしれないと、
ぼくは深層心理学的な解釈を披露した。

「そうではなくて、なにもしないし、なぜかわからないけれど、
ワイヤーが切れることがあるんですよ」彼女は言った。
 
そのせつなだった。彼女が左腕につけていた
日本翡翠の小さな勾玉付きのブレスレットのワイヤーが切れた。
はらりと彼女の腕から離れて、微速度撮影したテレビ番組のようにビーズが床に散った。
あまりに意味ありげな偶然の一致に、彼女は眉を潜めた。


■勾玉100物語・37
死んだらどうなるかということほど、不確かなものはないのではないだろうか。
死後の世界はあるのかないのか、転生するのか、
そもそも魂というモノがあるのかないのか、
確かなことは何にひとつわからない。
コンクリートのアパートの通路で死んでいくセミと同じように、
われわれ人間だって死んだ後には遺骸以外何も残らない思ってみっても、
それが正しいという保証はない。
 
臨死体験や死んでいく人たちの証言をもとに、
お花畑みたいな死後世界があるという人たちがいる。
けれど、ああいうのは、死という衝撃の前で脳のドーパミン回路が開いての
幻覚体験なのだといってしまえば、それだけのものだ。
医者や科学者が死後の世界について語るのを読んで、
それを科学的見解と思うのは浅はかなことで、
医者や科学者とて「死」についてはまったくのシロウトだ。
 
それでもともかく、
自分が死んだ後も自分抜きでこの世界は存続していくことだけは確実に思える。
そう信じて疑わないから死後の名声や財産の処遇を気にかける人もでてくる。 
これに対して古代インドには、真の自我を想定して、
それを中心に生と死の意味について考えた哲学があった。
ここでは日常的な物質世界は、自分がかくあると信じてそのように思っているから、
そのように実在している世界なのであって、自分の死とともに、
そうした思い込みが終わるので世界もまた消失すると考えた。
自分と世界との関係性をつきつめて思考しての結果だった。
 
この思想は、世界はかくあるという認識は脳が描く劇場であるので、
脳が機能停止すると同時に、世界もまた消滅すると考える昨今の脳科学に似ている。
 
意識によってものごとは認知され、意味や価値が与えられて世界は構築される。
意識が崩壊するなら意味は消失し、世界もまた崩壊していく。
サ−ンキヤの思想家たちのように世界と自分との関係性を考えるのは意義深い。
簡単にいってしまえばサーンキヤによって、欲望にふりまわされ、
欲望に呪縛され、欲望を信仰している日々の暮らしから、しばしの間、離脱できる。
 
そんなことを窓の外の景色に目をやりながら、うすぼんやりと考えていた。
ふと気付くと向かいの丘陵から阿弥陀如来がゴジラほどに大きな姿をあらわすように、
勾玉の形をしたスターチャイルドが宙に浮かんで、胎児の眼でぼくを覗きこんでいた。
| 勾玉100物語 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
■勾玉100物語・32−34 ■グリーンクォーツ本勾玉の写真 11:04
グリーンクォーツ本勾玉
この形状のグリーンクォーツはグリーン・アベンチュリンともいう。
通称はインドヒスイ。緑色の雲母に水晶成分が浸透して生じる。
インドなどでたくさん採掘されるので、宝石としては高価ではない。
うわついてしまいがち、ささいなことでも動揺しがちな
気持ちを鎮めるのに効果的。


■勾玉100物語・32
自分のものになった勾玉は目で愛し、指でこすったり、
手に握ったりしてほめそやす。
握った手を額に押し当て、強い霊気が宿って自分を守ってくれるよう、
あるいは自分とともに歩んでくれるよう願う。
 
買ったんだから目的は達したといわんばかりに、
他のアクセサリーといっしょにしたり、
財布の根付けにして忘れてしまってはいけない。

褒めそやすということはとても大事で、
恋人のことををきれいと思ってきれいだと言うのと同じように、
勾玉は美しいと思えばますます美しくなる。
可愛いと思えばますます可愛くなる。
いとおしいと思えば眺めるごとにいとおしさがつのるようになる。
勾玉を好きになると、
勾玉から得られる愛と勇気と力と知恵の味覚がとほうもなく甘美なものに思えてくる。


