小倉さんは、この実態を生み出しているのは労働者が障がい者であることが原因ではなく、経営の方の問題だと捉えた。そして、障がい者主体の事業であっても、売れる商品を作りだすことはできると信じ、事業所の経営を支援するセミナーを全国で展開するなど、力を尽くした。
だが、言うだけでは社会は変わらない。「おい、実際に障がい者と一緒に仕事したことがあるのか」という冷たい批判も浴びた。こうなったら障がい者に月給10万円以上支払うことのできる店づくりを自分で実証してみせるしかない。小倉さんは、1998年6月、ヤマトホールディングスの特例子会社として株式会社スワン(スワンベーカリー)を設立した。スワンという名には、アヒルの子だと思っていたら実は白鳥だったというアンデルセン童話の思いが込められていた。
障がい者の月給を10倍にして、かつ事業として黒字を達成することは容易なことではなかった。2005年、小倉さんが逝去されてからは、スワンベーカリーを立て直す仕事は、ヤマト運輸に在籍していた海津歩さんに託された。同年7月以来、スワンの社長に就任した海津さんは、日々苦慮しながら、小倉さんの思いを現実のものにしている。「われわれは希望の星。つぶれるわけにはいかない」
障がい者から「戦力」を引き出すことが使命
海津さんにお会いした時、本音の話をお願いした。その舞台裏は凄まじかった。何度教えても仕事を覚えない、見え透いた嘘をつく、急に暴れ出してモノを壊す、2ヵ月間一度もアイコンタクトをしない。しかし激しい言葉とは裏腹に、海津さんの語りの中には障がい者に対する諦念など全く感じられない。
障がい者は率直で面従腹背がない。一緒に働くのは大変でも、ラクする術をいつも探すような健常者よりもずっといいと言う。それに、「与えられたヒト・モノ・金・情報をどのように活用して成果を出すかが経営者の仕事。そこに障がい者、健常者という概念は関係ない。僕のスタッフが障がい者だっただけ」と海津さんは言った。「我々は障がい者を戦力と見ているし、戦力にしていくことに経営者としての責任を負っている」と。
だから特別扱いはしない。普通だったら、障がい者だから仕事ができないとなると、かわいそうだから代わりにやってあげる、となる。しかしスワンでは、じゃあ何ができるか、どんな仕事だったらできるかを共に考え、行動する。海津さんは障がい者の能力を決めつけず、青天井で見ている。海津さんは福祉の専門家じゃないから何でもやらせてみる。それは「できる」と信じているからだ。そして辛抱強く待つ。障がい者に対する表面的な「優しさ」と真の「温かさ」とは違うものだと思いしらされた。
障がい者の採用面接では、まず親御さんに黙っていてもらうことから始めるという。母親にしてみれば、自分の子供はうまくしゃべれないため、子供に代わって答えようとする。障がいの子を持つ親の優しさだ。もちろん海津さんだって、親の愛は海より深く、自らが障がい者の親代わりになれないことは百も承知だ。だが親の愛が「転ばぬ先の杖」となり過ぎて、本人の挑戦や自立への力を阻むこともあると考えている。