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「のりこえ」と上野千鶴子 - 「右傾化」の語がない設立宣言
昨日(9/25)、「のりこえねっと」が
発足
し、都内で記者会見したが、マスコミの扱いはきわめて小さい。夜のニュース番組ではどこの局も報道がなかった。新聞を開いても、社会面に記事を確認できない。昨日、朝日は
社説
でこの問題を取り上げ、反ヘイトスピーチの動きを支持すると言っておきながら、本格的な市民運動の団体が立ち上がった事実を大きく報じてない。奇妙な感じがする。9/25の社説の趣旨は、ほとんど9/22のNHKの論調と同じだ。こう言うと、また誹謗中毒のネット雀から「陰謀論」の誹りが飛んできそうだが、これはどう考えても一つの
政治
であり、韓国に向けた戦略的メッセージの発信である。マスコミ外交。NHKと朝日新聞、この2社は、堕落し粗悪化する日々刻々の変容と付き合っているわれわれと違い、韓国社会では未だ若干のブランド力をキープしている。往年の信用の財産がある。朝日は社説の中で安倍昭恵の親韓パフォーマンスを賞賛し、NHKと同じように「東京大行進」と「日韓おまつり交流」をバインドして論評を構成した。二つをパッケージにしてポジティブに紹介し、何か急に、官民挙げて日韓友好の方向に日本社会が動き始めたようなイメージを作り上げている。この社説を読んだ韓国の官民は、好印象を受けて気分を緩ませたことだろう。この2社が、官邸と外務官僚の下請となって雪解けムードを演出し、韓国を誑し込んでいるのだ。狙いは日韓首脳会談である。
昨日(9/25)のブログの
記事
で、この「のりこえねっと」について、「設立宣言も(中略)従来からのメッセージ(言葉の並び)で主張が構成されている。『東京大行進』のような脱イデオロギー性(=脱構築主義)の特徴がない。薄められている」と書いた。
設立宣言
を再度読み直して、この判断は誤りであり、訂正が必要だと恐縮する。早とちりだった。実際には、かなり脱構築主義的な内容であり、きわめて問題を含む議論になっている。上野千鶴子の影が落ちている点は疑いないが、和田春樹がこの表現で了解したことは、私には意外で衝撃だ。ブルータス、お前もか。どういう部分が問題かというと、例えば次のような記述である。「日本におけるヘイトスピーチは、戦後体制が政策的に作り出してきた差別そのものなのだ」。「それは、この日本社会にあっては、戦後体制によって市民的権利を剥奪されてきた人々の『市民として生きる権利』を希求する行動以外の何ものでもない」。短い文章の中に「戦後体制」という言葉が三回も使われ、「戦後体制」がヘイトスピーチという社会悪を発生させた元凶として呪詛されている。反ヘイトスピーチ運動の目的は、「戦後体制」を打倒することだと言わんばかりの口調であり、市民の敵は単に街頭に出没するヘ反在日の運動団体ではなく、「戦後体制」なのだとアジテーションしている。この短い文章を読んで、一般の人々は、不自然な感じを受けることはないだろう。特に若い世代はそうだろう。
だが、私は強い違和感を覚える。認識が根本的に間違っているのではないかと思う。もう一点、関連して指摘したい。前回の記事の問題意識の続きだが、この「
設立宣言
」の中には「右翼」という言葉がない。読み直していただければ、気づかれるだろう。そして、「戦後体制」の語の問題と同じく、「右翼」の語に拘る私の方が感性が異常じゃないかと思うだろう。市民運動を立ち上げる神聖な「設立宣言」の中に、「右翼」などという不逞で物騒な語を入れる方が異常だと、そう言い、私のイデオロギー過剰と反右翼のパラノイアに眉を顰めることだろう。上野千鶴子的な「戦後体制」批判の文脈できれいに纏めた方がいい、その方が上品で格調が高いマニフェストに決まっていると、そう言うだろう。若者受けもするだろうと。それが今の日本の常識であり、日本の左派の感性だ。