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「太平洋はおしまい」なのか? ― 2013/08/27 19:33
最近、インターネット上にこのシミュレーション図が「10年後、太平洋は終わりだ」といったニュアンスのコメントと共に拡散され、話題になっている。
このシミュレーション図(↑ クリックで拡大)はドイツのキール海洋研究所(GEOMAR)が2012年7月6日に発表した福島第一原発からの放射能汚染水の海洋拡散シミュレーション図。
上が汚染が漏れ出して891日後、下が2276日後。
1Fから流れ出したセシウムは海洋上をこのように拡散されていくであろうという予測。
動画も公開されている↓
このシミュレーション動画が拡散されるもととなったひとつと思われるブログには、元駐スイス大使の村田光平氏がラジオ出演したときの、
「日本が汚染水を止めるための国策化をやって、対策を打ち出していかないことには、世界は、もう納得しない」「汚染水流出をこのまま食い止めらられなければ、領海の適切な管理ができない国と見なされ、排他的経済水域の権利を失うことにもなりかねない」といった発言も紹介されている。
これはまったくその通りで、とにかくなんとかしなければならない緊急課題であることは間違いない。
しかし、ネット上でこの図が拡散されていく上で、「10年後には太平洋は終わりだ」といったコメントだけが強調されていく傾向が見られた。
それに対して、
「これは海洋汚染の『希釈モデル』であり、汚染源に対しての『相対濃度』がどのように変化していくかを示しているシミュレーション。どの程度汚染されるかという数値を示したものではない」
という指摘があった。
よく見ればその通りだ。
右上には色分けの「相対尺度」を示す目盛りが示されているが、そこには、
surface concentration relative to initial values off Japan
とある。
表題は
Model simulations on the long-term dispersal of Cs-137 released into the Pacific Ocean off Fukushima
だ。
汚染源である日本(1Fから出てくる汚染の初期値)に対する相対濃度を示したものなのだ。
この目盛りを見ると、右端の黄色が「1」で左端の白い部分あたりに「10のマイナス12乗」と記されている。
6年後にはほぼ太平洋全体が赤から赤紫色に、ほぼ均一に染まっているわけだが、この赤から赤紫の範囲は10のマイナス4乗からマイナス6乗くらいだろうか。
汚染源である1Fが「1」の量のセシウム137を海に放出すると、6年後には太平洋のほぼ全域で、汚染源の初期値に対して10のマイナス4乗からマイナス6乗くらいの濃度で拡散されているであろう、というシミュレーションだということが分かる。
10のマイナス3乗(オレンジのあたり)はミリ。10のマイナス6乗(紫のあたり)はマイクロ。
汚染源での初期値(黄色=1)が仮に100万ベクレル/リットルだとすれば、紫色部分(10のマイナス6乗)あたりは1べクレル/リットルということになるが、初期値がどのくらいかということにこのシミュレーションは触れていない。つまり、具体的にどのくらい汚染されるかについては言及していない。
海流などによって「このように拡散されるであろうというシミュレーション」なのだ、ということを理解しておかなければならない。
結論としては、「最後はかなり均等に拡散していく」ということなのだろう。
真っ赤に染まっている⇒大変だ! ということではない。
ただし、よ~~く見れば、日本近海よりむしろアメリカ西海岸側のほうが濃度が高いように予測されている。これはものすごく重要なことで、海洋汚染を責任持って止めようとしなかった未熟で無責任な国家として「国際社会」から告発される可能性がある。
僕もフランスのCEREAが出しているセシウム137による地表の汚染シミュレーション図を講演などで使うのだが、目的は「福島に近い西日本よりアメリカ太平洋岸やロシアの東部のほうが影響があった。つまり、汚染されるかどうかは距離よりも風向き次第なのだ」ということを言いたいために使う。アメリカ西海岸はもうおしまいだとか、そういうことを煽るのが目的ではない。
「距離よりも風向き次第なのだ」ということをなかなか分からない、分かろうとしない人がかなりいるからこうしたシミュレーション図を使うのだ。
ところが、なぜかネット上の議論というのは、「もう終わりだ」「福島はもうおしまいだ。逃げろ」「福島産の食い物を食べさせて殺す気か」みたいな話ばかりやたらと加熱する。
その加熱ぶりに比べると、こういう事態を起こした責任者たちがのうのうと金をもらって海外逃亡していることへの怒りとか、1Fの現場がいかに劣悪な「労働環境」で、このままでは人材がいなくなり、もうすぐ作業そのものが不可能になるかもしれないことへの危機感がとても弱い。
海の汚染のことを考えると生きているのが嫌になるほど絶望的になる。実際にどうなのかはよく分からない。でも、実際の数値がどの程度「人間の健康にとって」やばいかとかより、海を汚した、今も汚し続けている、そのこと自体がやりきれない。
もっと端的に言えば、「フクシマ」は人々から回転寿司屋に入って安い寿司を心置きなく食う楽しみを奪い、子供と一緒に海に行って泳いだり潮干狩りする楽しみを奪った。我々は日々の生活の中で「フクシマ」のおかげでいろいろなダメージを受けている。
実際には心配するような汚染度合ではないとか、そういうことではない。(そういう話も、しっかり認識しなければいけないし、冷静に判断していくために重要だが、そうした数値論だけで済む話ではない、という意味だ)
「海が汚れてしまったんだ」と考えなければならないこと自体が、大変な精神的苦痛なわけで、そのダメージを数値で表すことなんてできない。
自分が生まれ、暮らしている日本という国がそういうことをやってしまった。やってしまった後に反省がないどころか開き直って、今まで以上に悪辣なことを続けようとしている。
……そこでしょ! 怒りを向けるべき部分は。それを思うだけで病気になりそうだよ!
しかし、だからこそ資料やデータには極力冷静に向き合わなければいけない。
「太平洋はもう終わりだ」みたいな部分だけが強調的に広まっていくことには大きな弊害がある。
有効な対策がとれずに汚染物質を垂れ流し続けている現場の無策をどうするか、具体策を考えなくては、という大切な議論に余計なノイズを入れてしまう可能性がある。
大量の汚染物質を垂れ流していることは事実であって、それがいかにひどいことか、今さら強調してもしきれない。それなのに、なんら有効な対策をとれないで(とらないで)いる東電と国をこのままにしておいてはいけないのは自明。
そこをしっかり追及するような方向でネットの議論も進めていかないと。
地雷を踏むことを覚悟で言えば、理系を自称する人たちのスノッビズムみたいなものには、僕もときどき鼻白むことがある。でも、グラフやデータを正しく見ることができる人たちから揚げ足をとられないようにすることも大切。
その上で、「素人考えですけど、ほんとはこうじゃないんですか?」「こんなアイデアは全然ダメなんですか?」って、臆せずに発言し、提案していく姿勢が大切だと思うのだ。
このシミュレーション図(↑ クリックで拡大)はドイツのキール海洋研究所(GEOMAR)が2012年7月6日に発表した福島第一原発からの放射能汚染水の海洋拡散シミュレーション図。
上が汚染が漏れ出して891日後、下が2276日後。
1Fから流れ出したセシウムは海洋上をこのように拡散されていくであろうという予測。
動画も公開されている↓
このシミュレーション動画が拡散されるもととなったひとつと思われるブログには、元駐スイス大使の村田光平氏がラジオ出演したときの、
「日本が汚染水を止めるための国策化をやって、対策を打ち出していかないことには、世界は、もう納得しない」「汚染水流出をこのまま食い止めらられなければ、領海の適切な管理ができない国と見なされ、排他的経済水域の権利を失うことにもなりかねない」といった発言も紹介されている。
これはまったくその通りで、とにかくなんとかしなければならない緊急課題であることは間違いない。
しかし、ネット上でこの図が拡散されていく上で、「10年後には太平洋は終わりだ」といったコメントだけが強調されていく傾向が見られた。
それに対して、
「これは海洋汚染の『希釈モデル』であり、汚染源に対しての『相対濃度』がどのように変化していくかを示しているシミュレーション。どの程度汚染されるかという数値を示したものではない」
という指摘があった。
よく見ればその通りだ。
右上には色分けの「相対尺度」を示す目盛りが示されているが、そこには、
surface concentration relative to initial values off Japan
とある。
表題は
Model simulations on the long-term dispersal of Cs-137 released into the Pacific Ocean off Fukushima
だ。
汚染源である日本(1Fから出てくる汚染の初期値)に対する相対濃度を示したものなのだ。
この目盛りを見ると、右端の黄色が「1」で左端の白い部分あたりに「10のマイナス12乗」と記されている。
6年後にはほぼ太平洋全体が赤から赤紫色に、ほぼ均一に染まっているわけだが、この赤から赤紫の範囲は10のマイナス4乗からマイナス6乗くらいだろうか。
汚染源である1Fが「1」の量のセシウム137を海に放出すると、6年後には太平洋のほぼ全域で、汚染源の初期値に対して10のマイナス4乗からマイナス6乗くらいの濃度で拡散されているであろう、というシミュレーションだということが分かる。
10のマイナス3乗(オレンジのあたり)はミリ。10のマイナス6乗(紫のあたり)はマイクロ。
汚染源での初期値(黄色=1)が仮に100万ベクレル/リットルだとすれば、紫色部分(10のマイナス6乗)あたりは1べクレル/リットルということになるが、初期値がどのくらいかということにこのシミュレーションは触れていない。つまり、具体的にどのくらい汚染されるかについては言及していない。
海流などによって「このように拡散されるであろうというシミュレーション」なのだ、ということを理解しておかなければならない。
結論としては、「最後はかなり均等に拡散していく」ということなのだろう。
真っ赤に染まっている⇒大変だ! ということではない。
ただし、よ~~く見れば、日本近海よりむしろアメリカ西海岸側のほうが濃度が高いように予測されている。これはものすごく重要なことで、海洋汚染を責任持って止めようとしなかった未熟で無責任な国家として「国際社会」から告発される可能性がある。
僕もフランスのCEREAが出しているセシウム137による地表の汚染シミュレーション図を講演などで使うのだが、目的は「福島に近い西日本よりアメリカ太平洋岸やロシアの東部のほうが影響があった。つまり、汚染されるかどうかは距離よりも風向き次第なのだ」ということを言いたいために使う。アメリカ西海岸はもうおしまいだとか、そういうことを煽るのが目的ではない。
「距離よりも風向き次第なのだ」ということをなかなか分からない、分かろうとしない人がかなりいるからこうしたシミュレーション図を使うのだ。
ところが、なぜかネット上の議論というのは、「もう終わりだ」「福島はもうおしまいだ。逃げろ」「福島産の食い物を食べさせて殺す気か」みたいな話ばかりやたらと加熱する。
その加熱ぶりに比べると、こういう事態を起こした責任者たちがのうのうと金をもらって海外逃亡していることへの怒りとか、1Fの現場がいかに劣悪な「労働環境」で、このままでは人材がいなくなり、もうすぐ作業そのものが不可能になるかもしれないことへの危機感がとても弱い。
海の汚染のことを考えると生きているのが嫌になるほど絶望的になる。実際にどうなのかはよく分からない。でも、実際の数値がどの程度「人間の健康にとって」やばいかとかより、海を汚した、今も汚し続けている、そのこと自体がやりきれない。
もっと端的に言えば、「フクシマ」は人々から回転寿司屋に入って安い寿司を心置きなく食う楽しみを奪い、子供と一緒に海に行って泳いだり潮干狩りする楽しみを奪った。我々は日々の生活の中で「フクシマ」のおかげでいろいろなダメージを受けている。
実際には心配するような汚染度合ではないとか、そういうことではない。(そういう話も、しっかり認識しなければいけないし、冷静に判断していくために重要だが、そうした数値論だけで済む話ではない、という意味だ)
「海が汚れてしまったんだ」と考えなければならないこと自体が、大変な精神的苦痛なわけで、そのダメージを数値で表すことなんてできない。
自分が生まれ、暮らしている日本という国がそういうことをやってしまった。やってしまった後に反省がないどころか開き直って、今まで以上に悪辣なことを続けようとしている。
……そこでしょ! 怒りを向けるべき部分は。それを思うだけで病気になりそうだよ!
