(小黒 まりなさん)

<休み時間も室内で絵を描いてばかりいました>
小学校の先生は私に無関心でした。小学校4年生から3年間、私に話してくれた記憶はありません。
宿題をやっても評価されない。連絡帳をもっていってもコメントを一つも記載してくれない。
学校の先生に頼っても仕方ない。何も解決してくれない。
コメントも一つも寄せてくれない。学校の先生に頼っても仕方ない。何も解決してくれない。
その頃から「学校の先生ってこんなものなんだ」という諦めの気持ちが芽生え始めてきました。

学校ではいつも5・6人の女の子たちと遊んでいたのですが、みんなおとなしくて「ほうっておいても問題を起こさないグループ」とみなされていました。
先生は元気なグループにばかり気を取られて、あまりかまってくれませんでした。
でも、中学生の姉の話をきいて中学になれば学校生活が楽しくなるだろうと期待していました。

親の勧めもあって、中高一貫高校の女子高に進学しました。
吹奏楽部に入り、毎日練習して充実した毎日を送っていました。

でも、一年生の夏休みに病気になってしまい、一週間ほど入院しました。

そうすると先生から「やる気がない」「怠けている」という非難のメールが届きました。
その先輩は裏では先生の悪口ばかりいい、先生の前だとニコニコしている人でした。ほかの部員もみんなそんな感じでした。
人の姿の汚れた一面を見て人間不信になってしまいました。
一緒に悪口を言うのは嫌だし、自分がターゲットにされてしまうのではないかという不安もありました。
なので、誰とも深く付き合わずにバリアをはって生きていました。

母に相談して、最初のコンクールまで頑張ってみたら、と勧められたのでそうすることにしました。
実際に部活もやめたのですが、やめた途端、学校に行く気が起きなくなってしまいました。
1年生の前期まではなんとか通えたのですが、後期からほとんど休むようになりました。母説得されても、どうしても嫌だったんです。


<自分の力で自分の過去を見返したい>
母は公立中学への転校も考えたらしいのですが、私はこのままこの学校を卒業したいと思いました。
中学受験をした手前、小学校時代のクラスメイトのいる中学校には戻りづらかったからです。
中学校卒業の日、卒業証書を受け取りに学校へ行くと、想像していたのとは違いただ書類を手渡しされただけでがっかりしました。
学校自体に期待が持てなくなり、高等部どころか上の学年に進学する気力もなくなってしまいました。
将来のことなどを考えると大学まで進学したほうが有利なのですが、そのためには高卒の資格が必要でした。

母の紹介で、地元の児童相談所の心理カウンセラーの方のところへ通い始めました。
カウンセラーの先生に色々と話を聞いてもらううちに少しづつ勇気が湧いてきました。
また、母が家に呼んでくれたトロンボーンの先生とは、もともと楽器が好きなこともあって仲良くなれました。
このように家族以外の人と接することで自信を取り戻しました。

そんな時に児童相談所の方にサポート校をいくつか紹介され、そのうちの一つに進学することに決めました。

入学したサポート校は、制服もあり、今までの学校と特に違いはないように思えました。
でも、先生がちがったんです。

入学して間もない頃話したことのない先生に「おい、小黒、元気か?」と声をかけられ、なぜ私のことを知ってるんだろうと、驚いたけど嬉しかった。
友達もすぐにできたし、先生のことも信頼できるようになり学校が楽しくなりました。

中学であまり学校へ行けなかった分、この学校は絶対通ってみせるという強い気持ちがありました。
自らの力で過去を見返したいと思いました。
部活も軽音楽部、演劇部などさまざまなことを体験しました。

振り返ってみると、不登校の時にできなかった経験をすべてサポート校で取り戻した気がします。
でも、不登校の経験も決して無駄ではありませんでした。自分を見つめための大切な時間になったからです。

今は大学に進学して、ボランティアサークルで活動しています。
児童館で子供の遊び相手をしています。
将来も音楽など、なんらかのかたちで子供と触れ合えたらと思います。