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脚本家・山田太一インタビュー

【山田太一】「人気のある俳優さんを揃えて視聴率を計算したってドラマはできません」

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2013.09.17

 戦後のテレビドラマ黎明期から幾多の名作を生み出してきた脚本家・山田太一。今は連続ドラマこそ書かないが、特別ドラマをたびたび手がけ、そのたびに幅広い世代のファンたちを魅了し続けている。そんな彼は、かねてから「テレビドラマのあり方」に対して、さまざまな意見を述べてきた。では70代の今、『あまちゃん』や『半沢直樹』のように再びテレビドラマに脚光が当たり始めた現状を、どう見ているのだろうか――?

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(写真/奥山智昭)

――山田さんは、今話題の『あまちゃん』と『半沢直樹』は、ご覧になっていますか?

山田 半沢さん……は見ていないですね。『あまちゃん』【1】は(宮藤)官九郎さんらしいドラマだと思って楽しく見ています。テレビをよく知っていて、朝のドラマはこういうものが当たるという勘みたいなものが非常に素直に出ていると思います。それは舞台をやっている方が肌で感じるものなのかもしれないね。一方で、(宮藤氏が監督した)『中学生円山』なんかは本当に映画の面白さがよく出ている。彼のほかの映画も見ましたけど、非常に生真面目に、お客さんのことをバカにしないでバカなことをやっている(笑)。それが僕はいいな、と思う。アチャラカをやっていると、作りもアチャラカになってしまう人もいますからね。やっぱり宮藤さんは底力がある人だと思います。

――宮藤さんのドラマ作りにもそれは感じますか?

山田 もちろんあると思います。ただ、それはそれとして、テレビドラマには可能性があるんですから、もっといろいろな人が出てきてもいいと思います。木皿(泉)さんの『Q10』【2】だってよく考えられていますし、時間をかけて作っていますよね。そういう作品がたくさん出てきたら、テレビドラマはもっと面白くなると思いますよ。

――この20~30年で、テレビドラマの作り手の側にも、さまざまな変化が起こっていると思います。作り手のひとりとして、山田さんはどのようにお感じになっていますか?

山田 「いい作品を作ろう」というより「いい商品を作ろう」という意識になっているんじゃないかな。視聴率のことばかり気にしている人たちや、どこかから突っ込まれないかと気にしてばかりいる人たちが力を持っていると、やっぱり作品を損ないますよ。営業や編成の人たちの意見も大事だけど、ドラマの中心は作っている側にあるべきです。いろいろな人の顔色をうかがいながら作っているようでは、いい作品なんてできっこありません。それは本当に悪いことだと思うな。高視聴率で作品も良いというのが一番いいのだけれど、最近は高視聴率を取ること自体が欠点のような気がしてきました。

――高視聴率が欠点とは、どういうことでしょう?

山田 いろいろな人が気に入るやつというのは、それだけでうさんくさいでしょう?(笑) 結局、ものを作るということは、個人に帰することだと思うんです。

――作品は個人から生まれるものであると。

山田 作り手の思いとか、履歴とか、好きな音楽とか、いろいろなものが個人から発している領域で作られたドラマはいいものが多いと思います。作り手の顔がちゃんと見えるということ。ドラマは計算で作れるものではないんです。

――決まった方程式があるわけではないということですね。

山田 人気のある俳優さんを揃えて視聴率を計算したって、ドラマはできません。かつて当たった人と当たった人を組み合わせれば視聴率も2倍になると考えていることがおかしい。人気者をひとりつかまえたら、2~3人は新人を使うとか、年齢が上の人は変化球として使うとか、それぐらいのセンスは欲しいですよね。

――山田さんが書かれた『ふぞろいの林檎たち』(TBS/83年~)では、フレッシュな若手を主役に据えられていましたね。

山田 それは、プロデューサーに力が与えられていたからできたことです。やっぱり作り手が中心だったんですよ。

――山田さんは、キャスティングする俳優や女優の顔を思い浮かべながら脚本を執筆するとお聞きしました。

山田 テレビドラマはそうですね。主役の4~5人ぐらいは決まっていないと駄目なんです。見る側が心揺さぶられる組み合わせになっていればいいと思っています。

――『男たちの旅路』(NHK/76年~)での鶴田浩二さんと水谷豊さんも、視聴者にとって意外性のある組み合わせだったと思います。

山田 それに、たとえば僕は岸惠子さんに、フランス帰りのお洒落な人の役なんて書こうとはまったく思わないですよ(笑)。かきたてられるものがないんです。町の電器屋のおかみさんをやってもらったのですが(『沿線地図』TBS/79年)、岸さんには思いもよらない役だったでしょう。でも、そういうアンバランスさが役者にとっても、視聴者にとっても面白いんですよね。

