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【プロ野球】前田 引退 広島一筋24年「やっと終わったか」2013年9月28日 紙面から
広島の前田智徳外野手(42)=打撃コーチ補佐兼任=が27日、広島市内のマツダスタジアムで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。両アキレスけん、両太ももの故障に苦しめられ、最後は左手首骨折からの回復が長引き、決断した。目を潤ませ「つらい野球人生」と語り、広島一筋24年に幕を下ろした。来季からは評論家として再出発する。10月3日の本拠地、中日戦で引退セレモニーが行われる。 家族の話になると、前田智も言葉を詰まらせた。「『今度こそ引退するよ、ありがとう』と伝えると『ご苦労さま』と。分かってくれていた」。支え続けてくれた英美夫人と3人の子供を思い、こぼれそうになる涙をこらえた。 球団史上最長、カープ一筋24年。もう気持ちも体も限界だった。「やっと終わったか」が会見での第一声。「つらい野球人生だった」と言う。1年目から1軍。走攻守そろった外野手としてレギュラーに定着した2年目の91年はリーグ優勝、日本シリーズを戦った。 だが95年、試合で一塁を駆け抜けた時に右アキレスけんを断裂。それ以降も両アキレスけん、両太もも、両ふくらはぎと、毎年のように故障した。下半身は、肌が見えない程のテーピング。それがなければ、動くことができなかった。 10年からは代打としてチームを救った。「去年、今年と年々、代打の喜びを感じてきた」。だがバットを置く致命傷になったのもケガだった。4月23日のヤクルト戦(神宮)で左手首に死球を受けプロ初の骨折。手術を受け復帰を目指したが、「振った感覚が自分のものじゃない。何回もはい上がっていかないと、とは思っていたけど今回は無理と思った」。8月下旬に引退を決断。松田オーナーに何度も直談判し、了承された。 初のCS進出も一つの区切りになった。「その中にいなかったのは残念だけど、それが僕の運」。新時代の幕開けに、自身の仕事は終わったことを悟った。松田元オーナーは「将来は打撃コーチせえよと言った」と明かした。「また会える日があれば、よろしくお願いします」。愛する赤ヘルに前田智はいったん、別れを告げた。 (荒木司) PR情報
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