比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を2度達成した天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉(さかい・ゆうさい、さいは右上から下へのはらいがなし)さんが23日午後、心不全で大津市坂本本町の飯室不動堂長寿院で死去した。87歳だった。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午後0時30分から大津市坂本6の1の17の生源寺で。喪主は弟子の藤波源信(げんしん)さん。
酒井さんが残した言葉大阪市生まれ。旧制中学卒業後、慶応義塾商業学校に入ったが、熊本県の予科練に入隊。鹿児島県の鹿屋飛行場で特攻隊員として終戦を迎えた。戦後、事業の度重なる失敗や妻の自殺などを経て1965年に得度し、比叡山へ。
峰々を千日にわたって巡拝する千日回峰行を始め、80年に満行。この時の様子はNHK特集で放送され、反響を呼んだ。半年後に2度目の行に入り87年、60歳の高齢で達成した。記録の残る織田信長の比叡山焼き打ち後、2度の回峰行を達成したのは3人しかいない。