週刊文春『「不適切写真」続々アップ!ネットで暴走する馬鹿バイト』
という記事における適菜収センセのコメント。
『これは戦後教育の大間違いですが、誰もが自己表現が正しいことだと思い込んでいる。そこにきてのネットの存在。素人がレストランに行って、プロの料理を尊重もせず『コスパが悪い』などと点数を『食べログ』に書き込み、料理が来たらまず写真を撮って、それを皆で有り難がる。そんな馬鹿たちが顕在化しやすいインフラができているのです』
………。
B層とやらの批判で一部では(笑)有名になった適菜収ことサイトウオサムセンセ。
上記のようなトンチンカンなコメント(戦後教育って…。こじつけにも程がある。大丈夫だろうか)を発しても今のところはそれ程注目されていないようだ。
ただ悲しいのは、そもそもサイトウセンセの「B層」批判そのものなんだよね。著書を見る限り、その対象購読層こそがB層だろうとしか思えないクオリティなのだ。自分のお嫌いな人をB層とレッテル貼りするご都合主義に共感を覚える人、知的な人にいるんですかねぇ(笑)。
まぁ、個人的にある出版社の編集者に聞いたところでは、色々なコンプレックスをお持ちのようなので、こういうレベルの低い漫画のような言説をあれしたくなるんでしょうなぁ。そういう意味ではサイトウセンセこそが馬鹿としてわかりやすいですね(笑)。
(9/3追記)
何というか、消化不良気味なので、追記しませう。
私が、自分が知らない著者の本を手にとった時にまず見るのは著者の略歴だ。例えば三橋貴明センセのような経歴を見れば、眉に唾をたっぷりつけて内容を検証することになる。(もちろん、経歴がたいしたことがなくても、素晴らしい本を書く人はたくさんいますぞ。三橋は違うけど。)
で、適菜収ことサイトウオサムセンセの場合はどうなんだろう?
著書(B層本)には、Wikipediaにもあるように、『早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。』とある。『大学卒業後、出版社勤務を経て作家、哲学者として活動を開始。』したようだ。私なら『早稲田大学で西洋文学を専攻し、ニーチェを学ぶ』と書くのだが(笑)、まぁそれはよろしい。
彼は大学院には行ってないんですよ。で、大学で教鞭を執っているわけでもない。通俗書を何冊か出版しているだけ(失礼ながら、その著書も彼が批判するB層向けの駄本)のセンセが何故哲学者を堂々と自称できるのか。
彼が呪詛する大衆社会においてこそ成立するものではないのか。
私自身は、大衆批判については、全く支持はしないけど、あっても構わないとは思う。ただ、適菜にしろ、西部邁にしろ、お前には言われたくない的な、自分の言動に相反する主張を行うのは醜いと思う。
大衆批判して大衆に媚びる馬鹿、最低である。
という記事における適菜収センセのコメント。
『これは戦後教育の大間違いですが、誰もが自己表現が正しいことだと思い込んでいる。そこにきてのネットの存在。素人がレストランに行って、プロの料理を尊重もせず『コスパが悪い』などと点数を『食べログ』に書き込み、料理が来たらまず写真を撮って、それを皆で有り難がる。そんな馬鹿たちが顕在化しやすいインフラができているのです』
………。
B層とやらの批判で一部では(笑)有名になった適菜収ことサイトウオサムセンセ。
上記のようなトンチンカンなコメント(戦後教育って…。こじつけにも程がある。大丈夫だろうか)を発しても今のところはそれ程注目されていないようだ。
ただ悲しいのは、そもそもサイトウセンセの「B層」批判そのものなんだよね。著書を見る限り、その対象購読層こそがB層だろうとしか思えないクオリティなのだ。自分のお嫌いな人をB層とレッテル貼りするご都合主義に共感を覚える人、知的な人にいるんですかねぇ(笑)。
まぁ、個人的にある出版社の編集者に聞いたところでは、色々なコンプレックスをお持ちのようなので、こういうレベルの低い漫画のような言説をあれしたくなるんでしょうなぁ。そういう意味ではサイトウセンセこそが馬鹿としてわかりやすいですね(笑)。
(9/3追記)
何というか、消化不良気味なので、追記しませう。
私が、自分が知らない著者の本を手にとった時にまず見るのは著者の略歴だ。例えば三橋貴明センセのような経歴を見れば、眉に唾をたっぷりつけて内容を検証することになる。(もちろん、経歴がたいしたことがなくても、素晴らしい本を書く人はたくさんいますぞ。三橋は違うけど。)
で、適菜収ことサイトウオサムセンセの場合はどうなんだろう?
著書(B層本)には、Wikipediaにもあるように、『早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。』とある。『大学卒業後、出版社勤務を経て作家、哲学者として活動を開始。』したようだ。私なら『早稲田大学で西洋文学を専攻し、ニーチェを学ぶ』と書くのだが(笑)、まぁそれはよろしい。
彼は大学院には行ってないんですよ。で、大学で教鞭を執っているわけでもない。通俗書を何冊か出版しているだけ(失礼ながら、その著書も彼が批判するB層向けの駄本)のセンセが何故哲学者を堂々と自称できるのか。
彼が呪詛する大衆社会においてこそ成立するものではないのか。
私自身は、大衆批判については、全く支持はしないけど、あっても構わないとは思う。ただ、適菜にしろ、西部邁にしろ、お前には言われたくない的な、自分の言動に相反する主張を行うのは醜いと思う。
大衆批判して大衆に媚びる馬鹿、最低である。