【ミサンガチームからのご挨拶】
あの日から2年、たちました。
>2013.03.11ミサンガの現在
手仕事支援プロジェクト、浜のミサンガ「環」は、
あの大津波から1ヵ月が経った岩手県大船渡市三陸町の浜で
わずか3人のお母さんから始まりました。
それが全国の皆さんのご支援により
ピーク時で300人近い方々が手仕事に携わり
15万セットを超えるミサンガを、全国の支援者の方々との絆として、
お届けすることが出来ました。
今、浜の生産者の女性たちは少しずつ元の仕事に戻りながら、
みなさんへの感謝を胸に、
前を向いてしっかりとしたそれぞれの一歩を踏み出しています。
復興した宿の仲居さんや調理場の仕事に戻った釜石や田野畑のお母さんたち。
ミサンガの仲間たちと小さな水産加工のプラントを起ち上げて
毎日笑顔で浜の共同キッチンに通ってくる三陸町越喜来の面々。
津波と復興の語り部で「生きる」ということの尊さを伝えようと
全国からのツーリストをお迎えする陸前高田や田野畑のお母さんたち。
浜の漁師さんたちとの交流プログラムも自ら企画し、訪れる人たちや、
浜のお父さんたち、どちらにも数えきれないほどの感謝の笑顔があふれています。
外の方々と結ばれた心と心の絆、
手仕事で得た大事なお給料で支えることが出来た家族との絆、
そして苦しい中、歯を食いしばって頑張ったミサンガ作りの仲間たちとの絆。
全ての皆さんが新たな仕事だけで生計を立てることは、まだまだかないません。
ミサンガを編みながらの二つの仕事の収入があればこそ
ここまでやって来れている方々がほとんどです。
まだまだ復興の緒についたばかりですが、
この2年間支えていただいた全国の皆さんに、感謝の気持ちと浜の報告をさせてください。
何とかここまで来れました、心からありがとうございます。
これからもミサンガを見たら、三陸をことを思い出してください。
私たちは、ずっとこの浜にいます。
※ これは被災地に仕事を創出して収入を生み出す「Cash for work」という手法で、被災し、仕事を失った方々の「仕事創出」「自立支援」「やりがい」などを支援&サポートしていく仕組みです。多くの途上国の災害復興の場面で採用されてきた実績があり、たとえば2004年のインド洋大津波災害の被害を受けたインドネシア、2008年にミャンマーを襲ったサイクロン災害、2010年のハイチ大地震など、こうした災害では多くのNGOや国連機関によりCFWが実施され、その効果を挙げてきました。
浜のミサンガ事業は、震災後、すぐにスタートしました。三陸の手仕事も、地域ごとに状況は異なりますが大きく変化しております。熟練者の中には、時給1,000円を超える人もいます。一見高価な賃金が、本業への復帰を阻害する可能性も感じております。 「つくるだけから、販売することも含めて」、事業そのものを浜に移行していくことを見据え、負担の大きかったリーダーの賃金引上げや、販売手数料の引き上げを行いました。 手仕事による三陸の支援事業から、小さくとも地域の正業へと段階を経ながら移行を進めるために、経費の比率を改定しましたことをご報告いたします。
宮城チームのミサンガ生産は一年をもって終了いたします。
作り手の女性全員が安定した生活をおくっているわけではありませんが
それぞれが前に進みだしており、本業への復帰を第一に考えた次第です。
そのため、プロジェクト当初から区切りと考えておりました一年での終了を決定いたしました。
宮城のミサンガ作りは終わりますが、今後とも引き続き三陸各地へのご支援のほど、よろしくお願い致します。
浜のミサンガ「環」づくりは、浜の女性達による画期的なしごとです。彼女達が生み出しているものは、ミサンガそのものだけではありません。彼女らの復興への決意と、わたしたちの支援したいという思いを「環」につなぐというコミュニケーションこそ、彼女らのしごとの本質です。
「しごとをつくる あしたをつくる」 キャッシュ・フォー・ワーク・ジャパン 代表 永松伸吾 ( 関西大学社会安全学部 准教授 ) |