tacodayoのブログさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/6831539.html
<転載開始>
以下は
奇怪な三角関係 フッ素と歯,そして原爆
からの引用です。
(中略)
公共上水道をフッ素化するための科学は、極めて場当たり的で、よく言っても、見かけ倒しの安物にすぎない。このレポートを読めばわかるように、その科学の基盤のルーツは、合衆国の原爆計画を訴訟から擁護することにあったのである。
アメリカ人は、フッ素は歯をよくすると言われ続けてきて、世界のほかのどの国民より、フッ素化された飲料水を飲み続けてきた。
しかし、我々はここで、フッ素化水をお人好しの世間に売るために、科学に汚れた政治がいかに関与してきたを十分に知ることができた。我々はフッ素について3か月間も調査した。その結果は、本誌373号に、未曾有の長さのニューズ・レターとして掲載した。
我々は、フッ素は骨に蓄積する毒物であるのを知っている。その害作用をいくつかあげてみると、若い男性のガンや骨粗鬆症、IQの低下、高齢者の腰部骨折などに関連しているのである。
ジョージ・オーエルが生きていたなら、歯科や公衆衛生の官僚によるこの毒物の推進と、環境コミュニティがこの問題を避けて通ってきたということに目くるめきを覚えたかもしれない。
我々は、合衆国公衆衛生局によるフッ素化推進の汚らしい50年の歴史が、アメリカ歯科医師会と非常に多くの関係をもっていると考えている。
フッ素が人間の健康に脅威を与えるという数々の証拠を認めるよりも、彼らは、こうした事実を公言する科学者や歯科医師らに対してイヤガラセをするというような戦術をとることで、彼らの地歩を確保してきたのである。
(中略)
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/6831539.html
<転載開始>
以下は
奇怪な三角関係 フッ素と歯,そして原爆
からの引用です。
(中略)
公共上水道をフッ素化するための科学は、極めて場当たり的で、よく言っても、見かけ倒しの安物にすぎない。このレポートを読めばわかるように、その科学の基盤のルーツは、合衆国の原爆計画を訴訟から擁護することにあったのである。
アメリカ人は、フッ素は歯をよくすると言われ続けてきて、世界のほかのどの国民より、フッ素化された飲料水を飲み続けてきた。
しかし、我々はここで、フッ素化水をお人好しの世間に売るために、科学に汚れた政治がいかに関与してきたを十分に知ることができた。我々はフッ素について3か月間も調査した。その結果は、本誌373号に、未曾有の長さのニューズ・レターとして掲載した。
我々は、フッ素は骨に蓄積する毒物であるのを知っている。その害作用をいくつかあげてみると、若い男性のガンや骨粗鬆症、IQの低下、高齢者の腰部骨折などに関連しているのである。
ジョージ・オーエルが生きていたなら、歯科や公衆衛生の官僚によるこの毒物の推進と、環境コミュニティがこの問題を避けて通ってきたということに目くるめきを覚えたかもしれない。
我々は、合衆国公衆衛生局によるフッ素化推進の汚らしい50年の歴史が、アメリカ歯科医師会と非常に多くの関係をもっていると考えている。
フッ素が人間の健康に脅威を与えるという数々の証拠を認めるよりも、彼らは、こうした事実を公言する科学者や歯科医師らに対してイヤガラセをするというような戦術をとることで、彼らの地歩を確保してきたのである。
(中略)
■さらに内幕をあばいてみよう。
(中略)
原爆計画の科学者たちは、1945年~1956年にニューヨーク州ニューバーグ市で実施された合衆国のもっとも広範な水道フッ素化の人体研究の中で主導的な役割を果たした。その後、「F計画」という暗号で呼ばれている研究のなかで、彼らは州保健部の総力をあげた協力の下にニューバーグ市民の血液や組織を集めて分析した。
1948年に、F計画の科学者の手でアメリカ歯科医師会雑誌に発表された報告書の極秘の原文によると(その極秘版は我々が入手したものである)、
フッ素による健康傷害の数々の事実が、合衆国原子エネルギー諮問委員会という事実がよくわかる。(U.S.Atomic Energy Commission)の手で検閲されていた
この委員会こそ、冷戦下における最も強力な国家機関だったのであり、その理由は国家の安全のためなのであった。
原爆計画のフッ素の安全性研究はロチェスター大学で行われたのであるが、
そのロチェスター大学こそ、冷戦時代に、放射能人体実験をやった所として最も悪名が高いものの一つである。
その人体実験とは、何の関係もない入院患者に、中毒量の放射性プルトニウムを注射したというものである。
このフッ素研究もそれと同一の考え方で実施したものであり、「国家の安全」が至上命令なのであった。
(中略)
「情報は埋められてしまったのですよ」と、ボストンにあるフォーサイス・デンタル・センターの元首席毒物学者であり、現在フッ素化クリニックに勤めているフィリス・マレンニクス博士は結論した。
1990年代の初めにフォーサイスで行った博士らの動物実験では、フッ素は強力な中枢神経毒であり、たとえ少量であっても、フッ素は人間の脳機能に有害だと考えられた。
(現在では、中国の疫学研究で、子どもが少量のフッ素に曝露されるとIQの低下が起こるという関係性が示されており、この考えを支持している。)マレンニクス博士の研究は、ピア・レビューの完備した立派な科学雑誌に発表されている。(脚注1)(脚注2)
研究しているうちに、マレンニクス博士は、フッ素の人間の脳に対する作用の研究が、それ以前のアメリカではほとんどと言っていい程やられていないのを知ってびっくりした。その後、彼女は中枢神経研究に対する研究費の助成を申請したが、国立衛生研究所(National Institutes of Health)によって却下された。同研究所の評価委員らから、彼女はニベもなくこう言われたという。「フッ素には中枢神経作用なんてありはしませんよ。」
原爆計画の機密文書には、他にもこんなことが書かれている。1944年4月29日のマンハッタン計画のメモ。「臨床的所見からみると、6フッ化ウランにはかなり強い中枢神経的作用があるようである。成分としてF(フッ素)は、T(ウラン)よりも、よりその因子と成り易い。」
極秘のスタンプが押されたそのメモは、マンハッタン計画の医学部門の首席であるスタッフォード・ワレン大佐に提出された。ワレン大佐は、中枢神経に対する動物研究を許可するように要請された。
「これらの成分を扱う仕事が不可欠な以上、これらに曝露されるとどんな心理状態が起こるかは、前もって知っておくことが必要である。これは、特定の誰彼を保護するということばかりではなく、取り乱した作業員が仕事をいい加減にし、そのために他人を傷害する事になるのを予防するという点からも重要である。」
同日、ワレン大佐はその研究計画を承認した。当時は1944年であって第2次大戦が最も熾烈(しれつ)を極め、世界で最初に原爆を持とうとする国家間の競争が最高潮に達した時でもあった。そんな重大な局面にフッ素の中枢神経研究が承認されたのを考え合わせてみれば、メモに沿って提案書に述べられていた臨床的所見なるものは、よほど重大なものだったに違いない。しかし、その提案書は合衆国国立公文書記録のファイルにはないのである。
「メモが見つかったとしても、それが言及している文書はありません。おそらく、まだ秘密扱いとなっているのでしょう。」と、メモが見つかった公文書舘アトランタ支部の主任書士であるチャールス・リーブは述べている。同様に、マンハッタン計画中で実施されたフッ素の中枢神経に関する研究の結果もファイルにはない。
このメモを検討したマレニックス博士は「びっくりしたなんてものじゃありません」と言う。彼女はさらにこう言った。
「なぜ衛生研は私に、『フッ素には中枢神経に対する作用はない』などと言ったのでしょうか。こんな文書がありながらですよ」。
彼女は、中枢神経に対するフッ素研究はマッハッタン計画の中でやられたのに間違いないと言い、「原爆製造に従事するフッ素労働者の仕事がいい加減になって、それが原爆計画そのものに支障をきたすというこの警告が無視されたとは、とても考えられない。」ともいう。
しかし、この結果は極秘にされたのだ。恐らく、政府にとって国民との関係上、厄介な法律問題になると考えられたからなのであろう。
(中略)
-フッ素と国家の安全-
こうした一連の文書は、第2次世界大戦が最も熾烈を極めた1944年から始まっているが、
丁度この時期は、ニュージャージー州ディープウォターにあるE・I・デュポン・ド・ヌムール会社の化学工場の風下に深刻な公害事件が起こった時である。
その工場では、マンハッタン計画のために何百万ポンドというフッ素を製造していたのであるが、この事は世界で最初の原爆をつくり出すという競争の超極秘事項なのであった。
グローセスター郡とセーレム郡の風下にある農場は、その産物の質が極めてよいことで有名だった。桃はニューヨークのワルドルフ・アストリア・ホテルに直送され、トマトはキャンベル・スープによって買い占められていた程である。
しかし、1943年の夏あたりから作物は枯れ出し、農民たちの言葉によれば「このあたりの桃は何かで焼き尽くされてしまったようになった」のであった。彼らは、
雷雨が一晩中続いた後でアヒルが全滅したことがあったとも言っている。
ある農場の従業員は、その畑の産物を摘んで食べたため翌日まで一晩中嘔吐で苦しんだ。
「私は覚えていますが、馬は病気のようになり、硬直して動けなくなりました。」私たちに、その時期に十代であったミルドレッド・ジォルナード氏はこう語った。
牛はビッコになって立っていられなくなり、腹でイザって動いていたという。
この話は、フィラデルフィアのサドラー研究所のフィリップ・サドラーによって、彼が死去する直前に行った録音インタビューのテープで確かめられている。サドラー研究所というのは、アメリカで最も古い化学コンサルタント会社であり、サドラーは、この被害に関する初期の研究を個人的に指導していたのである。
農民たちは知らなかったのだが、私たちによって明かにされた機密解除文書によれば、マンハッタン計画と政府への配慮から、このニュージャージー事件はクギづけで封印されてしまったのである。
戦争が終了したあと、1946年3月1日づけのマンハッタン計画の秘密メモのなかで、フッ素毒性研究の主任であったH・C・ホッジは、彼の上司でありかつ医学部門の長であったスタッホード・L・ワォレン大佐にあてて困惑気味にこう書いている。
「ニュージャージーのある部門でのフッ素による環境汚染に関しては、明らかに4つの疑問がありました。」
ホッジは次のように述べている。
1.1944年の桃の被害に関する疑問。
2.この地域で栽培された野菜中の異常なフッ素濃度の報告。
3.この地域の住民の血中のフッ素濃度の異常な上昇。
4.この地域の馬や牛に重症な中毒があったとの疑いを起こさせる報告。
ニュージャージーの農民らは戦争が終わるのを待ち、デュポン社とマンハッタン計画をフッ素被害により告発した。これは合衆国の原爆計画に対する最初の提訴であったといわれている。
この訴訟はごくありふれた裁判のよう思われたが、実は政府を震撼(しんかん)させたものであったことを極秘文書は明らかにしている。
マンハッタン計画の長であったL・R・グルーブス大将の指示の下に、ワシントンで秘密会議が招集され、軍当局、マンハッタン計画当局、食品薬品局、農務省、法務省、合衆国化学戦当局、エッジウッド兵器厰、基準局、デュポン社の弁護士など、多数の科学者や官僚が強制的に出席させられた。
解禁されたこの会議の秘密メモを見ると、ニュージャージーの農民を裁判で負かすために、政府が極秘裡に全勢力を動員したことが明らかである。
(中略)
マンハッタン計画に従事していたクーパー・B・ローデス中佐がグルーブス将軍にあてたメモで言明している所によれば、「これらの各部門は、ニュージャージーの桃園のオーナーによる訴訟に対抗して、政府の利益を守るために法廷で使用される証拠を獲得するための科学的研究を行った」のである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
1945年8月27日
1:ニュージャージー州ローヤー・ペンス・ネックにおける農作物被害の件。
宛先:ワシントンDC、ペンタゴンビル、陸軍司令官殿。
陸軍大臣の要請により、農務省は、マンハッタン計画に関連するプラントの排煙に起因する農作物の被害の訴えを調査することに同意した。
署名 合衆国陸軍大将 L・R・グルーブス
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「司法省は、この訴訟から我々を防御することに協力している」と、グルーブス将軍は合衆国上院原子力委員会の委員長に提出した1946年2月28日のメモに記している。
なぜ、ニュージャージーの農民の提訴が、国家の安全上の緊急事態なのか?
1946年には、合衆国は原爆の製造に全勢力を傾注しはじめていたのだ。アメリカ以外の国はまだどこも核兵器の実験を行ったところはなく、原爆はアメリカにとって戦後の国際社会での主導権を確保するために極めて重要と考えられていたのである。ニュージャージーのフッ素訴訟は、この戦略に対する深刻な障害となったのである。
「際限(さいげん)のない訴訟の亡霊が軍を悩ませていたのである。」
と、ランシング・レイモントは、世間から喝采を浴びた『三位一体の日』という彼の本の中に書いている。彼はこの本で最初の原爆実験を描いている。
フッ素の場合に即していえば、
「もし、農民が勝訴するようなことがあれば、
さらに次々と訴訟が起こり、そうなれば、フッ素を使用する原爆計画そのものを妨げることになりかねなかったのでしょう。」と、ジャックリーン・キッテルは述べる。彼女はテネシー州の核問題に詳しい弁護士で(彼女は放射能の人体実験裁判で原告に名を連ねた)、解禁されたフッ素文書を調査した。
彼女はさらにこう言う。
「人体の傷害に関する報告は、PR問題だけでなく莫大な和解費用を要することになるという点からも、政府にとっては脅威となったでしょう」。
1946年のマンハッタン計画の極秘メモによれば、このことは勿論デュポン社にとっても「心理的な反動が起こりかねない」という事で非常な関心事となった。その地域の農産物の「フッ素濃度が異常に高い」という理由で食品薬品局から通商停止になりかねないという危機に直面して、デュポン社はワシントンの食品薬品局に直ちに弁護士を派遣した。その結果、そこで急遽、会議が開かれた。
その翌日にグルーブス将軍に宛てられたメモによれば、デュポン社の弁護士はそこで次のような熱弁を奮った。「係争中のことがらに関して、もし、食品薬品局が何らかの行動をとるような事があれば、それはデュポン社にとって深刻な影響を及ぼしましょうし、弊社と一般社会との関係も非常に悪化するのは間違いありません。」
会議が保留となった後で、マンハッタン計画の指揮官であったジョン・デービスは、食品薬品局の食品部門の主任であるホワイト博士と接触し、食品薬品局がとる処置によっては発生しかねない結果について、強い関心があることを表明した。
通商停止は起こらなかった。その代わり、ニュージャージィ地区におけるフッ素問題に関する新しい検査は、農務省ではなく、軍の化学戦当局が指揮をとることとなった。その理由は「化学戦当局の手によってなされる研究の方が、もし、原告による裁判が開始されれば、証拠としてより重要なものとなる」からであった。このメモにはグルーブス将軍のサインがしてある。
(中略)
-フッ素と冷戦-
フッ素の安全性に関する研究がロチェスター大学に委託されたのは、別に驚くべきことではない。第2次世界大戦の期間中、政府は初めて、政府系の研究所や私立大学での科学研究に対して、大規模な資金援助をするようになったのである。そしてその優先権は、軍の秘密の要請に多く与えられたのであった。
(中略)
ロチェスター大学医学部は、原爆計画の古参科学者にとってはまさに回転ドア同様であった。戦後の教授団には、マンハッタン計画の医学部門のトップであったスタッホード・ワォレンが参加しており、原爆計画のフッ素研究の主任であったH・C・ホッジもいた。
しかし、軍の機密と医科学の結婚は奇っ怪な子供を産み落とした。プログラムFという暗号で呼ばれたロチェスター大学の極秘フッ素研究は、原子力計画の指導の下で原子力委員会出資の秘密施設をストロング記念病院に備えていた。
冷戦下の最も悪名高い実験の一つである、無関係な入院患者への中毒量の放射性プルトニウムの注射を行ったのもまさにここであった。この実験を暴いたアイリーン・ウエルサムは、それでピューリッツアー賞を受賞した。
この事件は1995年に大統領調査にまで発展し、被害者への和解金は数百万ドルにも昇った。
プログラムFは子どもの歯について研究したのではなかった。まさしくそれは原爆計画に対する訴訟から発芽したものだ。
その主目的は、政府や核の請負人らが、人間に対する障害で告訴された裁判において相手をうち負かすため、有利な情報を提供するところにあった。プログラムFの指導者は他ならぬH・C・ホッジその人であった。
この人物はニュージャージーのフッ素汚染事件で、強く主張された人体への障害に関するマンハッタン計画中のフッ素研究を指導したことがあった。
プログラムFの目的は、1948年の極秘文書のなかで語られている。それは次のようなものだ。
「数年前に強く主張された果実の減産から巻き起こった訴訟に対して、被告(政府)が有利となるような証拠を供給すること。その問題の多くは既に公開されている。同地域の住民の血液中に過剰なフッ素があったことが報告されている以上、我々の主な努力は、血液中のフッ素と毒作用との関連性を記述することに注がれる」。
ここで言及されている訴訟と人体への障害に関する訴えというのは、もちろん、原爆計画とその請負人に対してのものであったことはいうまでもない。そうである以上、プログラムFの目的は、原爆計画への告訴に対して有利な反証を獲得するということになる。そのため、この研究は、被告によって指導されるということになったのである。
利害の核心がどこにあるかは明らかであった。
もし、障害を与えるフッ素の量の下限が発見されたなら、
(これはプログラムFの危険性ということに他ならない)、
それは原爆計画そのものを明らかにすることになり、
計画の請負人らは、人間の健康に対する傷害という罪で告発され、社会の抗議の対象となったであろう。
キッテル弁護士の感想。
「これらの文書は、ロチェスター大学のフッ素研究なるものは、そもそもニュージャージーの訴訟から端を発し、人間を傷害したという原爆計画への訴訟に参加することを以て終了したという事を物語っているのでしょう。被告の主導でその裁判を有利にするために企画された研究などというものが、科学的に今日でも受け入れられるものだとはとても考えられません。」
さらに、「その上、彼らには、化学物質は何でも安全だといいたがる骨がらみの偏見がありましてね。」とも言っている。不幸にも、フッ素が安全であるとする証明の多くは、このロチェスター大学のプログラムFの研究にもとづいているのである。
歯学部のスポークスマンであるウイリアム・H・ボーエン博士によれば、戦争が終了したあとの一時期、この大学は、「フッ素の安全性」と「フッ素はむし歯を減らすのに有効だ」という科学的事項の指導的なセンターとして姿を現してきた。
これらの研究のカギをにぎる人物は、ボーエン博士によれば、ハロルド・H・ホッジであった。ホッジは同時に、水道フッ素化の全国的な推進者となった。
プログラムFの水道フッ素化に対する関心は、ホッジが以前に書いたようなその地区の住民の恐怖心を打ち消すためという所などにあるのではなかった。
原爆計画がプルトニウムの人体実験を必要としていたように、
フッ素の人体実験が必要だったのであり、水道にフッ素を添加することは、そのための機会を一つの設けることだったのである。
-原爆計画と水道フッ素化-
アメリカで最初に計画されたニューヨーク州ニューバーグ市の水道フッ素化実験に際
して、原爆計画の科学者らは(これはよく知られていないことであるが)重要な役割を果たした。この実験では、フッ素の健康に対する影響についての広範囲な研究が行われ、少量のフッ素は子どもの骨に対して害がなく、歯にはよいものだという多くの証拠が供給されると考えられていた。