■勾玉100物語・33
意識がふとゆるんで、ごく短い間、魂がどこか遠い世界にでかけることがある。
それは昔むかしの出来事が今ここで起きるような、
時間がたたまれたり、引き伸ばされたりする奇妙な世界。
そこでは、とてもたくさんのことが起きる。
 
それらの出来事は、たいがいは自分で気付けないうちに起きて、
起きたことを忘れてしまう。
あるいはそれに重きをおかず、気の迷いでかたづけられてしまう。
 
けれど、意識の働きに注意深くあるなら、
そういう時間のなかで飛龍が実体化することがわかる。
あるときには、あなたとぼくは連れだって、
飛龍が沐浴する土地を訪ねて、彼らの鱗を2、3枚拾って帰ってくる。
 
こういう旅には小さくてもいいのでお守りとして勾玉を持っていくようにするといい。


■勾玉100物語・34
夜になっても庭先に小さなバケツが出したままになっていた。
子供がしまい忘れたもので、中に残された水に三日月が映っていた。
子猫が水中の月を取ろうと水面(みなも)を叩いた。
月は崩れ壊れて光のしずくになった。
子猫はもう一度月を取ろうとしたが結果は同じだった。
何度も試みたが結果は変わらず、
そのうち子猫は虫の声に引き寄せられて、月を忘れた。
けれど子猫の心の奥に水月はしっかりと刻印された。
そうやって勾玉マニアの猫が誕生した。
彼は女主人が日本翡翠の青白い勾玉を胸に飾るごとに、
帰ることのない故郷をなつかしむ旅人のような目付きでそれを眺めるのだった。
| 勾玉100物語 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
勾玉100物語・29−31 ■ソーダライト本勾玉の写真 12:44
ソーダライト本勾玉
台風が愛知県豊橋市あたりに上陸して列島上空を北上している。
自分の住まいの近くでは断続的に強い風が吹き、雨がふったりやんだりしている。
天気予報がなかった時代、台風の規模や接近具合は年寄りに聞くしかなかった。
気圧が下がり、木々が葉裏をみせて揺らぐ様相は自然界にひそむ
「魔」の顕現・襲来のごとくに見える。
 
気圧がさがると気力も低下して気持ちもナーバスになっていく。
元気であればさっさと片付けられる仕事も面倒になる。
こういうところには、雨の日はしょうがないと思って、
エネルギーの温存を心掛けた原初の記憶が残っているのだろうか。
ぼくらの身体には竪穴式住居の入り口から台風の雨を眺めていた
時代の思いが刻まれたままになっている。



■勾玉100物語・29
夕陽は西の空に傾いていたが、海に沈むにはだいぶ時間があった。
南のクニの雲ひとつない空、太陽がギラギラと照っていた。
眼をすがめると朱色の円盤と化した太陽の中で、
ふたつの勾玉が太極印のように交わって燃えているのが見えた。
日差しを捕らえて海には水平線に向かって一直線に黄金の道が刻まれていた。
 
眺めるほどに太陽も空も海も鎮まっていった。
浜辺で遊ぶ観光客の声が遠のき、未明の静けさが忽然とよみがえったかのようだった。
原初の静謐さがあからさまに回復した。皮膚を焦がす熱気も消えていた。
 
海は黒々とした碧玉の一枚岩に変じて、
金箔で荘厳された黄金の道が浜辺から彼方へと真っ直ぐに伸びていた。
 
見ていることを忘れるほどにぼくはその光景に魅入った。
岩盤の海へと足を踏み入れ、黄金の道を歩いていけると思った。
右も左も上も下もあふれんばかりの黄金の光に包まれて海を渡る自分を思った。
黄金の道が垂直な柱に変じた。
金色に燃えて煮えたち、しかも熱のない天の橋立のなかを太陽に向かって歩いた。
「死」がまるごとぼくを保証してくれたのがわかった。
そのうちもう一度死ぬときがくる。
そのときも同じように黄金の道を太陽へと向かって歩いて行くのだと思っている。