――『岸辺のアルバム』(TBS/77年)では、清楚なイメージの八千草薫さんが不倫に溺れる役を演じて、視聴者を驚かせました。

山田 役者さんに、今までやらなかった役柄をやってもらう。それが僕らの作品の発想の仕方ですよ。だけど、今は「こういうキャラクターが当たったから、次も同じようなキャラクターで」という発想でしょう?

――今のお話で思い出しましたが、90年代から00年代にかけてドラマ界を支えた木村拓哉さんが、次のドラマではアンドロイドを演じるそうです(『安堂ロイド~A.I. knows LOVE?~』TBS/10月スタート)。だんだん演じる役柄がなくなっているとも感じますし、迷走しているようにも思えます。

山田 うーん……大変だと思う。ある年齢になってくると、若い時に輝いていた人ほど壁が高くなるんです。方向転換は二枚目ほど難しい。『南極大陸』【3】は少しだけ見ましたけど、「木村拓哉さんがやってくださっている」という空気が画面から伝わってくる。そんなの見たくないですよ。だけど、すごい人だから活かす道はいっぱいあると思います。たとえば、汚れ役をやるというより、本当に汚れてしまえる世界を選ぶとかね。

――本当に汚れるとは?

山田 いつも木村拓哉さんはちょっと不平そうな声を出すじゃないですか(笑)。それはもうあの人のキャラクターなんだから、作品の中でもっと引き出して、みんなで笑いものにしちゃうとかね。もっといろいろな声が出せるはずなのに、いつも同じような声しか出さないから、それではこなせない、新しいキムタクさんを引き出すような役があればいいと思いますね。

――やはり、いい作品、いい作り手とのめぐり合いが必要だということでしょうか。

山田 それに尽きます。キャラクターも重要ですが、キャラクターをなぞってそれらしく演じるドラマは、見るほうも飽きてしまったでしょう。初心に帰ったドラマ作りが大切だと思いますね。

テレビドラマでなければ拾えない現実がある

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『男たちの旅路』、『岸辺のアルバム』、『早春スケッチブック』、『ふぞろいの林檎たち』等々、現在の中堅・若手脚本家の中にも、山田太一脚本のファンは多い。

――山田さんは、テレビドラマでしか描けないもの、テレビドラマらしさとは、どのようなことだとお考えですか?

山田 テレビドラマの大きな特徴は、まず長さですね。あとは、毎日生きているリアリティにこだわること。これはお話だから都合よくしてしまおう、今の流行に合わせよう、お洒落な会話にしよう……そういうことをやっていくうちに、自分を見失ってしまうと思います。

――以前、「テレビドラマは取るに足らないような小さな誤解であったり、小さな矛盾であったり、つまり小さな物語を描くものなんだ」とおっしゃっていましたね。

山田 そう、たとえば政治が原発をどうするかという問題なら、ドラマよりノンフィクションのほうがパワーがある。電車が脱線して乗客が足止めされるような出来事があったとしたら、ドラマはそのまま乗っている人や駅で待っている人の、どうでもいいようなところにドラマを見つけないと、陳腐になってしまう。

 日常生活は、自分にとっては大事だけど、人にとってはどうでもいい話で満ちています。事故があって死者が2人だった、なんて聞くと、関係ない人は「それぐらいで良かったね」なんて思ったりする。でも、死んだ人の遺族にとっては大変なことですよね。それがテレビドラマでなければ拾えない現実だと思うんです。

――宮藤さんが以前、インタビューで山田さんの作品について「なんでもない人の日常を描いているのにドラマチックなのがすごい」と発言されていました。山田さんはもちろん、同時代に活躍された向田邦子さんの作品も、倉本聰さんの作品も、人々の小さな物語を丁寧に拾ってドラマにしているという印象があります。

山田 それが普遍になっていくことが理想ですよ。たとえば、原理主義のような信念の人は、自分で「これが正しい」と思うことがあると、その正しさを貫くための犠牲は当然だと思うようになる。戦争に勝つためには、100人死んだってなんだ、という気持ちになってしまう。そういう無神経に陥らないために、テレビドラマがあると思っているんです。

