原発日誌(59)原発作業員 木下さんの証言
テーマ:ブログ
2013-09-23 11:31:46
余命8ヶ月と宣告されていた木下総さん元原発作業員65歳が亡くなられた。木下さんは東京電力の体制を糾弾「現場体験伝えなくては」と、その途中で一生を閉じられてしまった。私としては、また一人、仲間を失ってしまったという痛恨の思いである。木下さんの証言を読ませていただいたが、私が追求している事も多く書かれてある。その一つとして、原子炉建屋のコンクリート劣化による一つの紛れもない大事な証言であると同時にこれを取材され、記事にされた神戸新聞に感謝したい。
(木下さん)
「内部はすさまじい破壊ぶりだった」「重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのまま。どんどん配管を増やし、防火剤を塗りつけるから、設備の重量は設計基準を大幅に超えていた。」
「建屋のコンクリートはずぶずぶでドライバーをあてると白い粉になった。鉄筋をモルタルで塗り固めるときも竹の棒でつっつくだけ。施工は酷いものだった」
木下さんは福島第一の事故後、避難先の青森から呼び出され、1~4号機の電源車のケーブル敷設に従事されていて、原発作業に従事された40年間の積算被ばく線量は96㍉シーベルトで、このうち38㍉シーベルトは事故後の復旧作業での被ばくとされている。しかし、私はこのようには思わない。何故なら原発で働く人の多くが生活のため積算を守れないからだ。
また、木下さんはアスベスト作業もやっておられるので、被ばくとアスベストによる要因がガンを引き起こしたのではないだろうか
合掌
(木下さん)
「内部はすさまじい破壊ぶりだった」「重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのまま。どんどん配管を増やし、防火剤を塗りつけるから、設備の重量は設計基準を大幅に超えていた。」
「建屋のコンクリートはずぶずぶでドライバーをあてると白い粉になった。鉄筋をモルタルで塗り固めるときも竹の棒でつっつくだけ。施工は酷いものだった」
木下さんは福島第一の事故後、避難先の青森から呼び出され、1~4号機の電源車のケーブル敷設に従事されていて、原発作業に従事された40年間の積算被ばく線量は96㍉シーベルトで、このうち38㍉シーベルトは事故後の復旧作業での被ばくとされている。しかし、私はこのようには思わない。何故なら原発で働く人の多くが生活のため積算を守れないからだ。
また、木下さんはアスベスト作業もやっておられるので、被ばくとアスベストによる要因がガンを引き起こしたのではないだろうか
合掌