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賛同人一覧

賛同人名一覧 [あいうえお順]

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頂いたコメント一覧

  • 三木譲 (差別・排外主義に反対する連絡会) NEW!

    差別・排外主義に反対する連絡会です。はじめまして。
    ヘイトスピーチをまき散らしながらヘイトデモが街を通り抜ける。深く人を傷つけながら。
    街の色が抜けていく。人々はじっと押し黙る。悲しみが深くなる。
    僕達にはきらびやかな言葉はつづれない。
    でもこの街で働き、出会い、次の世代を育てていく毎日を本当に大切にしたい。
    差別に、ヘイトスピーチに、そしてヘイトクライムに直面した当事者の皆さんの怒りや悲しみや絶望を想像することはとても難しい。
    でも静かにそのお話に耳を傾け「僕達にできることはありますか」とたずねながら、僕達は試行錯誤を続ける。
    東京大行進、そして923ACTIONで声を街に届けよう。

    生きる権利に国境はない!
    私たちの仲間に手を出すな!
    差別・排外主義にNO!

  • 友常勉 (東京外国語大学 准教授) NEW!

    「かつてブラックパンサーの武器が、(武器そのものだけでなく)、六法全書と自由と平和を求める正義――人々の完全雇用、住居、教育、囚人たちに対する公正な裁判など――であったことを想起しています。そのような正義のために連帯します」

  • 浜邦彦 (早稲田大学准教授) NEW!

    憎悪を生み出すもとには不信があり,不信を生み出すもとには虚偽があり,虚偽を生み出すもとには失望と無気力があると思います.東京大行進は,失望と無気力にこの社会を占拠させてはならない,と信じる人たちが,ともに希望と勇気を持ち寄ろうと呼びかけている,そのように私には感じられます.私もまた,そのような一人でありたいと思うから,ともに歩きます.

  • 師岡康子 (大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター 客員研究員) NEW!

    日本は国連人種差別撤廃委員会から2001年と2010年、人種差別撤廃条約を誠実に履行するよう、差別の実態調査、差別禁止法の制定、ヘイト・スピーチ規制、独立した国内人権機関の設置、朝鮮学校を高校無償化制度から排除しないことなど多岐にわたる勧告を受けた。しかし、政府はほとんど無視し、条約違反の状態を続けている。私たちは、国や自治体に国際法上の義務を履行させることからはじめよう。声をあげよう!

  • 渡辺雅之 (立教大学教員) NEW!

    たしか1994年頃だったと思う。 中学教員だった時、北挑戦の核ミサイル問題に端を発して各地で朝鮮学校に通う生徒たちのチマチョゴリが斬られるという事件が発生した。その時、中3の担任だった私はクラスの子どもたちと、文化祭でこの問題を取り上げることにした。まず県内にある朝鮮学校を子どもたちと訪問し、事件の経緯を聴きチマチョゴリを借りた。美鈴はそれを着用して実際に駅周辺を歩く「体験」にチャレンジ(クラスのつっぱりくんたちと私が周囲を密かにボディガードしつつ)した。 30分くらいの体験は何事もなくあっけなく終わった。しかし美鈴は「先生、みんな。差別はひどいね」と言った。どういうこと?何もなかったじゃないか?といぶかしがる私たちに彼女はこう言った。「道行く人、すれ違う人たちのほとんどが私を見るとあわてて目をそらすんだよ。A中の制服着ている時には絶対にない視線なんだよ。ねえ、みんな差別って言うのは、無視したり見て見ぬふりをする目のことなんだ。あたしはそれが始めて分かったよ。」  美鈴の言葉は今でも私の心の奥深いところに存在し、私自身を励まし続け羅針盤のようにいつまでもある。We have a Dream

  • 金正則 (会社員)

    これまで団体行動が苦手で、デモや行進に一度も参加したことがなかったのですが、「殺せ」と名指しされた当事者なので「生存を守るため」に参加します。 「差別される人達の行進」ではなく、「差別が嫌な人たち、差別のない国にしたい人達の行進」に大きな意義を感じています。

  • 冨田宏治 (関西学院大学法学部教授)

    ヘイトスピーチやヘイトクライムに対して、「仲良くしようぜ!」と立ち塞がった皆さんの知恵と勇気に心から賛同します。弱肉強食の市場万能主義が席巻したこの十数年、バラバラに切り離され、孤独で不安なアトム化された状態に追い込まれた若者の中に、レイシズムと排外主義が吹き込まれ、より弱い立場にいるものへの憎悪が噴出しはじめています。「仲良くしようぜ!」…このとても当たり前で、シンプルな呼び掛けこそ、ことの本質を最もよく突いているのだと思います。どんな境遇に生まれ育ったものであろうと、ひとりひとりかけがえのない存在であるということを認め合い、仲良くしていくこと。市場と競争によって、痛めつけられズタズタにされたこの社会を救うためにも、てらうことなく僕も叫びたいと思います…「仲良くしようぜ!」

  • 清水直子 (プレカリアートユニオン書記長・ライター)

     私は、「不安定な労働者」を意味するプレカリアートユニオン結成以来、雇用不安を背景にした全体主義の拡大に歯止めをかけたい、という思いで、「全体主義に流されないための、情報、生活、時間、空間を確保・提供する」ことを目標の一つに活動してきました。
     日本で働く人の三人に一人以上は、非正規雇用、女性と若者では、二人に一人が非正規雇用です。雇う側からは安く、使い捨てしやすい便利な存在だと考えられる一方で、正社員と比べ給与などの待遇で大きく差がつき、格差・貧困の大きな原因になっています。
     有期雇用や派遣など間接雇用といった、使い捨てが前提の仕事を転々としていると、職場でていねいに仕事を教わることで徐々に仕事ができるようになり、自信や意欲を持つ、という循環から縁遠くなりがちです。そんな経験や先行きの見えなさから、気持ちが不安定になりやすかったり、人を信頼しにくい人が増えているように見えます。ブラック企業が幅をきかせ、働く場でひどい目に遭う、特に若い人も増えています。
     でも、誰かをおとしめたり、差別して、憂さを晴らしても、自分のままならない状況は変わりません。もし、そのままならなさの原因が労働の問題なら、勇気を出して、弱い立場の労働者が束になって経営者にかかっていってよい権利(団結権)を使ってほしい。原因を作っている相手と交渉することで、自分のおかれた状況を自分の力で変えられる、仲間と力を合わせて奪われたものを取り戻すことができる、と実感できるはずです。
     日々、街頭で体を張ってレイシズムに反対しているみなさんを心から尊敬します。差別で憂さ晴らしをしているみなさんには、もっと違うやり方があると知ってほしいです。
     当日参加できず、大変残念ですが、「差別撤廃 東京大行進」に賛同します。

