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在日に対する「ふつうの感覚」を破壊し、在日を神話化した朝日新聞が、今日のヘイトスピーチを生み出した

在日に対するヘイトスピーチの土壌を作ったのは朝日新聞である。集団的な憎悪は日常からは生まれない。神話への反発から、集団的憎悪は生まれる。

 朝日新聞が在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチ問題を取り上げている。
「韓国では、ヘイトスピーチは日本社会の右傾化の象徴と受け止められている。しかし多くの日本人は、隣国とむやみにことを構えたいとは思っていないはずだ。在日コリアンを排除しようなどという考えは、一般の市民感覚からはかけ離れている。(略)

 冷え切った政治の関係が、市民同士の感情に影響し始め、ふつうだったことが、ふつうでなくなりつつある。隣人とのいがみ合いが絶えないほど居心地の悪いものはない。ふつうの感覚を大切にしたい」(9月25日付朝日新聞社説より)
ヘイトスピーチおよびカウンターデモに対する朝日新聞の見解は正しい。私を含め、多くの日本人は韓国と対立するつもりはない(異常な“友好”をするつもりもないが)。また、在日韓国・朝鮮人についても、基本的には他の在日外国人と同様に温かい目で私は見ている。

 ただ、『ザ・在日特権』にも書いたように、他の在日外国人と比べて、在日韓国・朝鮮人には自助努力が足りない部分がある。以前は、税金をめぐる“特権”が存在したのも事実だ。(ちなみにネットで噂として広がっている在日特権の多くがガセであるというのは『ザ・在日特権』でも検証されている。また、税金をめぐる“特権”も、その多くが解消されてきた)

 それよりも問題なのが、在日韓国・朝鮮人をめぐる神話の存在だろう。朝日新聞などのリベラルメディアは、「在日韓国・朝鮮人は日本に強制連行された人々の子孫だ」というウソを広めた。実際には、在日韓国・朝鮮人は出稼ぎで日本にやってきた人々の子孫なのだが、この「強制連行神話」により、在日韓国・朝鮮人は被差別者として神聖化されていくこととなった。

 確かに、戦後しばらくは在日韓国・朝鮮人に対する差別が存在した。しかし、1980年頃には、社会保障上の差別や就職上の差別などは解消されている。

 実質的な差別が解消された頃、それと入れ替わるようにリベラルメディアが広めたのが観念的な差別、すなわち「強制連行神話」だった。実質的な差別であれば、解消に向けて日本人と在日韓国・朝鮮人が協力することができる。だが、観念的な差別を解消することはできない。一方的な憎悪と、それに対する罪悪感、さらには謝罪と反省が永久に続くだけである。

 リベラルメディアは観念的な差別をめぐる民族的対立を引き起こし、それまで実質的な関係を築いてきた日本人と在日韓国・朝鮮人を分断した。そう、在日韓国・朝鮮人に対する「ふつうの感覚」を破壊したのは、ほかならぬ朝日新聞だったのだ。

「ふつうの感覚」を失った日本人は、在日韓国・朝鮮人に対して複雑な態度を取るようになる。表面上は、貧困者・被差別者としての在日韓国・朝鮮人に同情し、“友好”を強調した。しかし、その裏では、「強制連行神話」によって日本人を責め続ける在日韓国・朝鮮人への反発を押し殺していたと言える。

 やがて在日韓国・朝鮮人の経済的成功や、本国である韓国の躍進を受けて、日本人はまず、貧困者として在日韓国・朝鮮人を見ることをやめた。さらに、「強制連行神話」の虚偽が明らかとなり、被差別者としての在日韓国・朝鮮人像も崩れていく。

 ところが、朝日新聞などのリベラルメディアは、相変わらず在日韓国・朝鮮人を被差別者として描き、日本人に罪悪感を抱かせることしか考えない。ついに、一部の日本人の中から、それまで押し殺していた在日韓国・朝鮮人への反発が最も歪んだ形で噴出した。朝日新聞が作り出した、「ふつうの感覚」を喪失した異常な土壌の上に、ヘイトスピーチという異常な花が咲いてしまったのである。

 朝日新聞が自分たちの過去の過ちを認めることはないだろう。それどころか、ヘイトスピーチを新たな材料として、再び観念的な差別を喧伝し、被差別者としての在日韓国・朝鮮人像を強めようとしている。そうした新たな神話化は、集団的憎悪を抑制するどころか、また別の集団的憎悪を生み出すことにしかならない。

 これも『ザ・在日特権』に書いたことだが、朝日新聞は日本人と在日韓国・朝鮮人の関係を「ふつうの感覚」に戻す努力をするべきだ。たとえば朝日新聞も1950年代には、外部“右翼”執筆者によるこんなコラムを掲載するだけの「ふつうの感覚」を持っていた。
「……この日本に、なんと、数十万の異民族がどっかと腰をおろして動かばこそ。今度の敗戦で日本も尾羽打ち枯らしました。あなたがたを養う余裕なんかむろんありません。お国も独立したことですから、お引揚げ願えんでしょうか。そういって頼んでみても馬耳東風、業を煮やして送還しても小舟に乗って舞い戻るといった始末で、いやはやどうにもならぬ」(水野成夫・国策パルプ工業副社長、1955年12月21日付朝日新聞より)
現在の朝日新聞なら、こうした率直な物言いですら、時代背景を無視してまでヘイトスピーチ呼ばわりするかもしれない。「ふつうの感覚」とは、実質的な不満を含めて、意見を言い合える間柄だ。朝日新聞が推進してきたような、観念的な差別に基づき、一方的な我慢を強いる異常な関係は、必ず歪な形で矛盾を表面化させるのである。



宮島理
フリーライター

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