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NPO法人外国人犯罪追放運動BLOGより
☆「男組伝説」に警戒MAX
在特会・行動保守・愛国市民デモへの妨害はここから本格化!
裏社会への本格進出で「新型の政治犯」としての地位を確立!
さる平成25年9月29日に逮捕されたデモ妨害『男組』の幹部2人は48時間も経ない翌日に釈放となった。
☆関連ブログ更新情報!
デモ妨害『男組』との戦い!
http://ameblo.jp/arikadodaisuke/entry-11625096438.html
★カウンターに気をつけろ!
この逮捕の時点を以って、男組は東京・新大久保をはじめ愛国市民デモへの妨害の「実働部隊」として本格的な、真の意味での「デビュー」を果たしたのである。
『レイシストをしばき隊』から派生した男組は半グレ・愚連隊であると同時に、「政治犯」としての地位も確立させつつある。
裏社会へのコネクションという足がかりを掴んだもので、かつて『関東連合』や中国残留孤児子孫を中心とする愚連隊組織『怒羅権(ドラゴン)』が幾多もの犠牲者(逮捕者や、時には死人)を出しつつも勢力の拡大を図ったように、男組による反レイシズムを旗印にした愛国行動への妨害はより熾烈になると予想される。
急成長する可能性を秘めた男組の伝説はむしろ、ここから始まるとの認識の下、その対極に位置する我々は警戒と同時に「覚悟」を最大限に持たなければならない。
平成の時代の運動史と裏社会の一端に記されることとなる男組伝説を侮る勿れ!
☆10・1 前橋地裁前の行動!
関越道バス追突事件は第4回目の公判
中国残留孤児2世「河野化山被告」への尋問
昨年4月23日、京都府亀岡市で居眠り運転して乗用車を登校中の児童らに突っ込ませ、計10名を死傷(児童2名と付き添いの保護者一名が死亡、なお妊娠中の胎児の死亡も確認されている)させた無職少年(19歳)に対する控訴審判決が9月30日、大阪高裁で言い渡された。
自動車運転過失致死傷罪と道交法違反(無免許運転)に問われた同市在住の少年に対し、森岡安広裁判長は懲役5年以上8年以下の不定期刑とした1審・京都地裁判決を破棄、「懲役5年以上9年以下」の判決を言い渡した。
検察側は1審では最高刑が懲役7年の自動車運転過失致死傷罪に加え、無免許運転(最高刑懲役1年)過去2回分と計3件を合算することで懲役5年以上10年以下を求刑していたが、それを1年下回る。
1審判決について検察側は「類い稀で悪質な事故で量刑が軽過ぎる」と主張すれば、弁護側は「更生の可能性が高く、中等少年院で矯正させるべきだ」と反論。量刑が争点となった控訴審だった。
判決後の記者会見で遺族らは「なぜ(求刑の)10年ではないのか」と不満を募らせたが、10年以下とするか、9年以下とするか、小さな差のように思えて最高刑にすることと、そうでないことで意味合いが大きく異なってくるだろう。
また、遺族らは今後、少年と少年の保護者、また追突事件を起こした乗用車に同乗していた少年の友人らを相手取った民事賠償請求訴訟を起こし、民事上の責任を問うと明らかにした。
この京都・亀岡での事件の僅か6日後に、中国残留孤児2世のバス運転手・河野化山被告による群馬県で関越道バス追突事件が引き起こされたと思えば、つくづく車社会と言われる現在は到底、車を運転する資質に足らない者ばかりが車を運転しては公道を疾走している社会なのだと思う。
京都・亀岡事件の場合は運転していた少年が無免許。関越道の場合はバスを運転していた河野被告がろくに日本語を話すことも、日本語の読み書きも出来ないときたものだ。
京都府も同和・部落の巣窟と言われる地域で、度々無免許運転をしていたという被告の少年だが、同市内の周辺関係者らも少年らの素行を普段から知っていたのではないか。
★自動車教習所に無免許運転で通学していた「彼」
筆者(有門大輔)には思い当たる節がある。あれは遡ること約20年前。
大阪出身の筆者は西日本のさる地方の自動車教習所で約1ヵ月半の合宿をして運転免許を取得したが、教習所には当然ながら地元民も通っている。
