- 感想を書く上で禁じていることを少々
- 前回の活報ではたくさんのご意見をありがとうございました。
感想というのは、私自身は『伝えたいことが曲解されてなければまあいいや』ぐらいのスタンスなんですが、こういう『ものを書くということにこだわり抜いたサイト』ではトラブルの元となることも多いんですね。改めて認識を慎重にしたいと思います。
その中で、もしかしたら『揉める原因はここ?』と気づいた部分があるので、少々語らせてください。自らに対して、自戒しなければならないはっきりとした指針も欲しいので。
私がいま主に残しているのは『感動した部分をできるだけ適切に伝える感想』です。前回も書きましたが、『他人に感動を与える作品』というのは『一定レベルの文章力を持っている作品』と同義です。だから感想をつけさせていただいた作品というのは、技術的にも高い評価をさせてもらっています。
ただ、その中でも『あえて指摘を避けている部分』がどの作品にもあるんですね。それは『推敲不足』と『校正不足』の欠点。誤字誤用は元より『不要な表現・不要なエピソード』『混乱する視点』『回収の甘い伏線』には、気づいてもほとんど書き残すことはありません。
これ、なんでかっていうと、1つには『作者さんに与えるダメージが大きすぎる』点があります。
過去に3点ほど細かい検証をして作者さんたちに送ったことがあったのですが、その際の反応は『半泣きで修正をかけてくれたけれど、けっきょく指摘の意図が伝わらなかった』『「厳しいなあ」と苦笑しながら以降に活かしてくれた(唯一の成功例です)』『逆上して活報に乗り込んできた(爆)』というもの。その行動から見るに、批評者としての私は過剰に厳しい姿勢を取ってしまっている可能性があります。それが『作者さん自身の求めるレベル』と乖離してしまう。
もう1つには『私の指摘内容のレベルが高すぎて、作者さんの力量を超えてしまっている』というもの。こちらは、先の『指摘の意図が伝わらなかった』作者さんに見るように、作者さん自身の中に『間違い』を認識する能力がない場合に発生します。
実際の例を挙げてみますね。この文章、みなさんならどこが奇妙かわかるでしょうか?
(例題)「私は花が咲いたような笑顔になった」
答えはこの活報の最後に掲載しておきます。
この手の助言がうるさがられる理由。私にはそれが長いこと理解できませんでした。
というのも、助言を請う方々のほとんどは『もっといい文章を書きたい』『プロとしてデビューしたい』と明言されるほど目標値の高い作者さんたちだったからです。
私が金銭と引き換えに書いた文章には多くの制約がありました。『読み手を不快にしたままにしない』『社会規範に反したもの、不確かな知識は断言を避ける』『読者に意味を委ねる文章は書かない』等々。これは犯してしまうと即クレームにつながるので、こっちも必死で潰していきます。一言一句、火種になる言葉はないかと緊張しながら推敲をする癖が自然と身についたんですね。
小説は『不快さ』すら売りにする芸術なので、ここまでシビアにならなくてもいいんですが、それでも、あからさまな政治批判を公募作品として送れば拒否される率は上がるでしょう。ましてや、思想や好みではなく『単に技術力の不足』となれば、もっと作品は軽んじられてしまう。
先の方々のみでなく、『プロ』を視野に入れている作者さんなら、きっと高い向上心を持っているはずだ。初期のころの私はそう勘違いしていたんです。……いえ、勘違いというか……『作者さんが満足されるレベルというのが、私の想定するレベルよりもはるかに低い』ということに気づけなかったのですね。
だから私の気づいた改善点をすべて押しつけてしまいました。
結果、作者さんのやる気を大きく損なう結果をもたらしてしまいました。
その後悔から、いまは、どうしても気になる箇所を指摘する場合でも、相当に慎重を期すことにしています。
例えば、蛇足のエピソードが多い作者さんを見つけたときは、『なぜそのエピソードが必要だったのか』を、他作品や活報の書き込みなどから探しだしてみます。そうすると案外『あとで続編を書くつもりだった』なんて答えが見つかったりするのですよ(笑)。
こんなふうに、今後も、作品単体ではなく、書いてみえる方の意向も視野に入れながら、おおらかなお付き合いをしていきたいな、と願っています。
そのためにも、神経質な職人気質の指摘は、これからも封印していくつもり。
もし怖いもの見たさで自作品を批評されたいマゾな方がみえましたら、こっそり訪問させていただくかもしれないので、ご一報くださいwww
と、あとは、ちょーっと愚痴になるのですが、『批評されたからってこの態度はないだろう!』ってパターンを書きますので、同じような経験のある方は「あるあるwww」って笑ってやってください♪
私は過去に日本文学館の『審査員特別賞』という賞をもらったことがあります。まあこの賞自体はけっこう乱発されているものなので、即、出版に結びつくとかそういう意味合いはありません。
ただ、やっぱり初めての受賞だったので、嬉しくて活報で披露したのですね。
そうしたら、1人の作者さんが強く食いついてきたんです。『自分も受賞を目指したい』『受賞者である私に一度作品を見てもらいたい』と。正直、それまでもあまり気の合う方ではなかったので、不快感を覚えながらこう返事をしたんです。「見てもいいですが、私、批評は厳しいですよ」って。
そうしたらその方、いったんは「なんかご気分を害したようなので、依頼は取りやめます。すみません」と言ってくれて、それ以降、表のやり取りでは話題にはしなかったんです。でもメッセージでは2度ほど、きっと気分が高まっちゃったんでしょうね(笑)、『私や他の結果を出した作者さんに追いつきたい。同じような立場に立ちたい』というようなことを送ってきたんですよ。
基本、プロを目指している人は応援するスタンスを取っている私は「そこまで言うんなら読んでみるか」と目を通してみたんです。そしたらひどい有様でした。うーんと……ああ、そうだ。興奮した子どもって言いたいことを脈絡なく話すじゃないですか。で、結果、何の結論も残さない。そういう感じだったの。文章の構造自体を把握していなかったのね。
だからプライベートな空間でそれを指摘しました。具体的な文章矛盾を1章分全部伝えて、「この章はないほうがいい」と言ったんです。
それから20分後。「あなたのおっしゃることを熟考したんですが」という前置きで、長いコメントが私の関係ない話題の活報に寄せられました。「指摘された部分はこういう思惑があって書いたんです」「誤解を産んで悲しいです」のような言い訳三昧のあと「感想のお礼に伺いましたが実は半分は嫌味ですwww」と。
まあ速攻でブロックしたんですが、その後にたまたま見つけたその人の書き込みに「自分は批評を断ったのに勝手に送ってきた」との嘆きがあって、こちらも「よく言うよ」と苦笑を抑えられなくなったのでした。
自分の作品に自信を持つことは大事だけど、読者が過大な評価をしてくれることを期待しちゃダメだよね?