一方、一般社会との関係は未解決のまま残された。その地方の市民らはフッ素でパニックに陥っていた。農民の代表者であるウィラード・キレは、個人的にグルーブス将軍に招待されて食事を共にした。グルーブス将軍は、1946年3月26日当時の戦争局では「最初に原爆をつくった男」として知られていた。キレは主治医からフッ素中毒症と診断されていたが、政府の良識を信じて昼食に出かけた。その翌日、彼は将軍にあてて、彼以外の農民もそこに出席できていたならと希望を述べ、次のように書いた。「私以外の者もきっと、この特殊な事件に対する彼らの関心が、〔将軍のような〕誰もが納得する誠実さをもつ極めて地位の高い人によって保護されているという実感ももって立ち帰ったことでありましょう。」
それに続くマンハッタン計画の極秘メモには、一般社会との関係に関する問題解決策が、フッ素毒性研究の主任研究員であったH・C・ホッジによって示唆されている。彼はワレン大佐に次のように書いている。「セーレム地区やグローセスター郡の住民が抱いているフッ素に対する恐怖感をやわらげるために、フッ素について、ひょっとしたらフッ素は歯の健康にはいいものだという趣旨の講演を企画してみたら如何かと思いますが。」
勿論こんな講演はニュージャージー州ばかりでなく、冷戦時代のアメリカでは至るところで行われたのであった。
ニュージャージーの農民の訴訟は、結局は、裁判を和解に導いたかもしれない決定的な情報、つまり、戦争中にデュポン社がどれほどのフッ素を環境中に放出していたかを明らかにする事を政府が拒否したため、困難な立場に追い込まれた。
マンハッタン計画のC・A・タニー二世少将は「この情報開示は合衆国の軍事上の安全に対して有害である」と書いている。
この農民の子孫はまだこの地区に住んでいるが、この人たちに行ったインタビューによれば、農民らは経済的な補償で和解するように懐柔されたという。
「私たちが知っていることの全ては、とにかくデュポン社がこの周辺の桃の木を枯れつくさせるような何らかの化学物質を排出したという事だけなのです」
と、アンジェロ・ジオルダーノは当時を振り返って言う。彼の父のジェームスは、最初の原告の一人であった。
「それ以後、桃の木はとにかくダメになりまして、我々は桃を諦めるより仕様がなかったのでした。」
彼の妹さんのミルドレッドも、当時を思い出しながら
「馬も牛も体が硬直して、うまく動けないようでしたわ」といった。「それもこれもフッ素のせいだったのかしらね」。(獣医学の毒物の専門家に聞くと、彼女が私にくわしく話した家畜の症状は、フッ素中毒の主な兆候だということである。)
ジオルダーノ家の人たちも、骨や関節の病気で悩まされた、
とミルドレッドは言葉を足した。ジオルダーノ一族が受け取った和解金について、アンジェロは思い出しながら私たちにこう語っている。「父が言っていましたっけ。受け取った金は200ドルだったってね。」
農民たちが情報を求めようとしても、ことごとく妨害された。それ以後、彼らの訴えは長い間忘れられていたのである。しかし、知らない間に彼らは足跡を歴史に刻んでいたのであった。
すなわち、彼らの健康が障害されたという訴えは、ワシントンの権力の回廊を通じて広がってゆき、原爆計画の中で行われたフッ素の健康への影響に関する徹底的な極秘研究の引き金を引いたのである。
マンハッタン計画の副官であったローデス大佐がグルーブス将軍に宛てた1945年の極秘メモにはこう書いてある。
「動物や人間が〔ニュージャージー〕地方でフッ化水素の排煙で障害を受けたという訴えがある以上、これに関する訴訟が現在は差し迫ってはいないといえ、ロチェスター大学はフッ素の毒作用を決定する実験を指導すべきであります。」
少量のフッ素は安全だとする証明の多くは、原爆計画が人間に障害を与えたという訴訟の対策としてロチェスター大学で行われた戦後の研究によっているのである。
(以下略。全文を必ず参照のこと)
-訳者あとがき-
村上 徹
本編は、アメリカの環境系の雑誌ザ・ウェイスト・ノット♯414 号( 1997年9 月) に掲載されたFLUORIDE,TEETH AND ATOMIC BOMBの完訳である。
ウェイスト・ノット誌はほぼ8 年前より定期的に刊行されている環境問題の専門誌で、ニューズ・レターの形式で年間48回出版されており、海外からも講読することができる。同誌が現在力を注いでいる問題は、日本でも深刻になりつつあるゴミの焼却で排出されるダイオキシンの問題であるが、フッ素にも関心を寄せるようになってきていることは冒頭の「掲載までのいきさつ」で明らかであろう。
(中略)
また、雑誌には掲載されていないが、原文には155頁に及ぶ膨大な証拠書類が添付されており、ウェイスト・ノット誌に発注すれば20ドルで入手が可能である。この記事が、わが国のジャーナリズムでよく見かけるフィクション混じりの煽情ルポなどと全く類を異にするものであるのはこれでも明らかである。アメリカのジャーナリストの良心を見る思いがする。
★ ★ ★
本編は、単にアメリカばかりではなく、世界中の関係者に強い衝撃を与えずにはおかないだろう。
フッ素論争の歴史的文献をじっくり検討してみると、日本人にはどうしても納得できない事項が幾つか浮かびあがってくる。そのうちの一つは、
むし歯の予防などという保健上あまり緊急ではない施策が、
国際政治が急迫した第2次世界大戦の直前の時代に、なぜ、アメリカで、あれほどまでの国家の肩入れの下に「水道フッ素化」となって実施されたのかということである。
そしてもう一つは、戦後の冷戦の時代に、
なぜアメリカ政府は、WHO(世界保健機構)やアメリカ歯科医師会を操って、あれほどまでの知的暴虐や人権侵害を行ってまでということである。
フッ素の批判者には周知のことであるが、
アメリカの医学や歯学の世界で
フッ素反対者に投げつけられる悪罵,中傷、言論弾圧、様々なイヤガラセは、自由を標榜するアメリカで、しかも、「むし歯予防」の一手法などをめぐって、何故こんな陰険な仕打ちが行なわれるのか、どう考えても理解できない{1} 。
しかし、これは、フッ素がアメリカ軍部の虎の尻尾であると分かってみれば理解できよう。
しかし、奇怪なのは、程度の差こそあれ、わが国の推進者がこのやり口をそっくり真似していることである。
フッ素批判者として活躍している成田憲一歯科医師の上に、新潟大学堀井欣一教授(当時)が昭和63年と平成2年の二度にわたって公然と加えた人権侵害事件については、成田先生自身が新潟県弁護士会に人権侵害救済の申立てを行い、その結果の同教授に対する「警告書」の写しとともに、彼自身が直接事実を公開{2}しておられるので改めては言及しないが、いやしくも国立大学教授が、研究発表をめぐって村営診療所の勤務医にあからさまな人権侵害を加えるなどということは、科学の他の分野では決してあり得ぬことであろう。
また、かつて、フッ素推進者に気鋭な論評を加えてきた高橋晄正氏や柳沢文徳教授(東京医科歯科大・当時)などが、日本におけるフッ素反対者として、日本歯科医師会の調査をつうじてFDI(国際歯科連盟)に氏名を通知されたという事実もあった。アメリカ政府の関係部局は、フッ素批判者に対して、公然とブラックリストすら作成しているのである{3}。
また、私は平成7年2月に、沖縄県教組の要請に応じて、那覇市と石垣市でフッ素批判の講演を行ったが、これに対して、全県的なフッ素洗口運動を企図している沖縄県と新潟県歯科医師会は、当時群馬県歯科医師会副会長の職にあった私に臆面もなく抗議文めいた公文書を送りつけ、同時に私の上司であった群馬県歯科医師会会長に対して、暗に、部下である副会長にフッ素反対の講演をさせるなと言わんばかりの文書までよこした。
いうまでもなく私の地元の群馬県歯科医師会では、歯科医師としての思想信条は一切自由であって、ここには会は立ち入らない。当前である。
そして、歯科医師の集団である歯科医師会の内部に、一つの学説をめぐって賛否の意見があれば、その意見はできるだけ公開して患者側の判断材料とするということになっている。のが妥当これも当り前だ。
そのため、私は県内外のどこでも要請があれば、フッ素の危険性について講演をする。その依頼者には、市民の組織もあれば、公的な教育委員会も混じっている。講演者の肩書が会の役員であろうが、平会員であろうが、そんなことも少しも関係がない。使用する薬物の毒性に目をつむって、いい事ずくめの宣伝を行うのは歯科医師の倫理の上からも許されることではないのだ。
まだある。朝日新聞社編集委員の長倉 功記者は、長年フッ素問題の取材をしておられるわが国では数少ないジャーナリストであるが、世評の高かった彼の連載記事「現代養生訓」に、フッ素には反対意見があると書き、その内容を少し詳しく解説したためか推進派の怒りを買い、抗議文やカミソリの刃まで送りつけられたという。彼はその記事を本{4}にする際に、かなりの分量のコメントを書き加え、「フッ素神話を疑う」と題してこの経緯を述べている。
長倉氏をなだめるわけではないが、日本だから氏はカミソリの刃程度で済んでいるので、アメリカだったら、おそらくクビがとぶ騒ぎになったかもしれない。
フッ素の歴史には、そんな受難劇の被災者が累々(るいるい)と横たわっている。
そして、その原因がどこにあったのかを、この原文が世界で初めて明快にえぐり出したのである。
むし歯予防に使用されるフッ素の安全性が、「原爆」製造のマンハッタン計画を裁判から守るために案出されたなどと、一体、誰に想像できただろう。
まさに、事実は小説よりも怪奇である。そして、フッ素に関しては、世界的権威者で通っているホッジやディーンが、深くその極秘計画に関与していたことなど、著者らが丹念に収集した証拠書類がなければ、おそらく誰一人信用しないに違いない。
1988年に、アメリカ最大の学術団体であるアメリカ化学学会の機関誌「ケミカル・アンド・エンジニヤリング・ニュース」は、特集としてフッ素問題に関する長大な特報論文{5}を掲載し、「フッ素の安全性など確立されているどころか、40年以上放ったらかしにされたままだ」と厳しくアメリカ政府を論難するとともに、フッ素にまつわる様々な暗黒面を容赦なく抉り出した。
この記事は、アメリカの理系の知識人に衝撃を与えるとともにマスコミをも動かし、幾つもの全国紙が「フッ素は悪質な科学を育てた」(クリスチャン・サイエンス・モニター紙)というような記事を掲げた。フッ素の問題を歯科という狭い世界に閉じ込めておかぬために、私は出来る限り忠実に、これらの動きをわが国に伝えてきた。
しかし、本稿を読めば、フッ素の安全性などは「放ったらかしにされた」どころか初めから意図的に捏造されたものであり、政府各機関も総力をあげてこれに加担してきたことが明らかである。
その目的は、原爆という最高の国家機密をあくまで護持するためであった。
当時アメリカにおいてフッ素中毒に関する最高の治療者であったウォルドボット博士の幾多の臨床的データを、保健行政当局らがやっきになって否定し、手先をつとめるアメリカ歯科医師会に機関誌で人格攻撃まで行わせて博士を封殺しようとした理由はまさにここにあったのであろう。
この壮大なドキュメントの前には、一介の歯科医師にすぎぬ私は、ただ言葉を失うだけである。政治と科学、官僚と科学などについて、この記事から派生してくる深刻な事象はおそらく山のようにあるはずであるが、今、私がそんな事についてあれこれ口走ってみても、確かな意味などとても出てくるまい、そんな気がしてならない。
フッ素問題に人生をかけて行政と対決しているジョン・イアムイアニス博士は、この点に関して「科学は死滅した」{6}と断言し、故ジョージ・ウォルドボット博士は、フッ素に関する行政を「汚辱にまみれた歴史」{7}と痛憤した。前記アメリカ化学学会の論文は、数ある環境汚染物質のうちフッ素だけが何故か政府によって特別扱いにされている実態を指摘したが、今にして思えばじつに慧眼(けいがん)といわざるを得ない。
フッ素の安全性を世界中に力説してまわったホッジもディーンも、所詮は国家権力に奉仕して自己保存を計る官僚であり、人間に奉仕する科学者などではなかったのだ。科学的真実など、政治の前ではどうにでも曲げてみせる人間にすぎなかったのである。如何に精密な論文の体裁を装っていようと、彼らの業績など、今日の科学としては一文の価値もないものだ。そう考えておく方がよい。
私はしきりにそんな事を思っている。
■訳者による脚注
1 この中国の疫学研究とは、次の文献を指すものと思われる。
Li,XS.,Zhi,J.L.,Gao,R.O.: Effect of Fluoride Exposure on Intelligence of Children, Fluoride 28,4;189-192, 1995.
2 この研究結果と科学雑誌とは、次の文献を指すものと思われる。
Mullenix,P.J.,Denbesten,P.K.,Schunior,A.,Kernan,W.:Neurotoxicity of Sodium Fluoride in Rat, Neurotoxicology and Teratology 17,2;169-177,1995.
3 ここで何故フッ素が原爆の製造と関係するのか、簡単に解説する。
鉱石として採掘される天然ウランは殆どがU238であるが、0.7%の割合で同位体のU235が存在する。原爆に必要な核分裂に利用できるのはこのU235だけである。従って、多量のU235を取り出すためには、この0.7%の割合を化学的操作で増加させる、つまり濃縮する必要がある。このために考案されたのが、ウランをフッ化水素と化合させて気体の6フッ化ウラン〔暗号名ヘクス〕にし、比重の差を利用してU235をU238と分離する方法である。この方法はニールス・ボーアでさえ「合衆国を一つの巨大な工場にしてしまわないかぎり無理だ」と思っていたというが、原爆の製造に関与した多くの天才的頭脳がこれを可能にした。
ちなみに、ヒロシマに投下された原爆の純U235の総量は64kgであった(リチャード・ローズ、原子爆弾の誕生・上・紀伊國屋書店・1995年と、同著者(Richard Rhodes)DARK SUN The making of the hydrogen bomb, TOUCHSTONE, 1996を参照) 。
ここで著者が述べているのは、マンハッタン計画のために化学会社のデュポンがウラン濃縮に必要な何百万ポンドのもフッ化水素の製造を請負、それが漏洩して作業員や工場の周辺に深刻な公害を引き起こしたという、このフッ化水素の製造にまつわる秘話なのである。
さて、U235を分離した残りカスのU238は、当面何の利用価値もないまま廃棄物としておびただししい量が放置されていたが、固くて重い性質に着目され、最近になって無料で企業に払い下げられ、金属に精錬されて砲弾や戦車の装甲に使用されるようになった。これが劣化ウランである。
劣化ウラン弾はイラクとの湾岸戦争で始めて大量に使用され、目を見張るような戦果をあげたのは日本でもよく知られていよう。
厄介なことにこの劣化ウランには、余り強くはないものの放射能があり、その半減期は何と45億年である。
現在、湾岸戦争の被災者や当事国の兵士に「ガルフ・ウォー・シンドローム」という深刻な健康傷害が起こりつつあるのは、この時の爆弾や砲弾の爆発から超微粒子となって飛び散った劣化ウランを摂取したためであるが、何しろ大量に使用され、しかも半減期が45億年なので、全地球がやがてこれに汚染されるのは目に見えている。
湾岸戦争がもう一つの核戦争と言われ、アメリカの知識人らが問題にしつつある所以であるが、わが国でこの実体が殆ど知られていないのはフッ素問題と同様であろう。
(以下略)
以上引用終わり。
アメリカの軍産複合体は自国の大統領を暗殺するだけでなく、科学の真理さえもねじ曲げてしまうのです。
その行き着く先の一つが欧米ポチによる今回の福島原発事故です。
シリア攻撃です。
以下は
「フッ素」
からの引用です。
▼フッ素毒警告
1909 メロン財閥はアルコアを設立しアルミニウム業界を支配。当時アルコアは毎年16,500㌧のアルミニウムを製造するようになり、大気汚染物質であるフッ化水素を毎年132㌧も放出した。
1909 ペンシルバニアの州法は、食品や水にフッ素化合物が含まれることを禁止した。
1916 全米学術会議(NAS)の下部組織として、全米研究協議会(NRC)が非政府的な機関として組織された。政府機関は、NRCから出される勧奨を採用することで公認の責任を肩代わりさせるようになった。産業を左右するような決定はこのようにして操作され、産業にとって極めて有利になっていったのである。
1922 アルミニウムの調理器具がアメリカに導入された。アルミの生産は、有害な副産物であるフッ化ナトリウムとともに急増した。
1925 アンドリュー・メロンが合衆国財務長官に就任した。公衆衛生局は財務省の直轄下にあった。
(慈善家の皮を被った爬虫類人アンドリュー・メロン)
メロンは、有毒のフッ素廃棄物を排出する点で第一であるアルコアの大株主であった。1920年代には、海外やわが国の農務省、鉱山局などで、フッ素公害に対する関心が高まりつつあったが、公衆衛生局だけは別である。20年代の10年間の公衆衛生局の公文書でフッ素に言及しているものは何一つない。さらにこの年に、アンドリュー・メロンとリチャード・メロン(アルコアの前オーナー)によって「メロン研究所」が設立された。
1930 世界で最初の大規模なフッ素汚染による惨事がベルギーのミューズ・バレーで起こった。 この事件で60人が死亡し、6千人が重症の被害にあった。死んだ牛の数も数え切れなかった。
1933 農務省の首席毒物学者ディエズ博士が、慢性フッ素中毒に関する60頁の総説を発表した。「フッ素の毒性の深刻な様態が、それも慢性中毒に関してのそれが認識されてきたのはごく最近であり、この10年以内のことである。」彼はアルミニウムプラントの近くの植物や家畜の中毒について議論し、また、過燐酸肥料工場が空中に排出するフッ素は、毎年2万5千㌧に昇り、さらに9万㌧が表土に捨てられていると述べている。
1938 ディーンと公衆衛生局は「ゲールスバーグ・クィンシー」研究を行ったが、この2つの研究のうちの、1つがフッ素化の基礎となった。(もう1つは、1939年から1940年にかけて行われた21都市研究である) 。そしてこの2研究がもととなって「フッ素-虫歯仮説」が生まれ、ミシガン州グランドラピッズ市、ニューヨーク州ニューバーグ市、オンタリオ州ブラントフォード市で実験にかけられることになったのである。これらの研究は、後に政府と無関係な統計学の専門家により、統計学的に誤ったものであり、その他にも重大な問題があって全く無価値であることがわかっている。
▼ http://members.jcom.home.ne.jp/tomura/murakami/page3.2.htm
1939 フッ素の産業廃棄物を投棄する1つの手段として、水道フッ素化という考えが生まれた。 この手段を用れば投棄の費用が利益に変わるのである。
1939.9.29 メロン研究所の科学者コックスが、フッ素化推進における彼の大きな役割を開始した。
「食物や飲料水からフッ素を除去しようとする最近の傾向は、逆転が必要なのかもしれない。」
注:科学者コックスは1939年に次のように述べている。「フッ素は最も毒性が強い物質の一つである。斑状歯は飲料水中にある0.001%というごく少量のフッ素で起こる。水道をフッ素化する前には、使用に供するどの水も検査しなければならない。」この発言にもかかわらず、アルコアはコックスが彼の研究室でラットにフッ素化飲料水を与える実験のスポンサーとなった。じつに奇妙なことに彼はその研究で、「フッ素はむし歯を減少させる」と結論しているのだ。
1942 イギリスの医学雑誌ランセットが、589人のロンドンの子供のうち28%に斑状歯が見られると報告した。明らかにフッ化水素が原因であったのである。この場合は燃料にフッ化水素の主な排出源である石炭が使用されたためであるのは明らかであった。
1943 ニューヨーク州ニーバーグ市でフッ素化プロジェクトが開始された。合衆国で最初のこの実験では原爆製造計画の科学者が極めて重要な役割を演じたが、このことは一切おおやけにはされなかった。原爆を製造するためにフッ素は最重要の物質であった。核兵器の製造に欠かせないレベルのウランやプルトニウムを作るためには、何百万ポンドものフッ素が必要だったのだ。
今日の情報公開法の下で公表されたこの時のメモには、原爆製造計画から派遣された科学者が密かにニューバーグ市のフッ素化実験の指導をしたことが示されている。このメモは明らかに、合衆国政府の利害の矛盾と、フッ素の安全性を証明しようとする動機とを示している。
1944 オスカー・ユーイングがアルコアの職員名簿に、弁護士として搭載された。俸給の年額は75万㌦である。