  • 東優子 (大阪府立大学教授)

    誰かが叫んでいる。「出て行け、帰れ」「死ね」と。隣人に向けられたその声に、その表情に、恐怖を感じる。自分たちが暮らす日常空間にヘイトスピーチが存在するという事実に顔が歪む。沈黙していれば、嵐はやがてやむだろうか。否。沈黙は無知を温存し、恐怖を増幅させる。差別や偏見をはびこらせてしまう。
    ヘイトスピーチにNOと言おう。NOという声を響かせよう。

  • 岩松研吉郎 (慶應義塾大学名誉教授/東京サザエさん学会)

    奴らを通すな、No Pasaran!
    77年前のスペイン人民戦線と共に、名もなきKポップファンたちと共に、有田芳生氏を始めとする「東京大行進」の参加者たちと共に、ファシズム・レイシズムに反対します。人民・市民として ―つまり非国民として、私は。

  • 宇都宮健児 (弁護士)

    新大久保駅周辺や大阪市の鶴橋周辺などで近時繰り返されている排外デモについて、多くの弁護士が深く憂慮しております。このような特定の民族や人種、集団を罵り、暴力で排斥することを訴えるいわゆるヘイトスピーチは、その対象となる人々の人格を否定し、卑しめるというだけでなく、人種や民族間の対立を煽り、多様な価値の平和的共存という、日本国憲法がもっとも大切にする価値を根本から否定してしまうものだからです。このようなヘイトスピーチの横行する社会は、同時に、貧困者等社会的弱者に対する優しさも失った、非寛容で住みにくい社会であるに違いありません。
    幸い、排外デモの危険を察知した多くの市民が批判の声を上げ始めています。今回の「差別撤廃 東京大行進」がそのような行動の一つとして、日本社会から差別を追放し、優しさや寛容さを取り戻すことにつながれば、これに優ることはありません。

  • 澁谷知美 (社会学者)

    排外主義者のみなさん、このデモに参加してみてはどうでしょうか。もちろん、「いつもの」コールを叫んだり、「いつもの」プラカードを掲げてはいけません。
    たちまち袋だたきにあうにきまっています。ただ黙って歩くだけでいい。
    これまで参加してきたデモの何100倍も気持ちよいはずです。9月22日が、あなたが変わる日になればいいと思います。

  • わたなべりんたろう (ライター・監督)

    人それぞれの違いがあるのは当たり前だし、違いを認めることが前提。違いを認め合って生きていくのが世の中。

  • 秋山理央 (映像ディレクター)

    震災以降、私は日本全国の反原発デモの記録を行ってきました。原発反対を訴えるデモ隊には人間の素晴らしさを改めて見出すことが多く、参加者の皆さんには絶望の中でも光り輝くような勇気を頂いて、どうにかこうにかもう2年以上も撮影を続けています。
    しかし、レイシストによるヘイトデモからは人間の醜さしか感じる事ができず、本当に撮影をやめたくてやめたくて仕方ありません。
    私は早くレイシストデモの撮影をやめたいので、多くの人が立ち上がり、彼らが人間らしさを取り戻すまで、これからも撮影を続けたいと思います。

  • 岩本太郎 (フリーランスライター)

    この9ヶ月間、ビデオカメラを回しながら現場で「彼ら」と対峙しつづけてきた。
    その結果、「彼ら」から完全に敵視された私もまた「差別」ともいえる罵倒を面と向かって、あるいはネット上で浴びることになった。
    そうした過程でずっと考えていた。「差別」とは何か。そして「彼ら」が撒き散らす「差別」の向こう側にある他者への「憎悪」とは、いったい何なのか? と。もちろん、今の段階で思うところはある。ただし明確な答えには、まだ辿りつけていない。
    「差別」による最大の被害者が「差別される側」であることは言うまでもない。だが「差別する側」も「差別」の「犠牲者」なのではないか……そんな思いが、私の胸の中には生まれている。「彼ら」もまた「差別」することによって自らの精神を損ない続けているのではないか。もとより、私の中に「差別」に通じる心が絶対無いなどと綺麗ごとを言うつもりもない。一つ何かが違えば、今頃「彼ら」が私であり、私が「彼ら」だったのかもしれない。そう思いながら現場に通い続けている。だから私は「彼ら」を「差別」しない。けれども「彼ら」が叫ぶ「差別」、そして私の中にあるかもしれない「差別」を心から憎みながら、「彼ら」も含めてそれを叫び続ける者、為し続ける者に対して、これからも断固として抗議し、戦う。「差別」をめぐる世の中の実態や歴史について必ずしもよく勉強しているとはいえない(むしろ明らかに不勉強だ)私だが、今回の「大行進」にもそんな思いで参加するし、これからも現場で「彼ら」など「差別」をする人々に対峙し続ける。できればそんなことをしなくてもよくなる日まで。

  • 岸政彦 (龍谷大学准教授)