作家で小説講座を開いている鈴木輝一郎さん曰く『1番自信過剰に陥りやすいのは他人に評価されたことのない人間』らしいです。夢想がどこまでも膨らんでいくから。
だから、大事にしたい作者さんには、孤独な慢心に陥らせないためにも、感想や評価を積極的にしていきたいなあ、と心得ているわけなのですね。
(例題)の答え。
自分の行動に対して比喩を使う場合、意図的に好感度を上げるような表現は『浅ましい』と取られがちだからです。 - 2013年 09月21日 (土) 15時34分
コメント
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例題……わたしはてっきり、「自分の顔は自分で見られないため、それを『花の咲くような』と形容できるのはおかしい」という答えだと思っていましたー。結構自信があった答えですが、そのあと、答えを見て撃沈……。
コメディー的な内容であったならそう書いても構わないかと思いますが、それ以外のジャンルではほぼ駄目ですよね。
というか、小春さんってすごい方ですね。私なんて片っ端から面白いと思った作品には『ストーリーが×でも文章力が○なら良い』やその反対で感想を書きますから、そんな明確な基準なんてないのです。見習いたい所存。
>もし怖いもの見たさで自作品を批評されたいマゾな方がみえましたら
イニシャルが、M・Mの私にそれをいいますか――! って、まあ、ドMだからペンネームをそうしたわけではありませんが(笑)。なぜか好きな作家さんや有名な作家さんの、ペンネームの最初の文字の母音が「I」なのが多いから、M「I」にしたという、裏でもないエピソードが。東野圭吾さんとか貴志祐介さんとかシドニィ・シェルダンさんとか宮ノ川顕さんとか三津田信三さんとか乾石智子さんとか京極夏彦さんとか……! しつけえよ、というくらいに詰め込んでしまいましたが……。何となく不思議です。まあ、偶然でしょうけど、験を担いで。
>『1番自信過剰に陥りやすいのは他人に評価されたことのない人間』
でも義理でもらっているのかそうでないのかわかりにくい場合は、評価されても自信過剰になっちゃうケースもありますよね。というか、きついと思いますが……と前置きされたほとんどの感想がきつくないのは、どういったわけか。やっぱり遠慮されているのかな。
あと、感想については私の場合、「触らぬ神に祟りなし」ということで、活動報告とか感想への返信などを色々みて「あ、このひと駄目だ」とおもった場合にはどんな甘い感想も書き込まないようにしています。まあ、幸いにもそういった方には一回も遭遇したことはありませんが。
>『作者さんが満足されるレベルというのが、私の想定するレベルよりもはるかに低い』ということに気づけなかったのですね。
これは価値観の相違ですね。私はいつも感想に飢えていますけど、「感想なんていらねえ! 自分の道を突ッ走るぜ! ヒャッハ――ッ!」なんていう方もいらっしゃいますし。ああ、うん、セリフについては誇張しまくりです。すみません。いまのは極端な例ですけど、ひとによって許容範囲がまったく異なりますから、自分にとってはホワイトゾーンでももしかしたらあちらにはブラックかもしれないのです。
ひとの感情って、難しい。
――と、何やら上手くまとまったふうの言葉を閉めとして、お暇させていただきます。乱文&長文、失礼しました。……ほぼ自分のことしか書いていないような。
コメディー的な内容であったならそう書いても構わないかと思いますが、それ以外のジャンルではほぼ駄目ですよね。
というか、小春さんってすごい方ですね。私なんて片っ端から面白いと思った作品には『ストーリーが×でも文章力が○なら良い』やその反対で感想を書きますから、そんな明確な基準なんてないのです。見習いたい所存。
>もし怖いもの見たさで自作品を批評されたいマゾな方がみえましたら
イニシャルが、M・Mの私にそれをいいますか――! って、まあ、ドMだからペンネームをそうしたわけではありませんが(笑)。なぜか好きな作家さんや有名な作家さんの、ペンネームの最初の文字の母音が「I」なのが多いから、M「I」にしたという、裏でもないエピソードが。東野圭吾さんとか貴志祐介さんとかシドニィ・シェルダンさんとか宮ノ川顕さんとか三津田信三さんとか乾石智子さんとか京極夏彦さんとか……! しつけえよ、というくらいに詰め込んでしまいましたが……。何となく不思議です。まあ、偶然でしょうけど、験を担いで。
>『1番自信過剰に陥りやすいのは他人に評価されたことのない人間』
でも義理でもらっているのかそうでないのかわかりにくい場合は、評価されても自信過剰になっちゃうケースもありますよね。というか、きついと思いますが……と前置きされたほとんどの感想がきつくないのは、どういったわけか。やっぱり遠慮されているのかな。