1945 合衆国原子力委員会(AEC)によって「F計画」が実行された。これは合衆国におけるフッ素の健康への影響に関する研究では最大規模のものであった。フッ素は原爆の製造には不可欠の化学成分である。この研究のなかで、人間にとって最も有害な物質の一つであるフッ素には、中枢神経に対して強い為害性があることが分かった。しかし、それに関する情報の大部分は国家の安全という名目の下に「秘密」にされたままである。これによる訴訟が原爆製造の全貌を明らかにするかもしれないという恐怖感からである。
ウォルドボット博士らの臨床データを抹殺しようとしたのか
(中略)
原爆計画の科学者たちは、1945年~1956年にニューヨーク州ニューバーグ市で実施された合衆国のもっとも広範な水道フッ素化の人体研究の中で主導的な役割を果たした。その後、「F計画」という暗号で呼ばれている研究のなかで、彼らは州保健部の総力をあげた協力の下にニューバーグ市民の血液や組織を集めて分析した。
1948年に、F計画の科学者の手でアメリカ歯科医師会雑誌に発表された報告書の極秘の原文によると(その極秘版は我々が入手したものである)、
フッ素による健康傷害の数々の事実が、合衆国原子エネルギー諮問委員会という事実がよくわかる。(U.S.Atomic Energy Commission)の手で検閲されていた
この委員会こそ、冷戦下における最も強力な国家機関だったのであり、その理由は国家の安全のためなのであった。
原爆計画のフッ素の安全性研究はロチェスター大学で行われたのであるが、
そのロチェスター大学こそ、冷戦時代に、放射能人体実験をやった所として最も悪名が高いものの一つである。
その人体実験とは、何の関係もない入院患者に、中毒量の放射性プルトニウムを注射したというものである。
このフッ素研究もそれと同一の考え方で実施したものであり、「国家の安全」が至上命令なのであった。
(中略)
「情報は埋められてしまったのですよ」と、ボストンにあるフォーサイス・デンタル・センターの元首席毒物学者であり、現在フッ素化クリニックに勤めているフィリス・マレンニクス博士は結論した。
1990年代の初めにフォーサイスで行った博士らの動物実験では、フッ素は強力な中枢神経毒であり、たとえ少量であっても、フッ素は人間の脳機能に有害だと考えられた。
(現在では、中国の疫学研究で、子どもが少量のフッ素に曝露されるとIQの低下が起こるという関係性が示されており、この考えを支持している。)マレンニクス博士の研究は、ピア・レビューの完備した立派な科学雑誌に発表されている。(脚注1)(脚注2)
研究しているうちに、マレンニクス博士は、フッ素の人間の脳に対する作用の研究が、それ以前のアメリカではほとんどと言っていい程やられていないのを知ってびっくりした。その後、彼女は中枢神経研究に対する研究費の助成を申請したが、国立衛生研究所(National Institutes of Health)によって却下された。同研究所の評価委員らから、彼女はニベもなくこう言われたという。「フッ素には中枢神経作用なんてありはしませんよ。」
原爆計画の機密文書には、他にもこんなことが書かれている。1944年4月29日のマンハッタン計画のメモ。「臨床的所見からみると、6フッ化ウランにはかなり強い中枢神経的作用があるようである。成分としてF(フッ素)は、T(ウラン)よりも、よりその因子と成り易い。」
極秘のスタンプが押されたそのメモは、マンハッタン計画の医学部門の首席であるスタッフォード・ワレン大佐に提出された。ワレン大佐は、中枢神経に対する動物研究を許可するように要請された。
「これらの成分を扱う仕事が不可欠な以上、これらに曝露されるとどんな心理状態が起こるかは、前もって知っておくことが必要である。これは、特定の誰彼を保護するということばかりではなく、取り乱した作業員が仕事をいい加減にし、そのために他人を傷害する事になるのを予防するという点からも重要である。」
同日、ワレン大佐はその研究計画を承認した。当時は1944年であって第2次大戦が最も熾烈(しれつ)を極め、世界で最初に原爆を持とうとする国家間の競争が最高潮に達した時でもあった。そんな重大な局面にフッ素の中枢神経研究が承認されたのを考え合わせてみれば、メモに沿って提案書に述べられていた臨床的所見なるものは、よほど重大なものだったに違いない。しかし、その提案書は合衆国国立公文書記録のファイルにはないのである。
「メモが見つかったとしても、それが言及している文書はありません。おそらく、まだ秘密扱いとなっているのでしょう。」と、メモが見つかった公文書舘アトランタ支部の主任書士であるチャールス・リーブは述べている。同様に、マンハッタン計画中で実施されたフッ素の中枢神経に関する研究の結果もファイルにはない。
このメモを検討したマレニックス博士は「びっくりしたなんてものじゃありません」と言う。彼女はさらにこう言った。
「なぜ衛生研は私に、『フッ素には中枢神経に対する作用はない』などと言ったのでしょうか。こんな文書がありながらですよ」。
彼女は、中枢神経に対するフッ素研究はマッハッタン計画の中でやられたのに間違いないと言い、「原爆製造に従事するフッ素労働者の仕事がいい加減になって、それが原爆計画そのものに支障をきたすというこの警告が無視されたとは、とても考えられない。」ともいう。
しかし、この結果は極秘にされたのだ。恐らく、政府にとって国民との関係上、厄介な法律問題になると考えられたからなのであろう。
(中略)
-フッ素と国家の安全-
こうした一連の文書は、第2次世界大戦が最も熾烈を極めた1944年から始まっているが、
丁度この時期は、ニュージャージー州ディープウォターにあるE・I・デュポン・ド・ヌムール会社の化学工場の風下に深刻な公害事件が起こった時である。
その工場では、マンハッタン計画のために何百万ポンドというフッ素を製造していたのであるが、この事は世界で最初の原爆をつくり出すという競争の超極秘事項なのであった。
グローセスター郡とセーレム郡の風下にある農場は、その産物の質が極めてよいことで有名だった。桃はニューヨークのワルドルフ・アストリア・ホテルに直送され、トマトはキャンベル・スープによって買い占められていた程である。
しかし、1943年の夏あたりから作物は枯れ出し、農民たちの言葉によれば「このあたりの桃は何かで焼き尽くされてしまったようになった」のであった。彼らは、
雷雨が一晩中続いた後でアヒルが全滅したことがあったとも言っている。
ある農場の従業員は、その畑の産物を摘んで食べたため翌日まで一晩中嘔吐で苦しんだ。
「私は覚えていますが、馬は病気のようになり、硬直して動けなくなりました。」私たちに、その時期に十代であったミルドレッド・ジォルナード氏はこう語った。
牛はビッコになって立っていられなくなり、腹でイザって動いていたという。
この話は、フィラデルフィアのサドラー研究所のフィリップ・サドラーによって、彼が死去する直前に行った録音インタビューのテープで確かめられている。サドラー研究所というのは、アメリカで最も古い化学コンサルタント会社であり、サドラーは、この被害に関する初期の研究を個人的に指導していたのである。
農民たちは知らなかったのだが、私たちによって明かにされた機密解除文書によれば、マンハッタン計画と政府への配慮から、このニュージャージー事件はクギづけで封印されてしまったのである。
戦争が終了したあと、1946年3月1日づけのマンハッタン計画の秘密メモのなかで、フッ素毒性研究の主任であったH・C・ホッジは、彼の上司でありかつ医学部門の長であったスタッホード・L・ワォレン大佐にあてて困惑気味にこう書いている。
「ニュージャージーのある部門でのフッ素による環境汚染に関しては、明らかに4つの疑問がありました。」
ホッジは次のように述べている。
1.1944年の桃の被害に関する疑問。
2.この地域で栽培された野菜中の異常なフッ素濃度の報告。
3.この地域の住民の血中のフッ素濃度の異常な上昇。
4.この地域の馬や牛に重症な中毒があったとの疑いを起こさせる報告。
ニュージャージーの農民らは戦争が終わるのを待ち、デュポン社とマンハッタン計画をフッ素被害により告発した。これは合衆国の原爆計画に対する最初の提訴であったといわれている。
この訴訟はごくありふれた裁判のよう思われたが、実は政府を震撼(しんかん)させたものであったことを極秘文書は明らかにしている。
マンハッタン計画の長であったL・R・グルーブス大将の指示の下に、ワシントンで秘密会議が招集され、軍当局、マンハッタン計画当局、食品薬品局、農務省、法務省、合衆国化学戦当局、エッジウッド兵器厰、基準局、デュポン社の弁護士など、多数の科学者や官僚が強制的に出席させられた。
解禁されたこの会議の秘密メモを見ると、ニュージャージーの農民を裁判で負かすために、政府が極秘裡に全勢力を動員したことが明らかである。
(中略)
マンハッタン計画に従事していたクーパー・B・ローデス中佐がグルーブス将軍にあてたメモで言明している所によれば、「これらの各部門は、ニュージャージーの桃園のオーナーによる訴訟に対抗して、政府の利益を守るために法廷で使用される証拠を獲得するための科学的研究を行った」のである。
1945年8月27日
1:ニュージャージー州ローヤー・ペンス・ネックにおける農作物被害の件。
宛先:ワシントンDC、ペンタゴンビル、陸軍司令官殿。
陸軍大臣の要請により、農務省は、マンハッタン計画に関連するプラントの排煙に起因する農作物の被害の訴えを調査することに同意した。
署名 合衆国陸軍大将 L・R・グルーブス
「司法省は、この訴訟から我々を防御することに協力している」と、グルーブス将軍は合衆国上院原子力委員会の委員長に提出した1946年2月28日のメモに記している。
なぜ、ニュージャージーの農民の提訴が、国家の安全上の緊急事態なのか?
1946年には、合衆国は原爆の製造に全勢力を傾注しはじめていたのだ。アメリカ以外の国はまだどこも核兵器の実験を行ったところはなく、原爆はアメリカにとって戦後の国際社会での主導権を確保するために極めて重要と考えられていたのである。ニュージャージーのフッ素訴訟は、この戦略に対する深刻な障害となったのである。
「際限(さいげん)のない訴訟の亡霊が軍を悩ませていたのである。」
と、ランシング・レイモントは、世間から喝采を浴びた『三位一体の日』という彼の本の中に書いている。彼はこの本で最初の原爆実験を描いている。
フッ素の場合に即していえば、
「もし、農民が勝訴するようなことがあれば、
さらに次々と訴訟が起こり、そうなれば、フッ素を使用する原爆計画そのものを妨げることになりかねなかったのでしょう。」と、ジャックリーン・キッテルは述べる。彼女はテネシー州の核問題に詳しい弁護士で(彼女は放射能の人体実験裁判で原告に名を連ねた)、解禁されたフッ素文書を調査した。
彼女はさらにこう言う。
「人体の傷害に関する報告は、PR問題だけでなく莫大な和解費用を要することになるという点からも、政府にとっては脅威となったでしょう」。
1946年のマンハッタン計画の極秘メモによれば、このことは勿論デュポン社にとっても「心理的な反動が起こりかねない」という事で非常な関心事となった。その地域の農産物の「フッ素濃度が異常に高い」という理由で食品薬品局から通商停止になりかねないという危機に直面して、デュポン社はワシントンの食品薬品局に直ちに弁護士を派遣した。その結果、そこで急遽、会議が開かれた。
その翌日にグルーブス将軍に宛てられたメモによれば、デュポン社の弁護士はそこで次のような熱弁を奮った。「係争中のことがらに関して、もし、食品薬品局が何らかの行動をとるような事があれば、それはデュポン社にとって深刻な影響を及ぼしましょうし、弊社と一般社会との関係も非常に悪化するのは間違いありません。」
会議が保留となった後で、マンハッタン計画の指揮官であったジョン・デービスは、食品薬品局の食品部門の主任であるホワイト博士と接触し、食品薬品局がとる処置によっては発生しかねない結果について、強い関心があることを表明した。
通商停止は起こらなかった。その代わり、ニュージャージィ地区におけるフッ素問題に関する新しい検査は、農務省ではなく、軍の化学戦当局が指揮をとることとなった。その理由は「化学戦当局の手によってなされる研究の方が、もし、原告による裁判が開始されれば、証拠としてより重要なものとなる」からであった。このメモにはグルーブス将軍のサインがしてある。
(中略)
-フッ素と冷戦-
フッ素の安全性に関する研究がロチェスター大学に委託されたのは、別に驚くべきことではない。第2次世界大戦の期間中、政府は初めて、政府系の研究所や私立大学での科学研究に対して、大規模な資金援助をするようになったのである。そしてその優先権は、軍の秘密の要請に多く与えられたのであった。
(中略)
ロチェスター大学医学部は、原爆計画の古参科学者にとってはまさに回転ドア同様であった。戦後の教授団には、マンハッタン計画の医学部門のトップであったスタッホード・ワォレンが参加しており、原爆計画のフッ素研究の主任であったH・C・ホッジもいた。
しかし、軍の機密と医科学の結婚は奇っ怪な子供を産み落とした。プログラムFという暗号で呼ばれたロチェスター大学の極秘フッ素研究は、原子力計画の指導の下で原子力委員会出資の秘密施設をストロング記念病院に備えていた。
冷戦下の最も悪名高い実験の一つである、無関係な入院患者への中毒量の放射性プルトニウムの注射を行ったのもまさにここであった。この実験を暴いたアイリーン・ウエルサムは、それでピューリッツアー賞を受賞した。
この事件は1995年に大統領調査にまで発展し、被害者への和解金は数百万ドルにも昇った。
プログラムFは子どもの歯について研究したのではなかった。まさしくそれは原爆計画に対する訴訟から発芽したものだ。
その主目的は、政府や核の請負人らが、人間に対する障害で告訴された裁判において相手をうち負かすため、有利な情報を提供するところにあった。プログラムFの指導者は他ならぬH・C・ホッジその人であった。
この人物はニュージャージーのフッ素汚染事件で、強く主張された人体への障害に関するマンハッタン計画中のフッ素研究を指導したことがあった。
プログラムFの目的は、1948年の極秘文書のなかで語られている。それは次のようなものだ。
「数年前に強く主張された果実の減産から巻き起こった訴訟に対して、被告(政府)が有利となるような証拠を供給すること。その問題の多くは既に公開されている。同地域の住民の血液中に過剰なフッ素があったことが報告されている以上、我々の主な努力は、血液中のフッ素と毒作用との関連性を記述することに注がれる」。
ここで言及されている訴訟と人体への障害に関する訴えというのは、もちろん、原爆計画とその請負人に対してのものであったことはいうまでもない。そうである以上、プログラムFの目的は、原爆計画への告訴に対して有利な反証を獲得するということになる。そのため、この研究は、被告によって指導されるということになったのである。
利害の核心がどこにあるかは明らかであった。
もし、障害を与えるフッ素の量の下限が発見されたなら、
(これはプログラムFの危険性ということに他ならない)、
それは原爆計画そのものを明らかにすることになり、
計画の請負人らは、人間の健康に対する傷害という罪で告発され、社会の抗議の対象となったであろう。
キッテル弁護士の感想。
「これらの文書は、ロチェスター大学のフッ素研究なるものは、そもそもニュージャージーの訴訟から端を発し、人間を傷害したという原爆計画への訴訟に参加することを以て終了したという事を物語っているのでしょう。被告の主導でその裁判を有利にするために企画された研究などというものが、科学的に今日でも受け入れられるものだとはとても考えられません。」
さらに、「その上、彼らには、化学物質は何でも安全だといいたがる骨がらみの偏見がありましてね。」とも言っている。不幸にも、フッ素が安全であるとする証明の多くは、このロチェスター大学のプログラムFの研究にもとづいているのである。
歯学部のスポークスマンであるウイリアム・H・ボーエン博士によれば、戦争が終了したあとの一時期、この大学は、「フッ素の安全性」と「フッ素はむし歯を減らすのに有効だ」という科学的事項の指導的なセンターとして姿を現してきた。
これらの研究のカギをにぎる人物は、ボーエン博士によれば、ハロルド・H・ホッジであった。ホッジは同時に、水道フッ素化の全国的な推進者となった。
プログラムFの水道フッ素化に対する関心は、ホッジが以前に書いたようなその地区の住民の恐怖心を打ち消すためという所などにあるのではなかった。
原爆計画がプルトニウムの人体実験を必要としていたように、
フッ素の人体実験が必要だったのであり、水道にフッ素を添加することは、そのための機会を一つの設けることだったのである。
-原爆計画と水道フッ素化-
アメリカで最初に計画されたニューヨーク州ニューバーグ市の水道フッ素化実験に際
して、原爆計画の科学者らは(これはよく知られていないことであるが)重要な役割を果たした。この実験では、フッ素の健康に対する影響についての広範囲な研究が行われ、少量のフッ素は子どもの骨に対して害がなく、歯にはよいものだという多くの証拠が供給されると考えられていた。
一方、一般社会との関係は未解決のまま残された。その地方の市民らはフッ素でパニックに陥っていた。農民の代表者であるウィラード・キレは、個人的にグルーブス将軍に招待されて食事を共にした。グルーブス将軍は、1946年3月26日当時の戦争局では「最初に原爆をつくった男」として知られていた。キレは主治医からフッ素中毒症と診断されていたが、政府の良識を信じて昼食に出かけた。その翌日、彼は将軍にあてて、彼以外の農民もそこに出席できていたならと希望を述べ、次のように書いた。「私以外の者もきっと、この特殊な事件に対する彼らの関心が、〔将軍のような〕誰もが納得する誠実さをもつ極めて地位の高い人によって保護されているという実感ももって立ち帰ったことでありましょう。」
それに続くマンハッタン計画の極秘メモには、一般社会との関係に関する問題解決策が、フッ素毒性研究の主任研究員であったH・C・ホッジによって示唆されている。彼はワレン大佐に次のように書いている。「セーレム地区やグローセスター郡の住民が抱いているフッ素に対する恐怖感をやわらげるために、フッ素について、ひょっとしたらフッ素は歯の健康にはいいものだという趣旨の講演を企画してみたら如何かと思いますが。」
勿論こんな講演はニュージャージー州ばかりでなく、冷戦時代のアメリカでは至るところで行われたのであった。
ニュージャージーの農民の訴訟は、結局は、裁判を和解に導いたかもしれない決定的な情報、つまり、戦争中にデュポン社がどれほどのフッ素を環境中に放出していたかを明らかにする事を政府が拒否したため、困難な立場に追い込まれた。
マンハッタン計画のC・A・タニー二世少将は「この情報開示は合衆国の軍事上の安全に対して有害である」と書いている。
この農民の子孫はまだこの地区に住んでいるが、この人たちに行ったインタビューによれば、農民らは経済的な補償で和解するように懐柔されたという。
「私たちが知っていることの全ては、とにかくデュポン社がこの周辺の桃の木を枯れつくさせるような何らかの化学物質を排出したという事だけなのです」
と、アンジェロ・ジオルダーノは当時を振り返って言う。彼の父のジェームスは、最初の原告の一人であった。
「それ以後、桃の木はとにかくダメになりまして、我々は桃を諦めるより仕様がなかったのでした。」
彼の妹さんのミルドレッドも、当時を思い出しながら
「馬も牛も体が硬直して、うまく動けないようでしたわ」といった。「それもこれもフッ素のせいだったのかしらね」。(獣医学の毒物の専門家に聞くと、彼女が私にくわしく話した家畜の症状は、フッ素中毒の主な兆候だということである。)
ジオルダーノ家の人たちも、骨や関節の病気で悩まされた、
とミルドレッドは言葉を足した。ジオルダーノ一族が受け取った和解金について、アンジェロは思い出しながら私たちにこう語っている。「父が言っていましたっけ。受け取った金は200ドルだったってね。」
農民たちが情報を求めようとしても、ことごとく妨害された。それ以後、彼らの訴えは長い間忘れられていたのである。しかし、知らない間に彼らは足跡を歴史に刻んでいたのであった。
すなわち、彼らの健康が障害されたという訴えは、ワシントンの権力の回廊を通じて広がってゆき、原爆計画の中で行われたフッ素の健康への影響に関する徹底的な極秘研究の引き金を引いたのである。
マンハッタン計画の副官であったローデス大佐がグルーブス将軍に宛てた1945年の極秘メモにはこう書いてある。