■勾玉100物語・30
息子が手を洗ってばかりいる。一日に何度も洗う。
痛々しくなるほどにごしごしと手を洗う。
自分をきたないと思っている。
学校できたないといって、いじめられているのではないかしら。
中学生の子供がいる母親が夫に告げた。
 
ほんとうの不潔さではなく、仲間とはずれていることの表現として
きたない、くさい、と差別することがあるという。
子供にとってそんなラベルを貼られるのは致命的で、村八分も同然の扱いになる。
 
子供の父親は深く憂えた。
学生時代の知人に年中、自己浄化といっていた奴がいたことを思い出して、
遠回しに相談した。
 
父親は白いきれいな翡翠の勾玉を買ってきて息子に与えた。
これは自己浄化の勾玉というんだ。
身体の体表の細胞は半年もたてばすべて新品に生まれ変わる。
新陳代謝ってやつだ。
同じように人間にはきたないものをきれいにする本質的な機能があって、
これを自己浄化という。
この勾玉はそういう自己浄化作用を強化してくれる。
だから大昔の人たちは石鹸もなかったのに、いつもきれいでいられた。
というようなことを息子に教えた。
 
そうか自己浄化作用か、とひとりごちして息子の目が輝いた。
次の日から登校していく息子はどことなく明るくなったようで、
以前ほど頻繁に手も洗わなくなった。


■勾玉100物語・31
勾玉を手にしたら知識を超えた知識に思いをはせてみる。
政治談義や野球談義、あるいは、レンドラとかミュージシャンの話題など、
たいがいの話は、少し調べるならどこかに書いてある。
 
若かったころには、カメラマンのくせに写真より一眼レフの仕様にのみ詳しくて、
そういう話しかしない知人がいて、閉口させられた。
彼の話題はみんなパンフレットに列記してある。
昔のお姐さんふうにいうなら、
ちょっと調べればわかる話を得意げにすることほど、見苦しいものはない。
 
そうではなくて精神世界風には知識をこえた知識というものがある。
草木にも仏性が宿るというのは知識だが、
草木に仏の意識に通じる何かを感じるというのは実際の体験で、
その体験をもとに草木国土悉有仏性というなら、
知識をこえた知識を生きることになる。

山の姿や谷の声、路傍の草花に仏を見るというのは
ドキリッとするほどに激しい実感を伴った体験になる。
そういうのを幻覚というのであれば、そういう人たちはこちら側の世界で、
日常性という幻覚におぼれている自分に気付いていないだけのことだ。
 
勾玉を手にしたら、古代の人たちがそこに何を見て、何を感じたのかを想像してみる。
古代の人たちと自分が重なる時を迎えられるだろう。
それはふいの体験だ。
そうした体験のあとでは、何とか談義から卒業できて、
言葉少なに、しかも内側に大きな充足を抱いて勾玉を愛玩できるようになる。
| 勾玉100物語 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
勾玉100物語・26−28 ■レッドアゲート本勾玉の写真  12:29
レッドアゲート本勾玉
レッドアゲート本勾玉

■勾玉100物語・26
新卒で入社した大手企業に馴染めず、中堅所の家電量販店に再就職して2年経つ。
目まぐるしく変わる家電製品の特徴や性能を覚えるのは一苦労だが、
苦手というわけではない。 
彼が息苦しくなるほど苦手に感じていたのは、毎週のように開かれる会議だった。
発言しようとすると動悸が激しくなり手のひらが汗ばむ。
頭の中で意見をまとめられても言葉で表現できない。
会議がおわると必ず置いてきぼりを食う気持ちになった。
 
そんなある日、新聞で古墳出土の翡翠勾玉関連の記事をみて目が釘付けになった。
その気持ちの強さに彼自身驚いた。
そんなにもひとつことに興奮したのは、クロアゲハが欲しくて
捕虫網を手に野原をかけた中学生の夏以来のことだった。
 