あと、感想については私の場合、「触らぬ神に祟りなし」ということで、活動報告とか感想への返信などを色々みて「あ、このひと駄目だ」とおもった場合にはどんな甘い感想も書き込まないようにしています。まあ、幸いにもそういった方には一回も遭遇したことはありませんが。
>『作者さんが満足されるレベルというのが、私の想定するレベルよりもはるかに低い』ということに気づけなかったのですね。
これは価値観の相違ですね。私はいつも感想に飢えていますけど、「感想なんていらねえ! 自分の道を突ッ走るぜ! ヒャッハ――ッ!」なんていう方もいらっしゃいますし。ああ、うん、セリフについては誇張しまくりです。すみません。いまのは極端な例ですけど、ひとによって許容範囲がまったく異なりますから、自分にとってはホワイトゾーンでももしかしたらあちらにはブラックかもしれないのです。
ひとの感情って、難しい。
――と、何やら上手くまとまったふうの言葉を閉めとして、お暇させていただきます。乱文&長文、失礼しました。……ほぼ自分のことしか書いていないような。
水間 稔
[ 2013年 09月23日 (月) 22時38分 ]
判った!! ・・・ような気がした。
例題の 1と2と3 の違いは何で、何故わたしは 1→2→3 の順に違和感が無くなるのか。
そして何故「1」と「2,3」が決定的に異なるのか
「ハイ、これ演ってみて~」と言われて困る順だ!! と。
1と2は自然と成ったもの。
3は作為を感じる。
作為を感じるなら、どう作るかを考えられる。で、跳ねてみて こうか?こうかな? と作るだろう。
(自分の主観なので自分がこれで良し!と勝手に決めていい 出来は関係ない)
2は思い浮かべやすい 演るのは難しいけど・・・
どれを選ぶか、を考える。狂気なのか絶望なのか憎しみなのか、表情は大きく作るか、逆にすぅっと消えるようにするか、止め、または止めて小さく動かすか。
脳内イメージ(感情の有り方)を決めてから、こうかな?と動かす。
(誰かに評価してもらわないとこれ!と決められない 一人でやってると延々と練習しそう・・・)
1は 「・・・ え!? どんな顔?」 とイメージが出来ない。
実感が出来ないというか・・・判らない
花のような笑顔 はイメージできる。
花が咲いたような笑顔・・・止め(暗め)から大きく開くように 花のような笑顔に移行 かな? と考えられる。
なのに 全体の文章になると戸惑う。
戸惑う。
よく判らない
感じる主体が違うんだ。
作為なら先に感じて(イメージを作って)いる。私が
暗い闇に支配された と感じてるのは私。
でも1は・・・え~? です。感じてるのは私ではない。
感じてるのが私でない以上、私は判らない・・・
私は判らない・・・それでは作れない
だから、戸惑う?
これが、読んでイメージするもの とある意味イコールで。
戸惑いが大きいかどうかに掛かるんかなぁ?
とりあえず、私の中ではこうみたいです。
全く論理的でなく、感じてるんですね 感覚の世界・・・ちゃんと学んだ人とは全く違う答えを出す・・・
・・・でもそれに正誤はあるの?
(感覚派の意見:でも「正しいとされてるもの」を見失ったらアウトだけどね!)
例題の 1と2と3 の違いは何で、何故わたしは 1→2→3 の順に違和感が無くなるのか。
そして何故「1」と「2,3」が決定的に異なるのか
「ハイ、これ演ってみて~」と言われて困る順だ!! と。
1と2は自然と成ったもの。
3は作為を感じる。
作為を感じるなら、どう作るかを考えられる。で、跳ねてみて こうか?こうかな? と作るだろう。
(自分の主観なので自分がこれで良し!と勝手に決めていい 出来は関係ない)
2は思い浮かべやすい 演るのは難しいけど・・・
どれを選ぶか、を考える。狂気なのか絶望なのか憎しみなのか、表情は大きく作るか、逆にすぅっと消えるようにするか、止め、または止めて小さく動かすか。
脳内イメージ(感情の有り方)を決めてから、こうかな?と動かす。
(誰かに評価してもらわないとこれ!と決められない 一人でやってると延々と練習しそう・・・)
1は 「・・・ え!? どんな顔?」 とイメージが出来ない。
実感が出来ないというか・・・判らない
花のような笑顔 はイメージできる。
花が咲いたような笑顔・・・止め(暗め)から大きく開くように 花のような笑顔に移行 かな? と考えられる。
なのに 全体の文章になると戸惑う。
戸惑う。
よく判らない
感じる主体が違うんだ。
作為なら先に感じて(イメージを作って)いる。私が
暗い闇に支配された と感じてるのは私。
でも1は・・・え~? です。感じてるのは私ではない。
感じてるのが私でない以上、私は判らない・・・
私は判らない・・・それでは作れない
だから、戸惑う?
これが、読んでイメージするもの とある意味イコールで。
戸惑いが大きいかどうかに掛かるんかなぁ?
