やや大袈裟なたとえをするなら、本田圭佑は日本代表において“ヨハン・クライフ”のような存在になりつつある。

チームメイトに頻繁にアドバイスし、勝敗の全責任を負うかのような覚悟でカメラの前に立ち、試合が始まれば自らのゴールでチームを救う。存在そのものが戦術であり、魂でもある――。かつてトータル・フットボールで世界を魅了したオランダ代表におけるクライフのようだ。

もちろん細かい戦術を決めるのはザッケローニ監督で、本田自身もそれをよくわかっている。コンフェデ杯のメキシコ戦後にこう語った。

「監督が言う約束事がいろいろある中で自分たちは動いている。そこは監督に任せている部分ではあります。」

本田に監督との序列を壊そうという間違った野心はない。きちんとザッケローニ監督を尊重している。ただ、その影響力はピッチ内外で益々大きくなり、チームの方向性を決める存在になっていることは間違いない。

とはいえ本田も、最初からこれだけのオーラを放てていたわけではない。

2009年9月、日本代表のオランダ遠征に招集されたとき、オランダ戦の後半途中にFKを誰が蹴るかを巡って、中村俊輔とちょっとした衝突があった。本田からしたら、クラブ(当時はオランダのフェンロ)での振るまいと同じことをやっただけだったのだが、まだまだ日本は縦社会である。先輩MFを怒らせてしまった。

その後、本田はCSKAモスクワへの移籍を機に岡田武史監督からも認められるようになり、2010年W杯直前にはトップ下に抜擢された。しかし、先輩選手たちはこの異端児をどう扱っていいかわからない。本田も完全に馴染んでいないためか、気を遣いながらプレーしている感じだった。

そこで岡田監督は、大きな決断を下す。本田に遠慮なく接することができる長谷部誠をキャプテンに指名し、本田のサポートを依頼したのだ。長谷部は雑誌『ステディ』の俳優・小出恵介との対談において、「なぜキャプテンに任命されたの?」と訊かれてこう答えた。

「当時、本田圭佑がまだチームに馴染んでなくて。みんながわりと遠慮していることにも気付かず、俺は圭佑に『なんで時計2個も付けてんだよ』『日本時間とヨーロッパ時間?』とか何も気にせず聞いちゃって」

「後からみんなに『そんなこと聞いちゃダメだよ』って言われたけど、俺としてはなんでダメなのかがわからない。そういう空気の読めないところを岡田監督に評価されたらしく、『本田をケアしてやれ』って(笑)」

仲間からの後押しもあって、本田は2010年W杯で2得点を決め、日本サッカーの新たな象徴になった。その後もアジアカップの優勝、2014年W杯出場を決めるオーストラリア戦のPKなど、常に結果を出し続けてきた。

本田が出場しているときと、していないときの日本代表は、もはや別人と言っていい。たとえば、9月6日の日本対グアテマラ戦がまさにそうだった。

本田がベンチに座っていた前半は、チャンスを作りながらも、なかなかゴールを決まらず、0対0のままハーフタイムへ。しかし、後半から本田がピッチに立つと、すぐに試合が動く。後半5分、長友佑都の左サイドからのクロスを、走り込んだ本田がヘディングで叩き込んだのだ。これでグアテマラの集中力が切れ、日本は3対0で快勝。この勝負強さは、やはり“持っている”と言わざるをえない。試合後、長友は「なぜ本田が入って流れが変わったのか?」と尋ねられると、こう答えた。

「やっぱりボールが収まるのでね。それによってチームに時間ができて、押し上げられるんです。」

本田は日本代表のスケールを規定する存在になった。言い換えれば、彼の能力の限界が、日本代表の限界でもあるということだ。だが、その重圧こそ、本田が求めているものでもある。日本一大きな責任を胸に、本田はW杯へのカウントダウンを始めている。

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木崎 伸也
木崎伸也1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。

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