4カ国市民権持つ国際人

「敵のため人生ささげる」 体制転覆と死刑宣告も

 「私は四つの国の〝市民権〟を持つグローバル市民。韓国で生まれソウル市と馬山市の名誉市民で、米国の市民権、中国の永久居住権を持ち、北朝鮮では国防委員会から第1号の平壌市名誉市民証を与えられている」
 金鎮慶(キム・ジンギョン)は韓国、北朝鮮、米国、中国をビザなしで行き来できる極めて珍しい人物だ。中国の延辺朝鮮族自治州の州都、延吉市にある延辺科学技術大学総長で、北朝鮮に昨年開校した平壌科学技術大学の総長でもある。
 日本の植民地時代に韓国南部の慶尚南道に生まれた。6人きょうだいの下から2番目。キリスト教を信仰する家庭に育った。教育者だった父は1938年に長兄を連れ中国の黒竜江省に行き、農業学校をつくり、独立運動を支援した。
 家族は韓国の馬山に残ったが、夏休みなどに母に連れられ、汽車やバスを乗り継ぎ父のいる黒竜江省へ行った。「当時の中国の状況はすさまじいものだった。幼い頃、満州でその実情を見たことは私にとって大きな教訓だった」

血書で軍人に

  50年6月、中学3年の時に朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)。韓国軍に志願したが「年齢が足りない。家に帰れ」と言われた。だが、ガラス破片で指を切り「愛国」と血書を書き入隊を認められた。おそらく最年少の正式軍人だ。
 戦争は悲惨そのものだった。部隊に約800人いた学徒兵で生き残ったのは20人以下だった。「戦争は悪だ。どんなことがあっても生き残りたかった。人間の生命の価値に目覚めた」。戦争の中で本当の信仰を得た。「生き残れば何をするのか」という神の問い掛けに「(朝鮮戦争当時の)敵である北朝鮮、中国のために私の人生をささげる」と誓った。
 除隊になり馬山高校から崇実大へ。一時女子高でドイツ語を教えたが留学を決意。20ドルを手に貨物船でマルセイユに到着し、英国のクリフトン大に留学した。
 帰国して釜山で大学教授を務めた。一方、日本からトヨタ自動車を105台輸入し、タクシー会社を運営した。大学教授がタクシー会社を経営と人々は驚いた。6歳年下の梨花女子大4年の朴玉姫(パク・オクヒ)と結婚した。
 その後、米国へ渡り、フロリダに居住。事業の才能を発揮し、かつらや履物、衣類を扱い成功を収め、米国の市民権を得た。自宅にはプールまであった。

 中国で改革開放が始まった。86年に社会科学院の招待を受けて教授として訪中。父がいた東北地方を再訪した。朝鮮族がいるところには必ず民族学校があることに感銘を受け、教育の重要性を再認識した。
 89年2月に延吉市と学校設立で合意。92年9月に、延辺科学技術大学として開校した。米国の資産を処分し、妻と大学の教授宿舎で生活を始めた。現在、学生数約1800人の大学になり、就職率はほぼ100%。

遺書

 87年に初めて北朝鮮を訪問。それ以来、各地で食料支援などを行った。「政治的な目的でないと言うために、世界各地の神を信じる人々の愛の贈り物だと説明した。これが誤解を招いた」
 98年9月、「韓国の情報機関や米中央情報部(CIA)の支援を受け宗教で体制転覆を図っている」と北朝鮮当局に逮捕された。「拷問され、死刑だといわれた。しかし民族を愛してのことだ。体験していないと分からないだろうが、信仰があり、どんな苦痛を受けても幸福だと思った」
 「葬儀をするな、立派な仕事をして旅立つ。遺体は平壌医科大学に寄贈、臓器は移植に使ってほしい。米国政府も絶対に報復するな」と遺書を書いた。四十数日間拘束されたが、この遺書が功を奏し、釈放された。
 中国に戻っても北朝鮮批判を控えた。数年後、尋問した責任者がやってきて「過去を忘れ、祖国のために仕事をしてくれ」と訴えた。北朝鮮にも延辺科学技術大学のような大学をつくってくれという要請だ。設立する大学を外国人が関与する国際大学にし、法的に保証することを条件に要請を受け入れた。
 2001年5月、朝鮮教育省との間で大学設立の基本契約を締結。資金難など紆余(うよ)曲折を経て平壌科学技術大学は10年10月にようやく開校した。
 金鎮慶に人生で最も困難だったことは何かと尋ねると「答えようがない。私はいつも肯定的で、憎しみを抱かない。だから私には困難はない」と笑い飛ばした。

外国人教授が英語で授業

昨年開校の平壌科学技術大

 平壌科学技術大学は2010年10月、平壌市楽浪区域に開校。北朝鮮側が提供した100万平方メートルの敷地に大学の教室のほか学生寄宿舎、ゲストハウス、研究開発センターなども備えている。
 韓国の東北アジア教育文化協力財団と北朝鮮教育省が01年5月に大学設立の基本契約を交わし、韓国統一省も同6月承認した。資金難などを乗り越え、金鎮慶(キム・ジンギョン)総長の執念で約10年の歳月をかけて誕生した。
 米国、英国、カナダなど5カ国48人の外国人教授が教育に当たり、学生は授業だけでなく生活も英語を基本にしている。北朝鮮で唯一、外国人が教える大学だ。
 金日成総合大学をはじめ北朝鮮の大学などから選抜された約300人の学生が集まる大学院大学だ。金総長は「最初は、農生命食品工学部、情報通信工学部、産業経営学部というコースを設けたが、優秀な学生の希望に応えるために、これにこだわらず学生の希望に合わせた教育を行っている」と語った。
 学内にパン工場も備え、学生は食事の提供も受け、毎月決まった額の生活費も支給される。運営費だけで1年に約300万ドルは必要だ。
 金総長は「北朝鮮では今、大学生は、国の建設のために奉仕しているが、うちの大学だけは授業を続けている。3年から5年教育し、さらに欧州の大学に留学させたい。優秀な人材を育てることが朝鮮の未来を開く」と抱負を語った。(文 平井久志、文中敬称略)=2011年11月02日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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昨年10月に開校した平壌科学技術大学のキャンパスで、サッカーを楽しむ北朝鮮の学生たち(金鎮慶総長提供)

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