日本のことわざ

■ せ ■
性相近し習相遠し(せいあいちかしならいあいとおし)
生まれたときから備わっている人の性質には大きな違いはなく、だいたい似たようなものだ。ただその後の習慣によってひとりひとりに違いがあらわれ、隔たりができる。
星雲の志(せいうんのこころざし)
社会的によい地位につき、有名になろうとするこころざし。
精神一到何事か成らざらん(せいしんいっとうなにごとかならざらん)
精神を一つに集中してやれば、どんな困難なことでも成し遂げられないことはない。
聖人に夢なし(せいじんにゆめなし)
聖人(知恵がすぐれた人)は心が正しく、よけいな考えで心を乱すことがないから、グッスリ眠ることができるので夢は見ない。
聖人は物に凝滞せず(せいじんはものにぎょうたいせず)
聖人は時代の成りゆきに従って行動するので、物事にこだわったり、深く思い悩んだりして苦しむことがない。
清水に魚棲まず(せいすいにうおすまず)
透き通ったきれいな水に魚はすまない。あまりに心が清らかで欲がなさすぎる人には、かえって人が寄りつかないことのたとえ。
清濁あわせ呑む(せいだくあわせのむ)
(清い)善人と(濁った)悪人を差別せず、来るのにまかせて誰でも受け入れる心の広さのこと。
急いては事を仕損ずる(せいてはことをしそんずる)
あせって気をもむとやりそこなう。急ぐときこそ、よりいっそう落ち着いて行動しなさいということ。
盛年重ねて来たらず(せいねんかさねてきたらず)
若くて元気な年ごろは、一生のうちに二度と来ない。若いうちにぶらぶらと何もしないで過ごしてはいけないということ。
生は難く死は易し(せいはかたくしはやすし)
様々な苦難を乗り越えて生きるのは難しいけれど、死ぬのはとてもたやすい。
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人が生きているのは、天から命を授かって一時的にこの世に身を寄せているにすぎない。そしてやがて死んでいくのは、この仮の住みかを去って、天地の本源に帰ることである。
清風朗月一銭の買うを用いず(せいふうろうげついっせんのかうをもちいず)
さわやかな風や、明るく曇りのない月を楽しむのに、ただの一銭も金がいるわけではなく、誰でも思いのままである。
制を称す(せいをしょうす)
天子に代わって政治をおこなう。
堰かれて募る恋の情(せかれてつのるこいのじょう)
恋心は、二人の仲をじゃまする者がいると、恋しさがますます激しくなる。
席暖かなるに暇あらず(せきあたたかなるにいとまあらず)
忙しくて一カ所にじっと落ち着いているひまがなく、あちらこちらへとかけずり回るようす。
赤心を推して人の腹中に置く(せきしんをおしてひとのふくちゅうにおく)
飾りのない真心で人に接し、親しくなること。
積善の家には必ず余計あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
人のためになる良いおこないを積み重ねた家には、その報いとして思いがけない幸運がやってくる。
咳払いも男の法(せきばらいもおとこのほう)
わざとらしい咳をするのも、男にとっては法にかなった身のこなしの一つである。
世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)
世間の事情を知らないので、少しも心配がなく、のんびりと暮らしているようす。
世間を狭くする(せけんをせまくする)
失敗がもとで世間の信用をなくし、人に会いにくくなる。
世間を張る(せけんをはる)
うわべを飾る。見栄をはる。
世情物騒我が身息災(せじょうぶっそうわがみそくさい)
世の中はいつ何が起こるか分からない危険な状態であっても、自分の身さえ無事であればかまわない。
背筋が寒くなる(せすじがさむくなる)
恐ろしくて、震え上がるような感じになること。
せっかちのしくじり(せっかちのしくじり)
物事をおこなうのに落ちつきなく急ぐものは、失敗することがある。
節季女に盆坊主(せっきおんなにぼんぼうず)
年の暮れには女、七月の盆には坊さんが忙しいということ。
節供倒しは薬礼になる(せっくだおしはやくれいになる)
他人が節供を祝って休んでいるときに、自分だけが働いたところでろくな事はない。医者に払うくすり代をかせぐようなものである。
切磋琢磨(せっさたくま)
骨や象牙を刀で切り、ヤスリで磨き、宝石を槌(つち)で琢ち(打ち)、砂石で磨いて細工するように、たがいに励まし合い、学問・修行によって人格をみがくこと。
切歯扼腕(せっしやくわん)
歯をくいしばり、自分の腕をにぎりしめて大いに怒る(またはくやしがる)こと。
雪上霜を加う(せつじょうしもをくわう)
雪の上に霜が加わる。者が数多くある上に、さらに他のものを付け足すことのたとえ。
雪駄の土用干し(せったのどようぼし)
からだを後ろへ反り返らせ、いばって道を歩く人の姿をあざけって言う。
雪隠で饅頭(せっちんでまんじゅう)
雪隠(便所・トイレ)の中で、うまいまんじゅうを食べても気分が良くない。人に隠れて自分一人だけで利益を得ようとすることのたとえ。
雪隠と持仏(せっちんとじぶつ)
なくてはならないもののたとえ。(持仏は、自分の身から離さないで信仰する仏像)
せつない時は茨もつかむ(せつないときはいばらもつかむ)
苦しさのあまり、トゲがあるイバラの木をつかむような普通ではできないこともやって、苦しい境遇から抜け出そうとすること。
節も全うする(せつもまっとうする)
自分の考えを最後までかたく守りとおす。