「動物や人間が〔ニュージャージー〕地方でフッ化水素の排煙で障害を受けたという訴えがある以上、これに関する訴訟が現在は差し迫ってはいないといえ、ロチェスター大学はフッ素の毒作用を決定する実験を指導すべきであります。」
少量のフッ素は安全だとする証明の多くは、原爆計画が人間に障害を与えたという訴訟の対策としてロチェスター大学で行われた戦後の研究によっているのである。
(以下略。全文を必ず参照のこと)
-訳者あとがき-
村上 徹
本編は、アメリカの環境系の雑誌ザ・ウェイスト・ノット♯414 号( 1997年9 月) に掲載されたFLUORIDE,TEETH AND ATOMIC BOMBの完訳である。
ウェイスト・ノット誌はほぼ8 年前より定期的に刊行されている環境問題の専門誌で、ニューズ・レターの形式で年間48回出版されており、海外からも講読することができる。同誌が現在力を注いでいる問題は、日本でも深刻になりつつあるゴミの焼却で排出されるダイオキシンの問題であるが、フッ素にも関心を寄せるようになってきていることは冒頭の「掲載までのいきさつ」で明らかであろう。
(中略)
また、雑誌には掲載されていないが、原文には155頁に及ぶ膨大な証拠書類が添付されており、ウェイスト・ノット誌に発注すれば20ドルで入手が可能である。この記事が、わが国のジャーナリズムでよく見かけるフィクション混じりの煽情ルポなどと全く類を異にするものであるのはこれでも明らかである。アメリカのジャーナリストの良心を見る思いがする。
★ ★ ★
本編は、単にアメリカばかりではなく、世界中の関係者に強い衝撃を与えずにはおかないだろう。
フッ素論争の歴史的文献をじっくり検討してみると、日本人にはどうしても納得できない事項が幾つか浮かびあがってくる。そのうちの一つは、
むし歯の予防などという保健上あまり緊急ではない施策が、
国際政治が急迫した第2次世界大戦の直前の時代に、なぜ、アメリカで、あれほどまでの国家の肩入れの下に「水道フッ素化」となって実施されたのかということである。
そしてもう一つは、戦後の冷戦の時代に、
なぜアメリカ政府は、WHO(世界保健機構)やアメリカ歯科医師会を操って、あれほどまでの知的暴虐や人権侵害を行ってまでということである。
フッ素の批判者には周知のことであるが、
アメリカの医学や歯学の世界で
フッ素反対者に投げつけられる悪罵,中傷、言論弾圧、様々なイヤガラセは、自由を標榜するアメリカで、しかも、「むし歯予防」の一手法などをめぐって、何故こんな陰険な仕打ちが行なわれるのか、どう考えても理解できない{1} 。
しかし、これは、フッ素がアメリカ軍部の虎の尻尾であると分かってみれば理解できよう。
しかし、奇怪なのは、程度の差こそあれ、わが国の推進者がこのやり口をそっくり真似していることである。
フッ素批判者として活躍している成田憲一歯科医師の上に、新潟大学堀井欣一教授(当時)が昭和63年と平成2年の二度にわたって公然と加えた人権侵害事件については、成田先生自身が新潟県弁護士会に人権侵害救済の申立てを行い、その結果の同教授に対する「警告書」の写しとともに、彼自身が直接事実を公開{2}しておられるので改めては言及しないが、いやしくも国立大学教授が、研究発表をめぐって村営診療所の勤務医にあからさまな人権侵害を加えるなどということは、科学の他の分野では決してあり得ぬことであろう。
また、かつて、フッ素推進者に気鋭な論評を加えてきた高橋晄正氏や柳沢文徳教授(東京医科歯科大・当時)などが、日本におけるフッ素反対者として、日本歯科医師会の調査をつうじてFDI(国際歯科連盟)に氏名を通知されたという事実もあった。アメリカ政府の関係部局は、フッ素批判者に対して、公然とブラックリストすら作成しているのである{3}。
また、私は平成7年2月に、沖縄県教組の要請に応じて、那覇市と石垣市でフッ素批判の講演を行ったが、これに対して、全県的なフッ素洗口運動を企図している沖縄県と新潟県歯科医師会は、当時群馬県歯科医師会副会長の職にあった私に臆面もなく抗議文めいた公文書を送りつけ、同時に私の上司であった群馬県歯科医師会会長に対して、暗に、部下である副会長にフッ素反対の講演をさせるなと言わんばかりの文書までよこした。
いうまでもなく私の地元の群馬県歯科医師会では、歯科医師としての思想信条は一切自由であって、ここには会は立ち入らない。当前である。
そして、歯科医師の集団である歯科医師会の内部に、一つの学説をめぐって賛否の意見があれば、その意見はできるだけ公開して患者側の判断材料とするということになっている。のが妥当これも当り前だ。
そのため、私は県内外のどこでも要請があれば、フッ素の危険性について講演をする。その依頼者には、市民の組織もあれば、公的な教育委員会も混じっている。講演者の肩書が会の役員であろうが、平会員であろうが、そんなことも少しも関係がない。使用する薬物の毒性に目をつむって、いい事ずくめの宣伝を行うのは歯科医師の倫理の上からも許されることではないのだ。
まだある。朝日新聞社編集委員の長倉 功記者は、長年フッ素問題の取材をしておられるわが国では数少ないジャーナリストであるが、世評の高かった彼の連載記事「現代養生訓」に、フッ素には反対意見があると書き、その内容を少し詳しく解説したためか推進派の怒りを買い、抗議文やカミソリの刃まで送りつけられたという。彼はその記事を本{4}にする際に、かなりの分量のコメントを書き加え、「フッ素神話を疑う」と題してこの経緯を述べている。
長倉氏をなだめるわけではないが、日本だから氏はカミソリの刃程度で済んでいるので、アメリカだったら、おそらくクビがとぶ騒ぎになったかもしれない。
フッ素の歴史には、そんな受難劇の被災者が累々(るいるい)と横たわっている。
そして、その原因がどこにあったのかを、この原文が世界で初めて明快にえぐり出したのである。
むし歯予防に使用されるフッ素の安全性が、「原爆」製造のマンハッタン計画を裁判から守るために案出されたなどと、一体、誰に想像できただろう。
まさに、事実は小説よりも怪奇である。そして、フッ素に関しては、世界的権威者で通っているホッジやディーンが、深くその極秘計画に関与していたことなど、著者らが丹念に収集した証拠書類がなければ、おそらく誰一人信用しないに違いない。
1988年に、アメリカ最大の学術団体であるアメリカ化学学会の機関誌「ケミカル・アンド・エンジニヤリング・ニュース」は、特集としてフッ素問題に関する長大な特報論文{5}を掲載し、「フッ素の安全性など確立されているどころか、40年以上放ったらかしにされたままだ」と厳しくアメリカ政府を論難するとともに、フッ素にまつわる様々な暗黒面を容赦なく抉り出した。
この記事は、アメリカの理系の知識人に衝撃を与えるとともにマスコミをも動かし、幾つもの全国紙が「フッ素は悪質な科学を育てた」(クリスチャン・サイエンス・モニター紙)というような記事を掲げた。フッ素の問題を歯科という狭い世界に閉じ込めておかぬために、私は出来る限り忠実に、これらの動きをわが国に伝えてきた。
しかし、本稿を読めば、フッ素の安全性などは「放ったらかしにされた」どころか初めから意図的に捏造されたものであり、政府各機関も総力をあげてこれに加担してきたことが明らかである。
その目的は、原爆という最高の国家機密をあくまで護持するためであった。
当時アメリカにおいてフッ素中毒に関する最高の治療者であったウォルドボット博士の幾多の臨床的データを、保健行政当局らがやっきになって否定し、手先をつとめるアメリカ歯科医師会に機関誌で人格攻撃まで行わせて博士を封殺しようとした理由はまさにここにあったのであろう。
この壮大なドキュメントの前には、一介の歯科医師にすぎぬ私は、ただ言葉を失うだけである。政治と科学、官僚と科学などについて、この記事から派生してくる深刻な事象はおそらく山のようにあるはずであるが、今、私がそんな事についてあれこれ口走ってみても、確かな意味などとても出てくるまい、そんな気がしてならない。
フッ素問題に人生をかけて行政と対決しているジョン・イアムイアニス博士は、この点に関して「科学は死滅した」{6}と断言し、故ジョージ・ウォルドボット博士は、フッ素に関する行政を「汚辱にまみれた歴史」{7}と痛憤した。前記アメリカ化学学会の論文は、数ある環境汚染物質のうちフッ素だけが何故か政府によって特別扱いにされている実態を指摘したが、今にして思えばじつに慧眼(けいがん)といわざるを得ない。
フッ素の安全性を世界中に力説してまわったホッジもディーンも、所詮は国家権力に奉仕して自己保存を計る官僚であり、人間に奉仕する科学者などではなかったのだ。科学的真実など、政治の前ではどうにでも曲げてみせる人間にすぎなかったのである。如何に精密な論文の体裁を装っていようと、彼らの業績など、今日の科学としては一文の価値もないものだ。そう考えておく方がよい。
私はしきりにそんな事を思っている。
■訳者による脚注
1 この中国の疫学研究とは、次の文献を指すものと思われる。
Li,XS.,Zhi,J.L.,Gao,R.O.: Effect of Fluoride Exposure on Intelligence of Children, Fluoride 28,4;189-192, 1995.
2 この研究結果と科学雑誌とは、次の文献を指すものと思われる。
Mullenix,P.J.,Denbesten,P.K.,Schunior,A.,Kernan,W.:Neurotoxicity of Sodium Fluoride in Rat, Neurotoxicology and Teratology 17,2;169-177,1995.
3 ここで何故フッ素が原爆の製造と関係するのか、簡単に解説する。
鉱石として採掘される天然ウランは殆どがU238であるが、0.7%の割合で同位体のU235が存在する。原爆に必要な核分裂に利用できるのはこのU235だけである。従って、多量のU235を取り出すためには、この0.7%の割合を化学的操作で増加させる、つまり濃縮する必要がある。このために考案されたのが、ウランをフッ化水素と化合させて気体の6フッ化ウラン〔暗号名ヘクス〕にし、比重の差を利用してU235をU238と分離する方法である。この方法はニールス・ボーアでさえ「合衆国を一つの巨大な工場にしてしまわないかぎり無理だ」と思っていたというが、原爆の製造に関与した多くの天才的頭脳がこれを可能にした。
ちなみに、ヒロシマに投下された原爆の純U235の総量は64kgであった(リチャード・ローズ、原子爆弾の誕生・上・紀伊國屋書店・1995年と、同著者(Richard Rhodes)DARK SUN The making of the hydrogen bomb, TOUCHSTONE, 1996を参照) 。
ここで著者が述べているのは、マンハッタン計画のために化学会社のデュポンがウラン濃縮に必要な何百万ポンドのもフッ化水素の製造を請負、それが漏洩して作業員や工場の周辺に深刻な公害を引き起こしたという、このフッ化水素の製造にまつわる秘話なのである。
さて、U235を分離した残りカスのU238は、当面何の利用価値もないまま廃棄物としておびただししい量が放置されていたが、固くて重い性質に着目され、最近になって無料で企業に払い下げられ、金属に精錬されて砲弾や戦車の装甲に使用されるようになった。これが劣化ウランである。
劣化ウラン弾はイラクとの湾岸戦争で始めて大量に使用され、目を見張るような戦果をあげたのは日本でもよく知られていよう。
厄介なことにこの劣化ウランには、余り強くはないものの放射能があり、その半減期は何と45億年である。
現在、湾岸戦争の被災者や当事国の兵士に「ガルフ・ウォー・シンドローム」という深刻な健康傷害が起こりつつあるのは、この時の爆弾や砲弾の爆発から超微粒子となって飛び散った劣化ウランを摂取したためであるが、何しろ大量に使用され、しかも半減期が45億年なので、全地球がやがてこれに汚染されるのは目に見えている。
湾岸戦争がもう一つの核戦争と言われ、アメリカの知識人らが問題にしつつある所以であるが、わが国でこの実体が殆ど知られていないのはフッ素問題と同様であろう。
(以下略)
以上引用終わり。
アメリカの軍産複合体は自国の大統領を暗殺するだけでなく、科学の真理さえもねじ曲げてしまうのです。
その行き着く先の一つが欧米ポチによる今回の福島原発事故です。
シリア攻撃です。
以下は
「フッ素」
からの引用です。
▼フッ素毒警告
1909 メロン財閥はアルコアを設立しアルミニウム業界を支配。当時アルコアは毎年16,500㌧のアルミニウムを製造するようになり、大気汚染物質であるフッ化水素を毎年132㌧も放出した。
1909 ペンシルバニアの州法は、食品や水にフッ素化合物が含まれることを禁止した。
1916 全米学術会議(NAS)の下部組織として、全米研究協議会(NRC)が非政府的な機関として組織された。政府機関は、NRCから出される勧奨を採用することで公認の責任を肩代わりさせるようになった。産業を左右するような決定はこのようにして操作され、産業にとって極めて有利になっていったのである。
1922 アルミニウムの調理器具がアメリカに導入された。アルミの生産は、有害な副産物であるフッ化ナトリウムとともに急増した。
1925 アンドリュー・メロンが合衆国財務長官に就任した。公衆衛生局は財務省の直轄下にあった。
メロンは、有毒のフッ素廃棄物を排出する点で第一であるアルコアの大株主であった。1920年代には、海外やわが国の農務省、鉱山局などで、フッ素公害に対する関心が高まりつつあったが、公衆衛生局だけは別である。20年代の10年間の公衆衛生局の公文書でフッ素に言及しているものは何一つない。さらにこの年に、アンドリュー・メロンとリチャード・メロン(アルコアの前オーナー)によって「メロン研究所」が設立された。
1930 世界で最初の大規模なフッ素汚染による惨事がベルギーのミューズ・バレーで起こった。 この事件で60人が死亡し、6千人が重症の被害にあった。死んだ牛の数も数え切れなかった。
1933 農務省の首席毒物学者ディエズ博士が、慢性フッ素中毒に関する60頁の総説を発表した。「フッ素の毒性の深刻な様態が、それも慢性中毒に関してのそれが認識されてきたのはごく最近であり、この10年以内のことである。」彼はアルミニウムプラントの近くの植物や家畜の中毒について議論し、また、過燐酸肥料工場が空中に排出するフッ素は、毎年2万5千㌧に昇り、さらに9万㌧が表土に捨てられていると述べている。
1938 ディーンと公衆衛生局は「ゲールスバーグ・クィンシー」研究を行ったが、この2つの研究のうちの、1つがフッ素化の基礎となった。(もう1つは、1939年から1940年にかけて行われた21都市研究である) 。そしてこの2研究がもととなって「フッ素-虫歯仮説」が生まれ、ミシガン州グランドラピッズ市、ニューヨーク州ニューバーグ市、オンタリオ州ブラントフォード市で実験にかけられることになったのである。これらの研究は、後に政府と無関係な統計学の専門家により、統計学的に誤ったものであり、その他にも重大な問題があって全く無価値であることがわかっている。
▼ http://members.jcom.home.ne.jp/tomura/murakami/page3.2.htm
1939 フッ素の産業廃棄物を投棄する1つの手段として、水道フッ素化という考えが生まれた。 この手段を用れば投棄の費用が利益に変わるのである。
1939.9.29 メロン研究所の科学者コックスが、フッ素化推進における彼の大きな役割を開始した。
「食物や飲料水からフッ素を除去しようとする最近の傾向は、逆転が必要なのかもしれない。」
注:科学者コックスは1939年に次のように述べている。「フッ素は最も毒性が強い物質の一つである。斑状歯は飲料水中にある0.001%というごく少量のフッ素で起こる。水道をフッ素化する前には、使用に供するどの水も検査しなければならない。」この発言にもかかわらず、アルコアはコックスが彼の研究室でラットにフッ素化飲料水を与える実験のスポンサーとなった。じつに奇妙なことに彼はその研究で、「フッ素はむし歯を減少させる」と結論しているのだ。
1942 イギリスの医学雑誌ランセットが、589人のロンドンの子供のうち28%に斑状歯が見られると報告した。明らかにフッ化水素が原因であったのである。この場合は燃料にフッ化水素の主な排出源である石炭が使用されたためであるのは明らかであった。
1943 ニューヨーク州ニーバーグ市でフッ素化プロジェクトが開始された。合衆国で最初のこの実験では原爆製造計画の科学者が極めて重要な役割を演じたが、このことは一切おおやけにはされなかった。原爆を製造するためにフッ素は最重要の物質であった。核兵器の製造に欠かせないレベルのウランやプルトニウムを作るためには、何百万ポンドものフッ素が必要だったのだ。
今日の情報公開法の下で公表されたこの時のメモには、原爆製造計画から派遣された科学者が密かにニューバーグ市のフッ素化実験の指導をしたことが示されている。このメモは明らかに、合衆国政府の利害の矛盾と、フッ素の安全性を証明しようとする動機とを示している。
1944 オスカー・ユーイングがアルコアの職員名簿に、弁護士として搭載された。俸給の年額は75万㌦である。
1945 合衆国原子力委員会(AEC)によって「F計画」が実行された。これは合衆国におけるフッ素の健康への影響に関する研究では最大規模のものであった。フッ素は原爆の製造には不可欠の化学成分である。この研究のなかで、人間にとって最も有害な物質の一つであるフッ素には、中枢神経に対して強い為害性があることが分かった。しかし、それに関する情報の大部分は国家の安全という名目の下に「秘密」にされたままである。これによる訴訟が原爆製造の全貌を明らかにするかもしれないという恐怖感からである。
1947 アルコアの弁護士であるユーイングが、国家安全局の長官に任命された。これは公衆衛生局を監督する立場である。彼はアルコアでは、アンドリュー・メロンに次いで2番目の権力者であったが、この立場を得ることで、彼が公衆衛生局を指図してこれを実質的に巨大企業の手先へと変貌させるとすることを完成させたのである。ユーイングの下でフッ素化キャンペーンは急速に具体化していったが、この先鋒をつとめたのも公衆衛生局であった。この後の3年間で87都市がフッ素化された。ユーイングのPR作戦の戦術家は、S・フロイドの姪(タコ注:甥の間違い?)であるエドワード・L・バーネイであった。彼はフロイド心理学を宣伝や政府のプロパガンダに応用したパイオニアであった(1928年の彼の著書「プロパガンダ」を参照)。バーネイの戦術のため世間はフッ素が毒物であることを忘れ、フッ素化に反対する者は狂人のように描かれた。1996年でも反対者はまだ市民権の運動家、変人、右翼などと描かれている。新聞も大企業の宣伝に強い影響を受けているため、こうしたプロパガンダの重要な担い手になっているのである。
1948 ドノーラの殺人スモッグは、大気汚染によるものとしては歴史上2番目の大惨事であった。これは工業化された狭い谷間に、製鉄所や亜鉛の洗練工場から吐き出されたフッ化水素がよどむことでひき起こされた。
このペンシルバニアの町では1万3千人の人口のうち6千人が傷害され、4日目で17人が死亡した。
ピッツバーグのアルコアが10年以上も前に採用したカモフラージュ作戦は、公衆衛生局の戦略にも影響を及ぼした。もし、フッ化水素による深刻な大気汚染を抱えるアメリカのこの12都市の水道がフッ素化されるならば、改善するのに甚(はなは)だしい費用を要する汚染問題もカモフラージュすることができる。そうなれば歯牙フッ素症は飲料水のせいにできるであろうし、権威者連中が「斑状歯は、むし歯の予防のためのフッ素化の取引として受容すべきだ」と書くことも可能である。このために、グランドラピッズ市ほか3都市で進行中のフッ素化の大実験は、実験の終了見込みの5年も前の1950年に突如として「実験の成功」が宣言された。この時期にはフッ素化飲料水の影響下で発育を完了した歯牙などは1本もなかったのであるが、公衆衛生局は50%~60%のむし歯の減少を宣言したのである。
この「成功」で、公衆衛生局は大気汚染問題をカモフラージュするために、空気汚染が甚だしい12都市のフッ素化を急いだ。その後の5年間に、この12都市は全てフッ素化されてしまったのである。これと同じカモフラージュが、アルコアによりオーストラリアで行われた。
1950 ドノーラの悲劇から2年たってアメリカ中の空気がフッ化水素で汚染されているのが公衆衛生局に分かった時、彼らはその分析の方法を、空中のHFレベルの代わりにフッ素イオンの濃度で計ることに転換した。この動機がごまかしにあったことは明らかである。フッ素イオンはフッ素ガスと同様、空中の廃棄物としては毒性を示すことが比較的少ない。
