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作家の山崎豊子さんが死去
9月30日 16時23分

作家の山崎豊子さんが死去

「大地の子」や「白い巨塔」など社会派の長編小説で知られる作家の山崎豊子さんが29日、心不全のため入院先の病院で亡くなりました。
88歳でした。

山崎さんは大阪の出身で、大学を卒業後毎日新聞社に入社し、学芸部の記者として働きながら、当時の上司だった作家・井上靖さんの指導で小説を書き始めました。
昭和33年に「花のれん」で直木賞を受賞したあとは、文筆活動に専念して社会派の長編小説を次々と発表しました。
大学病院や医学部が抱える問題点を鋭くえぐった「白い巨塔」や、銀行を舞台に政財界の人間模様を描いた「華麗なる一族」、それに綿密な調査と取材で中国残留孤児の生涯を描いた「大地の子」など、小説の多くは映画やテレビドラマになりました。
平成3年には菊池寛賞を受賞しました。
山崎さんは70歳を過ぎても精力的に執筆を続け、平成11年に発表した「沈まぬ太陽」は航空会社を舞台に逆境に立ち向かうサラリーマンの姿を描き、幅広い読者の支持を集めたほか、80歳を過ぎて、外務省の機密漏えい問題に関わった新聞記者を題材に描いた全4巻に及ぶ「運命の人」を発表しました。
山崎さんは先月から、旧海軍の士官を父に持つ海上自衛官を主人公にした連載小説を「週刊新潮」に連載していますが、新潮社によりますと、全部で20回を予定している第1部の原稿は、すでに書き上げられているということです。

民族の歴史を明らかに

評論家の佐藤忠男さんは「山崎さんの作品は西洋譲りの純文学ではなく、日本の歴史を語ってきた伝統芸能の『講談』の流れに属する大衆小説だ。ノンフィクションかフィクションかが論争になることもあったが、『沈まぬ太陽』や『不毛地帯』『大地の子』など、多くの作品が日本人なら知っておかなくてはいけない民族の歴史を明らかにしてきた」と話しています。
そのうえで「学校で時間を取って教えていない日本人の歴史について、司馬遼太郎が明治までを、五味川純平が昭和の初めを書き、山崎豊子が日中戦争から現代までを描いてきたといえる。山崎さんならあと2、3作は大作を書けたと思う」と惜しんでいました。

資料の引用方法巡り盗用指摘されることも

山崎さんは元新聞記者らしく、作品を書くにあたっては数百人の関係者に会って取材するなど、綿密な取材ぶりで知られましたが、その一方で、資料の引用方法を巡って関係者から盗用が指摘されることもありました。
また山崎さんの作品にはフィクションであると断りが入っていますが、読者にはノンフィクションに限りなく近いと受け取られる内容のため、事実かどうかを巡って論争になることもありました。

「約束の海」執筆に執念

山崎豊子さんが先月から連載を始めた小説は、太平洋戦争で「捕虜第1号」となった徳島県出身の元軍人の生涯を通し戦争と平和を問う、いわば集大成の物語に位置づけられていたとみられています。
「約束の海」というこの作品は、現在、1989年を舞台に海上自衛官の男性を主人公に描かれていますが、自衛官の父親は今の徳島県阿波市出身の海軍の元軍人、酒巻和男氏をモデルにしているとみられています。
酒巻氏は、太平洋戦争の真珠湾攻撃の際、潜航艇の攻撃に失敗してアメリカ軍に捕らえられ、終戦までアメリカの捕虜収容所で暮らし、戦後はビジネスマンとしてブラジルなどで活躍したあと、平成11年に81歳で亡くなっています。
「約束の海」では、真珠湾攻撃に参加し捕虜になった父親の気持ちを息子が推し量る姿などが描かれていて、今後、捕虜になった父親の過去を含め、時代に翻弄されながらも力強く生きていく親子2代の生涯を通して、戦争と平和を考える壮大な物語が展開されるとみられていました。
また酒巻氏は、山崎さんの代表作の一つで昭和58年に刊行された小説、「二つの祖国」にも登場していて、酒巻氏を巡る物語は長年の構想を経て今回の作品に至ったとみられています。
山崎さんはここ数年、体調を崩していた時期があったため、山崎さんに代わって出版者の編集者が、酒巻氏の出身地である徳島県を2年ほど前に取材に訪れ、徳島市在住の酒巻氏の弟から話を聞いたほか、出身中学校などを視察していました。
これまでのNHKの取材に対し、関係者は「山崎さんは『約束の海』を遺作と位置づけて、執筆に執念を燃やしています」と話していました。

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