角で生きていこう/長野独占手記
巨人長野久義外野手(28)が、日刊スポーツに手記を寄せた。なかなか本音を語らない中心選手が、自身の歩みを1つ1つ確かめながら、描く将来像までを正直につづった。球界屈指の個性派が胸に秘める哲学と美学とは―。
皆さまのおかげでリーグ連覇できました。ありがとうございました。
今日はなんとか1本打てたけど、今年は胸を張って貢献したと言える活躍ができませんでした。すいません。ならば「今の長野久義」を少しでも知っていただけたらと、正直に記すことにしました。記すことで、28歳の半人前な自分を確認したい気持ちもありました。至らない表現で不快に感じたら許して下さい。
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「野球とは、人生そのものである」。長嶋監督の言葉をお借りし、つぶやいてみた。恥ずかしかった。今は、まだまだ、そんなことは言えない。そんな道を歩んでいるとも思えなかった。2回もドラフト指名を断っている。逆の立場なら「コイツ何なんだ」と思うだろう。どう見られているのか、という怖さが自分の中にいつもある。批判はすべて受け止めなければ、と決めている。
そもそもの負い目もある。投手経験がない、数少ないプロ野球選手と思う。エースで4番など無縁。中学、高校も最終学年で何とかレギュラーになれる程度の野手だった。雑用係が当たり前で、それをやりがいに感じていた。そんな選手を評価していただいた。巨人はもちろん、日本ハムさん、ロッテさんには、心から感謝している。
ふと考える時もある。もし06年ドラフトで日本ハムに入団していたら、今年でプロ7年目だなと。当時は稲葉さん、坪井さん、(森本)稀哲さんと、そうそうたる外野の布陣だった。1軍に定着できたか。新人王は絶対に無理だったな。さまざまな事情があって、今は巨人のユニホームを着てプレーさせてもらっている。その一方で「早くプロに行きたかった」という思いも、事実としてあった。
ハッキリ言えることは1つ。今、ジャイアンツで野球ができて幸せだ。決断は間違っていなかった。そう思わせてくれたのはチームメートだった。
亀井さん、内海さん、山口さん。1年目の合同自主トレで食事に誘ってくれた。ルーキーでも外様の心境だった自分を受け入れ、救ってくれた。素晴らしい仲間と野球ができる。素直に思えた。この恩と、入団までの歩みが絡まり合って、決意が芽生えていった。
自分は角(かど)で生きていこうと決めた。
角と脇役は違う。オセロは角を取れば勝てる。中央の石と角が連係すれば、いっぺんに石をひっくり返せる。パズルだと、角は4つしかないピース。形が分かりやすいから、最初に組める。巨人には中央に座る人がいる。周りを見渡しながら支えることで必要とされる人になりたい。だから山口さんを尊敬する。あれだけ成績を残す人が角に徹しているから巨人は強い。
原監督に「来季、選手会長はどうだ?」と言われた。非常に光栄なことだが「やらせていただきます」と言えなかった。今は立ち位置を変える度量がない。後輩から「長野さんみたいになりたい」と思われるよう精進した上で、いつか自信を持ってやりたい。
夏のことだった。復活したサザンオールスターズの「栄光の男」という曲が耳に入ってきた。
この世に何を求めて生きている?
叶わない夢など追いかけるほど野暮じゃない
生まれ変わってみても栄光の男にゃなれない
老いてゆく肉体(からだ)は愛も知らずに満足かい?
喜びを誰かと分かち合うのが人生さ
自分の人生そのものを歌っている気がした。ヒーローになんかなれない。集合写真は端っこがいい。フラッグを持って先頭を歩くより、隅を歩いて、みんなの喜ぶ姿を眺めていたい。
細く長くとは考えていない。角を務められない男になったら、潔く野球をやめる。長野久義らしく生きて、いつか「野球とは、人生そのものである」と胸を張って言ってみたい。(巨人外野手)
◆長野久義(ちょうの・ひさよし)1984年(昭59)12月6日生まれ、佐賀県出身。福岡・筑陽学園高から日大。06年ドラフトで日本ハムから4位指名を受けたが拒否し、社会人野球のホンダに入部。08年ドラフトでロッテから2位指名されたが再び拒否し残留。09年ドラフトでようやく意中の巨人からドラフト1位指名を受けプロ入りした。プロ1年目の10年、規定打席に到達し、打率2割8分8厘、19本塁打で新人王。11年は打率3割1分6厘で巨人の入団2年目では長嶋茂雄以来となる首位打者を獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞。12年は173安打をマークし、同僚の坂本と並びセ・リーグ最多安打。今季、開幕前は日本代表として第3回WBC出場。年俸1億6000万円(推定)。家族は両親と妹。180センチ、83キロ。右投げ右打ち。