しかし、だからこそ資料やデータには極力冷静に向き合わなければいけない。
「太平洋はもう終わりだ」みたいな部分だけが強調的に広まっていくことには大きな弊害がある。
有効な対策がとれずに汚染物質を垂れ流し続けている現場の無策をどうするか、具体策を考えなくては、という大切な議論に余計なノイズを入れてしまう可能性がある。
大量の汚染物質を垂れ流していることは事実であって、それがいかにひどいことか、今さら強調してもしきれない。それなのに、なんら有効な対策をとれないで(とらないで)いる東電と国をこのままにしておいてはいけないのは自明。
そこをしっかり追及するような方向でネットの議論も進めていかないと。
地雷を踏むことを覚悟で言えば、理系を自称する人たちのスノッビズムみたいなものには、僕もときどき鼻白むことがある。でも、グラフやデータを正しく見ることができる人たちから揚げ足をとられないようにすることも大切。
その上で、「素人考えですけど、ほんとはこうじゃないんですか?」「こんなアイデアは全然ダメなんですか?」って、臆せずに発言し、提案していく姿勢が大切だと思うのだ。
「普通に考えれば」永久凍土式遮水壁はありえない ― 2013/08/09 12:00
1Fの地下水汚染問題で、鹿島などは「凍土型遮水壁」(⇒経産省サイトのPDF ⇒東電サイトのPDF)などという提案をしているが、これはあまりにも非現実的で費用対効果が低い「机上の計画」だと思う。
この計画は、簡単に言えば、建屋の周辺にパイプを深く埋めてそこにマイナス40度くらいの冷却剤を入れて土地を永久凍土のようにカチカチに凍らせ、その「凍土」を遮水壁とすることで地下水流入=汚染水増大を防ぐという計画。
言うまでもなく、その冷却剤を長期間維持管理するためのエネルギーは膨大なものになる。 すでに1Fの収束作業に使っている電力だけでも大変な負担なのに、これ以上、効率の悪いエネルギーの使い方をするという発想がどうしようもない。「甘えている」としか思えない。
国から金が出るから、請け負えば儲かるんじゃないか……という発想の延長上に出てきた案にしか見えない。
原子力ムラを構成していた企業が、「フクシマ」以降も、除染やらなにやらで手を代え品を変え税金にたかり続けようとしている。これをやめさせ、本当に合理的な方法を追求しないと、どんどん手遅れになる。
★ついでに言えば、電気を生まなくなっている日本中の原子力発電所の維持管理にどれだけ電気を使っていることか(原発は発電を止めていても炉心や使用済み燃料を冷やし続けなければ暴走する)。これだけでも原発のコストが安いなどというPRがどれだけとんでもない嘘か分かる。
「普通に」考えれば、指針はおのずと見えてくる。
1) 1号機~3号機の炉心を取り出すなどということはもはや不可能だと結論するべき。近づけないのだから無理に決まっている。燃料を取り出せるのは4号機のみだろう。
2) であれば、チェルノブイリのように石棺方式、あるいはそれに準じた形で「封印」する方法を考えるしかない。再臨界がありえないだけ温度が低くなったのを確認できた後は、いかに封印できるかを考える。そのためにはありとあらゆる手段を検討する。おそらく、ドームスタジアムのようなバルーン屋根の形成と従来のコンクリート、鉄骨による壁の形成、樹脂などによる密閉など、あらゆる方法の併用・複合方式が探られていくことになるはず。
3) 壊れた1~4号機だけでなく、1Fそのものを孤島のように周囲の環境から切り離すという発想が必要。その方法は、複雑な装置を使ってエネルギーを大量消費する方法ではなく、完成後はなるべく人手や外部からのエネルギーを必要としない単純な土木的処置のほうが望ましい。
4) 1Fからのこれ以上の汚染物質拡散を防ぎ、管理体勢の破綻を防ぐため、周辺の土地で汚染が低い場所は1Fの管理のための作業拠点(資材置き場、作業員のための福利厚生施設なども含む)とする。
富岡町や大熊町の一部などは、汚染が低いところを線引きして「避難解除準備区域」などとしているが、そうした中途半端なごまかしはやめて、1Fの管理に必要な作業拠点区域として国が直接に特別管理していく。つまり、一般住民の帰還はさせないという方針をまず打ち出すべき。いつまでも「いつかは帰れます」などという望みを持たせるようなやり口はやめよ。生活の場を失った人たちには、新天地で新生活を始められるようなバックアップを。
5) 逆に、1F周辺の汚染の高い場所(帰還困難区域など)は、「除染」するのではなく、居住地としてはさっさと諦めて、汚染物質の保管・管理区域として、再飛散、流出を完全に封じ込められる汚染物管理施設を造る。そういう風にしっかり「区分け」していくしかない。
いつまでも「処分場は福島以外に」などという感情論をぶつけ合っているのは愚か。そもそも「処分場」ではない。処分はできないのだから。「仕方ないからそこに集めて管理・監視する」場所。そういう場所が必要なのは自明であり、汚染が薄い場所に持っていったり、拡散させてはいけないことも明らか。
……以上、「普通に」考えればこうではないか? という基本指針の叩き台。
なぜこういう方向に進んでいかないのか?
「素人」から見ると、「専門家」を名乗っている人たちの言動があまりにもすっとぼけていて、目眩がする。
この計画は、簡単に言えば、建屋の周辺にパイプを深く埋めてそこにマイナス40度くらいの冷却剤を入れて土地を永久凍土のようにカチカチに凍らせ、その「凍土」を遮水壁とすることで地下水流入=汚染水増大を防ぐという計画。
言うまでもなく、その冷却剤を長期間維持管理するためのエネルギーは膨大なものになる。 すでに1Fの収束作業に使っている電力だけでも大変な負担なのに、これ以上、効率の悪いエネルギーの使い方をするという発想がどうしようもない。「甘えている」としか思えない。
国から金が出るから、請け負えば儲かるんじゃないか……という発想の延長上に出てきた案にしか見えない。
原子力ムラを構成していた企業が、「フクシマ」以降も、除染やらなにやらで手を代え品を変え税金にたかり続けようとしている。これをやめさせ、本当に合理的な方法を追求しないと、どんどん手遅れになる。
★ついでに言えば、電気を生まなくなっている日本中の原子力発電所の維持管理にどれだけ電気を使っていることか(原発は発電を止めていても炉心や使用済み燃料を冷やし続けなければ暴走する)。これだけでも原発のコストが安いなどというPRがどれだけとんでもない嘘か分かる。
「普通に」考えれば、指針はおのずと見えてくる。
1) 1号機~3号機の炉心を取り出すなどということはもはや不可能だと結論するべき。近づけないのだから無理に決まっている。燃料を取り出せるのは4号機のみだろう。
2) であれば、チェルノブイリのように石棺方式、あるいはそれに準じた形で「封印」する方法を考えるしかない。再臨界がありえないだけ温度が低くなったのを確認できた後は、いかに封印できるかを考える。そのためにはありとあらゆる手段を検討する。おそらく、ドームスタジアムのようなバルーン屋根の形成と従来のコンクリート、鉄骨による壁の形成、樹脂などによる密閉など、あらゆる方法の併用・複合方式が探られていくことになるはず。
3) 壊れた1~4号機だけでなく、1Fそのものを孤島のように周囲の環境から切り離すという発想が必要。その方法は、複雑な装置を使ってエネルギーを大量消費する方法ではなく、完成後はなるべく人手や外部からのエネルギーを必要としない単純な土木的処置のほうが望ましい。
4) 1Fからのこれ以上の汚染物質拡散を防ぎ、管理体勢の破綻を防ぐため、周辺の土地で汚染が低い場所は1Fの管理のための作業拠点(資材置き場、作業員のための福利厚生施設なども含む)とする。
富岡町や大熊町の一部などは、汚染が低いところを線引きして「避難解除準備区域」などとしているが、そうした中途半端なごまかしはやめて、1Fの管理に必要な作業拠点区域として国が直接に特別管理していく。つまり、一般住民の帰還はさせないという方針をまず打ち出すべき。いつまでも「いつかは帰れます」などという望みを持たせるようなやり口はやめよ。生活の場を失った人たちには、新天地で新生活を始められるようなバックアップを。
5) 逆に、1F周辺の汚染の高い場所(帰還困難区域など)は、「除染」するのではなく、居住地としてはさっさと諦めて、汚染物質の保管・管理区域として、再飛散、流出を完全に封じ込められる汚染物管理施設を造る。そういう風にしっかり「区分け」していくしかない。
いつまでも「処分場は福島以外に」などという感情論をぶつけ合っているのは愚か。そもそも「処分場」ではない。処分はできないのだから。「仕方ないからそこに集めて管理・監視する」場所。そういう場所が必要なのは自明であり、汚染が薄い場所に持っていったり、拡散させてはいけないことも明らか。
……以上、「普通に」考えればこうではないか? という基本指針の叩き台。
なぜこういう方向に進んでいかないのか?
「素人」から見ると、「専門家」を名乗っている人たちの言動があまりにもすっとぼけていて、目眩がする。
川内村の友人・ニシマキさんのインタビュー動画 ― 2013/07/08 17:08
『裸のフクシマ』や、『阿武隈梁山泊外伝』(「東北学」に連載中)にも登場するニシマキさんのインタビュー動画です。
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「戻らない」という戦略 ― 2013/07/03 22:00
昨日、今日と、ネット上で読んで「うん、そうなのよね」と頷いた文章をいくつか。
まずは、南相馬市在住のルポライター・奥村岳志さんのブログ「福島 フクシマ FUKUSHIMA」の中から、「浪江町 「戻る、戻らない」を超えて――町民自身による復興のために」と題されたリポート。
浪江町(住民約2万人。全村避難)で味噌蔵を経営していた鈴木大久さん(53歳)へのインタビュー記事。
非常に長いのだが、まさに僕がずっと言い続けてきたことと同じ内容であり、ぜひ一人でも多くの人に読んでいただきたいと思った。
そこまで時間がないというかたも多いと思うので、ごく一部をそのまま抜粋する。
// もともと、立地当時の人たちは、原発を誘致することでいろんな意味で地元に経済効果があるだろうと目論んで、受け入れたわけです。当初の未来図は、原発ができた後で、それ以外の産業がどんどん張り付いてくるだろうというものですね。
でも、その目論見が見事に外れてしまって、原子力以外に何もないという町になってしまった。
そこで、電源三法交付金みたいなものができた。「受け入れたんだから」っていうクレームに対して、「お金あげるから、なんとかやって」という構図になってしまったと思うんですよね。
それでも、双葉町が財政破たんしかかって、で、原子力以外に何もないから、さらに交付金を当て込んで、原発をもう一度増やすしかないということで、7、8号機の増設を求めるというところまで行くわけです。//
//僕は、まず、行政は、「戻らない」という方向で動くべきだと訴えていたんですが。
それは、もちろん、放射線量や健康被害の問題ということがまずあるけど、もうひとつ僕が言いたかったのは戦略の問題ですね。国や東電と交渉して、自分たちの主張や要求を通す上で、「戻らない」と主張することが一番強いカードになるはずだと思っていましたから。
津波の被害だけだったら、ストレートに復興でいい。でも、われわれは、原子力災害で避難しているんだから、避難の次が必ず問題になる。その準備を始めるべきだと。 //
//もっと早い段階から騒いでいれば、流れは違ったかもしれない。住民も、自治体も、県も、町も、国に対して、「なんてことをしてくれたんだ。もう住めないじゃないか」という話を前面に出していれば、違った結果になったのかもしれないですけどね。 //
//町外コミュニティというのは、浪江にあったコミュニティをそのまま移動させて、まとまって再構築させようという考え方ですね。それはそれでありかもしれないと思うんですが。でも、僕は、もうひとつ、離散してもよしとしないといけないんだろうなと思っているんです。
というのは、それぞれが自分の生活を成り立たせる条件は、みんな違うわけです。だから、「町外コミュニティをつくったから、どうぞ来てください」と言われて、そこに移って生活が成り立つ人もいるだろうけど、そうでない人もいる。
そこでは生活が成り立たない人は、自分の求める条件に合致する場所に行っていいわけです。また、いま避難している先でそれなりに生活できるのであれば、そこに留まればいい。しかし、パートとか、非正規の仕事にしか就けていない人も多いわけです。
そこで、そういう人たちには、自分の思うところで、思う職業に就つけるように支援をする必要があるわけです。
そういう意味で、仕事の確立ということを中心に考えたら、離散した形もありなんだということを言いたいわけです。
//もうひとつは、町外コミュニティがどういう形になるにせよ、その前提として、アイデンティティが大事だと思うんです。まずは、「浪江町で育ったんだ」とか、「浪江町民なんだ」、「浪江はこういうところだったんだ」「そこが故郷なんだ」というアイデンティティを確立すべきだということです。
そういう共通の意識をもって各地に分散するのと、アイデンティティを忘れ去ってしまってバラバラになってしまうのでは、全く意味が違うと思うんですよ。
つまり、アイデンティティを確立する事業。「浪江という故郷はこういうところなんだ」という記録を残すことです。その記録を見れば記憶が呼び覚まされ、思い出されてくる。そういうことを事業として確立させるべきだろうということです。
町に付いて行くもよし、都合のいいところに移住するもよし、だけど、「われわれは浪江に育ったんだということを忘れるなよ」という一点でつながる。それをもってそれぞれの場で、それぞれの生活を確保していくということです。 //
↑この後半部分は、僕が1月に東京で飯舘村の菅野村長と公開シンポジウムをしたときに言ったことと同じ趣旨。
飯舘村は残念ながら、汚染度合いが高いエリアについては、我々が生きている間には元の暮らしができる場所にはならない。 除染など無理。