かくして公衆衛生局は、より毒性が強烈なフッ化水素(HF)に代えてフッ素イオンを計測することで、原因物質であるHFのデータが漏洩するのを避け、もう一度フッ化水素をどうにか無視することができたのであった。
1950 50年から51年にかけてアルコアは、飲料水に添加するためのフッ化ナトリウムの販売を宣伝広告した。
1951 51年の初頭にオスカー・ユーイングは、「フッ素化をアメリカ中に推進するため」2百万㌦を配分した。オスカー・ユーイングがある法案の後押しをしたが、これに保守的なアメリカ医師会が、「医学を社会化する最初の一歩だ」として反対した。医師会はこの法案を葬るために会員に「闘争資金」を呼びかけ、3百万㌦が集まった。しかし、ロサンゼルスでのアメリカ医師会定期総会の時に、ユーイングは医師会のある委員会に対して、その法案の撤廃を知らせた。その同じ委員会は、(その委員会はそれまでにそんな議題を審議したことはなかったのであるが) 急遽ステートメントを発表し、アメリカ医師会は全面的に「フッ素化の安全性」を認めると宣言したのである。当時、アメリカ医師会がフッ素化を支持するような論文はそれまでに一つも公表されていなかった。しかし、それ以後、医師会は、フッ素化を、歯科医師やアメリカ歯科医師会を操作する強力な権力のなすままに任せたのである。
1952 アメリカ歯科医師会雑誌は、会員である歯科医師に対して、フッ素については個人的意見を控えるように指導した。ここにアメリカ歯科医師会の政治的偏向の明らかな証拠がある。
1952 ロンドンで気温の逆転による史上最悪のスモッグ公害が12月5日から9日にかけて起こった。以前に起こった二つの惨害と同様、フッ化水素が元凶であった。
この5日間にロンドンだけで普段より2千人が余計に死亡し、周辺のテームスバレイを入れると1万人以上が殺された。
このような騒ぎがロンドンでは、この惨事と前後して何回か起こっている。1955年には有毒ガスのため6百人が死亡し、1956年では5百人、1957年には4百人が死亡した。
1956 6月26日P&G社は、ニューヨーク・タイムズに全紙大の広告をのせ、同社のフッ素入り歯磨剤である「クレスト」は、フレミング博士のペニシリンの発見にも比較すべき医学の重要な道程であると宣伝した。P&Gは、この誇大な広告を支持する科学的根拠については何も触れなかった。アメリカ歯科医師会専務理事のヒレンブランドはこれについて、「どのフッ素入り歯磨剤であろうと、それが虫歯を予防するという根拠は全くない」と述べている。最初はクレストにも、現在の[アメリカ製のフッ素入り歯磨剤には添付が義務づけられている]食品薬品局の警告ラベルが張ってあったのであるが、1958年になると、説明もなしにそれが消え、その後40年間も現れることがなかったのである。
1957 アメリカ歯科医師会は、1957-1973年にかけて、合計6,453,816㌦の助成金を政府から受け取っている。
1958 世界保健機構(WHO)が、ジュネーブに水道フッ素化を研究する専門委員会を設置した。その7人の委員のうち少なくとも5人は、それぞれの国でフッ素化を推進している人物であった。その一人であるアメリカのH・C・ホッジ教授は、ウランの加工で深刻なフッ素の廃棄問題に直面していたアメリカ原子力委員会の資金で研究していたし、スェーデンのエリクソン教授はヨーロッパにおけるフッ素化の推進者として有名で、アメリカの公衆衛生局の資金援助も受けており、スェーデンの歯磨剤メーカーからも特許料を受け取っていた人物である。WHOのフッ素化推進とはこんなことで始まったのである。
1959 レイノルズ・メタルが、セント・ローレンス川の沿岸にアルミニウムの精錬工場を建設した。その場所はモホークインディアンの特別保留地の風上であった。そこの
島には1,500人のインディアンが牧場を作って暮らしていた。45人の農民が40戸の牧舎を作り、364頭の乳牛を飼育していた。牛は次第にビッコになり、死んでしまうものが多くなった。
1977年にはたった177頭しか残らなかった。
農民自身の筋肉や骨にも異常をきたす者が多くなった。モホークの暮らし方が、予防することができたフッ化水素による人工の伝染病の犠牲者を作ったのである。
1960 カナダのフッ素化に関する委員会がトロントで開催された。D・E・ハル博士がここでの審議を指導した。彼女の娘は、フッ素の汚染問題をかかえるアルミニウム会社の社員であった。彼自身もフッ素化に主導的な立場の団体から名誉顧問として待遇されており、彼の大学(西トロント大学)は合衆国公衆衛生局から助成金を受けていた。果せるかな、ここでカナダすべての水道のフッ素化が推奨されたのであった。
1960 8月にアメリカ歯科医師会は科学的根拠が何一つないのに、フッ素入り歯磨剤「クレスト」を「安全かつ有効」であると認定した。P&Gの株は8㌦も値上がりした。コルゲート・パルモリブ、ユニリーバー・アンド・ビーチャムをはじめ世界中の歯磨剤メーカーが、これをきっかけに、歯磨剤にフッ素を添加するというバスに飛び乗った。
1963 スポンサーである産業界への贈り物として、ケタリング研究所が合衆国中のフッ素に関する研究論文を集め、その各論文の知見を改竄するという「消毒」をして「公衆衛生におけるフッ素の役割」と題する要約集を出版した。そのスポンサーとなった企業は、アルコア、アメリカ石油、コロンビア・ジュネーブ製鉄、デュポン、ハーショウ化学、カイザーアルミ化学、ミネソタ鉱業、ペンシルバニア製塩、レイノルズメタル、国際石油製造などであった。これらの企業はいずれも、フッ素の大気汚染に関する規制や労働者の健康問題に関係あるものばかりであった。この158論文の「消毒」された要約集は合衆国中の保健機関に配付され、州や国の保健部の役人が引用する基準となった。多忙な保健の専門家たちは、消毒されていない原著を渉猟するよりも、この簡便で入手が容易な要約集を参考にした。このため保健に関する合衆国中の主な専門家が、フッ素中毒の問題で騙され続けたのだ。
1988 バテレ記念研究所が公衆衛生局に対して、フッ素の発ガン性に関する動物実験の結果を報告書として掲出した。そこには、フッ素とガンの発生の関連性は極めて強いと述べられていた
▼http://members.jcom.home.ne.jp/tomura/murakami/page3.3.htm
「… 人間の免疫を著しく低下させ、人間をして生きる意思を失わせ、無気力な家畜に変貌せしむるというのが、フッ化ナトリウムの最大の特徴である。また平常な子供を同性愛者にもさせる作用を持つ。
フッ化ナトリウムはアルミ工業の廃棄物であり、米国に於ける供給源は1993年度にアルミ製品の売上げが90億㌦もの収益を上げたアルミニウム企業、アルコアである。
(略)フッ化ナトリウムは免疫を低下させ、中枢神経に決定的なダメージを与えるのみならず腎臓に蓄積されたり、ガンにも移行したりする。
水道水にフッ化ナトリウムが投入されている都市で、水道水を使用して料理をすれば濃縮した形でフッ化ナトリウムを吸収することになる。さらに、子供がフッ化ナトリウム含有の歯磨きを朝晩使用すれば、確実に将来の家畜となる。
(中略)
毒性の非常に高いフッ化ナトリウムはネコイラズにのみ使用されるべきである。ちなみに歯磨きにフッ素と書いてあったらフッ化ナトリウムのことである。
フッ化ナトリウムの使用は旧ソ連の強制収容所での人体実験に基づく。当初は狂暴な動物にフッ化ナトリウム含有の飲料水を飲ませていると、次第におとなしくなることが知られていた。1940年以来のソ連の強制収容所では、囚人に与える飲料水中のフッ化ナトリウムを次第に増加させた実験の結果、当初は体制に反抗的であった政治犯もいちいち銃殺せずとも、全くおとなしい羊に変えられることが判明した。」
「… 最近の日本の研究者の発表を待つまでもなく、アルミがアルツハイマーの原因であることは、かなり以前から知られていた(そして隠されつづけて来た)。解剖によってアルツハイマー病患者は健康人よりも6倍も多くアルミの蓄積が見られる。
ではなぜアルツハイマー病の原因は不明であるとされているのか。その理由は簡単で、アルミ製造のアルコアがロスチャイルド/ロックフェラー・シンジケートに直結しており、医学界、製薬業界が彼らの支配下にあるからである。
(中略)
アルミは神経細胞を侵す特徴を持ち、ボケ老人は長年にわたる味の素の使用に加え、脳に大量のアルミが蓄積されている。動物実験を何回繰り返しても、リンパ系、脳細胞中のアルミのレベルが上昇するにつれて行動、記憶力に異常が発生する。また体内に侵入したアルミは骨格中のカルシウムをも流出させる。
(中略)
アルミ中毒の原因はアルミ製食器、アルミ罐に加え、酸中和剤(胃薬)、透析、歯磨き、ワクチンなどである。このようなワクチンの接種を子供が何回も受けると、神経症発生率が非常に高い。
以下は
「骨も“歯”もむしばむフッ素 インドでは『フッ素症』患者が6千万人以上」
からの引用です。
-公害の始まりは「フッ素」-
産業革命初期も、大気汚染が極めて深刻な問題だった。この元凶として最悪なのは製鉄や精銅工場であった。これらの工場の煙突が吐き出す煙や灰は、周辺の人畜や農作物などに甚大な被害を及ぼし、疾病をひき起こした。
その時代にはまだ不明だったが、この排出物の中で最も恐るべき化学物質はフッ化水素(HF)だった。これは現在ではPPBレベル[訳注:10億分の1パーツパービリオン]でも有害なことが分かっている。
この頃では大気汚染に関連して一般に使われるフッ素という用語には、フルオライドといわずにフルオリンという言葉が使われていた。19世紀末にはフッ化水素は産業廃棄物と同一視されており、それがどのような害をもたらすかは、汚染源である工場の周辺では自明のことだった。
[近代初期のヨーロッパの公害]
1855ドイツ・フライブルグの精錬工場がフッ素の排出で付近の住民に障害を与え、ヨーロッパで最初の補償金を支払った。
1893 フライブルグの精錬工場がフッ素汚染の被害のため88万マルクの補償金を支払い、永久的な救済のため6万4千マルクを支払った。
1900 ドイツとイギリスでは、フッ素被害による訴訟での相次ぐ敗訴と厄介な法的規制のため、精錬工場の存在そのものが危うくなった。
1907 フライブルグ周辺で20年あまりも牛に流行している疾病の原因が、精錬工場に起因するフッ素中毒であると確認された。
1912 牛のフッ素中毒症は、イタリーの過燐酸工場の近くでも報告された。1890年代には、過燐酸肥料工場の周辺で植物がダメになるという苦情が数え切れないくらい相次いだ。
1918 スイスでも、アルミニウム工場の周辺で牛の中毒が起こった。アルミニウムの精錬には、融剤として蛍石(けいせき又はホタルいし。フッ素49% CaF2)と氷晶石(ひょうしょうせき:フッ素54% Na3AIF6)が用いられるため、これが主な原因となってフッ素の大気汚染が起こったのである。
米国でのフッ素公害カモフラージュ作戦は、1931年に、アルコア(アメリカ・アルミニウム株式会社)の主任化学者であるH・V・チャーチルによって開始された。
彼は、ピッツバーグの子供に見つかった斑状歯は「水中のフッ素に原因がある(タコ注:つまり大気汚染は関係ないと言いたいわけだ。)」と述べた。ピッツバーグはアルコアの精錬工場がある所だ。このトリックは、5月31日づけのピッツバーグ・プレスの記事となって記録に残っている。その見出しには、「当地の科学者が子供の歯を黒変する謎の毒物を発見」とある。チャーチルの言明は、「斑状歯の原因は水中のフッ素だけである」という印象を大衆に植えこんだ。今日ではこの非難は、フッ素入り歯磨剤に移っている。
そして、戦後になると、「人間にはフッ素が必要であり、誰もがフッ素を摂取出来るようにするために水道水に添加すべきだ」という主張までが登場した。この戦略の狙いは、廃棄物としてのフッ素に無数の“投棄場所”を供給することにあった。
フッ素に対する世間のイメージはこのようかたちで刷り込まれ、1960年代中期以降になると、この目的にために、テレビのコマーシャルが盛んに使われ、クレストのフッ素入り歯磨剤の広告には1年で3千万ドルも使われた。
フッ素に対する世間のイメージの形成を進めると同時に、産業界は政府機関にも働きかけた。
合衆国公衆衛生局(USPHS) や、後になると環境保護庁(EPA) が、産業廃棄物である有害なフッ素の投棄で、逆に企業が利益をあげられるよう協力したのである。
そして、アメリカ歯科医師会もフッ素化に関して最も有名かつ活発な推進者となった。この推進は、歯科医師全体の意向を装った小規模な派閥が行っている。
世間はアメリカ歯科医師会を公正な専門家の集団とみなす傾向があるが、たんなる同業者団体にすぎない。
彼らはフッ素化によって歯科医師の収入が減るのも厭(いと)わず、虫歯予防という歯科医師の役割の倫理性さえ強調してみせる。
しかし、歯牙フッ素症の修復に必要な美容歯科はたいへん高額で、かえって歯科医師の収入を増やしているというのが実情である。
以上引用終わり。
以下は
Wikipedia.フッ素
からの引用です。
1800年、イタリアのアレッサンドロ・ボルタが発見した電池が、電気分解という元素発見に極めて有効な武器をもたらした。
デービーは1806年から電気化学の研究を始めると、カリウム、ナトリウム、カルシウム、ストロンチウム、マグネシウム、バリウム、ホウ素を次々と単離。しかし1813年の実験では電気分解の結果、漏れ出たフッ素で短時間の中毒に陥ってしまう。デービーの能力を持ってしてもフッ素は単離できなかった。
単体のフッ素の酸化力の高さゆえである。実験器具自体が破壊されるばかりか、人体に有害なフッ素を分離・保管することもできない。
アイルランドのクノックス兄弟は実験中に中毒になり、1人は3年間寝たきりになってしまう。
ベルギーの Paulin Louyetとフランスのジェローム・ニクレも相次いで死亡する。
1869年、ジョージ・ゴアは無水フッ化水素に直流電流を流して、水素とフッ素を得たが、即座に爆発的な反応がおきた。しかし、偶然にも怪我一つなかったという。
ようやく1886年、アンリ・モアッサンが単離に成功する。白金・イリジウム電極を用いたこと、蛍石(CaF2 )をフッ素の捕集容器に使ったこと、電気分解を-50℃という低温下で進めたことが成功の鍵だった。材料にも工夫があり、フッ化水素カリウム(KHF2)の無水フッ化水素(HF)溶液を用いた。
だがモアッサンも無傷というわけにはいかず、この実験の過程で片目の視力を失っている。
フッ素単離の功績から、1906年のノーベル化学賞はモアッサンが獲得した。
翌年、モアッサンは急死しているが、フッ素単離と急死との関係は不明である。
以上引用終わり。
-フッ化水素(HF)の毒性-
水溶液はフッ化水素酸と呼びます。
人の最小経口致死量=1.5g、又は体重1kg当り20mg(20mg/kg)です。わずか9%溶液でのティスプーン1杯(15ml)の誤飲での死亡例もある毒物です。
クリーニングの染み抜き剤などにも使われ、皮膚に接触すると体内に容易に浸透し、体内のカルシウムイオンと結合してフッ化カルシウムを生じ、骨を冒します。
腐食作用による局所症状だけでなく、全身症状が全経路で発現し、死に至ることがあり、皮膚接触の場合の応急処置は直ちに流水で洗い流してグルコン酸カルシウムを患部に塗布する必要があります。
濃度が薄い場合には生じたフッ化カルシウム結晶により数時間後にうずくような痛みに襲われ、また、暴露量が多いと血液中のカルシウムが急激に消費されるため低カルシウム血症を引き起こし、意識がはっきりした状態のまま、心室細動を起こして死亡します。
義歯の製造過程でも使われ、あわせて虫歯予防でフッ化ナトリウム(NaF)も使われることから、両者の取り違えによる死亡事故も発生しています(「虫歯治療の幼女急死 昭和57年4月22日」)。
■経口摂取による症状
軽度な症状:傷み、組織凝固による水疱(すいほう)形成、嘔吐、下痢、腹痛、流涎(りゅうぜん:りゅうせん。よだれがダラダラ流れ出る症状)、嚥下(えんげ)困難、吐血を伴う出血性胃腸炎、咽頭(いんとう)浮腫による気道閉塞。
重篤(じゅうとく)な場合:低カルシウムまたは低マグネシウム血症、高カリウム血症、代謝性アシドーシス(生体の血液のPH:ペーハーを酸性に傾けようとする症状。逆に塩基に傾けようとする反応はアルカローシスという。共に呼吸抑制から死に至る。)、心筋傷害、不整脈、心室細動、昏迷(軽度の意識障害)、昏睡、呼吸不全。
■皮膚接触による症状
激しい痛み、凝固による白色化と水疱形成、進行性の組織崩壊。ただし痛みや紅斑は濃度20%以下では暴露後24時間以内では出現しないことがあるので注意が必要です。痛みがなくても、無処置の場合には組織の崩壊が進行し、指先の暴露であれば爪下(そうか)組織まで崩壊するので、量の多小によらず必ず医療機関で受診することが必要です。
■蒸気の吸入よる症状
重篤な咽喉刺激、咳、呼吸困難、チアノーゼ、肺障害、肺水腫、咽頭浮腫による気道閉塞。
肺水腫の症状は24時間遅れて出現することもあります。動脈血のガス分析と胸部レントゲンで厳重な観察下のもと、呼吸管理が必要です。火山国の日本では特に注意が必要です。
■目への暴露による症状
痛み、流涙、角膜混濁、視力減退、眼球穿孔(せんこう)、結膜の瘢痕(はんこん:俗にあばたと呼ばれ、視力障害または失明)形成。
-フッ化ナトリウム(NaF)の毒性-
米国において水道水に混入されてきましたが、現在はその約6割がヘキサフルオロ圭酸H2SiF6、約3割がヘキサフルオロ圭酸のナトリウム塩であるNa2SiF6に置き換えられています。
歯磨き粉に添加されることもあり、日本におけるフッ素洗口液としても使われています。
が、その毒性は強く、海外では殺鼠剤(さっそざい)、ゴキブリ駆除薬、殺虫剤として使われ、人の経口での致死量は3~5g、あるいは5~10gといわれています。
粉末は粘膜を刺激し、目や皮膚に対する重篤な損傷、目刺激性があり、単回暴露では心臓、肝臓、腎臓、神経系統を、反復暴露では神経系、腎臓、呼吸器を犯すので、工場では防毒マスク、ゴム手袋を装着することが労働安全衛生法で義務付けられている猛毒(“劇物”より危険な“毒物”)です。
また水生生物に対して長期に渡る暴露は有害で、遺伝性疾患の恐れや生殖能また胎児への悪影響の疑がわれています(安全衛生情報センター:化学物質:GHSモデル。MSDS情報)。
フッ化ナトリウムの誤飲による最大の被害としては、第二次大戦中の1943年、米国オレゴン州セーレム市の州立病院で、ゴキブリ駆除薬に含まれるフッ化ナトリウム(NaF、90%濃度)と粉ミルクを間違えて調理されたスクランブル・エッグを食べた人の内、236人が中毒を起こし、うち47人が死亡した事件があります。
あやまって38ℓの卵に7.7kgのフッ化ナトリウムが間違って混入され、しょっぱく、石鹸のような味がしたので多くの患者がスクランブル・エッグを飲み込まず、吐き出して食べ残しましたが、飲み込んで中毒を起こした人たちは「直後に胸焼けと叩かれるような腹痛が起こった。」と述べ、強い吐き気と血の混じった嘔吐、下痢に同時に襲われました。
回収されたスクランブルエッグのフッ化ナトリウム濃度は3.2~13%であったことが確認されています。
食後15分後と1時間.4時間でそれぞれ1名が死亡、多くの中毒者が12~14時間で容態が悪化し、18~20時間で更に44名が死亡し、合計で47人もの人が死亡しました。
が、20時間経過した残りの189名は、病院側の応急処置の効果もあって回復しました。
又、1940.11.11のピッツバーグの救世軍センターでパンケーキに脹らし粉と間違えて混入されたフッ化ナトリウムでも40人が中毒になり、12人が死亡しています。
このようにフッ化水素と比べれば毒性は低いが、それでもフッ化ナトリウムは猛毒であり、また前の記事でみたとおり、洗脳された殺人マシーンの育成にも使われた坑欝(うつ)剤のプロザックや、1995年に日本で起きた地下鉄サリン事件の神経ガス「サリン」の原料でもあります。
ある研究によれば、
4 歳から6 歳までの幼児は、嚥下(えんげ)反射のコントロールがうまく働かないため、歯みがきの際には歯みがき剤を飲み込んでしまうことが多いという結果が出ているそうです。
また1995 年にジョージア医科大学歯学部で行われた研究によると、
その年齢層の子どもの約半数は、歯磨剤を吐き出さずに飲み込んでしまうということが分かっています。
このような危険な物質を使って子供たちに歯磨きやフッ素洗口を勧める人間は全員死刑にしなければなりません!!