さる地元の若者が無免許ながら車で自動車教習所に通っていた。誰しも自動車教習所には免許が無いから通う。その教習所に車で通っているというのもヘンな話だと思うことだろう。ほんの一時期だが、彼と話すようになった筆者は彼が無免許で車を運転して自動車教習所に通っていること、それを教習所も分かっていながら車で通うことを黙認している事実を知った。
普段から無免許の彼が地元周辺で車を走らせていることは想像に難くない。おそらく地元の所轄警察署もそれを把握していながら黙認していたのだろう。警察とツーカーの教習所でそうした不法・無法が公然と罷り通っていることから、そのように考えられる。
つまり…彼は、おそらくだが、地元有力者の子息だったのだろう。それも警察は勿論、地元企業から市議会、県議会に至るまで、誰もが彼の親や一族には頭が上がらないくらいの存在だったのではないかと考えられる。
自動車教習所で限度とされる回数(3度)、筆記試験(確か仮免許)に落ちたため、彼だけ警察署で直にテストを受けることになった。
大阪から他県の地方に合宿で教習所に通っていた筆者は、その後、2度と彼と会うことはなかったが、今にして思えば、この警察署内における直々の筆記テストというのも彼個人に何らかの便宜を図るために行なわれたのではないかと考えられる。
これも今にして思うことだが、彼の素性なり、その後の警察署におけるテストの実状なりを聞き出しておけば、かなりの有力情報になり得たのではないかと思う。だが、当時は携帯電話もメールもない時代、筆者も同和や在日といった問題にさほどの見識はない、18歳の一少年であった。
何が言いたいかと言えば、京都府においても前述の西日本における然る地方でのことと同じように無免許運転の無法が日頃から罷り通っていたのではないか、そして、そうした無法を地域ぐるみで看過してきたことが追突事件の原因だったではないかということである。
そして関越道バス追突事件においては、そもそも日本語の不自由な河野被告が何故に日本人でも取得することが困難な大型2種免許を取得出来たのかが疑問に残る。時と場合によって、飽くまでも非公然ではあるが、自動車の運転に関しては特に厳しい指導をすることで知られる自動車教習所においてさえ無免許運転での通学が黙認されるようなことが起きていて、その上、どこか一般から隔離するようにテストが施される(飽くまでも想像だが)自動車免許取得のテストでは、誰に対して、どのような便宜が図られたとしても不思議ではない(教習所や警察署は頑として否定するだろうが)。
そういう特権階層というのが、一見は平等に見える現在の日本社会にこそ存在するわけで、それが同和出身者の有力者であったり、在日外国人であったり、日本の国策で帰国した残留孤児の子孫であったりする。
遊びにせよ、仕事にせよ、何にせよ、遠路での移動も余儀なくされる車社会において車は確かに便利な乗り物である。
時としてタクシーや運送屋のドライバー、バスの運転などは就労への早道として選択されることがある。
そうした文明の利器を利用するに際しても特権的に不法行為(無免許運転)が非公然ながら看過され、免許取得においても便宜が図られ、その結果として凄惨な事件・事故が引き起こされて尊く幼い生命まで奪われたとしたら、この大いなる不義こそを正さずにはいられない。 ←ブログランキング応援クリックお願いします♪
本日10月1日、関越道バス追突事件の審理(第4回目の公判)が行なわれる前橋地裁前にて、河野被告への断罪を求め、河野被告に安易に運転免許を与えた日本社会の責任を追及します!
【群馬】関越道バス追突事件初公判と前橋地裁前サイレント・デモ
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1780579.html
【群馬】関越道バス追突事件 第2回公判と前橋地裁前 街宣活動
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1785739.html
【群馬】関越道バス追突事件 第3回公判と前橋地裁前 街宣活動
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1786991.html
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