であれば、森をそのまま自然保護区として守り、散って行った村民たちが新しい生活を始めた場所でそれぞれ「までいの心」を日本中に伝えていく。
伝えながら、飯舘という心のブランドを守り、育てていく。
そうすることで、次の世代、あるいは何世代か後、まだ生まれていない世代の人たちが再び「聖地として守られてきた飯舘」に入って、再びまでいライフを築いていけるのではないか……。
……僕がそう言ったところ、すぐさま菅野さんに「反論します!」と言われ、話が噛み合わないまま時間切れになってしまった。
この鈴木さんへのインタビュー記事を読んで、やはりまともに考えればそういうこと(離散を認める。その上で故郷への帰属意識をいかに持ち続けるかが大切)だよなあ、という思いを強くした。
幸いにも汚染がひどくなかった川内村では、事情はまた別だ。
僕は2011年の4月末に村の自宅に戻り、11月まで「全村避難」の村で普通に暮らしていた。
そこには郵便も配達されたし、クロネコもやってきたから、アマゾンで買い物もできた。
ガソリンスタンドもコンビニも再開して頑張っていた。
だから、「全村避難」の村で、それまで通りの暮らしが普通にできていたのだが、そのことは村にとっても県にとっても国にとっても「外に知られたくない」ことだった。
そんな中、5月の「一時帰宅ショー」のときに村に来ていた村長を見つけて、一緒に飯を食ったとき、村長にはこう言った。
「もう、悪いお友達(原発立地自治体の町長ら)とは縁を切りなさいよ。これからは小野町など、中通り側を向いて再建するしかないでしょう。原発に頼らない新しい村作りを始めなければダメですよ」
……と。
でも、ちょっと婉曲的に言いすぎたからか、もしかしたら伝わらなかったのかもしれない。もっともっと明確に言えばよかったと後悔した。
川内村は汚染の度合から言えば、地域としていくらでも再生できるレベルだ。福島市や郡山市よりも汚染度合は軽度なのだから。
ましてや、完全に人が住めなくなった浪江、大熊、双葉あたりに比べたら事情が違う。水道もない。高校もない。スーパーもない。大きな工場や雇用を見込める企業もない。最初からそういうものはない村だったのだから。
浪江町などとはまた別の戦略、そして今までのやり方と決別する勇気と哲学が必要だった。
ところが、原発人災を逆手にとって、今までなかったものを作ってもらおう、つぶれてしまった浜通りの町に代わって今度はうちの村が金をもらう番だ……というような戦略になっているように思える。
ある部分では仕方がないだろうが、それだけでは何にもならない。むしろ今まで以上のスピードで環境や「そこに住みたい」と思わせる魅力を失っていくことになる。
鈴木さんの話にも出てくる。
//たしかに行政的にいえば、三法交付金だけが命綱でしょう。浪江町はそれがほとんどないから、浜通りの他の町村から比べると、財政的には相当厳しかったはずなんですね。
双葉とか大熊とかは、新しい建物とかボコボコ立って、公共施設に対するお金の使い方なんかも桁違い。 でも、それが幸せでもなんでもないと思いますよ。そんなものは何の足しにもならないといったら怒られるけど、それで幸せを感じることなんてないんじゃないかなと思いますね。
原発を受け入れていないから、お金も入って来ないけど、その分、独自の考え方で、独自の町づくりをたんたんとやってるということだったと思います。
だから、商工会の青年組織なんかもしっかりしている。いろんなイベントを自分たちでやったりとか。何をやるにしても、だいたい浪江が発端なんですね。
で、僕らが協賛金集めに四苦八苦してやっているイベントが、双葉、大熊ではいきなりボンとお金が下りてくるわけですよ。東電の寄付で500万とか。行政から補助金500万とか。それでもうなんでもできちゃう。僕らはもう個人商店を一軒一軒、果てまで全部回って歩いてお金を集めて、ヨサコイとか、請戸の花火とか、お祭りやイベントを企画したりと、ずっとやってきてたんです。
浪江はそういう意味では、自立した人間が代々脈々といて、自分たちの発想で物事をつくり出していくということに関して、他の町村に負けないと思います。 //
↑この後半部分がすごく大切なこと。
原発立地の町の隣りに位置していたということで、川内村と浪江町は同じ立場。
ちなみに飯舘村はさらにその隣だから、原発への依存度は低かった。
そういう場所であることを「幸い」と考えて、独自の村作り、オリジナリティを追求していくことが必要だったのに、現実はそうはならず、ほとんどの村民の意識は「(福島第二原発のある)富岡町はいいなあ」で止まったままだった。
1Fが爆発して、リセットされるのかと思ったら、逆に今まで以上に依存の度合が上がり、指示待ち精神が強まってしまった。
復興、復興と言うが、元に戻ってはダメなのだ。同じ失敗を、今まで以上に加速して重ねるだけ。
気が遠くなるほど大変なことだけれど、復興ではなくて最初から「やり直す」つもりでグランドプランを立てないと。
次に、「NACS-J(日本自然保護協会)事務局日誌 ・・・生物多様性を守る日々」 の中から、「小さな島が「自然エネルギー」で埋め尽くされようとしています」というトピック。
長崎県の五島列島の最北部にある宇久島という小さな島で今起きようとしている惨劇について書いている。
宇久島は周囲が38キロしかない。そこに約2500人が暮らしている。
この島に、2000kw級の巨大ウィンドタービン(発電用風車)50機を建てるという話はだいぶ前からあって、島民の熾烈な反対運動なども起きている。
事業主体のひとつである日本風力開発という企業は、風力発電施設建設に国が建設費の3分の1を補助するという悪法を敷いていた時期にあちこちにウィンドファームを建設していた。そのやり口は、以前から問題にされていた(⇒再生可能エネルギー振興策に群がる「政商」 自民党・経産省出身政治家が後押しする「日本風力開発」の素性 現代ビジネス・ニュースの深層)。
その島に、今度は全島面積の4割を占める(約660ヘクタール)太陽光発電施設の計画も上がっているという。
↑(図はNACS-Jが作成 引用元は⇒こちら)
これを見れば分かるが、4割というのは利用可能な土地のほとんどで、残り6割の大部分は山だから、人間が生活できる、あるいは工作可能な土地のほとんどすべてが巨大風車かメガソーラーの発電パネルで埋め尽くされるという狂気の計画だ。
こんなことになったら、到底人間は生活できない。
ちょうど相前後して、「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)に掲載された早野龍五氏との対談を読んでいたところだった。
その中でこんなくだりがある。
糸井: 早野さんは、太陽光発電のグラフも毎日つけてらっしゃいますよね。
早野: ああ、はい。
糸井: 太陽光発電によって毎日つくられている電気量を、晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、ずーっと。
とくに論評もせずに、ひたすらグラフだけを。
早野:今年の8月15日でちょうど2年になるので、そこでやめようと思ってます。
糸井: つまり、あれも、ちょっと切ないんだけど、現状はこうなんですよ、っていうデータですよね。
早野: まぁ、そうですね。誰が見ても、この程度ですっていうことがわかる。
糸井: つまり、現状の規模では、太陽光だけでエネルギー問題を解決できない、ということが毎日のグラフを見ていると自然にわかるんです。それはやっぱりちょっと切ないんですよ。役に立ってくれたほうがいいに決まってるから。でも、早野さんは、事実だけをグラフにしている。それこそ、エネルギー問題は専門外なんでしょうけど。
早野: 専門外です(笑)。
糸井: でも、あれは、誰が見てもわかるんだよなぁ。で、あの事実というのは、エネルギー問題を考えるときにやっぱり知っておいたほうがいい。でも、実際に毎日グラフをつけてる人はいないし、ほかにいないなら、自分でやるかなっていう?
早野: そんな感じですよね。
こういう基本的なというか、根本的な認識がないままに「これはいいものですよ」というPRに踊らされてきた結果が「フクシマ」なのに、な~~んにも変わっていない。
そこがどうしようもなく悲しい。
これもリンクしておきます⇒「風力発電 建設補助金から固定買取制度に移行した最近の状況(武田恵世)」
まずは、南相馬市在住のルポライター・奥村岳志さんのブログ「福島 フクシマ FUKUSHIMA」の中から、「浪江町 「戻る、戻らない」を超えて――町民自身による復興のために」と題されたリポート。
浪江町(住民約2万人。全村避難)で味噌蔵を経営していた鈴木大久さん(53歳)へのインタビュー記事。
非常に長いのだが、まさに僕がずっと言い続けてきたことと同じ内容であり、ぜひ一人でも多くの人に読んでいただきたいと思った。
そこまで時間がないというかたも多いと思うので、ごく一部をそのまま抜粋する。
// もともと、立地当時の人たちは、原発を誘致することでいろんな意味で地元に経済効果があるだろうと目論んで、受け入れたわけです。当初の未来図は、原発ができた後で、それ以外の産業がどんどん張り付いてくるだろうというものですね。
でも、その目論見が見事に外れてしまって、原子力以外に何もないという町になってしまった。
そこで、電源三法交付金みたいなものができた。「受け入れたんだから」っていうクレームに対して、「お金あげるから、なんとかやって」という構図になってしまったと思うんですよね。
それでも、双葉町が財政破たんしかかって、で、原子力以外に何もないから、さらに交付金を当て込んで、原発をもう一度増やすしかないということで、7、8号機の増設を求めるというところまで行くわけです。//
//僕は、まず、行政は、「戻らない」という方向で動くべきだと訴えていたんですが。
それは、もちろん、放射線量や健康被害の問題ということがまずあるけど、もうひとつ僕が言いたかったのは戦略の問題ですね。国や東電と交渉して、自分たちの主張や要求を通す上で、「戻らない」と主張することが一番強いカードになるはずだと思っていましたから。
津波の被害だけだったら、ストレートに復興でいい。でも、われわれは、原子力災害で避難しているんだから、避難の次が必ず問題になる。その準備を始めるべきだと。 //
//もっと早い段階から騒いでいれば、流れは違ったかもしれない。住民も、自治体も、県も、町も、国に対して、「なんてことをしてくれたんだ。もう住めないじゃないか」という話を前面に出していれば、違った結果になったのかもしれないですけどね。 //
//町外コミュニティというのは、浪江にあったコミュニティをそのまま移動させて、まとまって再構築させようという考え方ですね。それはそれでありかもしれないと思うんですが。でも、僕は、もうひとつ、離散してもよしとしないといけないんだろうなと思っているんです。
というのは、それぞれが自分の生活を成り立たせる条件は、みんな違うわけです。だから、「町外コミュニティをつくったから、どうぞ来てください」と言われて、そこに移って生活が成り立つ人もいるだろうけど、そうでない人もいる。
そこでは生活が成り立たない人は、自分の求める条件に合致する場所に行っていいわけです。また、いま避難している先でそれなりに生活できるのであれば、そこに留まればいい。しかし、パートとか、非正規の仕事にしか就けていない人も多いわけです。
そこで、そういう人たちには、自分の思うところで、思う職業に就つけるように支援をする必要があるわけです。
そういう意味で、仕事の確立ということを中心に考えたら、離散した形もありなんだということを言いたいわけです。
//もうひとつは、町外コミュニティがどういう形になるにせよ、その前提として、アイデンティティが大事だと思うんです。まずは、「浪江町で育ったんだ」とか、「浪江町民なんだ」、「浪江はこういうところだったんだ」「そこが故郷なんだ」というアイデンティティを確立すべきだということです。
そういう共通の意識をもって各地に分散するのと、アイデンティティを忘れ去ってしまってバラバラになってしまうのでは、全く意味が違うと思うんですよ。
つまり、アイデンティティを確立する事業。「浪江という故郷はこういうところなんだ」という記録を残すことです。その記録を見れば記憶が呼び覚まされ、思い出されてくる。そういうことを事業として確立させるべきだろうということです。
町に付いて行くもよし、都合のいいところに移住するもよし、だけど、「われわれは浪江に育ったんだということを忘れるなよ」という一点でつながる。それをもってそれぞれの場で、それぞれの生活を確保していくということです。 //
↑この後半部分は、僕が1月に東京で飯舘村の菅野村長と公開シンポジウムをしたときに言ったことと同じ趣旨。
飯舘村は残念ながら、汚染度合いが高いエリアについては、我々が生きている間には元の暮らしができる場所にはならない。 除染など無理。
であれば、森をそのまま自然保護区として守り、散って行った村民たちが新しい生活を始めた場所でそれぞれ「までいの心」を日本中に伝えていく。
伝えながら、飯舘という心のブランドを守り、育てていく。
そうすることで、次の世代、あるいは何世代か後、まだ生まれていない世代の人たちが再び「聖地として守られてきた飯舘」に入って、再びまでいライフを築いていけるのではないか……。
……僕がそう言ったところ、すぐさま菅野さんに「反論します!」と言われ、話が噛み合わないまま時間切れになってしまった。
この鈴木さんへのインタビュー記事を読んで、やはりまともに考えればそういうこと(離散を認める。その上で故郷への帰属意識をいかに持ち続けるかが大切)だよなあ、という思いを強くした。
幸いにも汚染がひどくなかった川内村では、事情はまた別だ。
僕は2011年の4月末に村の自宅に戻り、11月まで「全村避難」の村で普通に暮らしていた。
そこには郵便も配達されたし、クロネコもやってきたから、アマゾンで買い物もできた。
ガソリンスタンドもコンビニも再開して頑張っていた。