-ヘキサフルオロケイ酸(H2SiF6)の毒性-
ケイフッ化水素酸、フルオロ圭酸とも呼びます。水溶液は硫酸並みの強い二塩基酸で、皮膚、気道、眼球、ガラス、陶器、金属を腐食します。経口摂取での半数致死量は430mg/kgで、蒸気の吸引により肺水腫を引き起こす場合もあります。加熱により分解し、猛毒のフッ化水素を生じます。取り扱い時には酸性ガス用防毒マスク、耐酸性保護手袋、保護眼鏡が必要です。
ちなみに珪素はガラスの主原料。
以下は
「フッ素」
からの引用です。
このWHOのレポートは、日本ではほとんど知られていません。是非読んで下さい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
94年、WHO「Technical Report 846」(抜粋)
12.2 Topical fluoride gels for application by the subject
Topical fluoride gels find particular use in two groups of patients who are highly susceptible to caries attack.
A:those undergoing orthdontic treatment
B:those with rampant caries from the xerostomia which follows radiation therapy,or prolonged medication of the head and neck.
12.6.5 Fluoride mouth-rinsing is contraindicated in children under 6 years of age.
局所的フッ化物ゲルは特に齲蝕(うしょく)感受性の高い以下に記述した2つのグループだけに使用される。
A:矯正装置装着者
B:頭頚部(とうけいぶ)癌において放射線照射による放射線炎患者あるいは頭頚部癌において長期に渡る薬物療法患者。
フッ化物による洗口・すすぎは6歳未満の子供には禁忌(きんき)(以上訳はタコ)。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フッ素塗布は通常は使用しないようにと言っているわけですね。
知ってました? でも、幅広く行われていますね。
また、フッ素洗口は幼稚園でも行われていますが、「6歳未満禁忌」となっていますね。
実態と全然違いますね。
実はこのレポートの日本語訳が出版されてますが、フッ素推進論者によって、ウソの訳となっているのです。
だからWHOが言うフッ素の危険性が伝わらず、従来通りのフッ素応用が続けられているのです。
東京歯科大学口腔(こうくう)衛生学の高江洲教授がウソの翻訳本を出版してます。<フッ化物と口腔保健 一世出版 1,942円>
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
問題のウソの訳
12.2 局所的フッ化物ゲルは特に((うしょく),齲蝕)感受性の高い以下に記述した。
2つのグループでの使用がわかっている。
(以下省略)
12.6.5 フッ化物洗口は6歳未満の子供には処方されない。
<訳者注:フッ化物洗口の適応年齢は、通常6歳以上を目安とするが、6歳未満でも洗口が上手にできればその限りではない。〉
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
12.2 では、フッ素塗布は矯正装置装着者と頭頚部癌で放射線照射による放射線炎患者に限る(particular use)とされているのに、「わかっている」と、わけのわからないことを言ってごまかしています。
また、12.6.5 では、
フッ素洗口は6歳未満禁忌(contraindicated)なのに、
「処方されない」などという随分違った表現にしたあげく、
勝手に注釈で「6歳未満でも洗口が上手にできればその限りでない」などとのたまうのには驚きです。
さらに大学関係者などによって、関係学会では言論統制され、まるで薬害AIDSを彷彿(ほうふつ)させる状況です。
製薬メーカー・大学関係者・行政などの利権や地位・名誉のために国民は正しいフッ素の知識を持つことができず、危険にさらされています。
(中略)
~~~~~~~最近の話題~~~~~~
笹川英資「続・悪魔からの警告」第一企画出版 1995 から要約しました。ちょっと過激なことを書いていますが、紹介いたします。
「...人間の免疫を著しく低下させ、人間として生きる意思を失わせ、無気力な家畜に変貌(へんぼう)せしむるというのが、フッ化ナトリウムの最大の特徴である。
また子供を同性愛者にもさせる作用を持つ。フッ化ナトリウムはアルミ工業の廃棄物であり、米国における供給源は1993年度にアルミ製品の売上げが90億ドルもの収益を上げたアルミニウム企業、アルコアである。(中略)
フッ化ナトリウムは免疫を低下させ、中枢神経に決定的なダメージを与える。」
以上引用終わり。
-フッ素と工業-
工業ガスには酸素、窒素といった身近なものから三フッ化窒素(NF3)、四フッ化メタン(CF4)、モノシラン(SiH4)、トリメチルアルミニウム(CH3)3Alなど数百種類があります。が、このうち半導体やテレビ・携帯用液晶パネル、太陽電池パネルなどの製造プロセスの製造に使われるガスのことを、特に電子材料ガスまたは特殊材料ガスと呼び、20~30種類を数えます。
硝子加工の艶消し工程、ステンレス製造工程のスケール処理やピックリング(酸洗)工程、太陽電池パネルや半導体工場でのシリコン酸化膜のエッチングや鍍金(めっき)工程、シリコンウエハーなどの酸洗浄工程で使われています。
これらエレクトロニクス関連の製造プロセスでは、ガスを反応させて分子レベルで超微細加工をする工程を繰り返します。つまり、電子材料ガスがなければ情報化社会を構成する先進エレクトロニクスデバイスは作れず、この分野においての工業ガスの消費量は年々増加しています。
この記事で問題にしているPFC(パー・フルオロ・コンパウンド)やHFC(フルオロカーボン類) 等のフッ素化合物に限らず、電子材料ガスの多くは極めて反応性、爆発性、腐食性が高く、人体にも有害です。
さて、フッ素はオゾン層を破壊するとして冷蔵庫やエアコンでの使用を禁止されたフロンガスの原料であり、原爆製造施設関連やアルミニウム工業や過燐酸(かりんさん)肥料工場だけでなく、製鉄所からも微量排出(フッ素はこの地球上において5番目か6番目に多く存在する元素)され、その廃棄物であるスラグ(鉄鋼カス)にも多く含まれます。
また炭素繊維複合素材なるものの多くはフッ素で加工され、またフライパンなどのテフロン加工にもフッ素が使われています(ホームセンターで大量に安く売られているテフロン加工のフライパンの空焚きはフッソ蒸気の発生が疑われていますので大変危険です)。
特に大型液晶テレビや太陽電池パネルの製造には大量のPHCガスが使われているため高効率の大量処理技術が求められていました。
また水質汚濁防止法の平成13年6月における法改正でフッ素の含有量は海域以外の公共用水域で8mg/ℓ、海域は15mg/ℓ以下にするように改められています。
現在ではこれら有毒ガスの分解・無害化処理と回収リサイクルに多くの企業が取り組み、特に日本は世界的にも低公害化の最先端を走っているとされています。マスコミ報道においては、中国などへの技術指導と技術輸出にも政官財あげて取り組んでいるとされています。
-フッ素の処理とリサイクル-
フッ素の処理方法としてはアルカリ剤と反応させる方法、またイオン交換法、隔膜分離法、無機質系イオン吸着交換剤の使用などがあります。
幸いなことに、多くの工業原料を輸入に頼る日本においてさえ、これらフッ素化合物を比較的無害な蛍石 (フッ化カルシウム;フッ素溶解度=地下水などにフッ素が溶け出す量が一番低い) に還元するためのアルカリ剤である消石灰 (水酸化カルシウム;石灰石を焼成して造られる生石灰※に水を加えたもの。運動場で白線を引くのに使う)は、外国に輸出できるほど大量に産出されています。
よってPFCやHFCガスを分解して発生するフッ化水素(HF)を、下記の反応で蛍石(けいせき:ホタルいし:フッ化カルシウム)にリサイクルすることが可能です。
消石灰 Ca(OH2) +2HF→CaF2+2H2O【反応は推定】
塩化カルシウム CaCl2 +2HF →CaF2+2HCl
ただし新排出基準をクリアーにするためには、この方法だと再度消石灰を投入する二時処理が必要で、大量の活性汚泥が発生する問題がありました。
そこで、この工程で二酸化炭素CO2を吹き込んで未反応の消石灰と反応させ、生成される炭酸カルシウムによって、残ったフッ素を吸着除去させる方法や、あるいは、生石灰 を段階的に投入して汚泥の量を減らし、排出基準を低コストでクリアーする方法も取られています。
炭酸カルシウム CaCO2 +2HF →CaF2+H2CO2 【反応は推定】
生石灰 CaO +2HF →CaF2+H2O 【反応は推定】
このように徐々にフッ素の処理技術も老成しています。
※生石灰に水が加えられると消石灰になりますが、その反応熱で周辺の可燃物が発火して火事が発生することがあるので、昔は危険物扱いでした。
-わが国の現状-
フッ素とその原料である蛍石・フッ素燐灰石は、アルミナからアルミニウムを精錬するのにも欠かせない存在であり、半導体やテレビ・携帯用液晶パネル、太陽電池パネル、炭素繊維複合素材などの製造現場においても今後も必要かつ重要な資源であるといえます。
しかしながら
日本はフッ素を蛍石の状態で、中国などの外国からほぼ全量輸入しています。
そして、資源枯渇の危惧や産出国による輸出規制、また資源外交などから、蛍石やリン鉱石の価格は年々高騰しています。
特にアシッドグレードの蛍石(純度97%以上、シリカ分1%以下)は今世紀中に枯渇(こかつ)が危ぶまれている資源で、また(フッ素)燐灰石(りんかいせき)も重要なフッ素の供給源(と言うよりは燐灰石は農業用肥料の原料で輸入が途絶えれば日本農業は壊滅?)ですが、コスト的な観点からほぼ全量輸入です。
このように、わが国の現状を鑑(かんが)みれば、フッ素のリサイクルは喫緊(きっきん)の課題であると言えます。
が、それなのに人の健康に大きな害を及ぼすフッ素を、水道水や歯磨き粉に添加することは、資源の無駄遣いという観点からも、全く道理に反する大きな犯罪的行為であると考えられます。
以下は
「この人に聞く 宇井 純さん / 高木仁三郎市民科学基金」
からの引用です。
-公害を減らすためには市民が関心を持たなければならない-
例えば、日産科学の富山工場というのがありまして、過リン酸石灰を作っています。そうしますと、過リン酸石灰の原料になる燐灰石の中に、かなりフッ素が含まれています。そこへ硫酸をかけて過リン酸石灰を作るものですから、フッ化水素(HF)が出てきます。
これは工場の周辺にガスとしてばら撒かれて農作物に被害が出るのですが、周辺の住民に聞きますと、グラジオラスの葉に特徴的な枯れかたが出るものですから、だいたいグラジオラスを植えておけば、どこまでガスが来るかわかる。
(そこで)みんなでグラジオラスを(工場の)周りに植えてみたら、工場の方が、みんなが気をつけて(監視して)いるので、ガスを出すのを遠慮するようになった。
(中略)
有名なのは三島の石油コンビナート反対運動の中で、鯉のぼりの向きを見て、風邪を調べた有名な調査があります。これは沼津工業高校の先生方が生徒たちとやったもので、コンビナート反対運動の決め手となった研究です。
また、ゴミの焼却炉周辺の松の枯れ方を調べて、大気汚染の発生源がゴミの焼却炉であったということを突き止めた。
(中略)そういう例があちこちにポツポツ出てきます。
極めつけの例は、高木さんにも教わったのですけど、埼玉大学の市川定夫さんが進めた、紫露草の雄蕊(おしべ)の毛の変色で原子力発電の放射能漏れについて調べるというのがありました。
ムラサキツユクサのおしべというのは、化学実験で、典型的な大きな細胞の例として使うのですけれども……
おしべに単細胞のつながった毛が生えています。先端で分裂して別れておりますが、ある紫露草の品種の雄蕊の毛の先端を放射能が横切りますと、そこのところで細胞の色が変わる。そういう品種がありまして、変色は低い倍率の顕微鏡や虫眼鏡でも見られますが、この変色の調査を、浜岡の原子力発電所でずっとやった例があります。
これはムラサキツユクサが植わっているだけで住民が放射能を監視しているということになりまして、極めて強い圧力になる。
そういう例をあちこちで集めてみますと、だいたい公害は調べれば減る。公害は調査をすれば、「これはいかん」ということで減らす努力が生まれる。
ですから
「調べれば減る」
と言えます。
調べる主体が市民、住民である場合には更に大きな圧力となる。
以上引用終わり。
■グラジオラス


アヤメ科グラジオラス属の植物の総称。別名、唐菖蒲(とうしょうぶ)、阿蘭陀(オランダ)菖蒲。名前は古代ローマの剣であるグラディウスに由来し、葉が剣に似ているからといわれています。東北地方では「ナガラ」「ナガラベソ」などと呼ばれるそうです。
■ムラサキツユクサ
紫露草
雄しべ
雄しべの顕微鏡写真
さらに拡大
ツユクサ科ムラサキツユクサ属の一種又は総称。ムラサキツユクサ属は温暖な地域を中心に200種くらいが分布し、大ムラサキツユクサ、トキワツユクサ、ムラサキゴテン等があります。ムラサキツユクサは、おしべの毛を細胞の原形質流動の観察のためによく使われます。
■過リン酸石灰
過石(かせき)と略称される燐(りん)酸肥料の一種。粉末状に粉砕したリン鉱石に硫酸を作用させることで精製します。単体の物質ではなく、重過石とも呼ばれる第一燐酸カルシウムCa(H2PO4)2・H2O(水)と、硫酸カルシウムCaSO4(石膏:せっこう)の混合物で現代農業には必須の鉱物と言っても過言ではありません。
燐灰石Ca3(PO4)2+硫酸2H2SO4+水2H2O → 重過石Ca(H2PO4)2+石膏2CaSO4・水2H2O
ただし自然界に存在する燐灰石の多くはフッ素燐灰石(フルオロアパタイト) Ca5(PO4)3Fのため、硫酸と反応させる過程でフッ化水素(HF)が発生します。
■燐灰石の種類
フッ素燐灰石(メキシコ産)
同じくフッ素燐灰石、ブルーアパタイト(マダガスカル産)
同じくフッ素燐灰石、無色のルース(スリランカ産)
同じくフッ素燐灰石(ロシア産)
同じくフッ素燐灰石(ロシア産)
同じくフッ素燐灰石(ブラジル産)
水酸燐灰石(白い部分)
同じく水酸燐灰石(緑色の結晶)
同じく水酸燐灰石(緑色の結晶)
炭酸燐灰石(南極産)青色部分
炭酸水酸燐灰石(日本)
炭酸水酸燐灰石(日本)たくさんの白い小さな丸い粒
塩素燐灰石(ブラジル産)
同じく塩素燐灰石
燐灰ウラン石(ブラジル産)
木材と同じくコストの観点から、農業用肥料の原料である燐灰石はほぼ全量が輸入されています。
<転載終了>
1948 ドノーラの殺人スモッグは、大気汚染によるものとしては歴史上2番目の大惨事であった。これは工業化された狭い谷間に、製鉄所や亜鉛の洗練工場から吐き出されたフッ化水素がよどむことでひき起こされた。
このペンシルバニアの町では1万3千人の人口のうち6千人が傷害され、4日目で17人が死亡した。
ピッツバーグのアルコアが10年以上も前に採用したカモフラージュ作戦は、公衆衛生局の戦略にも影響を及ぼした。もし、フッ化水素による深刻な大気汚染を抱えるアメリカのこの12都市の水道がフッ素化されるならば、改善するのに甚(はなは)だしい費用を要する汚染問題もカモフラージュすることができる。そうなれば歯牙フッ素症は飲料水のせいにできるであろうし、権威者連中が「斑状歯は、むし歯の予防のためのフッ素化の取引として受容すべきだ」と書くことも可能である。このために、グランドラピッズ市ほか3都市で進行中のフッ素化の大実験は、実験の終了見込みの5年も前の1950年に突如として「実験の成功」が宣言された。この時期にはフッ素化飲料水の影響下で発育を完了した歯牙などは1本もなかったのであるが、公衆衛生局は50%~60%のむし歯の減少を宣言したのである。
この「成功」で、公衆衛生局は大気汚染問題をカモフラージュするために、空気汚染が甚だしい12都市のフッ素化を急いだ。その後の5年間に、この12都市は全てフッ素化されてしまったのである。これと同じカモフラージュが、アルコアによりオーストラリアで行われた。
1950 ドノーラの悲劇から2年たってアメリカ中の空気がフッ化水素で汚染されているのが公衆衛生局に分かった時、彼らはその分析の方法を、空中のHFレベルの代わりにフッ素イオンの濃度で計ることに転換した。この動機がごまかしにあったことは明らかである。フッ素イオンはフッ素ガスと同様、空中の廃棄物としては毒性を示すことが比較的少ない。
かくして公衆衛生局は、より毒性が強烈なフッ化水素(HF)に代えてフッ素イオンを計測することで、原因物質であるHFのデータが漏洩するのを避け、もう一度フッ化水素をどうにか無視することができたのであった。
1950 50年から51年にかけてアルコアは、飲料水に添加するためのフッ化ナトリウムの販売を宣伝広告した。
1951 51年の初頭にオスカー・ユーイングは、「フッ素化をアメリカ中に推進するため」2百万㌦を配分した。オスカー・ユーイングがある法案の後押しをしたが、これに保守的なアメリカ医師会が、「医学を社会化する最初の一歩だ」として反対した。医師会はこの法案を葬るために会員に「闘争資金」を呼びかけ、3百万㌦が集まった。しかし、ロサンゼルスでのアメリカ医師会定期総会の時に、ユーイングは医師会のある委員会に対して、その法案の撤廃を知らせた。その同じ委員会は、(その委員会はそれまでにそんな議題を審議したことはなかったのであるが) 急遽ステートメントを発表し、アメリカ医師会は全面的に「フッ素化の安全性」を認めると宣言したのである。当時、アメリカ医師会がフッ素化を支持するような論文はそれまでに一つも公表されていなかった。しかし、それ以後、医師会は、フッ素化を、歯科医師やアメリカ歯科医師会を操作する強力な権力のなすままに任せたのである。
1952 アメリカ歯科医師会雑誌は、会員である歯科医師に対して、フッ素については個人的意見を控えるように指導した。ここにアメリカ歯科医師会の政治的偏向の明らかな証拠がある。
1952 ロンドンで気温の逆転による史上最悪のスモッグ公害が12月5日から9日にかけて起こった。以前に起こった二つの惨害と同様、フッ化水素が元凶であった。
この5日間にロンドンだけで普段より2千人が余計に死亡し、周辺のテームスバレイを入れると1万人以上が殺された。