右翼/左翼の問題は絶対に議論に入れない。入れさせない。拒絶する。断固拒否する。それは市民運動の御法度だ。それを言う者は排除する。イデオロギー対立の時代は終わり、二項対立の時代は去ったのだから、古い観念にしがみいて脱皮できない者は「ヘサヨ」だ。そういう役立たずで不要な人間は邪魔だ。そのような思想が今の日本を支配している。現在の日本の支配的なイデオロギーである。脱イデオロギーのイデオロギー。私はそれに脱構築主義という言葉を与える。アカデミーを支配し、市民運動を席巻し、人々を教化し改宗させることに成功したイデオロギー。
だが、この「設立宣言」を常識的感性で納得し、素敵だわと言い、右翼批判の欠如を咎めて苦情を言う私に軽蔑の目で見る「良識的左派」の人々は、自分たちの外側に別の視線があることに気づかなくてはいけない。それは韓国の人々だ。韓国の人々は、果たしてこの「設立宣言」を読んでどう思うだろうか。在特会の横暴に抗して立ち上がった市民運動の宣言文に、「右翼」の文字が一回も出ない。そして、日本の「戦後体制」が在特会の起源であり温床だったと指弾され、さらに、日本の「戦後体制」の撲滅と超克が運動の最終目的として掲げられている。韓国の人々は、これを読んで、キツネに摘まれたような不可解な気分になるのではないか。日本の「戦後体制」は、ある意味で、韓国社会が追いつけ追い越せで目標にしてきたものだ。高い教育水準と勤勉な労働力、資源のない国が加工貿易立国で生き抜いていく工業技術、貧富の格差がなく中間層が分厚い社会、国民皆保険で誰もが医療を受けられ安心して暮らせる福祉国家。日本の「戦後体制」は韓国のモデルであり、1988年のソウル五輪は1964年の東京五輪に追いついた通過点だった。サムソンは松下・ソニーを追い抜いた。それは韓国人の自信の根拠である。韓国の人々から見て、日本の「戦後体制」はプラスのイメージのものであって、焼け野原から復興して高度成長を遂げた戦後日本は尊敬の対象であり、それが在特会の温床だなどと言われ、反韓憎悪を生むシステム的元凶だと言われても、何の話だろうかと首を傾げてしまうだろう。
糾弾すべき在特会は、日本の市民から見て右翼ではないのか。過激で凶悪な右翼の政治組織ではないのか。韓国の人々は、在特会による在日への嫌がらせと脅迫の示威行動を、日本の右傾化の一契機として捉えている。日本の右傾化の現象形態だ。日本全体が右傾化していて、その病理があらゆる過程と局面に噴出しているのであり、その最も危険で醜悪な場面が、コリアタウンでの暴力的威嚇なのである。この問題についての認識において、右傾化というキーワードは絶対に外すことができない。この忌まわしい日本の社会的現実は、右傾化の言葉で説明されなければならず、右傾化の概念こそが基軸であり、正確な真実を語り伝える言語装置なのである。右傾化の言葉の使用なしに、在特会の意味を語ることはできないのだ。在特会は右翼集団である。その集団に対して、右翼という政治的本質の性格規定を与えることなしに、対策を考えるだとか、市民社会で規制するだとか言っても、それはバットの芯を外したファウルチップの打撃でしかない。在特会の行動と言動のエスカレーションは、日本の右傾化のアクセラレーションとパラレルである。だから、日本の右傾化こそが病因であり、進行を止めなければ、右翼集団の跳梁と暴走も止められない。従軍慰安婦の問題も、村山談話の問題も、新大久保の在日脅迫デモも、全て同じ問題なのであり、靖国の問題も、尖閣の問題も、大きく同じ範疇の問題なのだ。日本の右傾化の諸モメントなのである。