――『ふぞろいの林檎たち』で、主人公たちが学生運動の闘士になじられる印象的なシーンを思い出します。

山田 うん、理念が正しいと思い込んでしまうと、その理念通りに動かないやつはバカだと思うんです。テロだってそうだし、国と国の戦争になることだってある。どっちが正しいとは言えないはずなのに、メンツだとかプライドだとか、いろいろなものが入り込んで他人の犠牲に鈍感になってしまう。ドラマを書くしがないライターの僕は、そういうものの対極にいたいと思います。全部のドラマがそうしろと言っているわけではないですよ。それこそ原理主義になっちゃう(笑)。

――山田さんが今おっしゃった「テレビドラマらしさ」を感じる自作以外の作品を挙げるとすると、どのようなものになるのでしょうか?

山田 そうですね……倉本さんの、テレビ業界を舞台にした『6羽のかもめ』【4】。シリアスなテーマを、すばらしいユーモアをもって描いていると思いました。『北の国から』は倉本さんの代表作でしょう。倉本さん一流の世界だから、全面的に承服できないところもあるけど、それはお互いさま(笑)。すごいと思ってます。早坂(暁)さんの『夢千代日記』【5】、それから向田さんの『あ・うん』【6】。映画もあるけど、ドラマのほうがずっと良かったな。向田さんといえば『寺内貫太郎一家』【7】、これはプロデューサーの久世(光彦)さんとの共作と言っていいでしょう。市川森一さんの『淋しいのはお前だけじゃない』【8】。これも演出の高橋一郎さんとの共作と言っていいでしょう。僕はトレンディドラマはあんまり……見てなくもないんだけど、強く記憶に残っている作品はないんですよね。つまり、その頃、僕はもう若くなかったということかな(笑)。

――宮藤さん、木皿さん、『Woman』の坂元裕二さんなど、近年また脚本家がテレビドラマ界において注目を集めています。視聴者も、脚本家の名前でドラマを見るような感覚が戻ってきているように感じますが。

山田 それは嬉しいですね。いい作品がいくつも出てきて、何人かの脚本家が注目されるようになれば、またオリジナル脚本が注目されるようになるでしょう。ある時期まで、オリジナル脚本は、まったく問題にされていませんでしたからね。

――そうですね。もうベテランの域ですが、岡田惠和さんもそんなひとりです。

山田 岡田さんは、鎌倉を舞台にした作品が良かったですね。『最後から二番目の恋』【9】。中井貴一さんと小泉今日子さんの掛け合いが、とっても面白くってね。ある家族が集まり、今までの家族のあり方とは違うあり方を模索している。あまり感じのいい人たちではないんだけど(笑)。つまり、普通のドラマでの人物の捉え方を揺さぶるところがあると思いましたね。ただ、僕は批評家じゃないからね。自分はこういうものを作っている、あちらはこういう作品を作っている、それでいい。それ以上何か言うことはないと思っています。

人間のこまやかな機微を描いてゆきたい

――今、来春のドラマをお書きになっていると聞きましたが……。

山田 もう書き終えました。もうじき撮影に入ります。

――内容は……?

山田 まだ内緒です(笑)。

――どんなドラマか、大変興味があります。田原総一朗さんが山田さんとの対談で「山田さんは常に敗者を描こうとしている」とお話しされていましたが(河出書房新社『文藝別冊 山田太一』収録)、今の日本はみんな敗者の気分になっていると思うんです。

山田 無力感がありますよね。僕の姿勢からすれば、今もそういう人たちのことを書くことになります。だけど、その人たちだって、全部世の中の流れのままというわけではない。できたら、みんながもう少しマシになりたいと思っている。めざましいハッピーエンドなんてないんですけど、どんどん時間が動いているから、幸福だってじっとしていないし、絶望だってじっとしていない。その中で、なんとか生きている。そこでなんとか、自分が自分の主役になれればいいですよね。