     18歳で最初に大阪に来たとき、鶴橋の街に衝撃を受けました。色とりどりのチョゴリが売られ、真っ赤なキムチが大量に並ぶ、この街はいったい何だろう。私は夢中になって何度も通いました。 大阪には他にも、釜ヶ崎というところがあり、また数多くの被差別部落があります。沖縄の人びとがたくさん住んでいる地域もあります。こういうところにも、毎日のように通って、ただあてもなく歩き続けていました。
     私はマジョリティとして、こういう地域が「あってよかった」とは思いません。そういう、「異世界」みたいなものに対するロマン主義は、実際に今もなお残る差別や貧困を覆い隠すものだからです。ですから、私はこういう街を「良いもの」として語りたくはありません。
     しかしまた、大阪という街のこういう部分によって「救われた」人びとが、私だけでなくたくさんいるということも事実です。私たちには多様性が必要なのです。もちろん多様性のなかに棲む暴力や差別、貧困とは闘っていかなければなりませんが、他方でまた同時に、「ここではないどこか」が、生きていくうえで、私たちにはどうしても必要なのです。
     繰り返しますが、マイノリティや貧困の問題を、ただ「マジョリティに救いをもたらす緊急避難所」だとして、ロマンチックに語りたいのでは決してありません。
     ただ、ひとりのマジョリティとして、自分自身の問題として考えたときに、私は自分の住む大阪という街に「いろいろな人びと」が住んでいることに、誇りを持っている、ということを述べたいと思うのです。そして、このどうしようもなく閉鎖的で排他的な、他者への不安におびえてばかりのこの国で、自らの尊厳とアイデンティティを失うことなく暮らしてきた数多くの「いろいろな人びと」を、尊敬しているのだ、ということも。
     私はそうした人びとと連帯し、この国の多様性を守りたいと思います。多様性というのは、ただほっといてもそこにあるものではなく、闘いのなかで勝ちとっていくしかないものだからです。私はそのことを、鶴橋や部落、釜ヶ崎などから学びました。 多様性を否定し、弱者や他者にたいして不寛容なものたちに対して寛容になる必要はありません。とくにそれが、他者を攻撃し排除するヘイトスピーチであるなら、なおさらです。
     立ち上がりましょう。そして、大阪でも東京でも京都でも、あらゆる街のあらゆる路地から、ヘイトスピーチを叩き出せ。われわれは一体になることを拒否するために、連帯する。

  • 近廣直也 (麺屋どうげんぼうず店主)

    民族差別に対する糾弾は、なにも映画監督や、作家や、ミュージシャンや、文化人や、市民団体の類いの専売特許ではない。
    そこらにある町の八百屋や、魚屋や、肉屋や、フリーターや、ニートでも、肩書きは何だっていい。無論、ラーメン屋もしかり。
    「ダメなものはダメ」。それくらい言おうやないか。
    ほんの小さな “”たかがラーメン屋”" がそれを言うんだ。怖がる事などありゃあせん。

  • baby B (大阪仲パレ主催共同代表)

    人と人との間に国境はいりません。
    もしあるとすればそれは残念ながら人が作っているもの。
    偏見、憎悪、差別、恐れ、そういうものを我々の心の中から排除して、
    普遍的な愛で満たされた世界を作っていきましょう!
    東京大行進期待してます!
    関西もまけへんで!

  • 平田雅己 (名古屋市立大学教員)

    Violence leads to violence. Hatred leads to hatred. Love leads to love.

  • 高英起 (ジャーナリスト・デイリーNK東京支局長)

    私にとって日本は生まれ育った馴染み深い揺りかごです。だからこそ、この地から人間の尊厳を冒涜するヘイトスピーチと差別は無慈悲に一掃されなければなりません。いとしいその手を取り合いながら、差別のない社会へ向かって前へ!

  • 琴乃 (元AV女優)

    差別やデモをする時間にご両親に親孝行してはどうですか?
    理解できないことは無理にする必要はないが、
    だからと言って人を傷つけるだけで何の得もない自己満足は本当に楽しいですか?
    本当に自分の国を愛する気持ちがあるならば、そんな行動は恥ずかしくて出来ないはずだ。
    もっとする事があるでしょ??
    きっとここを見て「差別はいけない」と心が変わる人はいないんだろうな、
    それどころか今以上に闘争心が増すでしょう。でも、そんな嫌ってる事に自分の1度しかない人生の時間を使って、、、何してるの?そんな事するために生まれてきましたか?
    今のあなたを見て
    ご両親は心を痛めませんか?

  • 中島京子 (作家)

    ヘイトスピーチを撒き散らすデモの動画をはじめて見たとき、ひどいショックを受けました。それらを直接浴びせかけられた方々がどんなに苦痛で怖かっただろうかと想像したり、海外の友人に見せたくないと思ったりした感情のほかに、ダイレクトに傷つけられた感触がありました。もしかしたら、「この差別主義者たちが私の同胞か」という、自尊心を抉られるような感覚だったかもしれません。あるいはもっと恐ろしいことの予兆に思えたのかもしれません。しかし、たくさんの人たちがカウンターのために街頭に出たと知って、とても救われました。最初の一歩を踏み出した勇気あるみなさんに感謝します。まともな一般市民は差別による人権侵害を許さないんだ、と示すアクションを起こすことは、この世界に生きるすべての人にとって、重要だと思います。そして屈折した感情を持ってヘイトデモに参加した人たちが、一人でも多く、「あーもう、こんなこと、やめた!」と言ってくれますように。

  • 平野啓一郎 (作家)

    排外デモには、胸が悪くなる。

    彼らが勇んで叫べば叫ぶほど、嫌悪感を募らせるばかりで、その分、一層、攻撃されている人たちへの同情を強くする。「死ね」だの「殺す」だのと言ってる人間と言われている人間、どっちの味方に立つかと聞かれれば、当然、言われている側だ。

     彼らを差別に駆り立てている背景については、社会そのものの問題として考えなければならない。しかし、排外デモ自体は、止めろとしか言いようがない。一度しかない人生を、人種差別主義者として生きなくてもいいじゃないか

