ここでは仏教思想の観点から、ジョンの言動および作品の解釈を試み、その共通性を探ってみようと思う。まずは西洋の宗教との違いおよび日本における思想的発展の歴史を極めて簡単に説明しておく。
そもそも仏教が西洋の宗教と最も異なる点は、開祖である釈迦が人間であることに尽きる。宇宙はそもそも存在していたものであり、これを創造するような絶対神の概念はない。西洋の立場からすれば、実在の人物が神の名を借りずに教義を説くことは「哲学」であり、極論すれば釈迦は、宗教家というよりむしろ哲学家なのだ(宗教としての仏教が欧米で広まらないのには、ここに理由があるようだ)。
また釈迦はブッダ(仏陀)といわれるが、ブッダとは「目覚めた人」という意味であり、釈迦の他にもブッダは存在する。そして仏教はこの「目覚め」、つまり悟ることを最大の目的としている。その中でも日本に輸入された「人は誰でも悟れる。それは高僧達だけのものではない」とする一乗主義が日本での主流となり、そののち浄土思想(インド産の他力思想)と禅(中国産の自力思想)を中心とするさまざまな思想や日本的霊性が渾然と融合された結果、今日の大乗仏教としての隆盛に至っている。
その過程において、根本である「空」に「即」という独自の思想が加わり、インドにも中国にもなかった「つまらないもの、価値のないものも日常全てが悟りであり、仏の現れである」とする極端な現実肯定の考え(本覚思想)さえも一般化し、「色即是空」「無即有」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」(これらは全て同じ意味のもの)といった理論的には矛盾する思想にまで到達していく。
また同時に座禅や瞑想といった「行」を重んじる禅の世界では、言語による理論構築の重要性が極端に低くなっていく(只管多座、不立文字)代わりに、映像的な情感や詩的な創造性が伴われ、文化としても成熟してきたのだった(中国における漢詩、日本での俳句の発展)。
日本的、東洋的視点から見て注目に値するジョンの特性とは、これに基づいている。
例えばアルバム『ジョンの魂』を見てみよう。原題は『ジョン・レノン/プラスチック・オノ・バンド』だが、邦題では『魂』という名を与えられ、かつてLPレコードの帯には「個からマスへの深淵なるメッセージ」との仰々しくも納得の一文が添えられていた。

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‘ジョンの魂’
ジョンの心底からのメッセージ、魂の叫びにより、その人間性のすべてを眼前に晒される我々は、相当な覚悟とタフネスさを持ってこのアルバムに対峙せねば、これを真に理解することは出来ない。なぜならこのアルバムは、他のあらゆるアーティストのどんな作品と比べたとしても、作者であるジョンと作品との一体性、密着度があまりに強く、それゆえスタンダードとなりうる「ラヴ」以外は、他のアーティストがカバーすることはほとんど不可能だからである。それほど、ジョンという人間と一体なのだ。
つまり「魂」とあるように、これはジョン・レノンという「存在」そのものなのだ。「存在」とは「意識」と同義である。仏教は「意識」のことを「識(しき)」または「唯識(ゆいしき)」ということばに集約し、ここを起点に人間の深遠なる内的宇宙を探求していく(その結論が「空」、「無」)。
そう、仏教とはあくまで人間が中心、つまり実存なのだ。人間が主体なのである。「識」は「色」であり、ゆえに「空」で「無」あり、よって「有」で「識」なのだ。したがって、「俺は悟っちまったんだ!」と叫んだジョンは仏陀(ブッダ)なのであり、『ジョンの魂』という邦題や帯のキャッチフレーズはこれ以上ないほど正確だといえるのだ。
これらの点において、このアルバムは極めて仏教的だといえるのである。
【注…さきほど「魂」を「存在」と同義としたが、これらは他にも「霊性(霊)」という言葉に置き換えることができる。つまり、魂とは「目に見えないものの存在」のことなのである。これへの興味と自覚は、元来人間が進化の段階で他者を意識した際に必然的に生まれたものであり、極めて根源的なものなのだ。