――片隅にいる人たちも、諦めているだけではないということですね。

山田 そう、完全に諦めているわけではない。諦めていたとしても、それはつまり人間すべてが諦める存在でしょう? 年齢も容貌も才能も運もなりゆきも、全部自分のせいじゃない。諦めて、折り合いをつけて生きていかなければならないんです。だけど、それだけじゃ嫌だと思う人たちがいる。それがどういうところで救われるのか? 僕は昔、一瞬すれ違った人の微笑だけで、「救われた!」と思ったことがあったんです。その人とはそれきり会っていないけど、そんな小さなことで人間はとても救われることもあるし、傷ついたりもする。そういう細かなことも、テレビドラマではなるべく拾いたい。ただ、それを見てくださる方がいないと困るから……。

――笑うところも、グッとくるところも作らなければならない。大変なお仕事だと思います。

山田 多少ともやりがいがあると思わなきゃ、やれないですからね。今度のドラマは、簡単ではない人間のやりとりみたいなものを淡々と、笑いもあるような形で書いたつもりです。もうじき本読みですから、どうなるかドキドキしています。

(構成/大山くまお)

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山田太一(やまだ・たいち)
1934年、東京都生まれ。脚本家、小説家。早稲田大学卒業後、松竹大船撮影所に入社。木下惠介監督に助監督として師事する。65年、松竹退社。代表作に、『男たちの旅路』、『岸辺のアルバム』、『早春スケッチブック』、『ふぞろいの林檎たち』シリーズなど。連続ドラマはもう書かないと宣言した最後の作品は、『ありふれた奇跡』(フジ/09年)、最新作は『キルトの家』(NHK/12年)。


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【1】『あまちゃん』
放映中/NHK/脚本:宮藤官九郎
出演:能年玲奈、橋本愛、松田龍平ほか

言わずと知れた2013年最大のヒットコンテンツ。東北・北三陸で海女さんを目指した後、東京でアイドルを目指す少女とその周囲の奮闘を描く。


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【2】『Q10』
10年/日本テレビ/脚本:木皿泉
出演:佐藤健、前田敦子ほか

平太(佐藤健)が、ある日理科室で見つけたロボット(「Q10(キュート)」前田敦子)と周囲の人間たちの物語。2人組脚本家・木皿泉の新たな代表作となった。


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【3】『南極大陸』
11年/TBS/演出:福澤克雄
出演:木村拓哉、堺雅人、香川照之ほか

『南極物語』で有名な南極越冬隊と樺太犬タロ・ジロのエピソードを原案にしたフィクション。かつて木村拓哉が『華麗なる一族』で主演を務めたのと同じ枠。


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【4】『6羽のかもめ』
74年/フジテレビ/脚本:石川俊子(倉本聰の変名)
出演:淡島千景、高橋英樹ほか

団員が一気に辞めたために崩壊の危機に瀕した「劇団かもめ座」の6人が、芸能界で奮闘する姿を描く。芸能界・テレビ業界の内幕をつぶさに映した点で話題を呼んだ。


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【5】『夢千代日記』
81年/NHK/原作・脚本:早坂暁、音楽:武満徹
出演:吉永小百合、北大路欣也ほか

被爆二世である置屋の女将・夢千代(吉永)。彼女が置屋を営む山陰の温泉街を舞台に、そこで暮らす人やかの地を訪れる人たちの人間模様を描く。


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【6】『あ・うん』
80年/NHK/原案・脚本:向田邦子
出演:フランキー堺、杉浦直樹ほか

夫同士が友人である2組の夫婦の愛情関係のもつれを中心に、昭和初期の庶民の生活を描く。89年に映画化、00年にはTBSにてドラマ化された。


【7】『寺内貫太郎一家』
74年/TBS/脚本:向田邦子、プロデューサー:久世光彦
出演:小林亜星ほか

東京・谷中の下町で「寺内石材店」を営む頑固オヤジ・貫太郎とその家族、近所の人々の生活や関係を描いたホームドラマ。70年代のドラマ界を代表する作品。


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【8】『淋しいのはお前だけじゃない』
82年/TBS/脚本:市川森一
出演:西田敏行、木の実ナナほか

借金の取立て人だった沼田(西田)が、取立てのために足を踏み入れた温泉地の演芸場で大衆演劇の世界に触れ、少しずつ変わってゆく様を描く。第1回向田邦子賞受賞作。


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【9】『最後から二番目の恋』
12年/フジテレビ/脚本:岡田惠和
演出:宮本理江子/出演:小泉今日子、中井貴一ほか

古都・鎌倉を舞台に、45歳の独身テレビプロデューサー(小泉)と、50歳の男やもめ(中井)らが展開する、少々“疲れた”大人の恋愛青春劇。




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