銭あれば木仏も面をかえす(ぜにあればきぶつもつらをかえす)
情けに動かされない人も、金のあるほうに顔を向ける。人はみな、金の力の前には従うものだ、というたとえ。
銭金囲うても姫かこうな(ぜにかねかこうてもひめかこうな)
金銭などの財をたくわえるのはよいが、女をかこうのはくだらないことである。
銭なしの市立ち(ぜになしのいちだち)
金を持たないで、物の売り買いをする市に出かけていくこと。何をするにも、金がなくてはどうにもならないことのたとえ。
背に腹はかえられぬ(せにはらはかえられぬ)
目の前の大事なことのためには、他のことを犠牲にするのもしかたがない。
世話に砕ける(せわにくだける)
言葉、態度に分けへだてがなく庶民的である。
善悪の報いは影の形に随うが如し(ぜんあくのむくいはかげのかたちにしたがうがごとし)
おこないの善と悪に応じて、必ず幸せと災いの報いがあるということ。
千金の子は市に死せず(せんきんのこはいちにしせず)
金持ちの子はからだを大切にすることを知っているから、町の道路で死ぬようなことはない。金の力で危険をまぬがれるというたとえ。
千載一遇(せんざいいちぐう)
千年(千載)に一度だけめぐりあうくらいに、またとないチャンスであること。
前事の忘れざるは後事の師なり(ぜんじのわすれざるはこうじのしなり)
前にやったことの利益と損失を忘れずにいれば、その経験があとで参考になる。
前車の覆るは後車の戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ)
前を進むものの失敗は、あとから来るものの戒めになる。
前車の轍を踏む(ぜんしゃのてつをふむ)
前の人と同じ失敗をくり返すことのたとえ。
千畳敷に寝ても畳一枚(せんじょうじきにねてもたたみいちまい)
畳が千畳もあるほどの広い部屋に寝るとしても、自分ひとりがからだを横たえる広さは、せいぜい一畳で十分にたりる。身の程をわきまえて、欲望をいだき過ぎてはいけないということ。
前人樹を植えて後人涼を得(ぜんじんきをうえてこうじんりょうをう)
昔の人が植えた木のおかげで、涼しさを味わうことができる。前代の人のおこないによって、後の人が楽をすること。
先祖の屋敷を茄子畑(せんぞのやしきをなすばたけ)
先祖から何代も続いた家がつぶれて、広い屋敷の跡がナス畑に姿を変える。子孫が財産をすっかり失うこと。
然諾を重んず(ぜんだくをおもんず)
軽はずみには引き受けないけれど、ひとたび引き受けたからには必ず成功させる。
船頭多くして船山に上る(せんどうおおくしてふねやまにのぼる)
物事を進めるときに、指図をする人が多すぎてかえって統一がとれず、目的とは違った意外な方向にそれてしまうこと。
善に従うこと流るるが如し(ぜんにしたがうことながるるがごとし)
良いおこないだと知ったら、すぐ決心してこれに従い、ぐずぐずしない。
千日の萱を一日(せんにちのかやをいちにち)
多くの日数をかけて刈り取ったカヤを、わずか一日ですっかり燃やしつくす。長いこと苦労して仕上げたことを、一度にだめにすること。
先入主と為る(せんにゅうしゅとなる)
はじめに覚えたことにとらわれて、あとの事がらを正しく判断・理解することができなくなる。
善の裏は悪(ぜんのうらはあく)
良いことがあると、そのあとに必ず悪いことが巡ってくるということ。
善は急げ(ぜんはいそげ)
正しいことだと思ったら、ためらわず急いでおこなえ。
千番に一番の兼合い(せんばんにいちばんのかねあい)
千回やってみても、一回成功するかどうか分からないほど難しいこと。
先鞭を着く(せんべんをつく)
人より先に着手すること。
千三つ(せんみっつ)
成功するのは千のうち三つくらい、ということから、不動産や賃金などの仲介をする人。また、本当のことは千のうち三つくらい、ということから、よくうそを言う人。
前門に虎を拒ぎ後門に狼を進(ぜんもんにとらをふせぎこうもんにおおかみをすすむ)
表門でトラの攻撃を防いだら、裏門にオオカミがまわっていた、ということから、一つのわざわいを逃れてほっとしたと思ったら、また他のわざわいにあうこと。
千里行を留めず(せんりこうをとどめず)
千里もの遠いところへ行っても、行くてをさえぎるものがない。敵がないことのたとえ。
千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
一日に千里もの遠いところまで走ることができるすぐれた馬はあっても、その馬の良し悪しを見分ける人(伯楽)は少ないことから、才能のある役に立つ人を発見したり、その人の能力を十分に発揮させる者はなかなか見あたらないということ。
千里も一里(せんりもいちり)
恋人のところに行く者にとっては、千里もの遠い道のりも一里くらいにしか感じられず少しも苦にならない。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
才能がすぐれた人でも、多くの考えの中には思いがけない失敗もある。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
おろかな人でも、多くの考えの中には少しはよい考えもある。
善を責むる者は朋友の道なり(ぜんをせむるものはほうゆうのみちなり)
たがいに良いおこないをすすめて、これを実行するように努めるのは、友だちどうしの大切な道である。
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