それは自然に宿る「カミ」の崇拝という形で現れる。日本人は山や川、木や石にカミの存在を見る(神道のみならず、「山川草木悉有仏性」とする大乗仏教にまで見出すことが可能である)が、ジョンも霊やカミに対しては強い好奇心を持っていた。なぜならジョンはアイルランド人の血を引いているのであり、伝統的に自然の中にカミを見、妖精の存在も信じるケルト人気質を備えていたからだ(同じようなタイプに「怪談」でおなじみの小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが有名である)。それは歌詞の中でアイルランドを「美と神秘の国」と呼び、晩年には心霊関係の図書を買い集めていた事実からも確認できる。霊や霊魂、心霊や精霊といった「目に見えない不思議なモノ」への探求はスピリチュアリズムという思想・科学・哲学にまとめられるが、日本では陰陽道が先端科学だった時代もあるし、こうした傾向は世界各地に見られるものだ。
スピリチュアリズムは霊魂の普遍性、すなわち死後も個性が存在することを主張するが、これを最も容認しないのが、先に触れた一神教下の人々だ。人間が死後も生き続けるのは「神」への冒涜だからである。したがって既に述べたように、宗教を規範に社会システムが成立している現代社会(とくに西洋)では、こうしたものに真剣に傾倒する人は少なくなっているが、決して消滅してしまうことはない(『ハリー・ポッター』の大ヒットは記憶に新しい)。
宗教と呼ばれるものを起源にまで掘り下げていくと、必然的にこうした存在論に辿り着く。ジョンが一般化した表層観念やシステム(ここでいえば宗教をベースに確立した社会システム)では満足せず、あらゆる事象の本質を追求するタイプだったことは周知であり、そのためその人間性を探求する場合、ここまで掘り下げねばその本質は見えてこない。】
『ジョンの魂』はプライマル・スクリーム療法の産物だが、一切の装飾を排したこのような禅的特性から、こうした仏教的な解釈がじゅうぶんに可能なのである。ここまで述べてきたことはあくまで一例だが、ここでは仏教の中でも特に日本的な、この禅的なアプローチからジョンの人間性を詳しく論じていこう。
ジョンと仏教、ジョンと禅を結びつけるもの
昭和40(1965)年に日本人で初めてビートルズにインタビューを行った星加ルミ子氏は、初対面のジョンが、美術学校時代に東洋文化を専攻していた友人がいたという理由から日本に興味を持っており、禅や「わび、さび」について詳しく聞かれたと証言しており、禅文化、ひいては仏教の基本的な「空」の概念について、他のビートルより強い好奇心を寄せていたことが明らかになっている。
そんなジョンであるから、のちにヨーコと出会いその影響を受けるということは、仏教(禅)の影響を受けることに等しかった。修飾的な表現を排し、根源的な部分にまで削り落としていく禅の思想は、簡潔さを何より求めるジョンの精神およびアーティスト活動に極めて強い影響を与えることとなる。ジョンは、先に触れた『ジョンの魂』発表直後、1971(昭和46)年1月の来日時には次のようなコメントを残している。
俳句は僕が今まで読んだ詩の形式の中で最も美しいものだ。
僕の作品も今後はより短く、より簡潔になっていくだろう。
また77(昭和52)年、6年ぶりに来日した際には東京、軽井沢、京都などを観光。この途中、弘法大師空海が開いた高野山では仏教を肌で感じるべく修行に取り組む。そして東京で向けられた「今のあなたは昔と別人のようだ。どうしてそんなに変わったのか」との問いに、
禅に改宗したから。それが大きいんだろう。
とコメント。さらに亡くなる直前、アメリカの雑誌向けインタビューでもこう話している。
『ジョンの魂』はシンプルでストレートで、
それが僕が常に求めているものだ。
僕にとって最高の詩は俳句だし、最も優れた絵画は禅画だ。