だから、「全村避難」の村で、それまで通りの暮らしが普通にできていたのだが、そのことは村にとっても県にとっても国にとっても「外に知られたくない」ことだった。
そんな中、5月の「一時帰宅ショー」のときに村に来ていた村長を見つけて、一緒に飯を食ったとき、村長にはこう言った。
「もう、悪いお友達(原発立地自治体の町長ら)とは縁を切りなさいよ。これからは小野町など、中通り側を向いて再建するしかないでしょう。原発に頼らない新しい村作りを始めなければダメですよ」
……と。
でも、ちょっと婉曲的に言いすぎたからか、もしかしたら伝わらなかったのかもしれない。もっともっと明確に言えばよかったと後悔した。
川内村は汚染の度合から言えば、地域としていくらでも再生できるレベルだ。福島市や郡山市よりも汚染度合は軽度なのだから。
ましてや、完全に人が住めなくなった浪江、大熊、双葉あたりに比べたら事情が違う。水道もない。高校もない。スーパーもない。大きな工場や雇用を見込める企業もない。最初からそういうものはない村だったのだから。
浪江町などとはまた別の戦略、そして今までのやり方と決別する勇気と哲学が必要だった。
ところが、原発人災を逆手にとって、今までなかったものを作ってもらおう、つぶれてしまった浜通りの町に代わって今度はうちの村が金をもらう番だ……というような戦略になっているように思える。
ある部分では仕方がないだろうが、それだけでは何にもならない。むしろ今まで以上のスピードで環境や「そこに住みたい」と思わせる魅力を失っていくことになる。
鈴木さんの話にも出てくる。
//たしかに行政的にいえば、三法交付金だけが命綱でしょう。浪江町はそれがほとんどないから、浜通りの他の町村から比べると、財政的には相当厳しかったはずなんですね。
双葉とか大熊とかは、新しい建物とかボコボコ立って、公共施設に対するお金の使い方なんかも桁違い。 でも、それが幸せでもなんでもないと思いますよ。そんなものは何の足しにもならないといったら怒られるけど、それで幸せを感じることなんてないんじゃないかなと思いますね。
原発を受け入れていないから、お金も入って来ないけど、その分、独自の考え方で、独自の町づくりをたんたんとやってるということだったと思います。
だから、商工会の青年組織なんかもしっかりしている。いろんなイベントを自分たちでやったりとか。何をやるにしても、だいたい浪江が発端なんですね。
で、僕らが協賛金集めに四苦八苦してやっているイベントが、双葉、大熊ではいきなりボンとお金が下りてくるわけですよ。東電の寄付で500万とか。行政から補助金500万とか。それでもうなんでもできちゃう。僕らはもう個人商店を一軒一軒、果てまで全部回って歩いてお金を集めて、ヨサコイとか、請戸の花火とか、お祭りやイベントを企画したりと、ずっとやってきてたんです。
浪江はそういう意味では、自立した人間が代々脈々といて、自分たちの発想で物事をつくり出していくということに関して、他の町村に負けないと思います。 //
↑この後半部分がすごく大切なこと。
原発立地の町の隣りに位置していたということで、川内村と浪江町は同じ立場。
ちなみに飯舘村はさらにその隣だから、原発への依存度は低かった。
そういう場所であることを「幸い」と考えて、独自の村作り、オリジナリティを追求していくことが必要だったのに、現実はそうはならず、ほとんどの村民の意識は「(福島第二原発のある)富岡町はいいなあ」で止まったままだった。
1Fが爆発して、リセットされるのかと思ったら、逆に今まで以上に依存の度合が上がり、指示待ち精神が強まってしまった。
復興、復興と言うが、元に戻ってはダメなのだ。同じ失敗を、今まで以上に加速して重ねるだけ。
気が遠くなるほど大変なことだけれど、復興ではなくて最初から「やり直す」つもりでグランドプランを立てないと。
次に、「NACS-J(日本自然保護協会)事務局日誌 ・・・生物多様性を守る日々」 の中から、「小さな島が「自然エネルギー」で埋め尽くされようとしています」というトピック。
長崎県の五島列島の最北部にある宇久島という小さな島で今起きようとしている惨劇について書いている。
宇久島は周囲が38キロしかない。そこに約2500人が暮らしている。
この島に、2000kw級の巨大ウィンドタービン(発電用風車)50機を建てるという話はだいぶ前からあって、島民の熾烈な反対運動なども起きている。
事業主体のひとつである日本風力開発という企業は、風力発電施設建設に国が建設費の3分の1を補助するという悪法を敷いていた時期にあちこちにウィンドファームを建設していた。そのやり口は、以前から問題にされていた(⇒再生可能エネルギー振興策に群がる「政商」 自民党・経産省出身政治家が後押しする「日本風力開発」の素性 現代ビジネス・ニュースの深層)。
その島に、今度は全島面積の4割を占める(約660ヘクタール)太陽光発電施設の計画も上がっているという。
↑(図はNACS-Jが作成 引用元は⇒こちら)
これを見れば分かるが、4割というのは利用可能な土地のほとんどで、残り6割の大部分は山だから、人間が生活できる、あるいは工作可能な土地のほとんどすべてが巨大風車かメガソーラーの発電パネルで埋め尽くされるという狂気の計画だ。
こんなことになったら、到底人間は生活できない。
ちょうど相前後して、「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)に掲載された早野龍五氏との対談を読んでいたところだった。
その中でこんなくだりがある。
糸井: 早野さんは、太陽光発電のグラフも毎日つけてらっしゃいますよね。
早野: ああ、はい。
糸井: 太陽光発電によって毎日つくられている電気量を、晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、ずーっと。
とくに論評もせずに、ひたすらグラフだけを。
早野:今年の8月15日でちょうど2年になるので、そこでやめようと思ってます。
糸井: つまり、あれも、ちょっと切ないんだけど、現状はこうなんですよ、っていうデータですよね。
早野: まぁ、そうですね。誰が見ても、この程度ですっていうことがわかる。
糸井: つまり、現状の規模では、太陽光だけでエネルギー問題を解決できない、ということが毎日のグラフを見ていると自然にわかるんです。それはやっぱりちょっと切ないんですよ。役に立ってくれたほうがいいに決まってるから。でも、早野さんは、事実だけをグラフにしている。それこそ、エネルギー問題は専門外なんでしょうけど。
早野: 専門外です(笑)。
糸井: でも、あれは、誰が見てもわかるんだよなぁ。で、あの事実というのは、エネルギー問題を考えるときにやっぱり知っておいたほうがいい。でも、実際に毎日グラフをつけてる人はいないし、ほかにいないなら、自分でやるかなっていう?
早野: そんな感じですよね。
こういう基本的なというか、根本的な認識がないままに「これはいいものですよ」というPRに踊らされてきた結果が「フクシマ」なのに、な~~んにも変わっていない。
そこがどうしようもなく悲しい。
これもリンクしておきます⇒「風力発電 建設補助金から固定買取制度に移行した最近の状況(武田恵世)」
内田樹と橋下徹 ― 2013/05/31 20:10
このところ、内田樹という人の書いているものをよく読む。フェイスブックなどでいろんな情報をたどっていくと、この人の文章に行き当たることが多い。
↑これは朝日新聞のオピニオン欄に掲載された文章だが、内田氏は紙媒体に出した文章を自身のブログでも全文公開することが多いので助かる。これは読んでおく価値があると思う。僕はこの内容に同感だ。
ブログに公開している文章は⇒こちら
上のリンクをたどっていただければ全文読めるのだが、長くて読む気がしないというかたのために、勝手にダイジェスト版を作ってみた。↓
国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りすることを第一に考える政体を「国民国家」と呼ぶなら、日本は今、急速に「国民国家」であることをやめようとしている。
つまり、政府や官僚が、国民以外のもの、具体的にはグローバル企業(無国籍企業)の利益を最優先に考えて動くようになっている。
ことあるごとに、海外企業との競争に負けるようなら日本を出て行くぞ、そうさせないためには便宜を図れと政府に脅しをかける企業にとって、国民は「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。そういう企業は自分たちのことを「日本の企業」であり、日本の利益を代表するものだと主張するが、実体は本来自分たちが負わなければならないリスクやコストを国民に負担させている(経済用語で言えば「外部化」させている)無国籍企業である。
こうした「企業利益の増大こそ国益の増大」という嘘を見破られないために、拝外主義的ナショナリズムを煽り立てる戦略もとられる。
この国で今行われていることは、「日本の富を各国、特にアメリカの超富裕層の個人資産へ移し替える」という作業である。
それを推し進める人たちが政治の要職につき、国政の舵をとっている。なぜか政治家も官僚もメディアも、それをうれしげにみつめている。
しかしまあ、この「国民国家の解体」という作業は日本だけでなく、全世界で起きていることだから、日本人だけが犠牲者というわけではない。そう考えれば少しは気が楽になるだろうか?
(以上、⇒これを要約したつもり)
ちなみに、この内田樹氏について、今何かと世間を騒がせている大阪市長は、こんな風にコメントしていたことがある↓
「成長を目指すのか、成長を放棄するのか」……こんなことを言っている時点で、この人の資質の限界が見えてしまう。
敢えてこのくだらない土俵に乗って言わせてもらえば、あなたの言うような「成長」は、放棄するとかではなくて、もうやめなければいけないと僕は思っているのよね。危険物であると思っている。だから、「成長を放棄してもいいのか?」なんて文言は脅しにもなってない。
あなたがたの言う「成長」の正体について、内田氏はきれいに論破している。実に気持ちがいい。
メディアが持ち上げるアベノミクスなる「成長戦略」について、浜矩子氏はこう言っている(東洋経済ONLINE インタビュー)。
//
「浦島太郎型成長至上主義」への執着によって何が得られるというのか。
浦島太郎は、長い間、竜宮城にいたために、地上に戻ってきて昔を忘れられません。彼らは、自民党が政権を握っていた高度経済成長時代の考え方からいつまでも脱却できず、「昔に戻りたい」とつねに考えているのだと思います。
そもそもこの間、日本に欠けていたのは成長ではありません。問題は「分配」です。過去の成長の果実として、日本はいまやとてつもない冨の蓄えを形成している。ところが、その富をうまく分かち合えていない。
だから、貧困問題が発生したり、非正規雇用者の痛みがあったり、ワーキングプワと呼ばれる状態に追い込まれる人々がいる。この豊かさの中の貧困問題こそ、今、政治と政策が考えるべきテーマです。
政策の仕事は、強き者の味方をすることではない。成長産業を特別扱いすることではない。
彼ら(成長産業)は、放っておいても「市場」の中で自己展開のチャンスをつかんで行くわけです。政治と政策は、市場ができないことをするために存在する。
市場ができないこととは何か。それは弱者救済です。
弱者にも、当たり前のことですが、生きる権利がある。弱者にも、世の中における役割がある。強きも弱きも、老いも若きも、大きい者も小さい者も、みんなそれぞれのやり方で社会をつくり、社会を支える。
そのような土台のしっかりした経済社会が形成されるように目配り・気配りする。それが政治・政策・行政の仕事でしょう。
//
マスメディアの記者、編集者たちは、自分の意見を言えず、内田氏や浜氏のような論客に意見を「外部化」させているように思える。これは我が社の意見ではありませんよ、あくまでもこの人の意見です、という体裁で。
マスメディアの社員たちが上層部からの圧力によってこうした「外部化」さえできなくなったとき、日本の言論統制は危険水域を越えて、もはや取り返しがつかないところまできてしまったと知るべきだろう。
で、内田氏のブログ内に、彼が灘高校の文化祭に呼ばれてインタビューされたときの内容「東北論」というのがある。これもまた実に興味深い内容なので、ちょっとだけ抜き出してみる。
//長期的に考えてみた場合、原子力発電を使うと日本の国土が汚染されて、取り返しのつかない損害をこうむるおそれがある。これは間違いない。だから、長期的にみたら「割に合わない」と考える方が合理的なんです。でも、グローバル資本主義者はそうは考えない。原発をいま再稼働すれば、今期の電力コストがこれだけ安くなる。それだけ今期の収益が出る。配当が増える。だったら、原発再稼働を要求するのが当然、というのが彼らの思考回路なんです。日本列島がどれほど汚染されようとも、個人資産が増えるなら、ぜんぜん問題ない。クオーターベースで損得を考える投資家にしてみたら、向こう三ヶ月間に巨大な地震が起きないなら、原発動かした方が利益が出るんです。だから再稼働を要求する。それは彼らにしてみたら合理的な判断なんです。反対する人間の気が知れない。投資家たちは個人資産の増減だけを気にしていて、どこかの国の国土が汚染されようと、どこかの国の人たちが故郷を失おうと、そんなことはどうでもいいんです。
僕たち日本国民は日本列島から出られない。ここで生きていくしかないと思っている。だから、国土が汚染されたら困るし、国民の健康が損なわれたら困る。でも、グローバル企業には気づかうべき国土もないし、扶養しなければいけない国民もない。誰のことも気づかわなくていい。株価のことだけ考えていればいい。
それはそれでしかたがないんです。そういう商売なんだから。でも、問題なのは、そういう人たちが国民国家の政策決定に深く関与しているということです。「国民国家なんてどうなっても構わない」と思っている人たちが、国民国家の政策を決定している。これはちょっとひどい話でしょう? //
いいね!