したがって、在特会の在日への脅迫や威嚇だけを捉えて、それへの対処療法として反ヘイトスピーチだの、反ヘイトクライムだの、反レイシズムだのと新語の看板を立て、対策を並べてみたところで、肝心の政治の方を変えられなければ、日本社会の異常状況が好転や改善に向かうとは到底思えないのである。上野千鶴子など市民左派は、例えば、安倍晋三が731機番の自衛隊機に乗って写真を撮ったりすることを、ヘイトクライムとして非難しない。その行為について、反レイシズムの者は何も批判の声を上げない。それを同じ範疇で捉えられない。韓国や中国の人々からすれば、新大久保での民間右翼の狂気と蛮行以上に、恐るべき右傾化の衝撃であり、戦慄すべき危機的事態の出現だろう。安倍晋三の731機への搭乗と示威が、中韓の人々にとってどれほど卑劣な嫌がらせであり、耐え難い苦痛を感じる侮辱行為であることか。それはまさに、この在特会に対抗しようとする市民運動が、社会科学的に最初に考えなくてはならない基本認識である。ところが、脱構築の社会学者たちは、敵をレイシストと定義し、反レイシズムで論を立て、反対運動を設計するから、安倍晋三の731機番の嫌がらせ行為は視野に入らないのである。問題外なのだ。右翼なり右傾化という契機を思考から除外し、そうした問題認識を拒絶したところで在特会の反在日運動を捉えるから、それはイデオロギー性を脱色され、政治性への認識を内側から抑圧された奇怪な概念にしかならず、無意味な対策しか導出されないのだ。
今、日本の右翼は、中韓米からの「日本の右傾化」の批判に対して、真っ向から「右傾化などしていない」と否定の態度で臨んでいる。彼らは絶対にその事実を認めず、日本は右傾化などしておらず、正常を続けていると言い張る。右翼の立場の者にとっては、その態度と自己認識で当然だろう。だが、問題なのは、右翼だけでなく、中立と思われるマスコミまでが、「日本の右傾化」を否認していることである。朝日新聞がそうだ。「日本の右傾化」は外国(中韓)から指摘されることで、自分たちの客観的事実ではないという立場をとっている。それは過剰反応だと、厳しすぎる見方であり、不正確な偏向した日本認識だと、そう言っている。そう言って、新聞読者である国民に「正常の保証書」を示して安心させ、中国と韓国に対して反論している。日本国内の思想状況を「正常」だとして擁護している。私から見れば、これこそまさに正常性バイアスそのもので、不感症の絶望的悪化としか言いようがないが、韓国からどれほど真摯に「日本の右傾化」が指摘されても、日本のマスコミは知らんぷりを通している。マスコミの言論が官僚を代弁するものだからだ。かくして、マスコミ報道では「日本の右傾化」は正論とならず、その観念と表象は日本社会の常識にならない。が、マスコミ以上に問題なのは、この「設立宣言」を起草した、上野千鶴子らアカデミーの左派の論者たちだ。彼らは事ここに至っても、政府やマスコミと整列を崩さず、「日本の右傾化」を否定するのである。だから、在特会を批判する言説においても、そこに「右傾化」の認識は入らない。
アクロバティックにその急所をかわし、捨象し、非政治化し、脱イデオロギー処理する。代わりに、ヘイトスピーチだの、ヘイトクライムだの、レイシズムだのの横文字を置き並べ、何か新しい現象の発生のように言い、新語を覚えて頷くように国民を教育し、非政治的な市民運動を提起するのである。在特会に反対する市民運動が、韓国の人々と基本認識を共有できなくていいのだろうか。韓国の人々と真に認識を共有できてこそ、在特会のような公共敵を包囲することができるのではないのか。それを東アジア市民社会の共通敵として措定することができるのはないか。上野千鶴子の起草した「設立宣言」では、それはできず、韓国の市民と日本の市民は分断されるだけになる。
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thessalonike5
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2013-09-26 23:30
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