ジョンが主にヨーコから吸収した禅の思想及び文化は、明治から昭和にかけて鈴木大拙博士が海外に紹介したことで広く知られるようになったものである。
欧米では20世紀になり、近代合理主義や科学万能主義の風潮に対する疑問から、禅などに対する興味が注がれるようになった。鈴木はそういった動きに対し、積極的に禅や仏教を広めようと努力した代表的な人物であり、欧米人に「色即是空、空即是色」の概念や東洋的な「無」の思想(ニーチェなどが唱える無、すなわち虚無やニヒリズムとは根本的に異なる「有の無」)、また座禅という行為を広く知らしめた大思想家である。
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鈴木 大拙
鈴木大拙は第二次世界大戦後、米コロンビア大学客員教授として教鞭をとっていたのだが、ここでの講義にインスパイアされた弟子の前衛芸術家のジョン・ケージは1952年に「4分33秒」というピアノ作品(といっても蓋は閉じられたままで演奏はされない)を発表している。無音に対する観客のリアクションを含む、空間全体がパフォーマンス・アートとされるこの作品は、のちにヨーコが行う南禅寺のイベント(64年)などと同様、明らかに禅の影響を受けたものである。
フルクサスでケージとの接点も多かったヨーコが、ケージと初めて会ったのは1950年代中頃のこと。何とそれは鈴木の授業においてであった。ヨーコは鈴木の薫陶を受けていたのである。その後ヨーコは、1969年にジョンとの共同名義で発表したアルバム『未完成 第2番』のなかで「沈黙の2分間」という曲を残している(読んで字のごとく、無音が2分間続くという作品)が、その精神を源流に遡っていくと鈴木に行き着くのである。
【注…平成16(2004)年10月、筆者は新宿で開催されたヨーコの講演会で、ヨーコと大拙の関係、そしてジョンへの影響について聞いている。詳細は別の機会に改めるが、ここに三者が一本の線でつながるのである。】
そう、ジョンが吸収した禅思想とは、これを象徴的に体現する二人の日本人、鈴木大拙とヨーコ・オノから発せられたものだったのである。そしてついに「沈黙の2分間」において、明らかに禅的な作品がジョン名義でクレジットされたのである。
絶対矛盾の自己同一
鈴木によれば、西洋思想では全てが二元論に基づいており、それは神が「光あれ」と世界を二つに分けた瞬間からのものだという。一方、東洋思想はこの二元論を根本的に否定している(超越しているとした方が相応しい。東洋思想では物事を二つに分ける前の段階から思考を開始する、すなわち一元論のため絶対的な善悪というものが存在せず、その分論理的・合理的な思考の発展が西洋に比べ大いに遅れてきたのだという)。「色即是空」とは絶対的肯定に他ならず、「往生即菩提」も積極性の明示である。これらの観念こそが広大な世界観をもつ仏教の象徴であり、それは「絶対矛盾の自己同一」と定義される。さらに禅では一切の言葉をも排除する。言葉による装飾、詮索は全く意味をなさない。本質を見失うからである。これも仏教の特徴の一つである。
絶対矛盾の自己同一。禅をアートにおける基本スタンスにしていたという先程のコメントや鈴木の解説をみれば、ジョンの言動や作品の背景は矛盾に満ちているようでも実は一本の線でつながっていることが分かる。しかしながら英米の批評家達はこの視点を完全に見落としているため、彼等が行う分析は極めて中途半端だと言わざるを得ない。稀有な天才の人生を友人や関係者からのコメントを中心に塗り固めるか、心理学的アプローチや精神分析にかけるのが関の山なのだ。この禅的解釈が不十分極まる浅薄なレノン論については第二部で詳しく述べるが、これらに対し本稿のような禅などといった東洋思想からのアプローチの重要性をアピールしていくことは筆者の努めだと感じている次第である。
禅の影響を受けた作品
1.ビートルズ時代
@ Across The Universe(1968)