僕も今年から「東北学」という本に連載を始めたところなので、内田氏の「東北論」はなかなか興味深かった。
//一人ひとりは普通に、合理的に生きているつもりでいても、長いスパンで見ると、そういうふうにふるまわざるをえないような集団心理的な方向づけって、あるんだと思う。人形つかいに操られる人形のように動かされてしまう。 福島に原発ができ、六カ所村に再処理施設ができるのは、個別的に見ると、そのつどの政治判断とか自治体の都合とかがあって選ばれたように見えるけれど、そういう個別の選択とは違うレベルでは、もっと大きな歴史的な流れが見えてくるんじゃないかな。//
……実に興味深い解釈だ。
東北には魔物がいる。それも、悪の大王のような分かりやすいものではなく、怨念や面従腹背や屈折が入り交じったやっかいな、理解しがたい魔物が。
面従腹背ならまだいいのだが、どうも最近では腹背の部分がスポッと抜け落ちてしまっている人たちが多い。それが問題。
↑これは朝日新聞のオピニオン欄に掲載された文章だが、内田氏は紙媒体に出した文章を自身のブログでも全文公開することが多いので助かる。これは読んでおく価値があると思う。僕はこの内容に同感だ。
ブログに公開している文章は⇒こちら
上のリンクをたどっていただければ全文読めるのだが、長くて読む気がしないというかたのために、勝手にダイジェスト版を作ってみた。↓
国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りすることを第一に考える政体を「国民国家」と呼ぶなら、日本は今、急速に「国民国家」であることをやめようとしている。
つまり、政府や官僚が、国民以外のもの、具体的にはグローバル企業(無国籍企業)の利益を最優先に考えて動くようになっている。
ことあるごとに、海外企業との競争に負けるようなら日本を出て行くぞ、そうさせないためには便宜を図れと政府に脅しをかける企業にとって、国民は「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。そういう企業は自分たちのことを「日本の企業」であり、日本の利益を代表するものだと主張するが、実体は本来自分たちが負わなければならないリスクやコストを国民に負担させている(経済用語で言えば「外部化」させている)無国籍企業である。
こうした「企業利益の増大こそ国益の増大」という嘘を見破られないために、拝外主義的ナショナリズムを煽り立てる戦略もとられる。
この国で今行われていることは、「日本の富を各国、特にアメリカの超富裕層の個人資産へ移し替える」という作業である。
それを推し進める人たちが政治の要職につき、国政の舵をとっている。なぜか政治家も官僚もメディアも、それをうれしげにみつめている。
しかしまあ、この「国民国家の解体」という作業は日本だけでなく、全世界で起きていることだから、日本人だけが犠牲者というわけではない。そう考えれば少しは気が楽になるだろうか?
(以上、⇒これを要約したつもり)
ちなみに、この内田樹氏について、今何かと世間を騒がせている大阪市長は、こんな風にコメントしていたことがある↓
「成長を目指すのか、成長を放棄するのか」……こんなことを言っている時点で、この人の資質の限界が見えてしまう。
敢えてこのくだらない土俵に乗って言わせてもらえば、あなたの言うような「成長」は、放棄するとかではなくて、もうやめなければいけないと僕は思っているのよね。危険物であると思っている。だから、「成長を放棄してもいいのか?」なんて文言は脅しにもなってない。
あなたがたの言う「成長」の正体について、内田氏はきれいに論破している。実に気持ちがいい。
メディアが持ち上げるアベノミクスなる「成長戦略」について、浜矩子氏はこう言っている(東洋経済ONLINE インタビュー)。
//
「浦島太郎型成長至上主義」への執着によって何が得られるというのか。
浦島太郎は、長い間、竜宮城にいたために、地上に戻ってきて昔を忘れられません。彼らは、自民党が政権を握っていた高度経済成長時代の考え方からいつまでも脱却できず、「昔に戻りたい」とつねに考えているのだと思います。
そもそもこの間、日本に欠けていたのは成長ではありません。問題は「分配」です。過去の成長の果実として、日本はいまやとてつもない冨の蓄えを形成している。ところが、その富をうまく分かち合えていない。
だから、貧困問題が発生したり、非正規雇用者の痛みがあったり、ワーキングプワと呼ばれる状態に追い込まれる人々がいる。この豊かさの中の貧困問題こそ、今、政治と政策が考えるべきテーマです。
政策の仕事は、強き者の味方をすることではない。成長産業を特別扱いすることではない。
彼ら(成長産業)は、放っておいても「市場」の中で自己展開のチャンスをつかんで行くわけです。政治と政策は、市場ができないことをするために存在する。
市場ができないこととは何か。それは弱者救済です。
弱者にも、当たり前のことですが、生きる権利がある。弱者にも、世の中における役割がある。強きも弱きも、老いも若きも、大きい者も小さい者も、みんなそれぞれのやり方で社会をつくり、社会を支える。
そのような土台のしっかりした経済社会が形成されるように目配り・気配りする。それが政治・政策・行政の仕事でしょう。
//
マスメディアの記者、編集者たちは、自分の意見を言えず、内田氏や浜氏のような論客に意見を「外部化」させているように思える。これは我が社の意見ではありませんよ、あくまでもこの人の意見です、という体裁で。
マスメディアの社員たちが上層部からの圧力によってこうした「外部化」さえできなくなったとき、日本の言論統制は危険水域を越えて、もはや取り返しがつかないところまできてしまったと知るべきだろう。
で、内田氏のブログ内に、彼が灘高校の文化祭に呼ばれてインタビューされたときの内容「東北論」というのがある。これもまた実に興味深い内容なので、ちょっとだけ抜き出してみる。
//長期的に考えてみた場合、原子力発電を使うと日本の国土が汚染されて、取り返しのつかない損害をこうむるおそれがある。これは間違いない。だから、長期的にみたら「割に合わない」と考える方が合理的なんです。でも、グローバル資本主義者はそうは考えない。原発をいま再稼働すれば、今期の電力コストがこれだけ安くなる。それだけ今期の収益が出る。配当が増える。だったら、原発再稼働を要求するのが当然、というのが彼らの思考回路なんです。日本列島がどれほど汚染されようとも、個人資産が増えるなら、ぜんぜん問題ない。クオーターベースで損得を考える投資家にしてみたら、向こう三ヶ月間に巨大な地震が起きないなら、原発動かした方が利益が出るんです。だから再稼働を要求する。それは彼らにしてみたら合理的な判断なんです。反対する人間の気が知れない。投資家たちは個人資産の増減だけを気にしていて、どこかの国の国土が汚染されようと、どこかの国の人たちが故郷を失おうと、そんなことはどうでもいいんです。
僕たち日本国民は日本列島から出られない。ここで生きていくしかないと思っている。だから、国土が汚染されたら困るし、国民の健康が損なわれたら困る。でも、グローバル企業には気づかうべき国土もないし、扶養しなければいけない国民もない。誰のことも気づかわなくていい。株価のことだけ考えていればいい。
それはそれでしかたがないんです。そういう商売なんだから。でも、問題なのは、そういう人たちが国民国家の政策決定に深く関与しているということです。「国民国家なんてどうなっても構わない」と思っている人たちが、国民国家の政策を決定している。これはちょっとひどい話でしょう? //
いいね!
僕も今年から「東北学」という本に連載を始めたところなので、内田氏の「東北論」はなかなか興味深かった。
//一人ひとりは普通に、合理的に生きているつもりでいても、長いスパンで見ると、そういうふうにふるまわざるをえないような集団心理的な方向づけって、あるんだと思う。人形つかいに操られる人形のように動かされてしまう。 福島に原発ができ、六カ所村に再処理施設ができるのは、個別的に見ると、そのつどの政治判断とか自治体の都合とかがあって選ばれたように見えるけれど、そういう個別の選択とは違うレベルでは、もっと大きな歴史的な流れが見えてくるんじゃないかな。//
……実に興味深い解釈だ。
東北には魔物がいる。それも、悪の大王のような分かりやすいものではなく、怨念や面従腹背や屈折が入り交じったやっかいな、理解しがたい魔物が。
面従腹背ならまだいいのだが、どうも最近では腹背の部分がスポッと抜け落ちてしまっている人たちが多い。それが問題。
2年も経ってまだデタラメが続く「フクシマ」 ― 2013/03/20 14:15
「避難解除等区域復興再生計画」とは何なのか?
3月19日、政府の原子力災害対策本部(本部長・安倍晋三首相)は「避難解除等区域復興再生計画」なるものを発表した。(全容は⇒こちら)道路や病院などの生活基盤、産業の復旧方針を示したもので、「住民や事業者が帰還を判断する材料としてもらう」(根本匠復興相)とのことだが、とりあえず1Fに近い住民や避難者たちの関心事は、これによって今までの「警戒区域」や「計画的避難区域」といった区域分けが変更されることにある。
これについて、元東電社員の吉川彰浩さんはFacebookにこう書いている。
明日というか、もはや今日だけど
福島県双葉郡浪江町津島に行ってきます。
ここは現時点では宿泊はできませんが、立ち入りの制限はありません。
いつ行ってもいいし、いつ帰ってきてもいい。
検問所もないので、普通の格好で誰でも入れちゃう区域です。
なんで行ってくるかというと、4月より帰還困難区域とされる為、自由に出入り出来なくなるから・・・
ちょうどお彼岸ですし、お墓参りも兼ねて家の大掃除に行きます。
千葉に避難している嫁の両親も一緒です。
今までは、ちょくちょくと何時でもこれたので、帰れなくなった感は薄れていました。
しかし、4月からはバリケードが張られ、指定した日に防護服を着ないと入れません。
区域の扱いは双葉町や大熊町の高線量区域と同じになります。
もう帰れないかもしれない・・・・口には出さないけど両親も感じています。
それに今まで幾度となく出入りしていたのに・・・安全ではなかったということかと
またも裏切られた気持ちになっています。
納得がいかないのですよ。帰れるような雰囲気を出していて・・・・結局後4年は絶対解除しない。
それでもって今日も含め気軽に入れるようにしておいて、今後は入れないようにする。
私も両親も何回も行っています。一度もスクリーニングをしていません。
当然どれだけ被ばくしたかも分かりません。
そこの責任は何処にあるの?自己責任ってやつですか
簡単にまとめると
明日行く津島は双葉大熊の高線量区域と一緒ですが3月中は誰でも入れます。
スクリーニングはやりません。てかありません。
私の住んでいた1Fから数キロのアパートは低線量区域ですが決められた日にしか入ることはできません。スクリーニングも受けます。
これは同じ浪江町内の話です。
4月からは
津島地区は決められた日しか入れません。スクリーニングをやります。
私のアパートの地区は何時でも入れます。スクリーニングをやります。
ほぼ逆転の現象が起きます。
このやり方は誰でも「おかしい」と思いませんか?
