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「大東京トイボックス」漫画家“うめ”インタビュー(前編)最終巻発売&ドラマ化記念。その作品、「魂は合ってる」か?!

Impress Watch 9月24日(火)13時0分配信

「大東京トイボックス」漫画家“うめ”インタビュー(前編)最終巻発売&ドラマ化記念。その作品、「魂は合ってる」か?!

写真:Impress Watch

 ゲーム業界の華やかな表舞台と、地道な努力によって支えられている舞台裏――。その両面を熱く描いたコミックが「東京トイボックス」だ。

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 小沢高広(おざわたかひろ)氏と妹尾朝子(せおあさこ)氏のコンビ“うめ”によって、2005年に「週刊モーニング」(講談社)にて連載スタートした「東京トイボックス」は、2006年に掲載誌を「月刊コミックバーズ」(幻冬舎コミックス)へと移し、同時にタイトルを「大東京トイボックス」と改めた。

 連載中には「マンガ大賞2012」で2位に選ばれ人気作の地位を確立し、7月30日に発売された「月刊コミックバーズ9月号」で連載を無事終了した。9月24日には、その最終巻となる「大東京トイボックス」10巻が短編集「大東京トイボックスSP」と同時発売されたほか、10月5日からはドラマもスタートする。

 今回は、そんな「東京トイボックス」シリーズの最終巻発売とドラマ化を記念して、約10年にわたって本作を手がけてきた小沢氏と妹尾氏に、作品が生まれるきっかけから始まり、連載を終え、最終巻発売を迎える直前の心境などについてたっぷりお話を聞かせていただいた。

 インタビュー前編となる今回は、「東京トイボックス」シリーズを読んだことがないという人への紹介も兼ねて、本作のストーリーや登場人物、制作秘話などについてお伝えしていく。後編ではネタバレも含めて内容に深く切り込み、かつドラマ版についても伺っている。

 なお“うめ”の小沢氏については、CEDEC 2013最終日の8月23日に登壇している。天候不良により会場に来られないというアクシデントにあいつつも、取材先の沖縄・波照間島からSkypeを使用しての登壇となった。本作のファンであり、飛び入りで登壇したサイバーコネクトツー代表取締役社長の松山洋氏と「東京トイボッックス」について熱く語り合っているので、その記事も、参考にしていただきたい。

■ コミック「東京トイボックス」、「大東京トイボックス」とは!?

 本作を未読の方に、簡単にあらすじを紹介したい。舞台となるのは秋葉原にある小さなゲーム制作会社「スタジオG3」。主に他社の下請けとして、パチスロのムービーやTVのCG制作をこなす「スタジオG3」のディレクターが、主人公の天川太陽(てんかわたいよう)だ。ある日この会社に、ゲーム業界とはほど遠い大手町のIT総合企業から、出向社員のキャリアウーマン・月山星乃(つきやまほしの)がやってくる。

 ゲーム制作の現場において、まったく異なる価値観をぶつけることになる2人。そこに、かつて「スタジオG3」が制作したゲーム「サムライ☆キッチン」の海外版を作るという企画が舞い込んで来るのだが、それはかつて太陽が所属していた総合アミューズメント企業「ソリダス・ワークス」にいる、仙水伊鶴(せんすいいづる)からの提案であった……。

 と、大筋はこのようなお話である。また「大東京トイボックス」は、全2巻の「東京トイボックス」の“その後”を描いた作品。新たに企画志望の女性キャラ・百田(ももだ)モモを迎え、ゲーム制作の現場のみならず、業界全体がはらんでいる問題などにも深く切り込んだ作品となっている。

 随分前置きが長くなってしまったが、「東京トイボックス」という作品がどのように生まれ、どんな魅力をもってして連載が続いていったか、お2人の声をお届けしていこう。

■ 漫画家“うめ”の制作現場は、ゲーム制作の現場とそっくり?

