(母:野村 留美子さん)

「僕、お母さんの言うことはもう聞かないよ。今までは言うこと聞いていたけど、今日からは聞かない。」
息子が私にこういったのは、小学校6年生で学校を休みがちになって少ししてからのことでした。
その言葉を聞いて、ギリギリまで一人で頑張ってくれた息子に申し訳なさを覚えました。
それまで息子はいい子すぎるぐらいで、父親がいない分、したの弟の面倒を見てくれたりと頑張ってくれていたんです。
遊びたい盛りに無理をさせたんだと思います。
「いい子すぎた」から、学校に行けなくなってしまったんだと思います。

かと言って、中学に行かない息子をそのまま受け入れることもできませんでした。
何度も叱ったり叩いたりしてしまいました。

中学の担任の先生が親切な方で進学に関しても熱心に取り組んでくれました。
不登校の関連の本を読んで、息子の主張・意見をなるべく否定しないようにしました。

 

中学校の先生に通信制高校やサポート校を勧められ、ネットやパンフレットなどで情報収集していました。
下の子から目が離せないので説明会に連れて行ったのですが、じっとしているのが苦手でこまってしまったんです。
そんなときに、ほかの先生がさっと子供を引き受けてくださって、先生と私が話しやすい環境を作ってくれました。
心配になって様子を見に行くとすごくおとなしく遊んでいました。
落ち着いて先生の話を聞いていて、その光景を見て「この学校なら大丈夫」と思いました。
体験学習を受けた息子も気にいったようで、入学を決めました。

それから卒業まで、息子は一日も欠席せずに登校したんです。
卒業式で答辞を読む息子の姿は、入学当時よりもずっと大きく見えて、誇らしい気持ちになりました。

職人

卒業後は専門学校に進学し、料理職人の道に進みました。
息子は小さいころから料理が好きで、入学前にサポート校の体験授業を受ける気になったきっかけも、内容が調理実習だったからです。
本人の希望は、「料亭に住み込みで、働きながら学びたい」というものだったのですが、色々な道を模索して貰いたいと思い専門学校への進学を勧めました。

専門学校を終え、寿司職人として働くようになってから、息子は本当によく頑張っていました。
深夜に帰ってきてからも、持って帰った残り物の食材で練習をしてから、また朝早く店をです。全力で打ち込む姿は頼もしくもありました。
今、私は仕事を続けながら息子夫婦と同居し、忙しくも幸せな毎日です。
大変な時期もありましたが、今の生活を得るために、必要な過程だったのかもしれません。