彼はネットで検索して、日本翡翠を専門に扱う店を見つけて、
古墳出土の勾玉とよく似た勾玉を買った。

店主は彼の気持ちを見透かしたかのように、
「この勾玉は握り玉だから、気持ちが落ち着かないときに、
親指で何回も勾玉をこすると、不思議と気持ちが落ち着きますよ」と言った。
指先にはたくさんのツボがあるという話だった。
 
勾玉を数分間親指でこするとお腹が温かくなる感じがした。
息遣いもゆっくりとなったようだった。
会議ではやっぱりじっとりと手に汗をかいたが、これまでなかったことに、
彼はいつかは発表したいと思っていた、
「中高年の客相手に商品説明するツボ」についてほぼ満足できるよう語ることができた。
仕事も地に足が着くようになって、もっと営業成績を伸ばすんだと思っている。

■勾玉100物語・27
彼の腕の中で彼女は胎児のように身体を丸めた。抱かれごこちのいい腕だった。
もっと小さくなれればいいのに、そうすれば彼の腕のなかにすっぽり入れる、
と彼女は思った。そうやって彼女は柔らかな勾玉になった。
南の島の小さなコテージでの出来事だった。
遠くで風が奏でる椰子の葉擦れの音がカラカラとなっていた。

■勾玉100物語・28
時計は午前1時に近かった。
胸騒ぎにつき動かされてアパート近くの用水路にかかる橋に出た。
昼間は、青サギがテリトリーを巡回し、カワウが雌を呼ぶ両側一車線ほどの幅の川で、
浅瀬では身体をくねらす鯉の背びれが見えることもある。
けれど深夜であれば虫の声がすだくばかり。
 
用水路伝いの遊歩道に動くものがあって、目を凝らすと、
街路灯にてらされて一列に並ぶ5匹の猫がいた。
それらの猫を一目見るなら、いかに世間知らずといえども、
普通の野良猫と思う人はいまい。

猫たちは全員が後ろ足で立って、編み笠をかぶり、
風の盆を舞いながらしずしずと行進して、
街灯の光が届かないところまで行くと、闇に溶けていった。
一直線につづく足跡はしばらくの間、
ひとつひとつが勾玉の形をした青白い燐光を放った。
 
いずれの御方(おんかた)の御使い(みつかい)なのか、
猫たちの姿かたちだけからは測りようがなかった。
 
因みにバリ島では同じ目的を5匹のガマガエルがはたす。
彼らは、スイレンの若葉の傘をさし、
ひょっこりひょっこり歩いて最寄りの海岸を目指す。
日本と違って、たいがいの住民に彼らが見えるが、見て見ぬふりをする。
| 勾玉100物語 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
勾玉100物語23−25■ニュージェード本勾玉の写真 11:18
ニュージェード本勾玉
避けられない用件があって、9月7−8日(土・日曜)は臨時休業します。
ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。


■勾玉100物語23
知人がそのまた知人から子猫をもらってきて育てることにした。
全身は黒猫のくせに目の周りだけが白いパンダ柄の猫だった。

飼い主はこの猫をタマヤと名づけた。
タマとよぶのはありきたりで、
ちょっとばかりしゃれてタマヤと呼ぶことにしたのだろう。
漢字でかけば玉矢とでもなるのだろうか、
漢字の意味を探るのが好きな知人だったので、
霊弥だったかもしれない。
「弥」を電子辞書でひくと、いよいよとか、あまねく、ひさしい、
という意味があると出ている。

タマヤという名前に影響されたのか、
この猫はどうにも信じがたいことだが、
長じて勾玉を集める奇癖を発揮するようになった。
あるとき飼い主が勾玉ネックレスを仕事机に置いたのが始まりだった。
猫は異様な関心を示し、腹の下に敷いて離れなかった。
飼い主が取り上げようとすると、怒って背中の毛を逆立てた。
飼い主の財布を飾る勾玉の根付けを見た時も同じようにふるまった。
まるで前世が古墳時代の豪族だったといわんばかりだ。
 
