退職教師が文革中参加した同僚への批判闘争を紙面で謝罪(瀟湘晨報 2013/7/27)
退職後、温慶福は年齢に相応しい平穏な生活を送っていた。早朝に起きて体を鍛え、昼間は読書と書道をたしなみ、夜は自転車で湘江に行き魚釣り。誰もが羨む老人の1日だ。記事の元ネタである6月27日付『快樂老人報』の紙面を見てみると、温慶福だけでなく文革時代に紅衛兵だったナイスミドルのざんげ大会となっていました。
温慶福自身もはっきりと説明はできないのだが、石が彼の心の中にある湖面を揺れ動かした。ある深夜、パソコンを開き、重い筆運びで「今までずっと慙愧に堪えなかったある人」と題した謝罪文を書き上げた。
謝罪文はまず新浪博客で発表したが見た人はわずかで、コメントを残したのは5人。そのうち1人は彼の学生で「勇気と良心に敬意を表します」とコメントしていた。
彼の謝罪の相手は張瓊英、今年87歳。かつて益陽市三中の教師で、「文革」時に批判闘争にかけられた。温慶福も参加した1人だ。
今年6月、温慶福は「先生に謝りたい」と謝罪文を『快樂老人報』に送った。一週間後、張瓊英の娘から返信が届いた。「温先生、もう恥じ入る必要はありませんよ」との書き出しで始まっていた。(後略)
ざんげ大会なので被害者が受け入れたり、拒絶したりの反応は無く、一方的な謝罪大会の様相を呈しています。劉の後日談を報じた瀟湘晨報にしても、本人では無く娘さんのみの登場であり、本人は生きていれば86歳と記すだけで生死は不明です。(快樂老人報 2013/6/27)
瀟湘晨報の記事の書き出しでも触れられている劉伯勤は、以前『炎黄春秋』に謝罪広告を出した人です。
山東省の紅衛兵が炎黄春秋に掲載した謝罪広告が注目集める(RFI 2013/6/19)
劉の謝罪広告は、「当時14歳と幼く、物事の分別が付けられずに悪い事を沢山やり、少なくない人を傷つけた」といきなりのエクスキューズから始まっています。
元紅衛兵の謝罪はこれまでにもあったようで、2010年には元紅衛兵8名が北京外国語大学の教師宛てに謝罪文を送っており、劉が初めてではないようです。(紅衛兵の謝罪、貴重な個人の反省 新京報 2013/6/19)
彼らの一連の謝罪について、RFIは「劉のように、当時文革に巻き込まれた人たちは60歳前後で、当時の行為を謝罪している。これは極めて稀有な出来事だ」と評価する識者の見解を紹介。
新京報や瀟湘晨報も謝罪を肯定的に見ており、謝罪という素晴らしい習慣が一般人にも根付けばいいねみたいな論調です。
定年を迎え人生を振り返ったら、紅衛兵の時に悪い事したなあ、というところからざんげしてみました、というだけなのに、60超えてもこの程度の反省しか出来ない人たちのざんげに価値を見出すメディアもどうかしていると思うのです。
紅衛兵上りが定年を迎える今後数年は、しばらくこの手の懺悔がしばしば紙面をにぎわすのでしょうか。
ああ、被害者の生死が不明なのも共通点ですね。寿命ではなく迫害死や、境遇を苦にした自殺という展開なら謝罪程度ではひっくり返せないので、そこは後追い報道でもあえて触れていないのでしょうか。
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