とりあえず、私の中ではこうみたいです。
全く論理的でなく、感じてるんですね 感覚の世界・・・ちゃんと学んだ人とは全く違う答えを出す・・・
・・・でもそれに正誤はあるの?
(感覚派の意見:でも「正しいとされてるもの」を見失ったらアウトだけどね!)
西山久美子
[ 2013年 09月23日 (月) 00時25分 ]
例題だぁ〜。
双方ともに同じような感じがしました。
1.どちらもその人のイメージでどうにでもなってしまう表現なのでJAROに報告される恐れがある。
2.抽象的な表現だけで文章が成立している。
(例題2)「私は暗い闇に支配されたような顔になった」
「ような顔になった。」は身体表現なので心情表現から繋ぐには前後の脈絡が必要となる上、「〜ような」は表現を曖昧にするので伝えたい事が薄まり、作者の意図と逸れてしまっているのではないかと思う。
例題3にも同様に当てはまる。
私が感じたものを言葉にするとこんな感じですね。
まぁ、作者の伝えたいものが書かれているならそれはその人の問題だから基本的には良いと思うよ。
ただ読みにくいだけだからね。
姉さんはそういうところも見透かして読むからなぁ……。
読み手としての基本スペックが高いから、あんまり人と意見を共有しようとしちゃだめよ。下がっちゃうこともあるから。
双方ともに同じような感じがしました。
1.どちらもその人のイメージでどうにでもなってしまう表現なのでJAROに報告される恐れがある。
2.抽象的な表現だけで文章が成立している。
(例題2)「私は暗い闇に支配されたような顔になった」
「ような顔になった。」は身体表現なので心情表現から繋ぐには前後の脈絡が必要となる上、「〜ような」は表現を曖昧にするので伝えたい事が薄まり、作者の意図と逸れてしまっているのではないかと思う。
例題3にも同様に当てはまる。
私が感じたものを言葉にするとこんな感じですね。
まぁ、作者の伝えたいものが書かれているならそれはその人の問題だから基本的には良いと思うよ。
ただ読みにくいだけだからね。
姉さんはそういうところも見透かして読むからなぁ……。
読み手としての基本スペックが高いから、あんまり人と意見を共有しようとしちゃだめよ。下がっちゃうこともあるから。
刈草 亜美
[ 2013年 09月22日 (日) 11時03分 ]
すみません!例題3について付け足しです。
投稿前に気が付けばよかったのですが
例題3 がおかしく見えないのは・・・愛らしいを抜いた「私はウサギのように飛び跳ねた」を単体で読むと、大勘違いをする自信(それもどうよ、)があるからです!
ウサギ・・・わざわざウサギ・・・うさぎ、月(中秋の満月がこの前でしたしといい訳)
月に届けとばかりに!? と・・・
脳内に、昔聞いた話の一部で 月のうさぎの話を聞いて憬れ月を目指して飛び跳ねるうさぎ が、強くあるんですね。
知識?が邪魔して大勘違い・・・いやむしろ思考回路に問題が・・・
イメージを限定してくれる言葉は有難いです(血涙)
続きを読んで脳内イメージ変更は、いろんな意味で辛いです
投稿前に気が付けばよかったのですが
例題3 がおかしく見えないのは・・・愛らしいを抜いた「私はウサギのように飛び跳ねた」を単体で読むと、大勘違いをする自信(それもどうよ、)があるからです!
ウサギ・・・わざわざウサギ・・・うさぎ、月(中秋の満月がこの前でしたしといい訳)
月に届けとばかりに!? と・・・
脳内に、昔聞いた話の一部で 月のうさぎの話を聞いて憬れ月を目指して飛び跳ねるうさぎ が、強くあるんですね。
知識?が邪魔して大勘違い・・・いやむしろ思考回路に問題が・・・
イメージを限定してくれる言葉は有難いです(血涙)
続きを読んで脳内イメージ変更は、いろんな意味で辛いです
西山久美子
[ 2013年 09月22日 (日) 10時19分 ]
例題にチャレンジ!
2と3は難しいです~
「私は暗い闇に支配されたような顔になった」
は・・・変? 気持ちじゃなくて顔?とちょっと思いました。
だろうを最後に付けると変じゃない。また顔じゃなくて目でも変じゃないと思う。
ただ・・・「だろう」と「目」ではどんな表情なのかの印象はかなり違うと思う。
私見ですが、目のほうが怖いな・・・
そして「だろう」という主観を表わす部分を削った・・・感情+顔の歪みを自分で認識した・・・と取るとそれほどおかしくはないか とも思う。
冗長になるから削った、流れが悪くなるから削った とも思える
ここから暗い感情への発露を描くんなら これでもいいと思う。(読者に表情を思い浮かべてもらう事、印象付ける事が狙いなら)
「私は愛らしいウサギのように飛び跳ねた」
実は・・・これのどこがおかしいのか判らないです・・・「これは変」と説明文付きでやっと 何処がおかしんだ探しをするぐらいで(汗)
私の考え方
愛らしい は 私がウサギに対して思う主観
なら、愛らしいはウサギに対する枕詞のような物
飛び跳ねた の説明部分が「愛らしいウサギのように」
え~っと・・・どこがおかしんでしょうか? になってしまっています。
「ウサギのように」では足りない、弱い・・・+感情を表現したい?どんな感じかの幅を狭めたい?
「私」はおそらく女性。主観を足す事でコンパクトな文章で細かいイメージが出せる・・・とか?