飼い主は機転の利く人だったので、
ゼリービーンズが勾玉に似ているのに気付いて、猫に与えてみた。
猫はフンッとした顔をしただけだった。
それではというので、ゼリービーンズにリューターで穴を開けるや否や、
猫は飛びかからんばかりになった。
いまでは餌場のすぐ脇に猫の勾玉コレクション皿があり、
黄色や緑色の穴あきゼリービーンズが10数個、大切に保管されている。


■勾玉100物語・24
トカゲにのった仙人の杖にはサイの角でもあるかのようにして、
翡翠勾玉が縛り付けられていた。

以前に仙人から聞いたところによると、
杖は古い時代には天の声を代弁する者の証しだったという。
杖は天地を結ぶ宇宙軸であり、
丹生津姫の祝詞では神気のこもる忌み杖を突いた土地に彼女が降りることになっている。
 
トカゲに乗った仙人が山の家の庭に出没するようになって何年か経つ。
一度は辰砂をすりつぶして仙薬を作る手伝いをさせられたが、試飲させてもらえなかった。
 
今日も今日とてトカゲに乗った仙人は、
庭の生け垣のキンモクセイの枝に止まって、白い髭をしごいている。
何か考えるところがあるのか、あるいは退屈しのぎにちょっと出現しただけなのか、
なにも言ってこないのでよくわからない。

 
ぼくは軽く会釈して紙ゴミを燃やす焚き火の準備をつづけた。
そうこうするうちに仙人もどこかへ行ってしまった。
まるでメジロのような出没ぶりだった。
 
仙人をみたらあれこれ尋ねようとか、お祭りしようとか、
大仰なことを考えないで、適度にほっておいたほうが、
彼らも気楽でいられるようだ。


■勾玉100物語・25
「杖を忘れて帰る」という言い方がある。
接骨院、カイロプラクティクなど施療院の施術者の腕がすばらしくて、
依頼者は杖を忘れて帰るほどだ、ということをいう。

ときに翡翠勾玉でもおなじことが起きる。
勾玉を入手して数日後に大きな契約がまとまって会社は一息つける状態になったとか、
勾玉のおかげなのか新しい会社に正規社員として入社できたとか、
勾玉を買って2、3日すると、足が地に着くという感じがわかるようになった、
などという出来事が起きる。
ここでは杖を忘れて帰るように心配・不安が癒されている。

 
なかには文字通り勾玉を買って杖を忘れて帰った人もいる。
ひとりは70代くらいの女性だった。同じ年配の男性といっしょに来店した。
半地下の階段を降りる足取りは危うかった。
彼女は日本の翡翠を探して何年か経つと話した。
糸魚川へ行っても、これはと思える勾玉に出会えなかった。
けれど、この店に来てほんとうによかった。
こんなに探していたものとぴったり同じの翡翠に出会えるなんて信じられないほどだ。
立て板に水というよりも、堰を切ったかのようにたくさんを話した。
そうして彼女は杖を忘れて帰った。
| 勾玉100物語 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
『日本翡翠情報センター』HPを更新しました■ニュージェード勾玉の写真 13:43
ニュージェード勾玉

『日本翡翠情報センター』HPの記事と写真を追加しました。
同ホームページの更新はほぼ1年ぶりです。
日常業務の量が多すぎて、更新するのが遅れてしまいました。

『日本翡翠情報センター』HPでは、
トッページのお知らせ、8月27日分から、
または「第5章・翡翠の古代史」の「がぜん凄い! 大国主と奴奈川姫・・・」から入ると、
ドドーッと並ぶ活字をまのあたりにできます。
 
新規書き下ろし分は3テーマで、上から、
「がぜん凄い! 大国主と奴奈川姫、恋物語の意外な結末」、
「『古事記』では八尺瓊勾玉から王朝の祖先が生まれる」、
「三種の神器は宗教と政治・軍事の3権力を象徴した」。

全部を合計すると新書に換算して約45−50ページ分に相当します。
全部を読むのは大変であろうけれど、一読してくださるなら、
てのひらに乗る小さな勾玉ひとつに、気が遠くなるほどに深い歴史や、
日本の国土と同じほど大きな意味が込められているのを眺められるようになります。