A Julia(1968)
B I Want You(1969)
C Because(1969)
2.ソロ名義/ビートルズ解散後
D Two Minutes Silence(1969)
E Love(1970)
F Imagine(1971)
G Oh My Love(1971)
H Nutopian International Anthem(1973)
ここでは「明らかな」影響が見られる作品のみに絞り込んだ。個別に解説していこう。
@ 松尾芭蕉の俳句に影響を受けたとされるエピソードが有名だが、
ヨーコは禅の影響下にあることは確かだが、芭蕉からということは否定している。
美しい詞の世界が映像的で、禅的世界そのものである。
A 母の名であるとともに、詞にある‘ocean
child’(洋・子)から、
明らかにヨーコ捧げた曲。一時は複雑且つナンセンスな歌詞に終始していた
ジョンにとって転換期となった68年の作品。簡潔な歌詞が胸に響く。
B ビートルズ時代における、禅的表現の極みといえる作品。
64年に単純なラブソングから脱却し、内省的世界を表現するようになった
ジョンの歌詞が、抽象性・観念性を増すと共に増えていったのが語彙であった。
それは67年の「アイ・アム・ザ・ウォルラス」でピークに達したのだが、
禅の影響から一転して簡素化に向かう。
約8分にも及ぶこの作品、その歌詞は
「おまえが欲しい。気が狂いそうだ。彼女は最高だ。」のみである。
しかしながら何万の語彙を用いても届かない迫力と真実味がここにある。
あまりの変化ぶりに批評家はジョンの才能がなくなったと評価したが、
それが間違いだったことはいうまでもない。
「強い風が吹くから 心まで吹き飛んでしまう 空が青いから 泣きたくなる」
という部分は禅的表現そのもので、曲にもヨーコの影響があるとされている。
詞は哲学的で、メロディは幻想的である。
D さきほど触れた作品。これは完全に「無」、「空」である。
「愛とはこれ如何に」「真実なり」「感覚なり」「触合いなり」との禅問答と捉えることが出来る。
「愛」という概念をこれほど簡潔に表現し発信したミュージシャンを筆者は他に知らない。
Cでは「愛は古く 愛は新しい」と歌っていたが、
ここでは時間という概念を取り除き普遍性に磨きをかけている。
ここまでの世界観を表現するのは並大抵のことではできない。
既述の通り、禅は言葉による装飾を一切求めないが、
数少ない言葉、易しい言葉で映像的印象まで伴うこの曲は、
禅の精神が最も顕著に表れた好例といえるだろう。
G 曲がとても東洋的(ヨーコ談)な佳曲。詞もF同様、シンプルである。
H 「イマジン」を実践するためにクレジットされたサイレント(Dと同じ)。
本研究的立場からして、これをオリジナル・ソロアルバムにクレジットした意味は大きい。
ジョンとヨーコはニューヨークに移住後、平和活動を活発化させ、そこでの経験をアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に投影、その後ヨーコとの別居中(「失われた週末」)に 『ヌートピア宣言』(1973)、『心の壁 愛の橋』(1974)が発表されたが、これらには簡素で映像的表現力を伴った禅的世界観による作品は見受けられなかった(Hを除く)。これはヨーコがいかに強い影響力を持っていたかの証明であると共に、ジョンの作風の変化に重要な役割を果たした精神医学療法、プライマルスクリームが中途半端に終わってしまったことも関係していると考えられる(詳細は省く)。「枯れた道」、「果てしなき愛」の歌詞や「鋼のように ガラスの如く」(74年)のメロディに辛うじて荒涼とした雰囲気(しぶみ、さび)を感じるが、これらの詞は簡素なものとはいえない。言葉で説得しようとしている。これは禅の世界ではない。