  • 星野智幸 (作家)

    嫌うより、好きになりたい。嫌うことにエネルギーをかけるより、好きになってつきあうことにエネルギーをかけるほうがずっと楽しいから。ネガティブなエネルギーは必ず自分に跳ね返って、自分を落ち込ませる。ポジティブなエネルギーは、前向きな気分をさらに膨らませてくれる。どうやって叩きのめしてやるかを懸命に考えるより、その労力で違う土地の言葉を学んで、会話を交わして、一緒につるんで、ご飯を食べて、歌って、踊って、喜怒哀楽をともにするほうが、圧倒的に楽しい。誰かを貶める自分なんて自分で好きになれないけれど、誰かと楽しんでいる自分なら誇りに思える。ぼくはその経験を、メキシコで学び、韓国で学んだ。
     ぼくは日本人である前に、まず人間。逆はありえない。人間ではないけれど日本人である、なんてことは無理。○○人であることより、人間であることのほうが大事。だから、国籍の違う人と接するにしても、まず人間としてつきあいたい。○○人であることの鎧など脱ぎ捨てて、人間であることを謳歌しよう。

  • 三島タカユキ (フォトグラファー)

    大好きだったあの人の言葉を借りるなら、
    ぼくは無力のかけらで無名のフォトグラファーだ。

    でも

    シニカルに構えて、したり顔で社会を語って何になるの?
    自分が傷つかないところから、正論をぶちまけて何が変わるの?
    人を見下して自分が優位に立てたところで、その大切な自分って何なの?
    属性や匿名を隠れ蓑にしてなんて、どんだけ甘ったれなんだ。

    己の弱さを取り繕う為に、誰かを攻撃しても意味はない。
    己の強さを誇示するために、誰かを差別することに意味はない。

    愚かな行為よりも圧倒的に素晴らしい未来を。

    民主主義と言えない民主主義に、終わりのダンスを!

  • 中沢けい

    人の心に巣食う差別心を利用して社会に不安と憎悪を振りまく行為は絶対に許されるものではありません。レイシストによるヘイトスピーチ、ヘイトクライムなどによって傷つくのは社会そのものです。社会を構成する人々がお互いに無用な敵愾心を抱き、お互いを不安の眼差しで見つめるようになれば、その社会の信頼関係は崩れてしまいます。人と人はお互いを不安と敵意の目で眺めざるをえなくなります。レイシスト(差別主義者)によるヘイトスピーチ、ヘイトクライムの被害は社会を構成する全ての人に及びます。
    一九四五年の敗戦以来、日本は六八年の歳月をかけ国際的な地位の恢復に勤め、平和国家として近隣諸国との良好な関係を築くため多くの人々が心血を注いできました。有名無名と問わずまた国籍をも超えた多くの人々の不断の努力がそこにあります。それは私たちの祖父、祖母、父母の努力でもありました。いたずらに敵愾心を煽るヘイトスピーチヘイトクライムの繰り返しはこれらの人々の不断の努力を無視するばかりでなく、土足で踏みにじるものであります。断固としてそれを非難します。

  • Misao Redwolf (イラストレーター/首都圏反原発連合)

    差別意識を生む原因のひとつに「弱い心」があると思う。他者に対する優越性に依存した自己確認。他者との比較ではなく、自分自身の生き様に誇りを持ち自己を確立していきたいものだ。

  • 上瀧浩子

    2009年12月4日、在特会らが、京都朝鮮第一初級学校を襲撃しました。
    そのときに、学校にいたのは小学生の子ども達と、教職員でした。どんなにか、恐ろしく不安だったでしょうか。また、どんなにか孤独だったでしょうか。

    その後、学校は、在特会らに対して、損害賠償を請求する民事訴訟を起こしました。民事訴訟の口頭弁論のあとの「朝鮮学校を支援する会」の集会ではいつも、「ヘイトクライムのない社会を」、「民族教育権を保障しよう」という横断幕を掲げてきました。この横断幕は、朝鮮学校のオモニ会が作ったものです。この横断幕を書いているときに、子ども達は、「ヘイトクライムってなんや?」と無邪気に聞いてきたそうです。

    この社会の状況を、変えないといけない、次の世代に差別を残してはいけない。
    私はそういう思いで、います。

    差別撤廃 東京大行進を、一緒に歩きましょう。
    そして、私たちの社会は差別を許さないのだというメッセージを、今、ここから、社会に向かって発信していきましょう。

  • 李信恵

    格好いい大人になるための、第一歩を踏み出そう。わたしたちはずっと昔から友だち、これからもしっかりと手を繋ごう。仲良くしようぜ

  • 雨宮処凛 (作家・活動家)

    シンプルに、人を傷つけることは嫌だ。
    自分が傷つけられるのも嫌だし、
    知らない誰かが傷つけられるのを見るのも嫌だ。
    一方で、「誰か/何か」を「差別」しなければやっていけない
    ほどの「一定数の人が絶対に報われない社会」という問題も考えたい。
    差別反対、というだけでは、たぶん足りない。
    だけど、その声をちゃんと響かせることも重要だ。
    このデモに賛同します。

  • 有田芳生 (参議院議員)

    ファシズムなどの歴史を振り返れば、そこには必ず権力の先兵となる「突撃隊」が存在します。それがいま日本でも跋扈している人間として最低醜悪なレイシストたちです。ここで食いとめなければなりません。政治の世界でも「そのうちに好転するよ」などと何の根拠もない楽観論がありますが、それは間違いです。いまが歴史的瞬間だと思います。状況に注目し、ともに果敢に進んでいきましょう。「奴らを通すな!」

  • 伊達政保

    公民権運動はワシントン大行進以後、激しい弾圧を跳ね返して展開されていった。
    その基本方針は、差別撤廃、選挙権登録だった。
    日本でも30年前、公民権運動が起こった。外国人登録法の指紋押捺反対運動である。
    その結果、永住者の指紋押捺が撤廃され、外登証の常時携帯義務も廃止された。
    そして永住外国人への参政権問題が浮上し、自公政権連立協定でも外国人参政権制定が確認された。以後排外主義の巻き返しが始まった。
    現在の差別排外主義に対抗する戦いは、外国人の公民権、参政権獲得に向かわなければならないと考える。

  • 石田昌隆 (フォトグラファー)

    ボブ・マーリーの「War」を聴け!