「がぜん凄い! 大国主と奴奈川姫、恋物語の意外な結末」では、
弥生時代に北部九州で始まる新たな日本翡翠勾玉文明を話題にしています。

弥生時代のおわりごろ、邪馬台国の女王・卑弥呼が
古代中国、三国志で有名な魏に朝貢しました。
卑弥呼の後を継いだ壱与が魏に送った品々のうちに、
緑色の立派な勾玉があったことが記録に残されています。

「『古事記』では八尺瓊勾玉から王朝の祖先が生まれる」では
アマテラスと勾玉の関係を追及します。
 
日本神話のはじめのほう、スサノウの来訪を敵の襲撃と勘違いしたアマテラスは
全身に勾玉をつけてスサノウに立ち向かいます。
ここでの勾玉はパワーアップするための物実 (パワーオブジェクト)で、
神代(かみよ)の時代から勾玉はお守りとして重宝されてきました。
 
スサノウはアマテラスにウケヒという神聖審判を用いて
潔白を証明したいと申しでて勝利します。
このときアマテラスが所有していた勾玉から男性神が生まれて、
そのうちの1柱の神はヤマト王朝の祖先になりました。

つぎにアマテラスはスサノウの暴虐さに絶望して岩屋に隠れます。
八百万(やおよろず)の神々はアマテラスに勾玉と鏡を捧げて
復帰してくれるよう願います。

ここでの勾玉はお守りではなくて、恭順の証しとなり、
古代においては政治や軍事より大事だった祭祀権を象徴しています。
榊に鏡・剣・勾玉を飾って神々や天皇に捧げる宗教儀礼は、
古墳時代にはもっとも重要な儀礼だったと考えられます。


「三種の神器は宗教と政治・軍事の3権力を象徴した」では
勾玉・鏡・剣の三種の神器について述べています。
 
専制君主が登場する以前の社会では、ひとつの集団は、
集団内のまとめ役である酋長と、戦闘時の軍隊の首領と、
宗教的な権威である呪術師の3つの権力によって
統合されていたケースが多いようです。

日本の天皇家の皇位継承の品とされる三種の神器は、
元来は宗教・祭祀を勾玉に、政治・統治を鏡に、軍事を剣に象徴させることで、
これら3つの権力を天皇にゆだねる証しとされていました。

(絶対君主制が確立される前の時代では、大王(天皇)は各地の王(豪族)
によって擁立・推薦される必要があったことを示しています。)
 
天皇の場合は天皇霊の宿りである八尺瓊勾玉がことのほか重視されて、
三種の神器のうちの勾玉だけは天皇のおそば近くに厳重に保管されているといいます。
 

これら3本の記事には、まだ大国主は登場していません。
日本翡翠にからむ物語のハイライト「大国主と奴奈川姫の恋物語の意外な結末」や
交易品として輸出されていく日本翡翠勾玉などについては、
これから時間がとれるときにまとめていくことになります。

| 日本翡翠情報センター | comments(2) | trackbacks(0) | posted by YK
勾玉物語20−22 ■世界で一番可愛いペンジュラム・セットの写真 11:43
世界で一番可愛いペンジュラム

当社特製のペンジュラム・テーブルと「世界で一番可愛いペンジュラム」。
毎日毎日、たくさんの仕事。
あれをやらなくちゃこれもやらなくちゃと思っているうちに、
幾つかは確実に忘れていく、または手がまわらなくなっていく。
そうやってストックボックスに埋もれていたものを再発掘しました。
バーゲンプライスの2倍重ねほど値引きしてあります。


「世界で一番可愛いペンジュラム」を見るにはここをクリック。
 
もうじきパタっと冷蔵庫の氷を使わなくなる。そうして夏がおわる。
地球がこんなに美しいところでなかったら、
惜別という言葉は生まれなかっだろう。

■勾玉100物語・20
30ミリほどどの大きさの勾玉であれば、紐で吊ればペンジュラムになる。
前世を訊くことができる特別なペンジュラムだ。

「私の前世を教えてくださいますか? 
イエスなら丸を、そうでなければ縦に振ってください」というように尋ねる。
丸を描くならしめたものだ。
自分の前世は日本人だったのか、男だったか? 身分は? 
いつごろの時代のことか? などと訊いていく。
質問する順序は事前にメモしておいたほうがいいだろう。
 
