相変わらずツイッターが、人々の倫理的逸脱を可視化しています。
土下座を強要させたモンスタークレーマー
(J-CASTニュースより)
騒動の発端はこんな感じ。
投稿者は9月3日、北海道札幌市の「しまむら苗穂店」で撮影した画像をツイッター上に複数回アップした。そこに写るのは、売り場の床に正座し、手を膝の付近であわせて深々と頭を下げる2人の女性店員だ。ツイートはほぼ同じ文面だが、いずれも「店長代理●●と平社員●●」(●は編集部によるもの)と実名まで晒している。
土下座写真の公開は行き過ぎだと、ネット上では多数の批判が集まっています。
438: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 23:22:43.89 ID:i7qKH6Ds0
この女本当に日本人か?
いや人間としてどうなのか疑うレベル452: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 23:23:49.34 ID:ZCgTDqvsi
こいつだけは許したくないな
アカウントはすでに消されていますが、2chでは個人情報の特定も進められているようです。「馬鹿なことをする→個人情報が特定される」という流れも、もはや様式化しつつありますね。
こうした動きを受けて、ツイッターでは「個人情報が晒されて当然だ」「頭が悪すぎる」「こういう下劣な行為をさせる愚かな客モドキは、実名晒して鉄槌を!」といった声も散見されます。
「晒し」という私的制裁
さて、「こういう下劣な行為をさせる愚かな客モドキは、実名晒して鉄槌を!」という論理は、「それ、問題になっているクレーマーと同じことをしてるだけじゃない?」という疑問を抱かざるを得ません。
土下座写真を晒した人も「こういう下劣な行為をさせる愚かな『店員モドキ』は、実名晒して鉄槌を!」と思ったのではないでしょうか。晒した人は、晒した人なりの個人的な「正義」を実践していた、と。
本来、こうした倫理的な逸脱に対しては、法律によって、または、人々の倫理観を醸成することで対処すべきです。
ぼくら市民が個人情報の暴露という「私刑」を行うことは、法治国家の原理原則に反します。「法律が罰しないから、オレたちが制裁を与えるんだ」という論理は、原理的に、チンピラのリンチと変わりません。個人的な正義を議論によって、法律という共同体的な正義にまで昇華するのが、法治国家における市民のあリ方でしょう。
どうしても法律で解決できないというのなら、加害者を直接罰しない形で、こういった行いが悪いことであることを、市民同士で共有する努力をすべきです。たとえば子どもたちに教育を行う、安易に謝らないよう業界ルールを作る、などなど。
市民が自ら、公衆の面前で他人を罰することは、なにより過ちを犯した人の人生を毀損させることになります。彼、彼女は法的な罪を犯したわけではないのにも関わらず。「ざまあみろ」「自業自得だ」と感じる人もいるのかもしれませんが、それは恐ろしい論理なのですよ。
私的制裁は、一歩間違えれば自分が刃を向けられる対象になりかねません。「法には触れないけれど、なんとなく許せないこと」をしてしまったが最後、みなさんも裁きに遭うでしょう。「どんな行為が裁かれるのかに関する明確なルールがない」という状況は、人々を萎縮させます。う。
「晒し」という行為は、市民の道徳を維持するために必須ではありません。「こういう下劣な行為をさせる愚かな客モドキは、実名晒して鉄槌を!」ではなく、「こういう下劣な行為が減るように、市民の倫理観を醸成していくべきだ」が、より正しい答えです。前者の発言では、「報復」が最優先の課題に位置づけられてしまいます。
「晒し」を求める彼らには、自分自身が、まさに自分が攻撃している相手と同じ論理で行為していることに、ぜひとも気づいてほしいところです。やるべきことは復讐ではなく、問題解決です。
価格の問題ではない
また、「しまむらのような安い店にここまで求めるのはおかしい」という論理も散見されましたが、これについても違和感を覚えます。
もしもそうであるのなら、「価格の高い店なら、土下座させて写真を晒してもいい」ということになります。高級ブランド店のスタッフなら土下座をさせてもいいのでしょうか?そうではないでしょう。
この種の倫理的な問題に、金銭の多寡を持ち込むのは危険です。お金があれば、倫理的に逸脱してもよいこと(お金があれば誰かを土下座させてもよいこと)になってしまいますから。「悪い」ものは「悪い」んです。そこに、お金は関係ありません。
こうしたネット上の私的制裁の流れは、今後も当面はとどまることはないのでしょう。相互監視のセンサーが張り巡らされた、閉塞感の強い社会にならないよう、「悪いことは悪い」と正しく判断できる人が増えていくことを望みます。どうすればこうした問題が解決されるのか、ぜひみなさまのご意見をください。