少なくとも力強くではないんだな・・・と判るし・・・
(実物のウサギ:猫を頭突きジャンプで追い払ってる姿など と イメージ上のウサギ:これにもいろいろ違いがある、鳥獣戯画のウサギとピーターラビット、シルバニアファミリーなどはかなり違う・・・ を分ける為の付けたしとも)
最初の例題「私は花が咲いたような笑顔になった」は分かりやすかったですが、2、3は難しいです・・・
「それ」を表す表現をどれだけ知ってるか、にも掛かってくるかな。
笑顔はもっと適切な表現があるだろう? と思える。 でも2、3は・・・
語彙が足りないのか~(トホホ)
2と3は難しいです~
「私は暗い闇に支配されたような顔になった」
は・・・変? 気持ちじゃなくて顔?とちょっと思いました。
だろうを最後に付けると変じゃない。また顔じゃなくて目でも変じゃないと思う。
ただ・・・「だろう」と「目」ではどんな表情なのかの印象はかなり違うと思う。
私見ですが、目のほうが怖いな・・・
そして「だろう」という主観を表わす部分を削った・・・感情+顔の歪みを自分で認識した・・・と取るとそれほどおかしくはないか とも思う。
冗長になるから削った、流れが悪くなるから削った とも思える
ここから暗い感情への発露を描くんなら これでもいいと思う。(読者に表情を思い浮かべてもらう事、印象付ける事が狙いなら)
「私は愛らしいウサギのように飛び跳ねた」
実は・・・これのどこがおかしいのか判らないです・・・「これは変」と説明文付きでやっと 何処がおかしんだ探しをするぐらいで(汗)
私の考え方
愛らしい は 私がウサギに対して思う主観
なら、愛らしいはウサギに対する枕詞のような物
飛び跳ねた の説明部分が「愛らしいウサギのように」
え~っと・・・どこがおかしんでしょうか? になってしまっています。
「ウサギのように」では足りない、弱い・・・+感情を表現したい?どんな感じかの幅を狭めたい?
「私」はおそらく女性。主観を足す事でコンパクトな文章で細かいイメージが出せる・・・とか?
少なくとも力強くではないんだな・・・と判るし・・・
(実物のウサギ:猫を頭突きジャンプで追い払ってる姿など と イメージ上のウサギ:これにもいろいろ違いがある、鳥獣戯画のウサギとピーターラビット、シルバニアファミリーなどはかなり違う・・・ を分ける為の付けたしとも)
最初の例題「私は花が咲いたような笑顔になった」は分かりやすかったですが、2、3は難しいです・・・
「それ」を表す表現をどれだけ知ってるか、にも掛かってくるかな。
笑顔はもっと適切な表現があるだろう? と思える。 でも2、3は・・・
語彙が足りないのか~(トホホ)
西山久美子
[ 2013年 09月22日 (日) 09時49分 ]
すいません。やっぱり、例題がかなりおかしいのではないかと思います。
>実はそれも正解。
どちらも正解だったにせよ、あの例題で重要度がより低いのは「浅ましい」である事は、誰の目にも明らかだったはずです。
(それはレスつけたほぼ全員が同じもの感じた事により明らかですね)
正解者が出るはずもありません。
後出しでそれも正解と言われても正直、説得力がないです。
後、最初の例題もそうですが、前後の脈絡がないのに「浅ましい」となるのは、ただの小春日和さんの個人的なこだわりか、職場環境によるものだと思います。
以下、例文
「それじゃぁ、飛び跳ねてみろよ、もっともお前がやったんじゃ可愛げがないだろうがな」
む、言ったな。だったら、思わず抱きつきたくなるような魅力を見せてやる。
そして、私は愛らしいウサギのように飛び跳ねた。
上記の文章で「浅ましい」と感じましたでしょうか?
自ら好感度を上げる言動は、自信であったり、意地である場合もあります。
少々、固定観念に囚われすぎではと感じました。
>実はそれも正解。
どちらも正解だったにせよ、あの例題で重要度がより低いのは「浅ましい」である事は、誰の目にも明らかだったはずです。
(それはレスつけたほぼ全員が同じもの感じた事により明らかですね)
正解者が出るはずもありません。
後出しでそれも正解と言われても正直、説得力がないです。
後、最初の例題もそうですが、前後の脈絡がないのに「浅ましい」となるのは、ただの小春日和さんの個人的なこだわりか、職場環境によるものだと思います。
以下、例文
「それじゃぁ、飛び跳ねてみろよ、もっともお前がやったんじゃ可愛げがないだろうがな」
む、言ったな。だったら、思わず抱きつきたくなるような魅力を見せてやる。
そして、私は愛らしいウサギのように飛び跳ねた。
上記の文章で「浅ましい」と感じましたでしょうか?