アルファベットを記入したペンジュラム・テーブルがあるなら、
前世のイニシャルを確認できるし、
そこから前世が誰れであったか特定できもする。
 
かくして前世を確認、ないし発見できるのだが、
前世は潜在意識に眠る自己イメージなんだろうと思う気持ちを残しておくと、
自分の思いに自分が飲みこまれずに済む。
 
すっかりと自己イメージに呑まれてしまって、
私の前世は卑弥呼の養女の壱与だったと主張して日々を送るのも
楽しいことであるかもしれない。

■勾玉100物語・21
飼い主が猫の首に小さな勾玉を付けたその日から、
猫の生活はまったく変わってしまった。
長さ20ミリの勾玉は人間には小さくても、猫にとっては大きな勾玉だったので、
彼はすっかりとパワーに打たれて、自分をカラスと思いこんだ。
 
飛べないことを知ってはいたのだろう。
電柱に登って、カラスのように虚空を見つめる始末だった。
ゴミ収集用の容器からこぼれ出た生ゴミをカラスのようにつついたし、
必死の努力をしてカラスのように鳴いた。
カラスといっしょにいたくて忍び寄りの術を覚えたが、
相手からは同類扱いしてもらえなかった。
 
もともと猫は孤独な生き物なので、自分がカラスのようであっても、
その虚勢された雄猫は、他と自分を比べることはなかったし、
好みを同じくする仲間がいなくても寂しくはなかった。

猫はカラスのふりをすることでパワーアップし、ついにはカラスを卒業した。
気流にのって舞うトビだと思った猫は、
睨むだけでネズミを気絶させる術を使えるようになった。

■勾玉100物語・22 
たとえば100人同年輩の女性がいて、比べれば上位5人に入るほど、
彼女はきれいな脚と形の整った乳房に恵まれていたが、
美しい脚や乳房は彼女の人生を豊かにしてくれなかった。
引っ込み思案で人付き合いの悪い自分をうとましく思っていた。
 
きれいな脚と可愛いお尻を隠すよう大きめサイズのジーンズの腰をさげてはく
自分が嫌いだった。
2、3の友人と旅行に行っても温泉の大浴場に
友人といっしょに入るのはもってのほかだった。
 
友人に誘われて行ったミネラルショーで鉱物の結晶の美しさに魅せられた。
数か月置きに天然石の専門店を訪ねるようになり、
今回はとくに欲しかったわけではないのに、日本翡翠の勾玉を買った。
通常の勾玉より頭が大きく新芽に似た形が可愛いらしかった。
 
家に帰っていつものように自室でひとりで夕食をたべた。
両親と同居していたが、父親とはもう1週間あまり口をきいたことがない。
夕食後に台所に降りてオレンジペコをいれた。
自室に持ち帰って勾玉をてのひらに乗せた。
 
勾玉から小さな塵がわきでていた。
そういうものを見たことがなかった。
身体がぞわぞわした。腕の皮膚が鳥肌たつのがわかった。
 
塵のような、あるいは極微のクモの子らのようなその不可解なしろものは
光の胞子とよぶに似つかわしかった。
光の胞子はわきでているのではなくて降りそそいでいた。
ライトスタンドを光源ににじみだした光の微粒子が、
ちらちらと瞬きながらに勾玉に降りそそいでいた。
雨滴のように勾玉を濡らして、内部へと染みいっていくのが見えた。
 
眺めていると自分のまわりのことがらがむやみと愛しく思えた。
自分の部屋も、自分の家も、遠く離れた森や川もみんな愛しかった。
そうしてふいに彼女は思った。
私はいまのままでいいんだ。引っ込み思案の私は悪くない。
人付き合いの悪い私は悪くない。
自分で自分を受け入れる気持ちにいっぱいになった。
 
光の胞子たちはなおも勾玉の周囲できらきらと輝いていた。
明日は新しいジーンズを買おう、と彼女は思った。
| 勾玉100物語 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
| 1/62 | >>