震災から2年経った今のお話です。
被災者の受難は続きます。これは私の例ですが、津島地区の何千人の方が同じ思いをされています。
原発避難の問題はまだまだ現在進行中です。
上の話、福島の土地勘がないかたのために少し解説を加えると……、
津島というのは、ジャニーズの子たちが農作業や酪農を体験する番組『ダッシュ村』があったところ。
浪江町というのは東西に細長い地形で、東端は太平洋に面し、西端は1Fから30km圏外にまで伸びている。で、津島は西の外れあたりにあって30km圏外。2011年3月の時点では何の避難指示も出ていなかった。
僕は2011年5月25日、獏原人村のマサイさん、自然山通信のニシマキさん、きのこ里山の会の小塚さんらと一緒に、この津島を通って飯舘村←→川内村を往復した。途中、線量計が30μSv/hを超える数値を示す場所もあった。
りました。
(詳細は⇒表日記を参照してください)
浪江町では、海岸沿いが汚染が低かったのだが、津波で大きな被害を受けた。請戸(うけど)地区などは壊滅状態。
で、絶対に忘れてはいけないことは、こうした海岸沿いで津波に呑み込まれた地区には、3.11直後、多数の人たちが動けなくなって孤立していたのに、1Fから10km圏だ20km圏だというだけで自衛隊さえ救援に入らず、見殺しにされたという事実。
ずっと後になってから収容された遺体の中には、溺死ではなく、衰弱死、餓死した遺体が複数あった。彼らは水に浸かったわけではなく、車の中や自宅の二階などに閉じ込められ、動けなくなり(骨折したり疲れ果てたり避難経路を断たれたりして)、そのまま救助を待っていたのに1週間経っても10日経っても誰も助けに来ないまま衰弱死、餓死したのだ。
実際には線量は全然大したことはなかったのに、政府が出した避難命令を、救助にさえ入ってはいけないと現場が解釈したためにこうした悲劇、というより惨劇が起きた。
また、浪江町では当初、30km圏外の津島を避難場所に指定して、多くの住民を、浪江町の中でも最も汚染された場所に移動・避難させた。津島は「浪江町で」というよりも、1Fから出た放射性物質が最も多く沈着した場所のひとつ。有名になった飯舘村の役場があるあたりなどよりはるかに線量は高い。
わざわざそんな場所に住民を誘導して、何日もそこで住民に大量被曝をさせてしまったのだ。
SPEEDIのデータをはじめ、すでに実際に線量を測っていてそこが危険地帯であることは文科省や福島県のモニタリングカーが3月12日の時点で把握していた。福島県は国よりも先にそのことをいちばんよく知っていたのに、周辺自治体に通達さえしなかった。この犯罪は未だにあやふやにされ、責任者が処分されたというニュースもない。
「区域分け」を巡る悲劇は他にも山ほどある。
南相馬市は当初、警戒区域、緊急時避難準備区域、無指定区域の3つに分断されたが、20kmの線引きをされたすぐ外側では普通にコンビニが営業していて人々が生活していたのに、20kmにかかった区域の人たちは強制的に家から追い出された。線量は大して高くなかった海岸沿いの地域の話。
しかも、20kmの外側の地域では、線量が低い海岸沿いの小学校から、わざわざ線量の高い北西方向(30km圏外)の小学校に毎日100万円かけてバスで通学させられるというとんでもないことも行われていた。もとの場所の学校にいたほうがはるかに被曝量が少なくて済んだのに、金をかけてわざわざ子供たちの被曝を増やしたのだ。(国会の参考人招致で児玉さんが叫んでいましたね。「こんなバカなことは一刻も早くやめてください!」と)
……このへんのことは『裸のフクシマ』にも書いたが、「津島」という地名を聞いたら、こうした事実をぜひ思い出していただきたい。
新しい区域分けの図を見れば分かるが、浪江町、双葉町、大熊町などは、事実上もう人が普通に暮らせる町にはならない。
浪江町は全面積の約8割が、5年以上帰れない「帰還困難区域」に指定された。
原発爆発から2年以上経ってこういう区分けを言い出す国。すでに住民の多くは、国のとぼけた指示やら無策のために、あびなくて済んだ初期被曝を受けて、これから先、一生不安なまま過ごさなければならない。
「再生計画」という名の元に、「区域ごとに目指すべき復興の姿」を提示しているそうだが、この地域最大の魅力であった自然環境は徹底的に汚され、さらには今後、除染や復興名目でわけの分からない公共事業が加速される。
//短期的(2年)には「避難指示が解除された区域を復興の前線拠点とし、解除が見込まれる区域の復旧につなぐ」、中期的(5年)には「避難解除区域を拡大し、地域全体の復興を加速」、長期的(10年)には「若い世代も帰還する意欲が持てるよう、原発事故により失われた雇用規模を回復する」としている。(産経新聞)//……そうである。
しかし、周辺自治体の人たちの関心は、もはやもっぱら賠償がどうなるか、だろう。
「帰還困難区域」に指定されると、国の賠償基準では事故から帰還まで6年以上かかると土地や建物などの不動産を全額賠償することになっているという。
これに対して、富岡町、浪江町は、全域一律全額賠償を求めて「事故から6年間は帰還しない」と表明していた。
30km圏内で汚染が薄かった地域(今回の再編で無指定になった地域。広野町、川内村、田村市などの一部)では、今後は賠償金支払期間をどこまで延長させられるか、賠償金が切れても、次は除染ビジネスやメガソーラー、風力発電などの公共事業や企業誘致でどれだけ地域に金を取り込めるのかという視点で動いていく。実際、すでにそうなっている。
一方で、ヨウ素131でかなりの初期被曝を受けたであろうことが分かってきたいわき市の住民や、30km圏内の一部地域よりはるかにひどい汚染を受けた福島市や郡山市など都市部の人たちへの賠償は打ち止め、逃げ切り作戦に徹している。都市部の人たちの精神的苦痛、生活へのダメージに対して、30km圏の人たち並みに賠償したら賠償金総額が一気に膨れあがってしまうからだ。
「復興」事業名目の金と違って、純粋な賠償金は企業が儲からない。金(もちろん出所は税金!)は極力公共事業的な使い方に集中させて、原子力ムラ同様の利権集団の「再編」「復興」を図る……。
「フクシマ」は福島の人心や自然をいったいどこまで殺し続けるのだろうか。
WHOとIAEAの関係は環境省と経産省の関係に似ている ― 2013/03/01 12:33
これが原発大国フランスの「普通のテレビ」
//TV5MONDEはBBCワールドニュース、CNN、MTVに次ぐ世界で4番目の規模を誇るテレビチャンネル//(Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/TV5MONDE)
日本でこういう報道番組を見たら、視聴者はみんなびっくりしてしまうだろう。
そのくらい日本のメディアは為政者の支配下でコントロールされることが常態化してしまっているということ。これは本当に怖ろしい。
で、このトピックに関しては、要するに、
1)WHOは放射線被曝による健康被害に関しては調査・研究能力がないに等しいので、何を言ってもまともに相手にする必要はない(その意味では日本の環境省も同じかなあ。WHOとIAEAの関係って、日本の環境省と経産省、あるいは内閣府の関係に近い?)
2)それなのに日本のメディアはWHOというと無条件で権威あるものとして受け入れる傾向がある
……ということだろう。
ところで、昨日の各社の報道の仕方、
●毎日新聞 WHO:福島の住民、発がん増の可能性小さく…リスク推計
http://mainichi.jp/select/news/20130301k0000m040119000c.html
●ロイター WHO、福島原発事故の最大の被災地でがん発症リスク高いと分析
http://jp.reuters.com/article/jpnewEnv/idJPTYE91R06920130228
……と、同じ発表の内容を伝えるのに、見出しが正反対だ。
昨夜見たNHKのニュースは実に奇怪なものだった。
WHOが言った住民が癌になる危険性の増大は、
//確率が最も上がったのは、男女とも浪江町の1歳児の「その他のがん」で、0.73ポイント、1.11ポイントずつ上がった。ただ、元々の発症確率が約29~40%あり、影響は小さい。浪江町の1歳男女児の甲状腺がんでは、0.11ポイント、0.52ポイントそれぞれ増加。発症確率は0.32%と1.29%で、日本の平均に比べて約1.5~1.7倍となった。福島市や郡山市ではリスクの増加はほとんど見られなかった。//(毎日の記事)
……と、多くても0コンマ何%のリスク増大に過ぎないという内容に対して、NHKのニュースでは「条件を過剰に不利にしていて、危険だという結果を無理矢理導き出している」という論調。
飯舘村の菅野村長を引っぱり出してきて「特定の地名を上げて危険だと決めつけるのはいかがなものか」と憤懣をぶつけるコメントのみを露出。
おそらくWHOは「大したことないですよ」と言いたかったのに対して、日本では「言いがかりだ」「過大評価だ」と反発している。なんなんだろうこれは。
癌のリスクがどの程度上がるかなんてデータは、どんなに頑張ったところで正確な数字なんて出てくるはずがない。なぜなら、癌にしても心筋梗塞などの他の健康被害にしても、要因は複層的で、砂糖を何グラム追加するとどのくらい甘くなるというような簡単な話ではないから。
現代社会にはいろいろなリスクが存在していて、そこに今回、1Fから出た放射性物質を体内に取り込んで内部被曝してしまうかもしれないリスクというものが加わった。放射能「だけ」を抽出したリスク増大を数値で表すことは到底無理。ほとんど「運」の問題。(空間線量が比較的低い場所でも、ものすごく運悪くホットパーティクルを吸い込むことはありうるだろうし)
だけど、ほとんどの人たちは未だにそういう考え方ができずに、何μSv/hだの癌になる可能性が何%増大だの何ミリシーベルト以下なら大丈夫だのと数字が出るたびに大騒ぎして言い争う。
うんざりだ。
正確なデータはとことん出してもらわなければならない。しかし、どれだけ有効なのか分からない数字をめぐって狭い論点での議論を繰り返すだけでは、かえって為政者たちの責任逃れ工作を有利にしてしまうように思う。
現実問題として、放射性物質は広く飛び散り、今も毎日出ている。
「フクシマ」以前に比べてリスクは上がったに決まっている。
現実に多くの人が生活を破壊され、精神を病み、病気になったり死んだりしている。みんな前よりも不幸になった。
これは疑いようのない現実。0コンマ何パーセント増大するしないとかって話じゃない。
不幸の内容や危険に対する評価・判断は人によって、個々のケースによって違ってくる。よりよい判断を下せるようにデータを包み隠さず出した後は、個人の判断を尊重して応援する、ということしかできないだろう。
確率が0コンマ何パーセント上がったかもしれないという話は、例えば、宝くじに当たる可能性が2倍になりました、というような話に近い。しかし、ほとんどの当たらない人には関係がない。
しかも、放射性物質を体内に取り入れてしまうリスクというのは、そういう簡単な確率ですらなく、取り入れてしまう確率の先にさらに他の要因が複雑に絡み合っている。無理矢理数値で表したとしても、それをどう受け取るか……受け取る側のセンスや知識、判断力がかなり高いレベルで要求されている。
・今からでもリスクを下げるにはどうすればいいのか。やれるべきことに最善を尽くす。(合理性や効率を最重要視して)⇒税金を正しく使う
・隠蔽したりなかったことにする動きを許さない。
・こういう事態を引き起こした責任をとるべき人たちにちゃんと責任をとらせる。
・同じ過ちを繰り返さないように、社会構造から変えていく必要がある(ということを、少なくとも人々が正しく認識する)
そういうことがいちばん大切なのに、報道は日々、官僚の言い訳コメント技術みたいなものばかり習得している。地雷を踏まないことだけに終始しているコメンテーターなんて何の役にも立たない。
ほんとに気持ちが悪い。
中国や北朝鮮のことなんか言えないじゃないの。日本でも報道の独立性なんてとっくになくなっているじゃないの。
いわき市では検診が行われていない?! ― 2013/02/21 20:59
内部被曝被害は想像以上かもしれない
2012年6月21日、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律(原発事故子ども・被災者支援法)」というものが成立した。この法律はいわば基本方針を定めたものであって、具体的な施策は、政府が計画をたて・政令などを発しないと動き出さない。
しかし、実際にはこの法律の精神が全然生かされていない、現場で機能していない、間違った方向に金と時間が使われているのではないか、ということで、被災地の住民、弁護士、医師、市民グループなどが、粘り強く中央に働きかけている。
2012年9月5日には、衆議院第一議員会館にて「原発事故子ども・被災者支援法ネットワーク」が、政府、国会議員に向けてこの原発事故子ども・被災者支援法を具体的かつ効果的な施策として反映させてほしいという公開フォーラムが開催された。
しかし、法律制定から8か月経った今でも、被曝した恐れのある人たちへの効果的なフォローはほとんどできていない。
上の動画は、2013年2月20日、参議院議員会館で、昨年9月のとき同様に、原発事故子ども・被災者支援法の効率的、積極的な運用による施策を求めた集会の様子。
左側の長いテーブルに並んでいるのは官僚など。
非常に長い動画だが、この中の1時間58分あたりからのやりとりを抜き出した音声のみのデータがYouTubeなどにアップされていて、それがフェイスブックなどSNSで広まっている。(上の音声データがそれ)
ざっくりとその部分の要旨を書くと、こんな感じだ↓(非常に聴き取りづらい、かつ、そのまま文字起こしが不可能なほど言い回しが不明瞭なので、こちらで意味を変更しない範囲で書き換えている)
井戸謙一弁護士:
- みなさん(官僚たち)の危機感がないことに驚いている。
- 今回の甲状腺癌の診断では、確定という診断が3人、疑いありが7人だが、この「疑いあり」は細胞診でクロと出ているのだから、ほとんど確定と診断されていると考えていい。
- この10人は平成23年度の検査3万8000人のうち、B判定(要再検査)187人からの10人。
- 24年度はすでにB判定が548人となっているが、この548人の二次検査の結果が公表されていない。
- 実際にはこの548人にはさらに200人くらいプラスされるだろうと福島医大の医師が言っている。
- そうなると748人。その18分の1だと40人くらい。これに10人を足せば50人。すでに50人くらい甲状腺癌になっている可能性があるのではないか。
- さらには、ヨウ素がいちばん多く流れたいわき市方面は検査すら行われていない。25年度にやるといっている。
- チェルノのときは、翌年から数人単位で甲状腺癌が見つかり、数年経って桁が変わって増えている。
- 日本では2年目ですでに10人出ている。ということは、一気に増えると予想される数年後にはどうなるのか。
- すでにこういう現実が目の前にあるのだから、早急に抜本的な対策が必要ではないか。
環境省:
- 甲状腺癌の成長速度はゆっくりしているので、「スクリーニングバイアス」で1回目は多く発見される(以前から甲状腺癌になっていた人で自覚症状がなかった人も検査で見つかる)。しかし、継続的に検査を行っていくという態勢を作っている。
会場から:
- 環境省ではなく、厚労省の認識はどうなのか? ⇒厚労省の担当者は返事せず。(いなかった?)