  • 梅津和時 (ミュージシャン)

    昔、ある国で、東洋人だというだけで子供達から石を投げられたことがあります。
    たぶん、なんの疑いも無く自分達と違うものは排除する、という考えだったのだろうと思います。
    差別される側が、どんなに理不尽で、寂しく、悲しく、悔しい気持ちになるのかを身をもって教えられました。
    「差別はいけないこと」ということは、はっきりといつも言い続けなければなりません。

    そして昔、アフリカでの部族間での対立が、第3者の国の奴隷制度に利用されたことを忘れてはいけません。
    近隣との対立は悲しいことです。
    国と国、民族と民族ではなくて、「人と人」として仲良く繋がっていきましょう。

  • 山本夜羽音 (マンガ家・反レイシズム「知らせ隊」)

    「差別撤廃 東京大行進」に賛同いたします。
    私は、今年3月以降にようやく、在特会に象徴されるようなむき出しのレイシズムに対して声を上げ始めたばかりです。自分にできる、自分が責任を持てる行動として、友人らと「反レイシズム『知らせ隊』」を始めました。
    「知らせ隊」は、ヘイトデモが起きている状況で、何が起きているかわからず不安を覚えたり、疑問を持つ人々に対して、告知プラカードや周知ビラを使って、いま起きている事実を「知らせる」ことに特化して活動しています。
    直近では、関東大震災90周年に合わせ、震災時の外国人虐殺の現場や証言と、現在を接続して「記憶」と「追悼」の意志を顕すブログ「相思華プロジェクト『9月、東京の路上で』」を集中的に公開しています。

    http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/

    マンガ家という職業を通じて感じるのは、いわゆる「オタク」と呼ばれる層、ネットユーザー層において、想像を超える「ヘイト」「レイシズム」が蔓延っているという危機感です。声を大にして繰り返される憎悪の言葉が「同調圧力」となり、気づけばそこに疑問を呈することすら憚られる雰囲気があります。ともすれば、自分の「仕事」に影響するかもしれない……その不安で、「沈黙」も蔓延っていきます。
    本来、この「沈黙」が自らの「表現」をも殺すという危機を痛感しているはずのクリエイターやユーザーが、むき出しの憎悪を止められない状況に、抵抗していくしかない、と覚悟しました。 「憎悪」が許容され、大手を振ってまかり通る社会に「自由な表現」の居場所も、当然、ないのです。 私は残念ながら、以前からの所用で当日参加できません。故郷・北海道の地から、大行進の成功をお祈り申し上げます。

  • 辛淑玉 (人材育成コンサルタント)

    沈黙は許されない。

  • イルコモンズ (現代美術家)

    わたしたちが生きる社会に「表現の自由」はあるが、
    「差別の自由」などというものは存在しない。
    もしそういうものが現れたら、それを見すごしにせず、
    くいとめることが、わたしたちの義務であり、
    「表現の自由」はそのためにある。

  • 小塚類子 (イラストレーター)

    世界中に生まれてきたどの子の命も
    ピッカピカで、それだけで涙が出そうに
    心が動かされる。
    満たされない何かを埋めるため
    誰かを貶めるなんて
    人生の無駄使い。
    差別なんかいらない。そのために歩く。

  • 五野井郁夫

    街頭で人を「殺せ」と連呼する者たちを、わたしたちは絶対に許してはならない。
     こういう呼びかけをすると、かならず「何熱くなってんの?」と、差別やいじめ問題から距離を置くことで、さも自分がクールであるかのように振る舞おうとする輩が出てくる。だが、目の前の不正義と向き合うことなくやり過ごそうとする者たちの姿勢は、怜悧なリアリズムでも処世術でも何でもなく、ただのいやしく恥ずべきものでしかない。
     ヘイト・スピーチとヘイト・クライムの横行という、わたしたちの民主主義の基底をなす基本的人権の尊重を蔑ろにし、文字通り人びとの「平和に生きる権利」を脅かす行為に対して、見て見ぬふりをしたところで、過去の人種差別の歴史が証明しているとおり、事態は悪化の一途を辿るだけだ。
     だから、ワシントン大行進からちょうど50年にあたる今年、わたしたち一人ひとりがほんのすこしでも勇気を出して、差別からわたしたちの民主主義を守るために、ともに「手をとりあって」歩こうではないか。

  • 池田香代子 (翻訳家)

    カウンターの若者たちの出現に、まず衝撃を受けたのは、レイシストではなく、それまでヘイトスピーチにたいして、眉をひそめるくらいのポーズはしても、実際には何もしなかった、たとえば私であったりするのです。ごめんなさい。恥ずかしながら、今からでも仲間に入れてほしいと思います。私のような、明らかな悪から目を背けたおびただしい人びとが、かつてナチスを行くところまで行かせてしまった以上、声を挙げられるうちにせいいっぱい「それはダメ、私たちが許さない」と言い続ける所存です。

  • 高林敏之

    「人種差別撤廃条約を誠実に履行」すること。これこそ日本からあらゆる人種的・民族的差別を排する第一歩、しかし極めて重要な第一歩です。日本政府が人種差別撤廃条約第4条への留保を公式に撤回し、国連人種差別撤廃委員会のすべての勧告を誠実に履行することを強く求めます。
     その一環として、朝鮮学校に対する就学支援金支給はじめ公的補助の適用および大学受験資格等における完全平等の実現、在日朝鮮籍者への再入国許可における不当差別の撤廃、「不法在留」外国人への強制収容・送還の法的是正、ヘイトクライム規制法の法制化を強く求めます。