このような騒ぎがロンドンでは、この惨事と前後して何回か起こっている。1955年には有毒ガスのため6百人が死亡し、1956年では5百人、1957年には4百人が死亡した。
1956 6月26日P&G社は、ニューヨーク・タイムズに全紙大の広告をのせ、同社のフッ素入り歯磨剤である「クレスト」は、フレミング博士のペニシリンの発見にも比較すべき医学の重要な道程であると宣伝した。P&Gは、この誇大な広告を支持する科学的根拠については何も触れなかった。アメリカ歯科医師会専務理事のヒレンブランドはこれについて、「どのフッ素入り歯磨剤であろうと、それが虫歯を予防するという根拠は全くない」と述べている。最初はクレストにも、現在の[アメリカ製のフッ素入り歯磨剤には添付が義務づけられている]食品薬品局の警告ラベルが張ってあったのであるが、1958年になると、説明もなしにそれが消え、その後40年間も現れることがなかったのである。
1957 アメリカ歯科医師会は、1957-1973年にかけて、合計6,453,816㌦の助成金を政府から受け取っている。
1958 世界保健機構(WHO)が、ジュネーブに水道フッ素化を研究する専門委員会を設置した。その7人の委員のうち少なくとも5人は、それぞれの国でフッ素化を推進している人物であった。その一人であるアメリカのH・C・ホッジ教授は、ウランの加工で深刻なフッ素の廃棄問題に直面していたアメリカ原子力委員会の資金で研究していたし、スェーデンのエリクソン教授はヨーロッパにおけるフッ素化の推進者として有名で、アメリカの公衆衛生局の資金援助も受けており、スェーデンの歯磨剤メーカーからも特許料を受け取っていた人物である。WHOのフッ素化推進とはこんなことで始まったのである。
1959 レイノルズ・メタルが、セント・ローレンス川の沿岸にアルミニウムの精錬工場を建設した。その場所はモホークインディアンの特別保留地の風上であった。そこの
島には1,500人のインディアンが牧場を作って暮らしていた。45人の農民が40戸の牧舎を作り、364頭の乳牛を飼育していた。牛は次第にビッコになり、死んでしまうものが多くなった。
1977年にはたった177頭しか残らなかった。
農民自身の筋肉や骨にも異常をきたす者が多くなった。モホークの暮らし方が、予防することができたフッ化水素による人工の伝染病の犠牲者を作ったのである。
1960 カナダのフッ素化に関する委員会がトロントで開催された。D・E・ハル博士がここでの審議を指導した。彼女の娘は、フッ素の汚染問題をかかえるアルミニウム会社の社員であった。彼自身もフッ素化に主導的な立場の団体から名誉顧問として待遇されており、彼の大学(西トロント大学)は合衆国公衆衛生局から助成金を受けていた。果せるかな、ここでカナダすべての水道のフッ素化が推奨されたのであった。
1960 8月にアメリカ歯科医師会は科学的根拠が何一つないのに、フッ素入り歯磨剤「クレスト」を「安全かつ有効」であると認定した。P&Gの株は8㌦も値上がりした。コルゲート・パルモリブ、ユニリーバー・アンド・ビーチャムをはじめ世界中の歯磨剤メーカーが、これをきっかけに、歯磨剤にフッ素を添加するというバスに飛び乗った。
1963 スポンサーである産業界への贈り物として、ケタリング研究所が合衆国中のフッ素に関する研究論文を集め、その各論文の知見を改竄するという「消毒」をして「公衆衛生におけるフッ素の役割」と題する要約集を出版した。そのスポンサーとなった企業は、アルコア、アメリカ石油、コロンビア・ジュネーブ製鉄、デュポン、ハーショウ化学、カイザーアルミ化学、ミネソタ鉱業、ペンシルバニア製塩、レイノルズメタル、国際石油製造などであった。これらの企業はいずれも、フッ素の大気汚染に関する規制や労働者の健康問題に関係あるものばかりであった。この158論文の「消毒」された要約集は合衆国中の保健機関に配付され、州や国の保健部の役人が引用する基準となった。多忙な保健の専門家たちは、消毒されていない原著を渉猟するよりも、この簡便で入手が容易な要約集を参考にした。このため保健に関する合衆国中の主な専門家が、フッ素中毒の問題で騙され続けたのだ。
1988 バテレ記念研究所が公衆衛生局に対して、フッ素の発ガン性に関する動物実験の結果を報告書として掲出した。そこには、フッ素とガンの発生の関連性は極めて強いと述べられていた
▼http://members.jcom.home.ne.jp/tomura/murakami/page3.3.htm
「… 人間の免疫を著しく低下させ、人間をして生きる意思を失わせ、無気力な家畜に変貌せしむるというのが、フッ化ナトリウムの最大の特徴である。また平常な子供を同性愛者にもさせる作用を持つ。
フッ化ナトリウムはアルミ工業の廃棄物であり、米国に於ける供給源は1993年度にアルミ製品の売上げが90億㌦もの収益を上げたアルミニウム企業、アルコアである。
(略)フッ化ナトリウムは免疫を低下させ、中枢神経に決定的なダメージを与えるのみならず腎臓に蓄積されたり、ガンにも移行したりする。
水道水にフッ化ナトリウムが投入されている都市で、水道水を使用して料理をすれば濃縮した形でフッ化ナトリウムを吸収することになる。さらに、子供がフッ化ナトリウム含有の歯磨きを朝晩使用すれば、確実に将来の家畜となる。
(中略)
毒性の非常に高いフッ化ナトリウムはネコイラズにのみ使用されるべきである。ちなみに歯磨きにフッ素と書いてあったらフッ化ナトリウムのことである。
フッ化ナトリウムの使用は旧ソ連の強制収容所での人体実験に基づく。当初は狂暴な動物にフッ化ナトリウム含有の飲料水を飲ませていると、次第におとなしくなることが知られていた。1940年以来のソ連の強制収容所では、囚人に与える飲料水中のフッ化ナトリウムを次第に増加させた実験の結果、当初は体制に反抗的であった政治犯もいちいち銃殺せずとも、全くおとなしい羊に変えられることが判明した。」
「… 最近の日本の研究者の発表を待つまでもなく、アルミがアルツハイマーの原因であることは、かなり以前から知られていた(そして隠されつづけて来た)。解剖によってアルツハイマー病患者は健康人よりも6倍も多くアルミの蓄積が見られる。
ではなぜアルツハイマー病の原因は不明であるとされているのか。その理由は簡単で、アルミ製造のアルコアがロスチャイルド/ロックフェラー・シンジケートに直結しており、医学界、製薬業界が彼らの支配下にあるからである。
(中略)
アルミは神経細胞を侵す特徴を持ち、ボケ老人は長年にわたる味の素の使用に加え、脳に大量のアルミが蓄積されている。動物実験を何回繰り返しても、リンパ系、脳細胞中のアルミのレベルが上昇するにつれて行動、記憶力に異常が発生する。また体内に侵入したアルミは骨格中のカルシウムをも流出させる。
(中略)
アルミ中毒の原因はアルミ製食器、アルミ罐に加え、酸中和剤(胃薬)、透析、歯磨き、ワクチンなどである。このようなワクチンの接種を子供が何回も受けると、神経症発生率が非常に高い。
以下は
「骨も“歯”もむしばむフッ素 インドでは『フッ素症』患者が6千万人以上」
からの引用です。
-公害の始まりは「フッ素」-
産業革命初期も、大気汚染が極めて深刻な問題だった。この元凶として最悪なのは製鉄や精銅工場であった。これらの工場の煙突が吐き出す煙や灰は、周辺の人畜や農作物などに甚大な被害を及ぼし、疾病をひき起こした。
その時代にはまだ不明だったが、この排出物の中で最も恐るべき化学物質はフッ化水素(HF)だった。これは現在ではPPBレベル[訳注:10億分の1パーツパービリオン]でも有害なことが分かっている。
この頃では大気汚染に関連して一般に使われるフッ素という用語には、フルオライドといわずにフルオリンという言葉が使われていた。19世紀末にはフッ化水素は産業廃棄物と同一視されており、それがどのような害をもたらすかは、汚染源である工場の周辺では自明のことだった。
[近代初期のヨーロッパの公害]
1855ドイツ・フライブルグの精錬工場がフッ素の排出で付近の住民に障害を与え、ヨーロッパで最初の補償金を支払った。
1893 フライブルグの精錬工場がフッ素汚染の被害のため88万マルクの補償金を支払い、永久的な救済のため6万4千マルクを支払った。
1900 ドイツとイギリスでは、フッ素被害による訴訟での相次ぐ敗訴と厄介な法的規制のため、精錬工場の存在そのものが危うくなった。
1907 フライブルグ周辺で20年あまりも牛に流行している疾病の原因が、精錬工場に起因するフッ素中毒であると確認された。
1912 牛のフッ素中毒症は、イタリーの過燐酸工場の近くでも報告された。1890年代には、過燐酸肥料工場の周辺で植物がダメになるという苦情が数え切れないくらい相次いだ。
1918 スイスでも、アルミニウム工場の周辺で牛の中毒が起こった。アルミニウムの精錬には、融剤として蛍石(けいせき又はホタルいし。フッ素49% CaF2)と氷晶石(ひょうしょうせき:フッ素54% Na3AIF6)が用いられるため、これが主な原因となってフッ素の大気汚染が起こったのである。
米国でのフッ素公害カモフラージュ作戦は、1931年に、アルコア(アメリカ・アルミニウム株式会社)の主任化学者であるH・V・チャーチルによって開始された。
彼は、ピッツバーグの子供に見つかった斑状歯は「水中のフッ素に原因がある(タコ注:つまり大気汚染は関係ないと言いたいわけだ。)」と述べた。ピッツバーグはアルコアの精錬工場がある所だ。このトリックは、5月31日づけのピッツバーグ・プレスの記事となって記録に残っている。その見出しには、「当地の科学者が子供の歯を黒変する謎の毒物を発見」とある。チャーチルの言明は、「斑状歯の原因は水中のフッ素だけである」という印象を大衆に植えこんだ。今日ではこの非難は、フッ素入り歯磨剤に移っている。
そして、戦後になると、「人間にはフッ素が必要であり、誰もがフッ素を摂取出来るようにするために水道水に添加すべきだ」という主張までが登場した。この戦略の狙いは、廃棄物としてのフッ素に無数の“投棄場所”を供給することにあった。
フッ素に対する世間のイメージはこのようかたちで刷り込まれ、1960年代中期以降になると、この目的にために、テレビのコマーシャルが盛んに使われ、クレストのフッ素入り歯磨剤の広告には1年で3千万ドルも使われた。
フッ素に対する世間のイメージの形成を進めると同時に、産業界は政府機関にも働きかけた。
合衆国公衆衛生局(USPHS) や、後になると環境保護庁(EPA) が、産業廃棄物である有害なフッ素の投棄で、逆に企業が利益をあげられるよう協力したのである。
そして、アメリカ歯科医師会もフッ素化に関して最も有名かつ活発な推進者となった。この推進は、歯科医師全体の意向を装った小規模な派閥が行っている。
世間はアメリカ歯科医師会を公正な専門家の集団とみなす傾向があるが、たんなる同業者団体にすぎない。
彼らはフッ素化によって歯科医師の収入が減るのも厭(いと)わず、虫歯予防という歯科医師の役割の倫理性さえ強調してみせる。
しかし、歯牙フッ素症の修復に必要な美容歯科はたいへん高額で、かえって歯科医師の収入を増やしているというのが実情である。
以上引用終わり。
以下は
Wikipedia.フッ素
からの引用です。
1800年、イタリアのアレッサンドロ・ボルタが発見した電池が、電気分解という元素発見に極めて有効な武器をもたらした。
デービーは1806年から電気化学の研究を始めると、カリウム、ナトリウム、カルシウム、ストロンチウム、マグネシウム、バリウム、ホウ素を次々と単離。しかし1813年の実験では電気分解の結果、漏れ出たフッ素で短時間の中毒に陥ってしまう。デービーの能力を持ってしてもフッ素は単離できなかった。
単体のフッ素の酸化力の高さゆえである。実験器具自体が破壊されるばかりか、人体に有害なフッ素を分離・保管することもできない。
アイルランドのクノックス兄弟は実験中に中毒になり、1人は3年間寝たきりになってしまう。
ベルギーの Paulin Louyetとフランスのジェローム・ニクレも相次いで死亡する。
1869年、ジョージ・ゴアは無水フッ化水素に直流電流を流して、水素とフッ素を得たが、即座に爆発的な反応がおきた。しかし、偶然にも怪我一つなかったという。
ようやく1886年、アンリ・モアッサンが単離に成功する。白金・イリジウム電極を用いたこと、蛍石(CaF2 )をフッ素の捕集容器に使ったこと、電気分解を-50℃という低温下で進めたことが成功の鍵だった。材料にも工夫があり、フッ化水素カリウム(KHF2)の無水フッ化水素(HF)溶液を用いた。
だがモアッサンも無傷というわけにはいかず、この実験の過程で片目の視力を失っている。
フッ素単離の功績から、1906年のノーベル化学賞はモアッサンが獲得した。
翌年、モアッサンは急死しているが、フッ素単離と急死との関係は不明である。
以上引用終わり。
-フッ化水素(HF)の毒性-
水溶液はフッ化水素酸と呼びます。
人の最小経口致死量=1.5g、又は体重1kg当り20mg(20mg/kg)です。わずか9%溶液でのティスプーン1杯(15ml)の誤飲での死亡例もある毒物です。
クリーニングの染み抜き剤などにも使われ、皮膚に接触すると体内に容易に浸透し、体内のカルシウムイオンと結合してフッ化カルシウムを生じ、骨を冒します。
腐食作用による局所症状だけでなく、全身症状が全経路で発現し、死に至ることがあり、皮膚接触の場合の応急処置は直ちに流水で洗い流してグルコン酸カルシウムを患部に塗布する必要があります。
濃度が薄い場合には生じたフッ化カルシウム結晶により数時間後にうずくような痛みに襲われ、また、暴露量が多いと血液中のカルシウムが急激に消費されるため低カルシウム血症を引き起こし、意識がはっきりした状態のまま、心室細動を起こして死亡します。
義歯の製造過程でも使われ、あわせて虫歯予防でフッ化ナトリウム(NaF)も使われることから、両者の取り違えによる死亡事故も発生しています(「虫歯治療の幼女急死 昭和57年4月22日」)。
■経口摂取による症状
軽度な症状:傷み、組織凝固による水疱(すいほう)形成、嘔吐、下痢、腹痛、流涎(りゅうぜん:りゅうせん。よだれがダラダラ流れ出る症状)、嚥下(えんげ)困難、吐血を伴う出血性胃腸炎、咽頭(いんとう)浮腫による気道閉塞。
重篤(じゅうとく)な場合:低カルシウムまたは低マグネシウム血症、高カリウム血症、代謝性アシドーシス(生体の血液のPH:ペーハーを酸性に傾けようとする症状。逆に塩基に傾けようとする反応はアルカローシスという。共に呼吸抑制から死に至る。)、心筋傷害、不整脈、心室細動、昏迷(軽度の意識障害)、昏睡、呼吸不全。
■皮膚接触による症状
激しい痛み、凝固による白色化と水疱形成、進行性の組織崩壊。ただし痛みや紅斑は濃度20%以下では暴露後24時間以内では出現しないことがあるので注意が必要です。痛みがなくても、無処置の場合には組織の崩壊が進行し、指先の暴露であれば爪下(そうか)組織まで崩壊するので、量の多小によらず必ず医療機関で受診することが必要です。
■蒸気の吸入よる症状
重篤な咽喉刺激、咳、呼吸困難、チアノーゼ、肺障害、肺水腫、咽頭浮腫による気道閉塞。
肺水腫の症状は24時間遅れて出現することもあります。動脈血のガス分析と胸部レントゲンで厳重な観察下のもと、呼吸管理が必要です。火山国の日本では特に注意が必要です。
■目への暴露による症状
痛み、流涙、角膜混濁、視力減退、眼球穿孔(せんこう)、結膜の瘢痕(はんこん:俗にあばたと呼ばれ、視力障害または失明)形成。
-フッ化ナトリウム(NaF)の毒性-
米国において水道水に混入されてきましたが、現在はその約6割がヘキサフルオロ圭酸H2SiF6、約3割がヘキサフルオロ圭酸のナトリウム塩であるNa2SiF6に置き換えられています。
歯磨き粉に添加されることもあり、日本におけるフッ素洗口液としても使われています。
が、その毒性は強く、海外では殺鼠剤(さっそざい)、ゴキブリ駆除薬、殺虫剤として使われ、人の経口での致死量は3~5g、あるいは5~10gといわれています。
粉末は粘膜を刺激し、目や皮膚に対する重篤な損傷、目刺激性があり、単回暴露では心臓、肝臓、腎臓、神経系統を、反復暴露では神経系、腎臓、呼吸器を犯すので、工場では防毒マスク、ゴム手袋を装着することが労働安全衛生法で義務付けられている猛毒(“劇物”より危険な“毒物”)です。
また水生生物に対して長期に渡る暴露は有害で、遺伝性疾患の恐れや生殖能また胎児への悪影響の疑がわれています(安全衛生情報センター:化学物質:GHSモデル。MSDS情報)。
フッ化ナトリウムの誤飲による最大の被害としては、第二次大戦中の1943年、米国オレゴン州セーレム市の州立病院で、ゴキブリ駆除薬に含まれるフッ化ナトリウム(NaF、90%濃度)と粉ミルクを間違えて調理されたスクランブル・エッグを食べた人の内、236人が中毒を起こし、うち47人が死亡した事件があります。
あやまって38ℓの卵に7.7kgのフッ化ナトリウムが間違って混入され、しょっぱく、石鹸のような味がしたので多くの患者がスクランブル・エッグを飲み込まず、吐き出して食べ残しましたが、飲み込んで中毒を起こした人たちは「直後に胸焼けと叩かれるような腹痛が起こった。」と述べ、強い吐き気と血の混じった嘔吐、下痢に同時に襲われました。
回収されたスクランブルエッグのフッ化ナトリウム濃度は3.2~13%であったことが確認されています。
食後15分後と1時間.4時間でそれぞれ1名が死亡、多くの中毒者が12~14時間で容態が悪化し、18~20時間で更に44名が死亡し、合計で47人もの人が死亡しました。
が、20時間経過した残りの189名は、病院側の応急処置の効果もあって回復しました。
又、1940.11.11のピッツバーグの救世軍センターでパンケーキに脹らし粉と間違えて混入されたフッ化ナトリウムでも40人が中毒になり、12人が死亡しています。
このようにフッ化水素と比べれば毒性は低いが、それでもフッ化ナトリウムは猛毒であり、また前の記事でみたとおり、洗脳された殺人マシーンの育成にも使われた坑欝(うつ)剤のプロザックや、1995年に日本で起きた地下鉄サリン事件の神経ガス「サリン」の原料でもあります。
ある研究によれば、
4 歳から6 歳までの幼児は、嚥下(えんげ)反射のコントロールがうまく働かないため、歯みがきの際には歯みがき剤を飲み込んでしまうことが多いという結果が出ているそうです。
また1995 年にジョージア医科大学歯学部で行われた研究によると、
その年齢層の子どもの約半数は、歯磨剤を吐き出さずに飲み込んでしまうということが分かっています。
このような危険な物質を使って子供たちに歯磨きやフッ素洗口を勧める人間は全員死刑にしなければなりません!!