その後、75年初頭までに別居は解消され、75年10月9日には息子ショーンが誕生。これを機に主夫生活に入ったジョン。76年にはEMIとの契約も切れ、晴れてフリーの身となる。77(昭和52)〜79(昭和54)年までは毎年来日、東京や軽井沢を訪れ夏を過ごし(合計約9ヶ月)、様々な日本文化に触れることになる。主夫生活に入った当初からニューヨークで日本語を学んだりしており、平穏な日々を得たジョンが再び日本に、禅に興味を示したことは我々日本人にとっては大変嬉しいことである。そして遺されたのが「日本語ノート」である。 
日本語ノート
これは最近「Ai 〜 ジョン・レノンが見た日本」のタイトルで復刊(ちくま文庫・2001年)されたので、手にとって頂くことを強くお薦めする。日本の文化、くらし、教えなどがイラストとローマ字で書き記された、大変興味深いものである(ゼロ型新幹線や巨人軍のパジャマ姿のショーンの写真も時代を感じさせ、懐かしい)。
まずイラストだが、ジョンの場合はご存知の通り簡素な線描が中心で、走り書き程度のものでもしっかりと雰囲気を醸し出せるところは、さすが美術学校出身といったところか。「作ります 使います」のイラストがアルバム『ウォンサポナタイム』のジャケットに使用されているほか、僧侶などが合掌する姿や座禅、和服姿の旅人などが多く描かれていることも付け加えておこう。
そしてローマ字綴りの練習には日用的なもの(曜日、味覚、方角、動詞、形容詞など)が多いが、ジョンらしいウィットが感じられ、大変微笑ましいものもある。例えば、
・ 「夢を見ながら本を読んでいます。」
・ 「食べながら話しません!!」
・ 「危ない」 例:道に穴があって危ないです。
・ 「難しい」 例:手で歩くのは難しいです
・ 「べき/べきではありません」
例:飛んでみるべきです!
飛ぶべきではありません!歩くべきです!
・ 「しかし/が」
例:ここからは家は近いです。(しかし/が)ここから月は遠いです!
さらにこの本の中でヨーコは、ジョンの本質を裏付けるかのごとく、こう述べている。
「しぶみ、さび、わび」が分からずに
私達の文化の成立ち、考え方のパターン、
音楽、文学、演劇や美術を理解することは難しいと思います。
この言葉が全てを表しているといえるだろう。
またここには収録されていないが、軽井沢滞在中にジョンが描いたスケッチは後にヨーコによってリトグラフ化されている。「軽井沢シリーズ」と銘打たれたこれらのうち、 「デイ・ドリーム」や「軽井沢 77(ジョン、マッサージ中)」、「ラヴ」などの毛筆画には、明らかに良寛らの影響が見受けられる。ジョン・レノン・ミュージアムにはこれらが順次展示されているので、ぜひご覧いただきたい。

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軽井沢 ’77 ▲ DAY DREAM ▲
FAME
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ジョン一家 日本滞在中の一コマ (
「ジョン・レノン 家族生活」 写真:西丸文也 1990年
小学館 刊 )
まとめ
第3章では、ジョンの作品とその人間性について多角的に検証することにより、これまでにない新しい解釈を試みたが、章の締めくくりとして古物商・羽黒洞店主の木村東介氏による有名なエピソードを紹介したい。木村氏は71(昭和46)年1月にジョンがヨーコと来日した際、書画の購入に立ち会った人物だが、彼の言葉はまさしくジョンの本質を突くものであった。

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木村 東介
いろいろと絵を見せると値段を聞くから、答えると次々に「OK」と言う。白隠の絵や仙なんかね。ジョンが聞くと、洋子がまるで愛児に対するように説明する。愛情に溢れているんだねえ。買えとかなんとかは一言も言いませんでした。
