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【プレイバック芸能スキャンダル史】

泉谷しげる 過激発言でワイドショー打ち切り

【芸能】

楽天SocialNewsに投稿!
2013年4月15日 掲載
<1972年8月>

 シンガー・ソングライター、俳優として息の長い活躍を続ける泉谷しげる(64)は若い頃から毒舌でも有名だった。フォークソングブームの70年代初め、泉谷も吉田拓郎と並ぶフォーク界の若手スターとして人気が高かったが、生放送で大暴れしてワイドショーが打ち切られる騒動があった。

 8月12日正午から日本教育テレビ(現テレビ朝日)のスタジオでは「土曜ショー」の生放送が行われていた。「土曜ショー」は66年4月から始まったワイドショーの草分け的な番組のひとつで、もともと高島忠夫が司会の主婦向けの番組だった。71年に司会が野末陳平に代わり、公害や自衛隊、沖縄問題など硬派なテーマを取り上げる異色番組として知られていた。

 当日のタイトルは「禁止! 禁止! それでも歌う!!」。当時のフォークソングは反戦歌などのメッセージソングや性や下ネタを取り扱った曲も少なくなく、いわゆる「放送禁止」は身近な問題だった。この日は90人の若者を集め、自主規制コードを作って放送禁止にしているマスコミのあり方を考えて討論させようというものだった。

 ゲストで呼ばれたのは当時24歳の泉谷。前年末のデビューアルバム「泉谷しげる登場」が10万枚を超えるヒットとなり、さらに日比谷野音コンサートで1万人以上を集めるなど泉谷は人気沸騰中。フォーク歌手はテレビを拒否する人がほとんど。泉谷の曲も皮肉たっぷりの反戦歌「戦争小唄」が放送禁止指定になっていることもあって、注目の人選であった。

 ところが、破天荒で知られていた泉谷はおとなしく収まっていない。規制側代表として「放送禁止歌」を決める民放連音楽専門部会員もゲストで来ていたが、その面前で暴走して「戦争小唄」を実演。続いて「ドテ」「ツボ」と女性器の表現もある「先天性欲情魔」(後に放送禁止に指定)をも堂々と歌い、会場を騒然とさせる。

 この番組には生CMコーナーがあったが、泉谷は「番組にスポンサーが口だして大きな顔をするのは時代遅れ。くだらないCMなんてやるな」とほえ、生CMの商品である鶏肉の缶詰を「こんなもんうまいはずないじゃないか」と言い切った。大騒ぎのスタジオの様子もそのまま放送された。

 それでも、スポンサーからは表立った抗議はなかったというが、これが問題とされ、6年間続いた番組は9月いっぱいで打ち切りが決まる。泉谷は当面の日本教育テレビ出演禁止、ディレクターは事実上左遷の配置転換という重大処分となった。

 泉谷は直後の雑誌インタビューで「テレビはオレたちを見せ物としか扱わないし、何もあくせくテレビに出ることはない。まあ、スタッフが気に入ったらまた出てやってもいいけど」と涼しい顔。どうやら確信犯だったようだ。

◇1972年8月 3日、カシオ計算機が世界初の個人用電卓「カシオミニ」を発売。定価1万2800円。8日、千昌夫、ジョーン・シェパードと挙式。26日、ミュンヘン五輪が開幕。31日、ハワイで田中角栄首相と米・ニクソン大統領が会談。ニクソンがトライスター機導入を希望。これが後のロッキード事件につながる。

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