-ヘキサフルオロケイ酸(H2SiF6)の毒性-
ケイフッ化水素酸、フルオロ圭酸とも呼びます。水溶液は硫酸並みの強い二塩基酸で、皮膚、気道、眼球、ガラス、陶器、金属を腐食します。経口摂取での半数致死量は430mg/kgで、蒸気の吸引により肺水腫を引き起こす場合もあります。加熱により分解し、猛毒のフッ化水素を生じます。取り扱い時には酸性ガス用防毒マスク、耐酸性保護手袋、保護眼鏡が必要です。
ちなみに珪素はガラスの主原料。
以下は
「フッ素」
からの引用です。
このWHOのレポートは、日本ではほとんど知られていません。是非読んで下さい。
94年、WHO「Technical Report 846」(抜粋)
12.2 Topical fluoride gels for application by the subject
Topical fluoride gels find particular use in two groups of patients who are highly susceptible to caries attack.
A:those undergoing orthdontic treatment
B:those with rampant caries from the xerostomia which follows radiation therapy,or prolonged medication of the head and neck.
12.6.5 Fluoride mouth-rinsing is contraindicated in children under 6 years of age.
局所的フッ化物ゲルは特に齲蝕(うしょく)感受性の高い以下に記述した2つのグループだけに使用される。
A:矯正装置装着者
B:頭頚部(とうけいぶ)癌において放射線照射による放射線炎患者あるいは頭頚部癌において長期に渡る薬物療法患者。
フッ化物による洗口・すすぎは6歳未満の子供には禁忌(きんき)(以上訳はタコ)。
フッ素塗布は通常は使用しないようにと言っているわけですね。
知ってました? でも、幅広く行われていますね。
また、フッ素洗口は幼稚園でも行われていますが、「6歳未満禁忌」となっていますね。
実態と全然違いますね。
実はこのレポートの日本語訳が出版されてますが、フッ素推進論者によって、ウソの訳となっているのです。
だからWHOが言うフッ素の危険性が伝わらず、従来通りのフッ素応用が続けられているのです。
東京歯科大学口腔(こうくう)衛生学の高江洲教授がウソの翻訳本を出版してます。<フッ化物と口腔保健 一世出版 1,942円>
問題のウソの訳
12.2 局所的フッ化物ゲルは特に((うしょく),齲蝕)感受性の高い以下に記述した。
2つのグループでの使用がわかっている。
(以下省略)
12.6.5 フッ化物洗口は6歳未満の子供には処方されない。
<訳者注:フッ化物洗口の適応年齢は、通常6歳以上を目安とするが、6歳未満でも洗口が上手にできればその限りではない。〉
12.2 では、フッ素塗布は矯正装置装着者と頭頚部癌で放射線照射による放射線炎患者に限る(particular use)とされているのに、「わかっている」と、わけのわからないことを言ってごまかしています。
また、12.6.5 では、
フッ素洗口は6歳未満禁忌(contraindicated)なのに、
「処方されない」などという随分違った表現にしたあげく、
勝手に注釈で「6歳未満でも洗口が上手にできればその限りでない」などとのたまうのには驚きです。
さらに大学関係者などによって、関係学会では言論統制され、まるで薬害AIDSを彷彿(ほうふつ)させる状況です。
製薬メーカー・大学関係者・行政などの利権や地位・名誉のために国民は正しいフッ素の知識を持つことができず、危険にさらされています。
(中略)
~~~~~~~最近の話題~~~~~~
笹川英資「続・悪魔からの警告」第一企画出版 1995 から要約しました。ちょっと過激なことを書いていますが、紹介いたします。
「...人間の免疫を著しく低下させ、人間として生きる意思を失わせ、無気力な家畜に変貌(へんぼう)せしむるというのが、フッ化ナトリウムの最大の特徴である。
また子供を同性愛者にもさせる作用を持つ。フッ化ナトリウムはアルミ工業の廃棄物であり、米国における供給源は1993年度にアルミ製品の売上げが90億ドルもの収益を上げたアルミニウム企業、アルコアである。(中略)
フッ化ナトリウムは免疫を低下させ、中枢神経に決定的なダメージを与える。」
以上引用終わり。
-フッ素と工業-
工業ガスには酸素、窒素といった身近なものから三フッ化窒素(NF3)、四フッ化メタン(CF4)、モノシラン(SiH4)、トリメチルアルミニウム(CH3)3Alなど数百種類があります。が、このうち半導体やテレビ・携帯用液晶パネル、太陽電池パネルなどの製造プロセスの製造に使われるガスのことを、特に電子材料ガスまたは特殊材料ガスと呼び、20~30種類を数えます。
硝子加工の艶消し工程、ステンレス製造工程のスケール処理やピックリング(酸洗)工程、太陽電池パネルや半導体工場でのシリコン酸化膜のエッチングや鍍金(めっき)工程、シリコンウエハーなどの酸洗浄工程で使われています。
これらエレクトロニクス関連の製造プロセスでは、ガスを反応させて分子レベルで超微細加工をする工程を繰り返します。つまり、電子材料ガスがなければ情報化社会を構成する先進エレクトロニクスデバイスは作れず、この分野においての工業ガスの消費量は年々増加しています。
この記事で問題にしているPFC(パー・フルオロ・コンパウンド)やHFC(フルオロカーボン類) 等のフッ素化合物に限らず、電子材料ガスの多くは極めて反応性、爆発性、腐食性が高く、人体にも有害です。
さて、フッ素はオゾン層を破壊するとして冷蔵庫やエアコンでの使用を禁止されたフロンガスの原料であり、原爆製造施設関連やアルミニウム工業や過燐酸(かりんさん)肥料工場だけでなく、製鉄所からも微量排出(フッ素はこの地球上において5番目か6番目に多く存在する元素)され、その廃棄物であるスラグ(鉄鋼カス)にも多く含まれます。
また炭素繊維複合素材なるものの多くはフッ素で加工され、またフライパンなどのテフロン加工にもフッ素が使われています(ホームセンターで大量に安く売られているテフロン加工のフライパンの空焚きはフッソ蒸気の発生が疑われていますので大変危険です)。
特に大型液晶テレビや太陽電池パネルの製造には大量のPHCガスが使われているため高効率の大量処理技術が求められていました。
また水質汚濁防止法の平成13年6月における法改正でフッ素の含有量は海域以外の公共用水域で8mg/ℓ、海域は15mg/ℓ以下にするように改められています。
現在ではこれら有毒ガスの分解・無害化処理と回収リサイクルに多くの企業が取り組み、特に日本は世界的にも低公害化の最先端を走っているとされています。マスコミ報道においては、中国などへの技術指導と技術輸出にも政官財あげて取り組んでいるとされています。
-フッ素の処理とリサイクル-
フッ素の処理方法としてはアルカリ剤と反応させる方法、またイオン交換法、隔膜分離法、無機質系イオン吸着交換剤の使用などがあります。
幸いなことに、多くの工業原料を輸入に頼る日本においてさえ、これらフッ素化合物を比較的無害な蛍石 (フッ化カルシウム;フッ素溶解度=地下水などにフッ素が溶け出す量が一番低い) に還元するためのアルカリ剤である消石灰 (水酸化カルシウム;石灰石を焼成して造られる生石灰※に水を加えたもの。運動場で白線を引くのに使う)は、外国に輸出できるほど大量に産出されています。
よってPFCやHFCガスを分解して発生するフッ化水素(HF)を、下記の反応で蛍石(けいせき:ホタルいし:フッ化カルシウム)にリサイクルすることが可能です。
消石灰 Ca(OH2) +2HF→CaF2+2H2O【反応は推定】
塩化カルシウム CaCl2 +2HF →CaF2+2HCl
ただし新排出基準をクリアーにするためには、この方法だと再度消石灰を投入する二時処理が必要で、大量の活性汚泥が発生する問題がありました。
そこで、この工程で二酸化炭素CO2を吹き込んで未反応の消石灰と反応させ、生成される炭酸カルシウムによって、残ったフッ素を吸着除去させる方法や、あるいは、生石灰 を段階的に投入して汚泥の量を減らし、排出基準を低コストでクリアーする方法も取られています。
炭酸カルシウム CaCO2 +2HF →CaF2+H2CO2 【反応は推定】
生石灰 CaO +2HF →CaF2+H2O 【反応は推定】
このように徐々にフッ素の処理技術も老成しています。
※生石灰に水が加えられると消石灰になりますが、その反応熱で周辺の可燃物が発火して火事が発生することがあるので、昔は危険物扱いでした。
-わが国の現状-
フッ素とその原料である蛍石・フッ素燐灰石は、アルミナからアルミニウムを精錬するのにも欠かせない存在であり、半導体やテレビ・携帯用液晶パネル、太陽電池パネル、炭素繊維複合素材などの製造現場においても今後も必要かつ重要な資源であるといえます。
しかしながら
日本はフッ素を蛍石の状態で、中国などの外国からほぼ全量輸入しています。
そして、資源枯渇の危惧や産出国による輸出規制、また資源外交などから、蛍石やリン鉱石の価格は年々高騰しています。
特にアシッドグレードの蛍石(純度97%以上、シリカ分1%以下)は今世紀中に枯渇(こかつ)が危ぶまれている資源で、また(フッ素)燐灰石(りんかいせき)も重要なフッ素の供給源(と言うよりは燐灰石は農業用肥料の原料で輸入が途絶えれば日本農業は壊滅?)ですが、コスト的な観点からほぼ全量輸入です。
このように、わが国の現状を鑑(かんが)みれば、フッ素のリサイクルは喫緊(きっきん)の課題であると言えます。
が、それなのに人の健康に大きな害を及ぼすフッ素を、水道水や歯磨き粉に添加することは、資源の無駄遣いという観点からも、全く道理に反する大きな犯罪的行為であると考えられます。
以下は
「この人に聞く 宇井 純さん / 高木仁三郎市民科学基金」
からの引用です。
-公害を減らすためには市民が関心を持たなければならない-
例えば、日産科学の富山工場というのがありまして、過リン酸石灰を作っています。そうしますと、過リン酸石灰の原料になる燐灰石の中に、かなりフッ素が含まれています。そこへ硫酸をかけて過リン酸石灰を作るものですから、フッ化水素(HF)が出てきます。
これは工場の周辺にガスとしてばら撒かれて農作物に被害が出るのですが、周辺の住民に聞きますと、グラジオラスの葉に特徴的な枯れかたが出るものですから、だいたいグラジオラスを植えておけば、どこまでガスが来るかわかる。
(そこで)みんなでグラジオラスを(工場の)周りに植えてみたら、工場の方が、みんなが気をつけて(監視して)いるので、ガスを出すのを遠慮するようになった。
(中略)
有名なのは三島の石油コンビナート反対運動の中で、鯉のぼりの向きを見て、風邪を調べた有名な調査があります。これは沼津工業高校の先生方が生徒たちとやったもので、コンビナート反対運動の決め手となった研究です。
また、ゴミの焼却炉周辺の松の枯れ方を調べて、大気汚染の発生源がゴミの焼却炉であったということを突き止めた。
(中略)そういう例があちこちにポツポツ出てきます。
極めつけの例は、高木さんにも教わったのですけど、埼玉大学の市川定夫さんが進めた、紫露草の雄蕊(おしべ)の毛の変色で原子力発電の放射能漏れについて調べるというのがありました。
ムラサキツユクサのおしべというのは、化学実験で、典型的な大きな細胞の例として使うのですけれども……
おしべに単細胞のつながった毛が生えています。先端で分裂して別れておりますが、ある紫露草の品種の雄蕊の毛の先端を放射能が横切りますと、そこのところで細胞の色が変わる。そういう品種がありまして、変色は低い倍率の顕微鏡や虫眼鏡でも見られますが、この変色の調査を、浜岡の原子力発電所でずっとやった例があります。
これはムラサキツユクサが植わっているだけで住民が放射能を監視しているということになりまして、極めて強い圧力になる。
そういう例をあちこちで集めてみますと、だいたい公害は調べれば減る。公害は調査をすれば、「これはいかん」ということで減らす努力が生まれる。
ですから
「調べれば減る」
と言えます。
調べる主体が市民、住民である場合には更に大きな圧力となる。
以上引用終わり。
■グラジオラス
アヤメ科グラジオラス属の植物の総称。別名、唐菖蒲(とうしょうぶ)、阿蘭陀(オランダ)菖蒲。名前は古代ローマの剣であるグラディウスに由来し、葉が剣に似ているからといわれています。東北地方では「ナガラ」「ナガラベソ」などと呼ばれるそうです。
■ムラサキツユクサ
ツユクサ科ムラサキツユクサ属の一種又は総称。ムラサキツユクサ属は温暖な地域を中心に200種くらいが分布し、大ムラサキツユクサ、トキワツユクサ、ムラサキゴテン等があります。ムラサキツユクサは、おしべの毛を細胞の原形質流動の観察のためによく使われます。
■過リン酸石灰
過石(かせき)と略称される燐(りん)酸肥料の一種。粉末状に粉砕したリン鉱石に硫酸を作用させることで精製します。単体の物質ではなく、重過石とも呼ばれる第一燐酸カルシウムCa(H2PO4)2・H2O(水)と、硫酸カルシウムCaSO4(石膏:せっこう)の混合物で現代農業には必須の鉱物と言っても過言ではありません。
燐灰石Ca3(PO4)2+硫酸2H2SO4+水2H2O → 重過石Ca(H2PO4)2+石膏2CaSO4・水2H2O
ただし自然界に存在する燐灰石の多くはフッ素燐灰石(フルオロアパタイト) Ca5(PO4)3Fのため、硫酸と反応させる過程でフッ化水素(HF)が発生します。
■燐灰石の種類
同じくフッ素燐灰石(ブラジル産)
同じく塩素燐灰石
木材と同じくコストの観点から、農業用肥料の原料である燐灰石はほぼ全量が輸入されています。
<転載終了>
ウォルドボット博士らの臨床データを抹殺しようとしたのか
フッ素は、波動的に非常に重要な松果体を傷害する、最悪の物質です。かつては奴隷化に用いられていたなど、自主的な思考感情を欠如させます。そしてフッ素は、波動的に最悪な原子力産業の要求から、一般に供給されていきました。
そういう連中が、知ってか知らずかそういう悪影響をもたらし、体も精神も社会も悪化した。そして権威と奴隷、この2つが蔓延した。原子力を推進する連中は、波動が低いし、権威主義か奴隷根性を持つ。これらは全部繋がっていますね。