山田真医師:
- 甲状腺癌の発病はゆっくりだということが前提になってしまっていることがおかしい。
- チェルノでもすぐに見つかった例はある。
- 普通に医学的に考えれば、経験的にそうであったとしても、特異な条件の下では違う傾向が出るのではないか、と考えるのはあたりまえ。
- それなのに「放射能と癌の発症は因果関係がない」という方向に持っていくためにいろんな言い方をしていることがもどかしい。
- 意味のないような検査をなぜ行っているのか。何か意図があるとしか思えない。
- もっときちんとした計画的な検査をしないと経費も時間も無駄。きちんと精確な検査が行われるように態勢を見直してほしい。
この井戸弁護士の話を、さらに解説しておく。マスメディアではあまり大きく報道されていなかったからだ。
- 原発周辺13市町村の3万8114人の子供(被ばく時年齢0-18歳)について、2011年度分の甲状腺エコー検査が昨年3月末までに実施された。
- その結果、B判定(要再検査)となり、二次検査の対象になったものが186名いた。
- このうち実際に二次検査をしたものが162名、(再検査11名、二次検査終了151名)その中で、細胞診まで実施したものが76名。
- 162名のうち66名は良性と診断されたが、10名が悪性もしくは悪性の疑いと判定された。
- 10名の内訳は男子が3名、女子が7名で、平均年齢は15歳。
- この10人がどの地域でどのような形で被曝したかについては公表されていないが、この10人のうち何人かを個人的に知っている人の話では、特に地域的な偏りはなく、線量の高いところで、原発事故以降、避難をせずに生活をしていた家族の子どもであったとのこと。
- 10名の内3人はすでに腫瘍の摘出手術を完了し、組織標本の病理学的診断により悪性腫瘍(甲状腺癌)であることが最終的に確定。
- 残りの7人は細胞診検査の結果、約8割の確率で甲状腺がんの可能性があるという診断。
- 2012年度の小児甲状腺エコー検査は進行中。今まで二次検査の対象になったものは549名と発表されているが、結果はまだ公表されていない。
さらに、現場からの話では、目下、郡山市と三春町でも検査を進めているが、さらに200人程度の二次検査対象が出そうだという。
井戸弁護士の話は、こうした現実をもとにしている。
井戸氏の「すでに50人くらいはいるんじゃないか?」という推論は十二分に合理的な思考の結果だと思う。
しかし、この部分(数字)「だけ」がネット上で執拗に繰り返され、どんどん一人歩きしていくと、例によって議論がミスリードされていく可能性があるのでは、と懸念もしている。
癌になるのはもちろん恐ろしいことだが、もっと恐ろしいのは、癌になるかもしれないという恐れを抱きながら暮らさなければならないストレスや生活の崩壊だ。
ヨウ素131による初期被曝に関しては、ヨウ素が大量に流れていったことが分かっているいわき市方面で2011年3月15日前後に屋外に長時間いた人たちが特に心配だ。
しかし、ヨウ素131の半減期は8日だから、今ではまったく痕跡が残っていない。あのときヨウ素が付着したエアロゾルを鼻や口から吸い込み、内部被曝をした人たちを今からホールボディカウンターで測定してもなんにも出ない。被曝したかどうか、まったく分からない。
だから、例えばいわき市の住民を今からWBCで現在の「内部被曝検査」などしても意味がない。いわきの市街地の空間線量は今は十分に低いので(もちろん北西側には深刻なホットスポットが点在することは周知の通りだが)、今からいわきの町を出て逃げろなどというのも見当違い。
しかし、すでにヨウ素でかなり初期被曝をしてしまった人たちが相当数いるのではないか? ということは想像できるわけで、今、いわき市でやるべきなのはWBC検査などではなく甲状腺癌の精密検査などだ。そしてそれはこれからも長期間にわたってやっていかなければならない。
井戸弁護士の話では、そのいわき市では検査が行われていないというのだから、一体どういうことになっていくのか……。
山田医師の言う「条件が違えば違う結果が出るのではないかと考えるのは当然のこと」という主張もあったりまえのことだ。
チェルノブイリでは数年後からしか発病例がないなどと言うが、そもそも住民が放射性物質漏洩で大量被曝した例というのがチェルノブイリくらいしかないのであって、データは圧倒的に不足している。日本人の放射線に対する耐性がロシアやベラルーシの人たちと同じかどうかも分からない。分からないことだらけ、これから調べていかなければならないテーマを前にして「今までの知見からしてそういうことは考えられない」などと言い切る態度が科学的、医学的に許されないことは自明ではないか。
いたずらに不安を煽ることは避けなければならないが、何が起きたのか、そのとき現地の行政機関や国はどう動いていたのかをしっかり振り返り、今後に生かすことは絶対に必要なことだ。故意に情報を隠したり、明らかにミスリードした者たちの責任も問われなければならない。
それでも過去のことは基本的に取り返しがつかない。
今いちばん大切なことは「今やれることをきちんとやらなければ時間も経費も無駄になる。ちゃんとやれ」ということにつきる。それが全然できてないから、業を煮やした人たちが議員会館にまでやってきてこうした集会を開かなければならないのだ。
あらゆる部分でぐだぐだになったまま。人を救うために使われなければいけない税金が、理不尽な被害を受けた人たちをさらに不幸に追い込むように使われる。それは絶対に許せない。
ひどいことを起こしてしまったのだと認めて、今からどうやって対処するかを必死で考え、実行する。それが政治・行政の仕事だろうに。いつまで犯罪者たちの擁護をやっているのか。
全編動画は⇒こちら http://www.ustream.tv/recorded/29419987
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巨大防潮堤建設が日本の文化・産業を破壊する ― 2013/02/19 14:23
田老地区の死者・行方不明者229人/津波被災人口3000人/地区人口4436人
⇒被災者の7.6%が死亡・行方不明
鍬ヶ崎地区の死者・行方不明者65人/津波被災人口3200人/地区人口5400人
⇒被災者の2%が死亡・行方不明
上のデータを最近知った。
田老(たろう)地区というのは、岩手県下閉伊郡に置かれていた田老町(2005年に宮古市に合併)のあった場所。
3.11で甚大な津波被害があったことで有名になった。
田老町は稀に見る巨大防潮堤を築いてきた町としても有名だ。
1958年(昭和33年)3月に最初の防潮堤(高さ10m超)が完成。その後も増設を続ける。
1960年(昭和35年)5月、チリ地震による大津波が襲来したが、防潮堤が人的被害ゼロにとどめた。
1979年(昭和54年)、長さ2433m・高さ10m(海面から)の大防潮堤が完成。
Wikiの田老町の項目を読むと、興味深い記述がたくさんある。以下、Wikiの内容をまとめてみる。
1611年(慶長16年=江戸時代初期)に起きた慶長三陸地震津波で村がほぼ全滅。
1896年(明治29年)の明治三陸津波では、全村345戸のすべてが流され、人口2248人中83%に当たる1867人が死亡。
この津波後、村では震災義援金で危険地帯にある全集落を移動することにしたが、義援金を村民に分配しないで工事に充てることの是非や工事の実効性に村民から異論が続出し移転計画は中断。元の津波被災地帯に再び集落が作られた。
1933年(昭和8年)の昭和三陸津波では、全559戸中500戸が流失。死亡・行方不明者数は人口2773人中911人(32% =三陸沿岸の村々の中で死者数、死亡率ともに最悪)。
学者、内務省(当時)、岩手県当局は集落の高所移転を村に進言。移転のための低利の宅地造成資金貸付などの措置もとられたが、当時の村長・関口松太郎以下、村当局は、高所移転だけでなく、防潮堤建造を中心にした復興計画を主張。大蔵省から出た被災地高所移転の宅地造成貸付資金を借入して防潮堤工事に充てた。
第一期工事は1934年(昭和9年)に開始。高台移転案を主張した国や県も折れ、防潮堤建造費用負担に同意。全面的に国と県が工費を負担する公共事業として進められたが、日中戦争の拡大に伴い資金や資材が枯渇。1940年(昭和15年)に工事は中断。
戦後、再び町をあげて関係官庁への陳情を繰り返した結果、1954年(昭和29年)に14年ぶりに工事が再開された。
起工から24年を経て、1958年(昭和33年)に工事完了。全長1350m、基底部の最大幅25m、地上高7.7m、海面高さ10m という大防潮堤が完成した。
その後も増築が行われ、1966年(昭和41年)に最終的に完成。総延長2433mのX字型の巨大な防潮堤が城壁のように市街を取り囲んだ。総工事費は1980年当時の貨幣価値に換算して約50億円。
1960年(昭和35年)に襲来したチリ地震津波では、三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たにもかかわらず田老地区の被害は軽微にとどまった。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災に伴い発生した津波では、海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊。「津波の高さは、堤防の高さの倍あった」との目撃証言もある。市街は全滅状態となり、地区の人口4434人のうち200人を超える死者・行方不明者を出した。「立派な防潮堤があるという安心感から、かえって多くの人が逃げ遅れた」という証言もある。震災から半年後の調査では、住民の8割以上が市街の高地移転に賛同しているという。
防潮堤建設においては、現在とは逆で、国や県を説得する形で村(町)がごり押ししたという点に注目したい。
防潮堤のない町のほうが死者は少なかった
一方の鍬ヶ崎(くわがさき)地区は、同じ宮古市内にあるが、防潮堤はなかった。防潮堤を造ると、地区の基幹産業である漁業への影響が大きすぎるという判断からだった。
その代わり、津波が来たときの避難訓練を繰り返し、「すぐに逃げる」という教えを徹底していた。
鍬ヶ崎地区内の角力浜町内会(40世帯、約110人)では、住民の4割が65歳以上の高齢者だが、岩手大の堺茂樹教授(海岸工学)らの協力を得て、「津波が来たらいかに速やかに安全な場所に避難するか」を念頭に避難対策を進め、高台に通じる避難路を整備したり、目につきやすい場所に誘導標識を設置したりしていたという。
(産経新聞 2011年4月14日 「防潮堤なくても死者1人 宮古市・鍬ケ崎地区」)
地元宮古市からの情報発信を続けている 宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ には 「防潮堤」は効果がなかったこと。これからも期待できないこと と題して、次のように主張している(原文のままではなく、こちらで短くまとめた)
- 今回の津波では防潮堤は何の役にも立っていなかったように思える。
- 防潮堤が津波から市民を守るという神話がはびこっているために避難をしなかったり、急がなかったり、躊躇ったり、避難後にまた家に戻ったりしたのではないか。
- 「世界一の防潮堤」という触れ込みが、長い時間をかけて住民の海の自然に対する五感を退化させてきたのではないか。海の景観と空気感の感受性、波浪の気配の察知力、そして集落の過去の記憶力・伝承力などは弱くなってきていたのではないか。
- 助かった人たちは、世界一の防潮堤のおかげで助かったのではない。津波に対する口伝など、この地域の長年の文化・風土のおかげで助かったのだ。
僕は海辺に暮らしたことがないので、このへんの感覚はよく分からないが、「防潮堤がむしろ死者を増やしたのではないか」と思っている人はこの人だけではない。あちこちの新聞記事やWEB上の証言などにしょっちゅう出てくる。
しかし、行政はそれを絶対に認めない。反省するどころか、莫大な震災復興予算を使って、今まで以上に防潮堤建設を進めている。
2013年2月3日、南三陸町で「歌津湾の水産業の未来を考える懇談会」というのが開かれた。
出席したのはNPO法人環境生態工学研究所(仙台市若林区)理事の佐々木久雄氏、南三陸町の牡蠣養殖漁師、潜水調査員、学校教員、気仙沼市で防潮堤阻止に向けた活動を行なう若者、NHK仙台放送局、河北新報記者、県外ボランティアなど約20名。
その懇談会での発言集をコピーライターのRitsuko Nobeさんがフェイスブックにて紹介していた。
非常に濃い内容で、うならされた。
例えば、環境生態工学研究所の佐々木氏は、人工衛星からの航空写真をもとに、3.11前と後の伊里前湾の養殖施設などの変遷を知ろうとしている。
それによれば、震災前の2009年当時、海底は砂地でアマモが生えていたが、震災後は瓦礫が残り、カジメ(アラメ)、コンブなどに変わっているという。藻場は失われたわけではなく質が変わった。そのことをこれからの沿岸漁業にどう生かせばいいのかを考えていかなければ、という。
地元の漁師たちはそれを受け、「防潮堤問題は藻場を含め、生物に多様な影響を与えることが予想される。例えば、アカモク(ギバ)という藻をひとつとっても、この藻が生える海域は抗菌作用が高く、酸素の供給も豊かで、ノロウィルスが発生しにくいなど、漁業には密接な関係がある」
「昭和35年のチリ津波後、行政主導型で護岸工事が急速に進み、潮の流れがかわり、様々な弊害が起こった。例えば水深10メートルのあたりは生活排水の澱みにより、天然のノリが壊滅した。
護岸は逆に波を消化してくれる岩場を消し、台風や高潮の日は、波はいつまでも消えない。船溜まりとなる湾を行ったり来たりを繰り返し、危険な状態だった」
などと証言する。
佐々木氏:「陸と海は同様に繋がっている。栄養分が豊かな森の水が海に注ぐ仕組みを整えるのは、非常に重要なことだ。かつて平成の森の下にあった食堂では、地場の海藻や海産物を使った『アカモクラーメン』や『ホヤラーメン』といった商品を提供し、里山・里海の豊かな恩恵を享受してきた。漁師の声だけではなく、『里山』『里海』という概念、環境の恵みを地域住民が再確認し、能動的に物事を考えていくことが好ましい」
……といったように、単に反対する、というのではなく、常に前を向いた、未来設計図を提示し続ける姿勢を持っている。
ところが、
「商工会や地域の若手の意見を織り交ぜ、宮城大学教授の協力を経て、行政主導の案とは異なる港の図面を作成した。2013年2月にはスーパー防潮堤に反対する陳情書を提出し、町に採択もされたが、県は3月には詳細設計を出して決定する、と急ぐ一方だ」(地元漁師)という。
「自然環境や歴史、夢、思い出までもが壊され、ただコンクリートの壁だけが残ってしまうのか」という声を、県、国……と、上に行けば行くほど無視し、巨大予算をつけた机上の公共事業案を押しつけ、進めようとする。
こうした現場からの報告は、被災3県のあちこちから上がってくる。
新聞・テレビが報道しない現地の空気感を、ネットは毎日伝えてくる。
こういうことは今始まったわけではなく、戦前からずっと続いていたことなのだろう。
離れた場所のことは分からなかった、あるいは無意識のうちに深入りしないようにしていただけのこと。
また、東北の人たちは慎み深く、我慢強いので、大声で主張する前に、まずは周囲の他の人たちの気持ちや立場を思いやる。その結果、取材に入っている記者たちにも本音がなかなか伝わらないのではないか。
すでに何度も主張してきたことだが、
津波を止めるのではなく、津波で人が死なないようにする効果的・合理的方策に金を使うべきだ
スーパー防潮堤を築く金のごくごく一部でも、合理的な人命救済方策はいくらでもとれる。
巨大津波が来たとき、建物が流されるのは仕方がないと割り切った上で、人間を逃がす(警報システムの改善、誘導路の整備など)、逃げ遅れて巻き込まれても命を落とさない(救命漂流カプセルの常備など)方法を考え、そこに金を注ぎ込めばよい。
その上で、どこに住み、どこでどう生業を再建していくかは地元の人たちの意志に任せるしかない。そのための支援を徹底する。
なぜこのように考えることができないのか?