  • 野々村文宏

    シンプルに。差別はいけない! 民主主義の第一歩を、人権への共通の了解を、足許から固めたい。

  • 中川五郎 (ミュージシャン)

    ぼくが歌っている歌
    「1923年福田村の虐殺」
    の最後の言葉は
    「信じることから始めよう。人はみんな同じ。」
    というものだが、それはぼくが生きていく上での拠り所にしている信念でもある。

    それとは正反対の
    「人を見たら泥棒と思え」
    という、同じ人間を信じることなく、自分たちと少しでも違う人たちを罵り、憎悪し、排斥しようとする人たちの動きを目の当たりにするのは、ほんとうにつらくて悲しくて恐ろしい。

    でもぼくはいくら笑われ、馬鹿にされようとも、今こそ自分の信念をより強固なものに鍛え上げ、人間を信じることをやめないようにしようと思う。

  • 遠藤浩輝 (漫画家)

    もし貴方が、今幸せではないのなら、その事を誰かのせいにして、ひととき気が紛れたとしても、貴方の生活は何も変わらない。もし貴方がより良く生きたいのなら、一見頼りになりそうな者から吹き込まれた耳触りの良い言葉ではなく、心の中奥底にある正しさに従うべきだろう。一人になる事を怖れてはいけない。何故ならそれは一時的なものだから。正しい事をすれば正しい仲間が集まり、悪い事をすれば悪い仲間が集まる。世の中は不公平で理不尽だ。でもそれは誰かのせいでは無い。意見を言う相手は行政と自分達が選んだ政治家だ。近くにたまたま暮らして居ただけの誰かでは無い。

  • 佐々木中 (哲学者、作家)

    長いながいあいだ、長いながいながいあいだ、
    私たちは戦ってきたのではなかったか?
    それでも、あらゆる差別はなくならなかったではないか?
    あの血ぬられた屈辱の歴史――。

    その戦いは虚しかったのか?

    否、否、われわれの戦いは一つでも、一人のものでもない。
    人種、民族、性、出自、職業、階級、病者、
    ……ありとあらゆる差別があるところには、
    それに抗する人々がいた。多くの。あまりに多くの。

    だから、
    それがひとつの、ひとりの戦いではなかった以上、敵はまだ勝っていない。

    そして来るのは、
    長い道の途上にある、
    しかし確実な勝利の日、
    勝利の先触れとなる一日だ。 参集しよう。われわれの自由への行進へ。

  • 松田”CHABE”岳二

    地球という星に生きている一人の人間として全ての差別に反対します。

  • COSMIC NEUROSE

    we hate hate speech. fuck off!!

  • 桜井信栄 (南ソウル大学助教授)

    差別と涙をもう見たくない。
    私たちは共に歩こう。
    共に生きよう。

    100年後の人々が、
    きっと私たちを誇りに思うだろう。

    仲良くしようぜ。친하게 지내요.

  • 中川敬 (ミュージシャン / ソウル・フラワー・ユニオン)

    NO PLACE FOR RACISM!
    2013年地球。生得的属性に基づいた差別、レイシズムは消え去るのみ!

  • 日高央 (ヒダカトオル/ザ・スターべムズ)

    誰かや何かを「嫌い」になるきっかけって実は物凄く単純で、最初に接した時の「印象」で決まってしまうことが殆どのような気がします。ニュースやTVで見た時の印象が悪かった/親や友人が悪く言ってて嫌いになった/本や雑誌に載ってたエピソードがイマイチだった……等々。実際に会って話したり、見たり触れたりして確かめもせずに、そんな不確かな「印象」だけで決めつけられるのは俺はゴメンだし、実は誰だってそういう「嫌悪」の対象になり得ることもあるわけで、そんな負のスパイラルはまるで「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」。簡単に知った気になれるネット社会だからこそ、無償で手に入る情報に踊らされてしまうのはバカバカしいし、実際のコミュニケーションで生まれるポジティブさの方が当てになると思います。子どもの頃は簡単だったそんな行為を難しくしているのは誰だ? 何だ? その答えの一つがここにあるような気がします。

  • KO (SLANG)

    俺たちは日本人である事を辞められないが、レイシストなんか今すぐ辞められる。真剣に物事を解決したいと思うなら、くだらない思想や偏見なんか今すぐ窓から捨てちまった方がいい。

  • eastern youth (ミュージシャン)

    二宮友和

    「差別はダメだ」という意見を、一人一人がはっきりと、何度でも声にしなければ、差別は無くならない。差別をする浅はかで愚かな者たちに、「自分の考えが間違っているのではないか?」と考えさせる瞬間を何度でも突き付けること、差別を無くす手段はこれ以外には無い。傷つき涙する人達がいる。その怒りを握り潰すしか術を持てないでいる人たちがいる。見捨てるな。躊躇うな。何度でも言おう。「差別をするな!」

    吉野寿

    暗い酒場にねじ込めば
    何処から流れて来たのやら
    あんな顔 こんな顔
    おっさん おばはん
    にいちゃん ねえちゃん
    じじいに ばばあに ポチにタマ
    脛に槍傷 刀傷
    いずれ劣らぬ曲者が
    肩幅だけの領分を
    どうにかこうにか分け合って
    肘で競り合う駆け引きも
    酔うほどに打ち解けて
    お前はアホか 間抜けかと
    罵る気っ風も心地よく
    飲んで飲まれて飲まれて飲んで
    勘定は俺が いや 俺が と
    果てはあわやの掴み合い
    それも場末のご愛嬌
    飲んだ飲んだでまた明日
    三々五々に消えてゆく

    それが街だ 我等が街だ

    街の底で蠢き生きる一匹の人間ッコロとして
    「自由の敵」の敵として
    ご一緒させていただきます

  • 山口洋 (HEATWAVE)

