ウェブで情報発信をコツコツと続けてはや4年。フォロワー数は3.4万人、ブログ購読者数は毎月20〜30万人と、個人メディアとしてはそれなりの「影響力」を備えるようになってきました。
影響力は公共財である
このくらい影響力があると、色々魔法が使えます。
先日もちょっとブログの方向性に迷った際に「アドバイスをください」と書き込んだところ、たくさんのフィードバックをいただけました。大分前、ニューヨークでタクシー代をぼったくられて危うく一文無しになりそうだったときも、フォロワーの方から「うちに泊まりますか?」という救いの手を差し伸べてもらったり。お陰さまで献本もたくさんいただけ、発売前の新刊を拝読する機会にも恵まれています。
…という感じで、この影響力のお陰で、ぼくはさまざまな恩恵を授かっています。魔法といっても過言ではありません。ホントに、ツイッターとブログをやっていてよかったです。
で、この影響力というのは、本質的に「ぼくのもの」ではなく、「みんなのもの」という「公共財」の性質があると思うのです。
実際、こうした影響力は、大いに他の誰かの役に立つものです。先日とあるツイートをRTしたところ、「イケダさんがRTしてくれてフォロワーが増えました!ありがとうございます」と、ツイートの主が喜んでくれました。ぼくは何の気なしにRTしたまでですが、それが、些細であれ、他人の役に立ったわけです。
そして、誰かのために影響力を使うことによって、ぼくが「損」をすることはありません。お金がなくなるわけでも、フォロワーが減るわけでもありません。むしろ、ぼくはその行いによって「イケダハヤトは情報の拡散に協力してくれる、親切な人だ」という評判を得ることすらできるでしょう。
他人のために使ってもなくなることがない。それどころか、影響力はますます強化されていく。これは、影響力という資本の非常に面白い性質だと思います。
たまに自分の宣伝「しか」流さない人がいますが、やっぱりぼくらは「自分のために」影響力を行使する人を好きになれません。自分のために使おうとすると、返って影響力が減じてしまう、というのは皮肉な性質ですね。
価値観のシフトが訪れる
「評価経済社会」が予言しているように、これからの社会は「評価」の価値が重要性を増してきます。高い評価を持つ人は、強いセーフティネットを得るでしょうし、それはビジネス的にも有利に働くでしょう。評価が重要になれば、人の利他性に関するメカニズムは根本的に変わっていくでしょう。つまり;
・評価が重要になる。評価があれば、豊かに人生を過ごせる
・評価を蓄積しなければいけない
・「自分のため」にしか行動しない人は、評価を蓄積することができない
・自分の評価を蓄積するためには、「他人のため」に活動しなければならない
なんてロジックが一本通るようになり、人は「自分のために他人を助ける」ようになると思うのです。こうした利他=利己の一致は功利主義的ですが、社会は良い方向に流れていくと思うので、個人的には肯定しております。
というわけで、影響力の本質を見直してみて、やっぱり「他者貢献」が肝であることに思い至りました。すべての困っている人に協力できるわけではありませんが、可能な範囲で、他者の助けになっていきたいと思います。
特に、寄付集め、情報発信に困っているNPOの方はお気軽にご連絡ください。学生さんの人生相談も乗っておりますので、こちらもお気軽に。
nubonba@gmail.com