(宮城 繁さん)

<学校に馴染めず自暴自棄になり、自殺未遂>
中学校に入るとき、入る部活のことで親と喧嘩していました。
僕はサッカーをやっていてやんちゃだから人を気遣うこともできなかったし、落ち着きがなくて勉強も苦手でした。
僕には外国人の血がはいっているので、友達と喧嘩した時に「国に帰れ」といわれて傷ついていました。

母は僕の将来を心配し、性格を変えなければいけないと思っていたのでしょう。
でも僕は軽音楽が嫌いだったので冗談じゃないと思いました。

僕は沖縄で生まれて、転勤族で転校を何度も経験しています。

知らない土地に転向していきなり進路選択をしないといけなかったのですが先生とうまくコミュニケーションが取れませんでした。
友達をつくろうとしても既に仲良しグループが出来ていてクラスにも馴染めなかった。
気持ちが落ちるだけ落ちて学校に行けなくなってしまいました。

でも、高校は行かなきゃと思っていました。
働くには最低限高卒の学歴がないと就職するのは厳しいと思っていましたので。
自分で本屋で通信制高校のガイドブックを買い、1週間に2回ぐらいの登校で卒業できる学校がいいと思っていました。
いくつか興味を持った学校の中で、電話で丁寧に質問に答えてくれて感じの良かったサポート校の見学に行きました。

そのサポート校にはボーカルコースがあって本格的なレッスンをうけている生徒が歌っていました。
自分と年齢もあまり変わらないのに想像以上の歌声に衝撃を受けました。
そして、自分も挑戦してみたいと思いました。
「この学校に入学しよう!」とその場で決定しました。


<人前に出ることで、やんちゃな性格がまるくなってきた>
高校では、軽音楽部のほかに、演劇部とダンス部とバスケ部に入りました。
自分を変えるきっかけになったのは演劇部です。
コンクールに出場したら、東京の城南地区大会で代表に選出されて、都大会まで進むことができました。演技の楽しさや人に伝える面白さを味わいました。

学校でエンターテイメントや音楽を知って世界が広がりました。
軽音楽部のライブの司会、学校行事の司会、ダンス部の発表会の司会など。
人前で話すことがだんだん得意になり、やんちゃだった性格も丸くなりました。

卒業後は大学に進む予定です。
志望の学部は法学部です。
模擬試験の結果はまだあまりよくないけど、サポート校では個別指導塾のように丁寧に教えてくださるので頑張りたいです。

進学したいと思ったきっかけは学校の課外活動です。
清掃活動のボランティアをして、社会貢献に興味をもちました。
特に社会的に弱い立場の人を助ける分野の仕事がしたい。
そのためには、自分が社会のルールを把握しておかないといけない。
それが、「法律を学びたい」という動機になりました。

今の学校に入学した頃は、大学に行こうなんて考えていませんでした。
夜遅くまでカラオケやコンビニのバイトをして社会を垣間見たことで、自分の将来について考えるようになりました。

僕には姉がいるんですけど、中学生まで喧嘩ばかりしていました。
あまり口をききませんでした。
朝に「おはよう」って挨拶をするだけであまり会話をしていませんでした。
僕が困っているとき手を差し伸べてくれる母のありがたみをわかっていませんでした。

自分に合う学校に通って先生や友達と話がはずむようになって、母や姉ともいい関係が築けましたし、大切さもわかりました。
母とは友達みたいにたくさん会話をしています。
母はいつも寄り添って、僕を見守り応援してくれる人です。今は本当に母に感謝しています。