自ら好感度を上げる言動は、自信であったり、意地である場合もあります。
少々、固定観念に囚われすぎではと感じました。
赤砂多菜
[ 2013年 09月22日 (日) 03時54分 ]
わ。コメントがこんなにたくさん(嬉)。
しかも、完全な賛同、それに微妙に趣旨の違う意見双方をいただけてありがたいです。また個別に、できるだけ丁寧に、お返事を返させてくださいね。
とはいえ、明日は予定があるので、今日はそろそろ寝なければなりません。明日も頭を使って文章を書けるか疑問な状態なので、返信は明後日まで持ち越しさせてね。すみません(汗)。
活報中に出した(例題)についてだけは、いまからまとめて『答え合わせ』させていただきまーす♪
えっと。(例題)にした1文はこれでした。
『私は花が咲いたような笑顔になった』
そして私が『答え』として例示したのがこちら。
『自分の行動に対して比喩を使う場合、意図的に好感度を上げるような表現は【浅ましい】と取られがちだから』
みなさんの考えを読んでみると、すべての方が指摘されているのは『【私】が自分の行動を表現するのに他人行儀な比喩を使うところがおかしい』という点ですね。『【花が咲いたような】の部分に違和感を覚える』というぼんやりとした感想も、たぶん同じ意図を感じ取られていると思います。
実はそれも正解。
ではお手数ですが、再度、この文章に引っ掛かりを覚えるかどうか試してみてくださいな。
(例題2)「私は暗い闇に支配されたような顔になった」
さらにもう一例。
(例題3)「私は愛らしいウサギのように飛び跳ねた」
例題2と3が同じように奇妙に感じられた場合は、単純に『用法の間違い』に気づかれたということでしょう。
一方で、例題2より3に強く抵抗を感じられた場合は、私の出した『浅ましさ』という答えに同調された方でしょう。例題2には『自らの好感度を上げる』要素は入れなかったので。
例題2に見るような『ネガティブな表現』は、意外にするっと脳内を滑ってしまう効果があります。大きな災害の情報がすぐに記憶から抜けてしまうのと同じ。
これはたぶん、不幸を認識することが精神にとって大きなダメージになるからだと思います。だから事実をねじ曲げてでも『震災復興は順調だ』とか『あの人はイジメを受けているけどたまに笑ったりするから大丈夫だよね』とかの楽観的視点を持ってしまう。
小説内での短い一言などは印象にも残らない。
この『人間には意識から遠ざけたい言葉がある』という特性を使うと、ちょっと面白い作品を作れるのですよ♪
楽しい話題には嘘を、辛い話題には真実を含ませると、推理小説のミスリードをうまく誘うことができます。読者は無意識に情報を『楽しい嘘』の部分に集約してしまいますので。
さらに、辛い話題を多重に重ねてから幸福のエピソードを1つ用いると、単なるサクセス・ストーリーに比べてより深い爽快感を演出することができます。ネガティブな言葉で無意識に募っていたストレスが一斉に解放されるので。
言葉ってすごい表現力を持っているのですよ。私はその『底力』を見つけると狂喜してしまう質なんですwww
あ……。こういうとこが『職人根性』としてアダになるのか……orz
しかも、完全な賛同、それに微妙に趣旨の違う意見双方をいただけてありがたいです。また個別に、できるだけ丁寧に、お返事を返させてくださいね。
とはいえ、明日は予定があるので、今日はそろそろ寝なければなりません。明日も頭を使って文章を書けるか疑問な状態なので、返信は明後日まで持ち越しさせてね。すみません(汗)。
活報中に出した(例題)についてだけは、いまからまとめて『答え合わせ』させていただきまーす♪
えっと。(例題)にした1文はこれでした。
『私は花が咲いたような笑顔になった』
そして私が『答え』として例示したのがこちら。
『自分の行動に対して比喩を使う場合、意図的に好感度を上げるような表現は【浅ましい】と取られがちだから』
みなさんの考えを読んでみると、すべての方が指摘されているのは『【私】が自分の行動を表現するのに他人行儀な比喩を使うところがおかしい』という点ですね。『【花が咲いたような】の部分に違和感を覚える』というぼんやりとした感想も、たぶん同じ意図を感じ取られていると思います。
実はそれも正解。
ではお手数ですが、再度、この文章に引っ掛かりを覚えるかどうか試してみてくださいな。
(例題2)「私は暗い闇に支配されたような顔になった」
さらにもう一例。
(例題3)「私は愛らしいウサギのように飛び跳ねた」
例題2と3が同じように奇妙に感じられた場合は、単純に『用法の間違い』に気づかれたということでしょう。
一方で、例題2より3に強く抵抗を感じられた場合は、私の出した『浅ましさ』という答えに同調された方でしょう。例題2には『自らの好感度を上げる』要素は入れなかったので。
例題2に見るような『ネガティブな表現』は、意外にするっと脳内を滑ってしまう効果があります。大きな災害の情報がすぐに記憶から抜けてしまうのと同じ。
これはたぶん、不幸を認識することが精神にとって大きなダメージになるからだと思います。だから事実をねじ曲げてでも『震災復興は順調だ』とか『あの人はイジメを受けているけどたまに笑ったりするから大丈夫だよね』とかの楽観的視点を持ってしまう。
小説内での短い一言などは印象にも残らない。
この『人間には意識から遠ざけたい言葉がある』という特性を使うと、ちょっと面白い作品を作れるのですよ♪
楽しい話題には嘘を、辛い話題には真実を含ませると、推理小説のミスリードをうまく誘うことができます。読者は無意識に情報を『楽しい嘘』の部分に集約してしまいますので。
さらに、辛い話題を多重に重ねてから幸福のエピソードを1つ用いると、単なるサクセス・ストーリーに比べてより深い爽快感を演出することができます。ネガティブな言葉で無意識に募っていたストレスが一斉に解放されるので。
言葉ってすごい表現力を持っているのですよ。私はその『底力』を見つけると狂喜してしまう質なんですwww
あ……。こういうとこが『職人根性』としてアダになるのか……orz
小春日和
[ 2013年 09月22日 (日) 02時22分 ]
追加で。
小春日和様はエライなぁ・・・と思いました。
ちゃんと視線のズレに気付いて、認めて、改めたり自制が出来る。