    「近いものほど、絶望的に遠いものです。
    でも差異があるからニンゲンだと、僕は思います。
    大切なことは多様性だと、僕は思うのです。
    仲良くしようぜ。ほんとうの意味で」。

  • 大石始 (ライター/エディター)

    『隣の彼や彼女を国籍などの属性で「敵」と「味方」に分けるほど悲しいことはない。
    僕は「9.22差別撤廃東京大行進」に賛同します。』

  • 久保憲司

    人種差別主義者たちのデモを新大久保で出来なくしたのは、僕が体験した日本の民主主義初めての勝利だったのではないかと思っています。

    戦後の民衆の歴史なんか全部敗北ばっかりだったから、明治維新に夢を見たりするのでしょう。

    革命とかそんな大きなものじゃないけど、やれば出来るのじゃないか、という気持ちになれました。

    アメリカの公民権運動の代表曲ボブ・ディランの「風に吹かれて」なんて完全に誤訳です。

    ディランは”答えは風に吹かれている”みたいなあやふやなことは歌っていません。

    このあやふやな訳こそが戦後民主主義、僕たちが負け続けてきた原因なのです。

    答えは風になんかまってない。

    ディランは”答えは風(あなた)にある”と明確に歌っています。だからアメリカでは20万人の人たちが行進したのです。

    答えはあなたにあるのです。

    あなたが変えるのです。

    一緒に歩きましょう。

    そして、もっと大きなうねりを作りましょう。

  • 平野悠 (ロフトプロジェクト代表)

    差別撤廃「東京大行進」か、凄いな。 今まで差別というと、どこか「差別もある明るい社会」なんて冗談半分に言っていてあまり実感がなかった。しかし日本がここまで右傾化し極右の自民党安倍内閣が圧倒的に選挙で勝利してから更に酷くなって行った様に見える。在日外国人差別は言うまでもないが、やはり今や棄民となり日本から忘れ去られようとしている福島の被災者の人たちもやはり圧倒的な差別の中で苦しんでいると思う。こんな日本なんとか変えたいと思う。それが今回の「東京大行進」に意味付けられていると思うのだ。参加を!

  • 永井ホトケ隆 (ミュージシャン)

    アメリカに滞在中、私もカラード(有色人種)として嫌がらせを受けたり、罵られたり、明らかな差別を受けたことが何度かあります。アメリカの音楽や文化が好きでこの道に入り、アメリカにいることが嬉しいのに何とも惨めな、悲しい気持ちになりました。そして、最後は怒りになってしまいます。怒りをもって「あなたたちはレイシストなのか!」と主張しなければならなかった時のつらい気持ちと、逆に何かされるのではないかという怖さがありました。何しろ銃の国ですから。それでも、アメリカを嫌いにはなりません。外国から日本が好きで学びに来る人たち、日本で一生懸命生きている人たち、日本を知りたくて旅に来る人たちに私が味わったような苦い気持ちは味わって欲しくない!

  • ナラカズヲ (歌う人)

    僕は中指を立てるより、いつの日にか親指を立てたいと願う。 “いつの日にか” それは、ヘイトデモやイジメや差別をする方が、誰かを傷つける行いから、強い勇気を振るい身を引き、隣国の方も日本の人も(出来るなら世界中の人が)、皆がゆるし合い認め合う時が来るその日。そしてその時に立てる親指。 その日が来ることを願ってやみません。

  • イルリメ

    この問題を考えるとき、いつも思い出す顔がある。
     今まで音楽を通じて出会った外国人の友達。在日朝鮮人の友達。日本に住む外国人達。外国に住む日本人達。そして人種差別問題を教えてくれた自分の好きな歌達。
     あと、今思い出したけど五年前フランスでライブしたとき、物販スペースで現地のお客さんに話しかけられフランス語がわからず困っていると通訳してくれた優しい韓国人のお姉さん。
     社会問題は生活と同居しているにもかかわらず、散らかってしまった部屋とおなじで、腰をあげて動くのは相当気力がいるし、誰もが知っている当たり前のことをいわなければならないときほどバカバカしいことはない。
     それでも、胸の内をさぐればあふれるほどもらった彼や彼女たちの優しさと笑顔、アイデアに礼をいい、「人種差別はゆるされない」と、まっすぐに表明しなければならない。

  • 早川”cob hey!!say!!”俊介 (KIRIHITO)

    差別…どす黒い優越感による忌まわしき選民思想、人類の許されざる恥ずべきこと、様々な数えきれない程の悲劇を生み出す(時には利用する奴がいて…)悪しきこと…もうまっぴらだ…。
    差別の無い晴れ晴れとした社会を創造しよう 今! ! イマ! ! いま! !

  • 高橋直輝 (男組)

    男組は、全力でレイシストを排除する。

  • 夜のストレンジャーズ 三浦雅也

    本人になんの落ち度もなくたまたまそうだった、そこに生まれてしまったという理由で迫害される、差別されるってのは理不尽な話です。我が身に置き換えればすぐわかるでしょ。ムカつくでしょ。許せません、レイシズム。ちなみに今は多摩蘭坂を登りきる手前を走る京王バスにてこれ書いてます。

  • 内田勘太郎 (ミュージシャン)

    差別はいけない。
    そんな事は分ってる。当たり前だ。
    だが差別の芽がきざす事も有る。
    気をつけなければ。気をつけなければ。
    最低の自分になってしまう。沖縄の人、白人、黒人、ドレッドの青年
    イレズミ女子、車椅子の人、ヤマトの人
    アジアの人。色とりどり。
    或る日の夕方、オキナワのマーケットで。

  • 西村茂樹 (LOUDMACHINE)

    差別が全く無い国って、この地球上にあるのかな? もしも無かったら、この国を世界史上で初めての例にしたいよね

  • 宇城輝人 (関西大学教授)

