イケダハヤト流「自己分析」の技法

2013/09/30


こんな質問をいただいたので、書いておきます。なるほど、自己分析。

「自己分析」は傲慢な仕事

まずいきなりお盆をひっくり返す感じですが、「自己分析」なんて、そんなものはできないんじゃないか、とぼくは思ってしまいます。ぼくらは「自己」とは何かについて、深い理解を得ることができません。

端的にいえば、ぼくは未だに「自己」がよくわかりませんし、死ぬまで理解できない気がしています。自分の理性で自分のことを理解できている、と語る人は、信用してはいけないとすら思います。

自己分析を行うときには「自分は、自分の脳みそをもって、自分のことを完ぺきに理解できるわけではない」という前提に立つべきです。自己分析という仕事は、それ自体、自分を蹂躙する傲慢な仕事だとすら思ったほうが良いでしょう。何を言っているかよくわからないかもしれませんが、そのくらい、自分というものは深淵で、自分にすら理解ができるものではない、ということです。

間違っても「あぁ!自分はこういう人間なんだ!」と全力で「納得」することはしてはいけません。どこかで「この答えは多分間違ってるんだろうなぁ」という、理性に対する謙虚さを忘れないようにしましょう。


「自分は何をやりたくないか」を考える

さて、そういう謙虚さを持った上で、何を考えるか。色々なやり方があると思いますが、ぼくなら「自分は何をやりたくないか」を考えます。

一般的には、ここで「やりたいこと」「なりたい自分」など、ポジティブな方向性を模索するのかもしれません。が、「やりたいこと」って、「未来」に属するもの、厳しくいえば「妄想」に属するものなので、現実とのギャップはかなり大きいんですよね。「やりたいこと」だと思ってやってみたら、全然やりたいことではなかった、ということは未だにぼくもよくあります。

だとしたら、まず考えるべきは「やりたくないこと」です。これは「過去」、自分の現実の積み重ねによって導きだされるものなので、「やりたいこと」に比べて、圧倒的に信憑性が高いです。

そうですね、「やりたくないこと」をひたすらノートにでもリストアップしてみるとよいのではないでしょうか。すると、色々なものが見えてくるかと思われます。


「強いていえば、自分は一体どんな仕事ならできるのか」を考える

たとえばぼくの場合は、

・知らない人に会いたくない
・満員電車に乗りたくない
・自分に嘘はつきたくない
・つまらない飲み会は行きたくない
・時間と場所に縛られたくない
・発言を縛られたくない
・尊敬できない人と一緒にいたくない
・消費社会に巻き込まれたくない
・「やりたくないこと」はやりたくない

といった「わがまま」リストが出来上がります。まさにこれは「わが・まま」、自分のあるがままが表出しやすいリストだと思います。無論、冒頭で述べた通り、これが必ずしも正しい自己であるとも限らないんですけどね。

で、このリストをじーっと見ていくと、「強いていえば、自分は一体どんな仕事ならできるのか」が浮き上がってくると思われます。ぼくの場合は、これらのネガティブ・リストから「自分は物書きという仕事ができるのではないか」という暫定的な結論が導きだされて、今に至ります。

場合によっては、「そもそも会社では働けない」という、反社会的な結論が出てくることもあるでしょう。それはそれで受け入れてしまい、働かないで住む環境に移住するなり、ほそぼそと自営業をしたりするのもありだと思います。これらのリストに反することを仕事にしてしまうと、結局辛い思いを強いられて、長続きしない気がするんですよねぇ。


試しにやってみる

さて、ここまでクリアになったら、早速行動してみましょう。「物書き」という答えが出てきたぼくの場合は、とりあえず1,000本ほどブログを書いてみる、という具合です。

このとき気をつけたいのは、「少なくとも5年間は、精神的・肉体的な苦労なしに、その仕事を続けられるか」という、時間にまつわるフィルタリングを施すことです。

「まぁ、この仕事ならそんなに苦にならないし、頑張れそうかな…」と思える仕事は、もう「天職」といっても良いんじゃないか、とすらぼくは思ってしまいます。そういう仕事って、ホントに少ないんですよ。

右も左もわからないうちは、「長続きしない」ことを前提に仕事を選ぶのも良いですが、どこかで結局見定めることになると思うんですよね。まずはその仕事に半年ほどフルタイムで従事してみて、モチベーションが持続するかを見きわめるとよいでしょう。


以上のステップが、ぼくが考える自己分析の方法です。従来的なものと大きく違うのは「自分について、自分が自分の脳みそで理解できると思うなんておこがましい」「実際にやってみないとわからない」という「わからなさ」を前提にしていることでしょうか。

もちろん、「自分」にたどり着く方法は他にもあると思います。ウルトラマラソンを走ってみたり、山を登ってみたり、坐禅・滝行してみたり…という身体的なアプローチも大いに有効だと思います。ぼく自身、自まだ「自分」が何だかようわからんので、身体的な方向から掘削していこうと考えています。


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