これはすごいなぁ…と後になって思いました。
周りとの視線のズレって自分だとよく分からなかったりしますよね。
全然気が付かなかったり 気が付くまで時間がかかったり。
そしてその事実を認められるか。
元から「変」であることを自認してる方は増えても これもか・・・ で済むけど ここが難しい人 が世の中には多いみたいなので。
特に横並び世代や若い方 違う事が怖いんだね
本来人はユニークなものであるハズなのに・・・工場製品じゃないんだから
この辺 個性個性と言われた世代は楽ですね。 これも個性!以上終わり。の割り切りが出来るから。
飛び出る事がよい作用を産むか悪い作用を産むかはそれぞれ違うけど・・・普通の振りを一生懸命してる人は大変そう
あ~違うわ~ と分かって合わせるのとは違いますから。
認めるかどうかの葛藤が更なる苦しみを呼んでるよ。。。合わない自分への自責もあるか。
そして一番難しいのが、改めと自制
思考回路はもう出来ていて、ズレてる視線でも物を見てるのに 言わないでいるのはストレスが・・・
癖でぺろっと言ったり、分かっているのにやめられない事、多いですよ
そこがちゃんと出来る方はエライな、と思います。
自制が出来ないんで・・・
ついでに
今は物をかく人々が多い時代ですね
アマチュアの作家、漫画家、更に喰えない役者、芸人・・・
表現をしたい人が多い
これは幸せな時代なのかな?とちょっと思う。
ある程度以上裕福な社会でないと無理!でも・・・心に何かが溜まってる人が多いのかなぁとも思う。
ストレス社会 か、
それを昇華しようと頑張ってる人々が多いなら、モチベーションを下げちゃうことは大罪かもね
でもなー、アマチュアならこれでOKだけど・・・プロはこれじゃダメだし。プロを目指してる人への言葉は怖いですね。。。
小春日和様はエライなぁ・・・と思いました。
ちゃんと視線のズレに気付いて、認めて、改めたり自制が出来る。
これはすごいなぁ…と後になって思いました。
周りとの視線のズレって自分だとよく分からなかったりしますよね。
全然気が付かなかったり 気が付くまで時間がかかったり。
そしてその事実を認められるか。
元から「変」であることを自認してる方は増えても これもか・・・ で済むけど ここが難しい人 が世の中には多いみたいなので。
特に横並び世代や若い方 違う事が怖いんだね
本来人はユニークなものであるハズなのに・・・工場製品じゃないんだから
この辺 個性個性と言われた世代は楽ですね。 これも個性!以上終わり。の割り切りが出来るから。
飛び出る事がよい作用を産むか悪い作用を産むかはそれぞれ違うけど・・・普通の振りを一生懸命してる人は大変そう
あ~違うわ~ と分かって合わせるのとは違いますから。
認めるかどうかの葛藤が更なる苦しみを呼んでるよ。。。合わない自分への自責もあるか。
そして一番難しいのが、改めと自制
思考回路はもう出来ていて、ズレてる視線でも物を見てるのに 言わないでいるのはストレスが・・・
癖でぺろっと言ったり、分かっているのにやめられない事、多いですよ
そこがちゃんと出来る方はエライな、と思います。
自制が出来ないんで・・・
ついでに
今は物をかく人々が多い時代ですね
アマチュアの作家、漫画家、更に喰えない役者、芸人・・・
表現をしたい人が多い
これは幸せな時代なのかな?とちょっと思う。
ある程度以上裕福な社会でないと無理!でも・・・心に何かが溜まってる人が多いのかなぁとも思う。
ストレス社会 か、
それを昇華しようと頑張ってる人々が多いなら、モチベーションを下げちゃうことは大罪かもね
でもなー、アマチュアならこれでOKだけど・・・プロはこれじゃダメだし。プロを目指してる人への言葉は怖いですね。。。
西山久美子
[ 2013年 09月22日 (日) 01時31分 ]
感想を書くのは好きなのですが、やはり難しい作業だと思います。私も皮肉屋なタチなので、悪いところを書けと言われたら、物凄い長文を書いてしまう可能性がw
そんなとき、ヨハネ・パウロ二世の言葉を思い出すのです。
「すべてを見、多くを見逃し、少しだけ直してやりなさい」
…うーん。これ、子育てには金言だと思うのだけれど、修行中(プロ志望ならそう言ってもいいですよね)の人間には当てはまらないのかも。
だって、修行中ということは、すべての作品が習作ということですよね。スポーツで言えば日々の練習成果といったところ。そこに欠点を見出し、修正を加え、更に高みを目指すのが修行というものではないでしょうか。
自らの欠点がわからないのは、ずばりレベルが低いからです。そして、読者からの感想に耳を貸さないのは、作者が「欠点を受け入れる器を持たない」ということ。要するに小物です。小物の書いた小説は、やはり小物です。いずれも改善のチャンスがあるのに(感想での指摘など)、それを無視する姿勢は、決して「ひたむき」とは言い難い。
悟空じゃあるまいし、修行が楽しくてイイ思いばかりするもののはずがないのです。そこを理解しているかどうかで、作者の質とその後が決まると思います。此処で伸びる人はぐんと伸びるし、ダメな人は一生ダメでしょう。
と、ボロクソの辛口になってしまいましたが、私自身、まだまだ修行中の身。果たして、人様の作品に気を悪くされるような感想を書いて良いものかと、いつも逡巡します。
だから、あまりにこれは…という作品には、敢えて感想は書きません(笑)。自分が感想を書く作品は、どれも一定上のレベルを持ち、これはと感じたものばかり。そういう方は、ちょっとやそっとでは怒らないものなのです。人間性の器が作品にも現れているのでしょうね。そして、そんな方々と切磋琢磨したいから、私も作品を公開している。
噛み付かれても面倒ですしね…。
幸いなことに、私自身、そういった未熟な作家さんには会っていません。
厳しいのも愛ですよ。お世辞だけが欲しいのなら、身内やアマチュア限定で公開すべきです。プロになったならば、もっと酷いことを平気で言ってくる人が、いくらでもいるんですから。
「読者目線」は得てして厳しいものです。
高評価も低評価も、その本質は、原因を見極めて考察すること。
私も偉そうなことを言えた立場ではありませんが…
あ、でも、別にプロとか目指してないよって方は、批評はあんまり気にする必要はないと思います。その場合、楽しむのがいちばん大事ですからね!