防潮堤問題は、使われる金の額の大きさも問題だが、なによりも、その莫大な金(我々の収めた税金)を使って被災地の人たちの未来をつぶし、日本の国土を壊しているのではないかと思うと、まったくやりきれない。
放射性物質を含むゴミ焼却施設があちこちに建設されようとしている ― 2013/02/19 14:12
鮫川村の焼却施設問題
上の写真は2011年8月3日のもの。福島県の塙町というところ。遊歩道の看板が見えるが、ここは地元の人たちが協力して保全に努めている場所。このずっと奥、山の中には廃校跡地があるが、そこも若い人たちが中心となって、つぶすのではなく、地域文化を伝える拠点として生かそうという運動が始まっていた。
この塙町やいわき市に隣接する鮫川村の青生野という地区に、国(環境省)が「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」なるものを建設した。
迷惑施設というものは、自治体境界線ぎりぎりに建てるのが常道だ。反対運動を起きにくくさせるためだ。今回の場合も、影響を受けるかもしれない人たちの多くは鮫川村よりも、隣接する塙町やいわき市の住民だ。
広がる里山風景。水が本当にきれいな場所
塙町の農家。住んでいた老夫婦は「毎晩俺たちの話相手になって面倒みてくれるなら、この家も土地も俺たちが死んだ後にあんたらにただでやるよ」とおっしゃっていた
その農家の裏手に広がる畑と雑木林
このへんが「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」のちょうど下流側、風下側にあたる。
さて、この「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」とはなんなのか?
なぜ環境省がこういうものをあちこちに造ろうとしているのか?
分かっていることを少しまとめてみる。
もともと、原子力発電所をはじめとする原子力関連施設以外の場所から放射性物質を相当レベル含んだ廃棄物が出る可能性というものを日本国政府も官僚も考えていなかった。
原子力安全委員会は2009年に放射性廃棄物の放射能のクリアランスレベルを1Bq/g(1000Bq/kg)と決定した。これ以下なら一般の廃棄物として処理していいだろうという数値だ。
しかし、「フクシマ」により事情が一変した。
広域にわたって一般のゴミに相当な放射性物質が付着してしまい、そんなことを言っていたらゴミ処理ができなくなった。
そこで、この数値を8,000Bq/kgに引き上げた。8000Bq/kg以下なら従来通り処分してもかまわない。しかし、8000Bq/kgを超えるものは国が責任を持って処理する、という指針を打ち立てた。管轄は環境省。
それでも8000Bq/kg超のゴミが溜まりに溜まってしまい、各自治体のゴミ処理施設はお手上げ状態になった。
8000Bq以上のゴミは「国が責任を持って処理する」と言ってしまった手前、各市町村で焼却、最終処分処理をすることは認められないことになる。環境省主導で国が行わなければならないが、その施設も施設建設用地もない。
どこかに焼却施設を作らなければ⇒大規模なものは目立つからすぐに反対運動が起きる⇒過疎地に金をつけて押しつけるしかない⇒最初は「実証試験施設」という名目で小規模なものを造ろう⇒それを出発点として、後はなし崩し的に施設を広域に広げていこう……こういうことを考えたようだ。
そのスタート地点として目をつけたのが鮫川村だった、というわけだ。
福島県南部はひどい放射能汚染から奇跡的に免れ、汚染レベルは千葉県、茨城県、群馬県、栃木県のホットスポット密集エリアよりはるかに低い。そのエリアのひとつ、鮫川水系四時川の源流部(いわき市の水道水源の上流域)にあたる福島県鮫川村青生野地区が「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」の建設地として目をつけられ、建設されてしまった。
実施主体である環境省の当初の説明では、8000Bq/kg超の農林業系副産物(稲わら、牛ふん堆肥、牧草、きのこ原木、果樹剪定枝など)を焼却対象物として、小型焼却炉を設置して焼却による減容化の実証試験を行う、ということになっていた。
2013年1月中に実証実験を始め、2014年9月まで、計600トンの焼却を予定。
焼却灰の管理は焼却炉の設置場所または隣接地に「管理型最終処分場での処分」を想定し、保管する方針。
(以上、施設の概要についてはいわき市議会議員 佐藤かずよし氏のブログなどの内容をまとめた)
これに対して、東電の元社員で、福島原発での勤務歴も長い吉川彰浩氏は、いわき市でようやく開かれた説明会に参加し、問題点を指摘した上で、フェイスブックにてこのように言っている。
//本施設は、標高700mの放牧地の分水嶺の西側に建設中で、東側は四時川の源流域です。小型焼却炉ということで環境影響調査もなく、近隣自治体及び住民への説明もなく、工事は着工されましたが、「福島県生活環境保全条例13条1項」では「工事着工の60日前」に「ばい煙指定施設設置届出書」の提出が必要でした。環境省が福島県に届出書を提出したのは10月30日で、11月15日に着工したため、12日4日、福島県が環境省に工事の一時中断を要請しました。//
//環境省も、いわき市の住民にはなぜ1時間当たり199k未満のゴミ処理能力かの説明を行いませんでした。
1時間あたり200k未満の処理能力の焼却炉は廃棄物処理法、環境アセスメント等が除外され誰の許可もいらず建設できるんです。
つまり住民説明を法的にしなくてよいようにするために行ったのは明白なんです//
//普通放射能廃棄物を燃やす場合、放射能測定器の設置と常時監視が義務付けられているんですけど、特措法のせいで8000Bq未満は一般焼却物扱いなのをいいことに関係ないという始末。それどころか原子力発電所の焼却炉に必ずあるこの設備を、発電所のゴミは高レベルだからついているんでしょとまで環境省がいう始末。//
//震災瓦礫の問題は解決しなければなりません。
焼却炉そのものに私は反対しているのではないのです。
原発事故により放射能を含むことは周知の事実なのですから、それに見合った焼却炉を適切な場所に造ればいいだけなんです。
なんでノウハウのある原子力発電所の焼却炉レベルのものを作らないのでしょう。
同じ福島なら福島第二原子力発電所構内に大規模焼却炉を作ってあげれば済む問題です。
もともと焼却灰の管理についてもノウハウがあるのですから。
それをわざわざ放射能廃棄物を燃やすのに不適切な一般焼却炉を一般の方が住む場所に造る必要性が私には理解できません。
それゆえに反対しています。//
……吉川氏は実際に福島第二原発で放射性廃棄物の焼却炉を管理していた経験を持つ、言わばこの問題に関してはプロ中のプロ。
そういう人が説明会に参加して、住民に解説を始めたのだから、環境省も村もさぞ困ったことだろう。
吉川氏がまとめた鮫川村焼却施設の問題点が⇒ここにあるので、ぜひご覧いただきたい(吉川氏ご本人からの依頼でWEBに公開)。
指摘されている問題点を整理すると、環境省の目論見というか作戦が透けて見えてくる。
1)8000Bq/kg以上のゴミでも、他のゴミと混ぜてしまえば8000Bq/kg以下にできる。そのような「前処理」をして燃やせば、いろいろな規制から逃れられる。
2)焼却施設はチープなものでよい。200kg/時以上の焼却能力を持つ大型焼却炉の場合、様々な規制や義務が生じるので、ぎりぎり200kg未満にしたほうがやりやすい。
3)「実証実験施設」という名目で建設するが、実際には出てきた焼却灰はその土地に永久保存として、最終処分場に移行させる。そういうものをあちこちに分散して造っていけば、面倒な放射性ゴミの処分ができる。
迷惑施設を歓迎する住民はいない。だから、迷惑施設の建設は、補助金やらなんとか交付金やらをつけて貧乏な自治体に持っていく。
なるべく反対運動が起こらないよう、その自治体の境界線ぎりぎり、端っこの、人口密度の低い土地を狙う。自治体境界線を挟んで隣の自治体側にいくら住民が多く住んでいても、建設する場所は隣りの自治体なので、情報が伝わるのが遅れるし、反対運動もやりづらくなるからだ。場所としては、国有地や荒れ果てた放牧地などが狙い目だ。
しかし、そういう場所というのは概して自然がまだあまり破壊されずに残っている土地であり、水源地や保安林を有していたりする。
ここは水源地だから保水能力を保つために森を残し、水が汚染されないようになるべく人工物を造らずにおきましょう、と決めた場所。
こういう「人々の生活を見えないところで守っている自然」を乱開発や汚染から守っていくことこそが環境省の仕事ではないのか?
3.11直後、環境省は「放射能はうちの管轄ではない。文科省か経産省に訊いてくれ」と言って知らん顔していた。
あれから2年経とうとしている今、環境省の役割は国交省や経産省の先兵隊のように見える。
国交省や経産省が続けてきた「貧乏な土地に金をばらまいて迷惑施設を作る」「不必要な公共事業をやらせて地方自治体を補助金漬け体質にさせる」というやり口の先兵になり、国家権力と税金から出る潤沢な資金を持った最強の地上げ屋みたいになっている。
怒りを通り越して、ひたすら悲しい。
吉川氏の言葉をもう一度掲載する。
//震災瓦礫の問題は解決しなければなりません。
焼却炉そのものに私は反対しているのではないのです。
原発事故により放射能を含むことは周知の事実なのですから、それに見合った焼却炉を適切な場所に造ればいいだけなんです。
なんでノウハウのある原子力発電所の焼却炉レベルのものを作らないのでしょう。
同じ福島なら、福島第二原子力発電所構内に大規模焼却炉を作ってあげれば済む問題です。
もともと焼却灰の管理についてもノウハウがあるのですから。
それをわざわざ放射能廃棄物を燃やすのに不適切な一般焼却炉を一般の方が住む場所に造る必要性が私には理解できません。
それゆえに反対しています。//
……現場で長年経験を積んできたプロの言葉だ。環境省はこの問いに真摯な態度で答えてほしい。
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