――まずは、うめ先生を知らないという方に、お2人がどんな風に仕事を分担されているか教えてください。

妹尾氏: 基本的に小沢が原作、私が作画ということにはなっていますが、ネタ出しや打ち合わせは2人で行ないます。「前回こんな話だったから、次はこうしよう」など、2人で相談してまとまった段階で、小沢がシナリオを書きます。それができたら、そのシナリオに対しても「どうだろう」と2人で話して、その後に私がネームの形にして……さらに、そのネームについても相談して、それが固まったら担当編集さんに見てもらうという流れですね。

小沢氏: 普通の原作と作画だと、基本的に原作者がシナリオを起こして、それを編集がチェックして作画のネーム作業に回した段階で、原作者は2度とタッチできないことが多いと思うんですよね。だけど、僕の場合は延々と完成までタッチし続ける形なんです(笑)。

妹尾氏: 作画に入っても、映画・ドラマの美術や演出のような形で、小沢が背景を3Dで作ったりしていますね。あとは小道具とか。

小沢氏: 「このタイミングで持っているべきファミコンのコントローラーは、ボタンが四角なのか丸なのか……」とか、時代考証的なところも含めてですね。拾えるディテールは拾うようにしています。

――そこまで納得いくものを作ってから、編集さんに渡しているんですね。

妹尾氏: 編集さんからOKが出て、ペン入れも仕上げも終わってほぼ完成……というときに「やっぱここ直したほうがいいかな?」と小沢が言い出すこともあって(苦笑)。ページを入れ替えてネームを切り直してとかも結構あります。だから、主人公の太陽の「仕様を一部変更する!」というセリフがあるんですが、本当にそんな感じで。「スタジオG3」と同じく、こちらの現場も「……ふぅ」という雰囲気になりますね(笑)。

小沢氏: その分、仕上がりに関しては納得のいくものになっているんじゃないかと(笑)。

――そもそも「東京トイボックス」という作品が生まれたきっかけは?

小沢氏: 前作の「ちゃぶだいケンタ」(講談社)は、小学生が主人公の作品だったんですが、さほど売れなかったということもあって「小学生はやめましょう」という編集部からのオーダーが1つありました。

妹尾氏: 実はそのとき「幼稚園もの」の企画を考えていたんです。小学生からさらに年齢を下げようと思っていたところ、そんなオーダーが……。

小沢氏: それで「サラリーマンもの」という縛りのなかで、何か考えられないかなということになって。コンセプトとして「打倒、島耕作」というものが掲載誌の「週刊モーニング」側から提案がありました。まだペーペーの新人と超ベテランなんで、そういう失礼なキャッチフレーズが成立するんですけど。

 そこで何をしようと考えたときに、ネクタイを締めたサラリーマンの経験は自分もあまりなかったし、わからなかったんです。そうやって悩んでいたときに「ボクと魔王」というゲームを遊んでいました。

 あの作品は、自分たちがゲームのキャラであることに自己言及する、メタ的な構造を持ったゲームで。あれを遊んだときに「ゲームの作り手」をなぜかサラリーマンとして初めて意識したんですよね。それまでも作り手のインタビューや記事を読んではいましたが、それまではフリーランスに近いイメージがありました。

 でもこのゲームをやって、なんとなく作っている現場やそこで交わされたであろう会話なんかが想像されて「ああ、そういえばゲームを作る人もサラリーマンなんだな」って気づいたんです。そこから生まれた企画ですね。

――それに対して編集さんは、どんな反応を?

