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【プロ野球】

楽天初優勝 東北に夢届けた

2013年9月27日 紙面から

◇楽天4−3西武

西武−楽天 逆転勝ちでリーグ優勝を決め、胴上げされる楽天の星野監督=西武ドームで(佐藤哲紀撮影)

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 楽天が26日、球団創設9年目で初のパ・リーグ優勝を決めた。2位ロッテが先に敗れ、抑えれば優勝決定となる4−3の9回にエースの田中将大投手(24)がマウンドに上がり最後を締めた。本拠地の仙台市が大きな被害を受けた2011年の東日本大震災を乗り越え、就任3年目の星野仙一監督(66)の下で栄冠を勝ち取った。楽天は10月17日に始まるクライマックスシリーズ(CS)のファイナルステージで、初の日本シリーズ進出を目指す。

 燃える男が舞った。球団創設9年目。未曽有の大震災に見舞われた東北に夢を届けた。9年前、屈辱とともに幕を開けたイヌワシ軍団が、ついにペナントフラッグを奪取した。「本当かな。まだ信じられない」。歓喜の輪の中心で星野監督が7度、宙に踊った。

 6回裏が終わり、ロッテが逆転されたことを知らせる途中経過が入った。右翼席を紅く染めた楽天ファンの歓声が響いた。田中がブルペンに走り、投球練習を始める。直後に逆転。最後は絶対エースが締めた。今季を象徴する粘りの勝利。「東北のみなさんと一緒です。あきらめず、粘り強くやってくれた」。声が震えた。

 星野丸は苦難の中で船出した。2011年3月11日、東日本大震災の発生。チームはオープン戦で兵庫県明石市にいた。その直後、家族を仙台に残して転戦することになった選手との間で温度差も生まれた。就任直後のコミュニケーション不足も原因の1つだった。

 ただ、チームに関わる全員の心には被災者の存在があった。「がんばろう東北」。開幕2日前には選手会として名取・閖上(ゆりあげ)地区を慰問した。招待、支援も継続。自分たちに何ができるのか。それぞれが自問自答を繰り返した。

 活動を続ける中で球団と地元の距離に変化が生まれた。球場で応援するファンの掛け声は「東北イーグルス」になった。復興の象徴。被災地の誇り。楽天は「おらが街の球団」として仙台に根付いた。

 指揮官にとっては、覚悟を決めたシーズンだった。「ことしがダメなら腹を切る」。かつて率いた中日、阪神では就任2年目にリーグ優勝を達成。「3年やってクライマックスにも進めないようでは勝負師として失格」。その思いは熱となり、選手に伝わった。

 阪神の指揮を執った2003年。優勝直前に1分けを挟んで5連敗を喫した。母・敏子さんは息子が宙に舞う姿を見ることなく、他界した。「優勝の2日前やったなあ。デーゲームだったから、葬儀にも行けんかった」。この日の朝、遠い空を見つめた。

 3球団でのリーグ制覇は史上3人目だ。中日と阪神でコンビを組んだ名参謀の島野育夫さんは07年末にこの世を去った。「ずっと、島ちゃん任せ、だったからなあ」。試合前後のミーティングには必ず出席し、各コーチに指示を出すようになった。

 過去に味わったリーグ優勝の味とは、まったく違う。何より、苦しみと悲しみを抱える「東北」がつかみ取ったペナントフラッグだ。

 「これですべてをお返ししたわけじゃない。東北のみなさんと一つ一つ、戦いを歩んでいきたい」。絶対にあきらめない。復興に向けて必死で生きる人たちに夢を届けた。 (井上学)

 

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