私は趣味でイラストを描くのですが、此方は完全に趣味なので、自己満上等でやってます(´∀`) まぁ酷いもんだ(笑)。
そんなとき、ヨハネ・パウロ二世の言葉を思い出すのです。
「すべてを見、多くを見逃し、少しだけ直してやりなさい」
…うーん。これ、子育てには金言だと思うのだけれど、修行中(プロ志望ならそう言ってもいいですよね)の人間には当てはまらないのかも。
だって、修行中ということは、すべての作品が習作ということですよね。スポーツで言えば日々の練習成果といったところ。そこに欠点を見出し、修正を加え、更に高みを目指すのが修行というものではないでしょうか。
自らの欠点がわからないのは、ずばりレベルが低いからです。そして、読者からの感想に耳を貸さないのは、作者が「欠点を受け入れる器を持たない」ということ。要するに小物です。小物の書いた小説は、やはり小物です。いずれも改善のチャンスがあるのに(感想での指摘など)、それを無視する姿勢は、決して「ひたむき」とは言い難い。
悟空じゃあるまいし、修行が楽しくてイイ思いばかりするもののはずがないのです。そこを理解しているかどうかで、作者の質とその後が決まると思います。此処で伸びる人はぐんと伸びるし、ダメな人は一生ダメでしょう。
と、ボロクソの辛口になってしまいましたが、私自身、まだまだ修行中の身。果たして、人様の作品に気を悪くされるような感想を書いて良いものかと、いつも逡巡します。
だから、あまりにこれは…という作品には、敢えて感想は書きません(笑)。自分が感想を書く作品は、どれも一定上のレベルを持ち、これはと感じたものばかり。そういう方は、ちょっとやそっとでは怒らないものなのです。人間性の器が作品にも現れているのでしょうね。そして、そんな方々と切磋琢磨したいから、私も作品を公開している。
噛み付かれても面倒ですしね…。
幸いなことに、私自身、そういった未熟な作家さんには会っていません。
厳しいのも愛ですよ。お世辞だけが欲しいのなら、身内やアマチュア限定で公開すべきです。プロになったならば、もっと酷いことを平気で言ってくる人が、いくらでもいるんですから。
「読者目線」は得てして厳しいものです。
高評価も低評価も、その本質は、原因を見極めて考察すること。
私も偉そうなことを言えた立場ではありませんが…
あ、でも、別にプロとか目指してないよって方は、批評はあんまり気にする必要はないと思います。その場合、楽しむのがいちばん大事ですからね!
私は趣味でイラストを描くのですが、此方は完全に趣味なので、自己満上等でやってます(´∀`) まぁ酷いもんだ(笑)。
雪麻呂
[ 2013年 09月21日 (土) 23時47分 ]
ども、うわ……さすがに自分から批評求めに行くなんて……はい。自分でした。
しょねそらを連載し始めて評価も来なかったので、他のユーザー様に批評を求めに行ったのは死にたくなる程恥ずかしい思い出でした。本当に小春様の言う通りです。評価されないとそんな不安に追われてしまいますよね……最近はこんなんですが他のユーザー様からの評価が増えたらむしろそんな自分を消し去りたくなる程に恥ずかしくなりましたww
……でも、そういった作者様の気持ちも解ります。評価来るのって気持ちいいからな……
小春様に評価を頂いた時は本当に驚きました「うわ……受賞した方から貰っちゃった」って。受賞した人から評価を頂くのってステータスになるんですよね。
あと例題の答えなのですが、『客観的に見えない自分の笑顔に対して使うには矛盾がある』と思いました。どうですかね、先生?
PS:しょねそらはボロしか出ないので批評は……
しょねそらを連載し始めて評価も来なかったので、他のユーザー様に批評を求めに行ったのは死にたくなる程恥ずかしい思い出でした。本当に小春様の言う通りです。評価されないとそんな不安に追われてしまいますよね……最近はこんなんですが他のユーザー様からの評価が増えたらむしろそんな自分を消し去りたくなる程に恥ずかしくなりましたww
……でも、そういった作者様の気持ちも解ります。評価来るのって気持ちいいからな……
小春様に評価を頂いた時は本当に驚きました「うわ……受賞した方から貰っちゃった」って。受賞した人から評価を頂くのってステータスになるんですよね。
あと例題の答えなのですが、『客観的に見えない自分の笑顔に対して使うには矛盾がある』と思いました。どうですかね、先生?
PS:しょねそらはボロしか出ないので批評は……
マーベリック
[ 2013年 09月21日 (土) 22時30分 ]