ところが見ると次々に「OK」と言う。そのうちに芭蕉の有名な『古池や 蛙飛び込む 水の音』の短冊を見つけると目の色が変わってきたんですねえ。「How Much?」「200万円」「OK」と。良寛や一茶も見せるとことごとくOK、OKと言うんだねえ。おかしな人だなあ、俳句の心が分かるのかなあと疑っておったんですが、買ってからすぐ抱いて持ってるんです。大事そうに。そして「私がこれを買って海外に持っていくことを嘆かないで下さい。私はこの芭蕉の句のために日本の家、茶席、庭を作り、茶を入れ、床の間に掛けて日本人の心になって楽しむから。どうか嘆かないで下さい。」と。私は嬉しかったですねえ。いい人が買ってくれたなと思いました。
少し時間があったので、歌舞伎座に連れて行ったら歌右衛門が『隅田川』をやっていて。陰気な舞台でねえ。清元でやっていて台詞がないもんだから、困ったなと思ってジョンを見てみたら、頬にとめどもなく涙が流れている。とにかく泉のように。それを小野洋子が一生懸命拭いてやっている。本当に日本人でなかったらできない女の優しさなんですねえ。子供をさらわれた母親が狂ったように探して隅田川まで辿り着き、殺された我が子が埋められた川岸の土饅頭に泣き崩れるという話なんですが、台詞もないのにそれが分かる。
結局、目で観てるんじゃないんですね。心で観ているんです。歌右衛門も型じゃなく心で演じるから、伝わっていくんだねえ。芭蕉が分かったジョンのことが分かりましたねえ。
結局、絵でも書でも句でも、人間なんだねえ。芭蕉がいいのは、芭蕉という人間がいいわけなんだ。それを、見る人も同じようにいいと、通訳しなくてもちゃんと分かる。芸術というものは魂が作るんでしょうねえ。
その後、もう一幕見ていくことになったんだけど、これぞ歌舞伎と言わんばかりの美しい『神田祭』でしたが、ジョンは全然見る気がしない。「ノー」と言う。目で見るものは観る必要がないんでしょうねえ。魂で観るものじゃない限り、必要がないんですねえ。
最初は外国の人に精魂込めて集めたものを渡したくないと思ったんだけど、だんだん気持ちが変わってきて、こんなに心が美しい人には本当にいいものを見せてあげたいと思うようになりました。
ジョンは見る人にご機嫌を取ったようなものには見向きもしない。私が扱う、農家の物置にあるような庶民の芸術に最も共鳴してくれた人が、ロンドンにいる元ビートルズのジョンだったと言うわけですよ。白隠や芭蕉、一茶や良寛に誰よりも共鳴し、「嘆かないでくれ」と言える人だった。日本人だって分かりゃしないようなものをちゃんと知ってた。博物館の人間でも分からないものをちゃんと見抜いてた。言うなれば神様だねえ。神だよ。
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引用:河出書房「総特集 ジョン・レノン」より要約。
但し、初出はJICC出版「JOHN ONO LENNON」(1981年)
鈴木大拙によると、日本仏教は大地に根を下ろす、つまり貴族や皇室から離れ、武士や庶民の生活に不可欠なものとなったことにより開花したという。また木村東介は、庶民による魂の芸術が人の心を動かすと述べた。そしてジョンは労働階級の英雄を自認していた。これら三者が共通して追い求めたものは、外的抑圧・要求により生まれた思想・文化・芸術ではなく、愚直なまでに自らの意思、すなわち内的欲求に対し正直なもの、つまり「リアルな」思想・文化・芸術だった。「極私的な事象は万人に共通する」といわれるが、ジョンは極限まで突きつめた深い自己探求ののち、現代に生きる私たちが抱える根源的な問いを広く代弁できるアーティストとなったのだ。鈴木の言う「超個己(ちょうこき/個人を超えた個人)」ということなるが、それは間違いなく庶民、つまり労働階級の男の姿なのであった。
ジョンは「ユー・アー・ヒア」(73年)で、「東洋と西洋。今ふたつが巡り合い、このまま進んでいくように…」と歌ったが、これはヨーコとの関係を歌っただけのものではなかった。それはジョンの精神性そのものだったのである。
H.KANDA
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