    差別の撤廃は、近代社会の根幹をなす「自由で平等な個人」という理念を実現するために不可欠な作業です。そして、公権力は近代社会の実現と維持に 最大の関心を払うべきで、差別の撤廃は公権力の最大の任務のひとつだと考えます。わたしが差別撤廃東京大行進に賛同するゆえんです。

  • 朴順梨 (ノンフィクションライター)

    差別意識。
    残念ながらそれは、誰の心にもあるものだと思う。
    でも抗い、乗り越えていきたいと奮闘するからこそ、人間は人間でいられるのだとも思う。
    ここ最近世に溢れ出した、差別意識にのまれ、流され、傷つけ合わないために。同じ空の下で歩き、笑い、知り合おう。お互いの存在を、気持ちを、そして同じ人間であることを。

  • 野間易通 (レイシストをしばき隊)

    我々がながらく放置してきた日本社会の民族差別に、そろそろケリをつけようぜ。

  • 明川哲也・ドリアン助川 (作家・パフォーマー)

    「思うことが二つある。
     誰かを傷付けようとして発した言葉は、必ず本人に戻ってくるということ。
     もう一つは、人はやり直せる生き物であるということ」

  • ECD

    キレイゴトに力を!今こそ!

  • 金明秀

     かつて「マジョリティとは何か」というイメージが明確だった時代、すなわち、近代主義的な社会計画を人々が信奉し、画一的な社会理念を共有した時代においては、社会は「われわれ」マジョリティとは異なる「他者」(例えば民族的マイノリティや社会的弱者)をいきなり排除するよりも、まずは同化し、包摂することを好みました。つまり、「他者」は、よくもわるくも「われわれ」と同じ価値観と生活様式を持つことが期待され、同じ社会の一員(公民)として包摂されるべき存在だと考えられていました。ワシントン大行進はこの時代の理念を実現するための代表的な社会運動であったといえます。
     しかし、いわゆるポストフォーディズムへの移行に伴う労働市場の変容と、コミュニティの解体に起因する個人主義の台頭は、世界を包摂型社会から排除型社会へと一変させました。社会秩序の解体によって生じた根源的な不安が、「他者」をリスクそのものと見なして排除するスケープゴート現象を拡大させるようになったわけです。レイシスト集団によるヘイトスピーチ・ヘイトクライムの蔓延、極右政党による移民・難民に対する排外主義的政策の唱導、等々。
     ただし、社会秩序の解体は「マジョリティとは何か」というイメージそのものを流動化させたため、スケープゴート化の対象となったのは、必ずしも伝統的に「他者」として排除されてきたマイノリティにはとどまりませんでした。公務員、罪を犯した者、スキャンダルを取りざたされた者、若者、貧しさ、安定した仕事がないこと、場合によっては結婚していないことですら、攻撃の対象とされて炎上するようになりました。マイノリティへの社会的排除を許容する社会は、「われわれ」の誰もが潜在的に排除される不安に苛まれる無縁社会でもあったわけです。
     こうした事態を食いとどめるべく世界で尽力している人々にとって、抵抗のための大きな手段となっているのが、国際人権規約や人種差別撤廃条約などの人権に関わる条約群です。「マジョリティとは何か」というイメージが明確だった時代に築かれた法の砦が、排外主義の昂進をぎりぎり防いでいると表現することもできます。
     しかしながら、残念なことに、日本では実態として苛烈なヘイトスピーチが横行しているにもかかわらず、法によって人権を保障しようという発想そのものがまだまだ薄弱であり、国際社会から遊離したガラパゴス的な条約解釈によって人権侵害が放置されているのが現状です。スケープゴート現象の伸張する今こそ、法文に立ち戻って周回遅れの現状を打開しなければなりません。
     そのための第一歩として、差別撤廃東京大行進の趣旨に賛同します。

  • 佐藤ルミナ (格闘家)

    物事を一度、相手の立場になってリアルに考える。
    自分がやられて嫌な事は相手にしない。
    答えはシンプルだと思う。

  • 久田将義 (ニュースサイト『日刊ナックルズ』編集長)

    病理なんだな、と思う。なぜこうなってしまったのだろう、とふと考える。ネットの普及?SNSの悪用?不況の影響? 色々な問題が複合的に混ざって、病理を生み出したのだろう。在特会。人間の心はこうも醜いものになってしまうのだろうか。恥というものを知らないとこうも、卑しくなってしまうのだろうか。これは主義主張の問題というより、既に人としての生き方のような気がするのだが。

  • 山下敏雅 (弁護士)

    私は,弁護士として,マイノリティの方の事件を多く扱っています。その中で,「周囲からあからさまな差別・偏見がある」というほどのケースは,実際には多くはありません。たしかに,周囲の一人ひとりがもっている感情は,「差別」「偏見」「憎悪」と呼べるほどの,強いものではありません。
     しかしながら,その一人ひとりの「小さな無関心」と「小さなマイナス感情」が,何十,何百,何千,何万と集まって,たった一人のマイノリティにのしかかったとき,その重圧と恐怖は,マイノリティの生活・人生そのものを押しつぶしていきます。
     このことを,私は,顔面蒼白となっている相談者・依頼者と接する度に,実感します。
     そして,一人ひとりの「小さな無関心」と「小さなマイナス感情」が,さらに,明らかな「差別」「偏見」「憎悪」を持っている人々の行動を助長し,脅迫,恐喝,傷害,果ては殺人にまでつながっているケースも,残念ながら,この日本ですでに起きています。
     最近行われているヘイトデモも,この同一線上にあるものです。

     だからこそ,今,その逆が必要です。

     白昼堂々と「死ね」「殺す」などと叫ぶデモが行われる。そのことに,少しでも「おかしい」と感じる人々の,その少しずつの思いが集まれば,皆が一緒になって歩くだけで,ヘイトの攻撃対象となっている当該マイノリティを守り,同時に,「公正な私たちの社会」そのものを守っていくのだという,その大切なメッセージを力強く発信していくことができるのです。

     9月22日に,ぜひ一緒に歩きましょう。