小沢氏: だいたい編集さんは、企画の段階だとOKを出してくれるんですよ(笑)。サラリーマンものというオーダーもクリアしていたので。

妹尾氏: ちょうど企画を練っている頃って「電車男」とかがブームになって、アキバとかいう要素、キーワードも入れ込めばいいんじゃないかって。

小沢氏: 2004年〜2005年って、やっと「メイドカフェ」というものが、コンテンツの中に組み込まれ始めているような時代だったんですよ。メイドカフェって「お帰りなさい、ご主人様!」とか言ってくれる場所でしょ? というのが、うっすら社会に認知されてきたぐらいでしたね。ズラリと並んだメイドさんが、一斉に頭を下げてくれるシーンを描くと、まだそれが笑いになった時代。で、編集さんとしても「ナシじゃないね」って話になったんですけど、そこからネームはなかなか通らなかったですね(苦笑)。

――そこから連載スタートに辿り着く道のりは険しかった、と。

小沢氏: そこでちょっと「ウラ技」的なものを使ったんですよ。直接の担当である若い編集さんがいて、その上にベテランのデスククラスの編集さんがいて、さらにその上に編集長さんがいるという構造で企画が通っていくんです。で、この真ん中のデスクさんのところでいつもネームが戻ってきてしまうと。

 その人は、ゲームをまったくやらない、どちらかといえば「子どもは元気に外で遊ぶべき」というタイプの方でした。この企画をやる以上、基礎教養的にいくつかのゲームを遊んでほしいということもお願いしたのですが、それも全部却下されて(苦笑)。関連書籍はかろうじて読んでくれたのですが、「何ひとつおもしろくなかった」と取りつく島がありませんでした。

 「ゲームをやらない人もおもしろく読める作品でないといけない」という考え方も一理はありますが、ネームに対するダメ出しも、どう説明を聞いても腑に落ちない。直せば直すほどつまらなくなっていく。そこで若い編集さんに頼んで、一足飛びに編集長にネームを見てもらったらスッと通って。

――それはまさに「ウラ技」ですね(笑)。

小沢氏: このやり方って後に「ドルアーガの塔」の遠藤雅伸さんと全然別の話をしていたときに、「企画を通すときは一個飛ばしの法則ってのがあってな」って教えていただいたことがあって。体育会系の部活とかを思い出してもらうとわかりやすいと思うのですが、1つ上の代というのは、もう1つ上の代と仲が悪い、その結果、自分と1つ飛ばした代の人とは仲良くできるという。今振り返ると、この法則を使ってたんだなぁ、と。

■ いざ連載スタート……の前に念入りな取材。あの「セガガガ」も参考に!?

――「東京トイボックス」立ち上げの際には、ゲーム業界についてどのような取材を?

小沢氏: 取材を始めたのは、2004年頃の話ですね。

妹尾氏: 企画を決めたものの、どこから手を付ければいいのかわからなくて。当時、ドリームキャストの「セガガガ」とかを遊んでいて、あれもゲーム制作のゲームだったので「開発の現場はこんな感じなのか……?」って(笑)。

小沢氏: 当時はゲーム制作サイドの人間を描いた本や作品って少なかったんですよね。そのなかで、ゲームジャーナリストである新清士さんの「ゲーム開発最前線「侍」はこうして作られた―アクワイア制作2課の660日戦争」(新紀元社)という本と出会えたのが大きかったです。

妹尾氏: あんなにも生々しいゲーム業界の裏側というのは、あの本で初めて知ることができて。まさにこれが自分たちの求めていたものだと思ったんですよ。このままこの本をコミカライズしてもいいんじゃないかってぐらい、描きたいことが入っていました。

小沢氏: 大手ではなく、中小規模のデベロッパーが苦労して開発して、パブリッシャーからゲームを出してもらうという構図が、漫画家としての自分たちと似ていて。要するに、パブリッシャーとデベロッパーの関係が、出版社と漫画家の関係と似ていたんですよね。最初はパブリッシャーとデベロッパーの区別すらついていなかったんですよ。

妹尾氏: アニメの制作の現場などは、なんとなくわかっていたんですけど、ゲームの作り方は本当にさっぱりだったんですよね。

小沢氏: 同じエンターテイメントを作る仕事なので、さっき話したパブリッシャーとデベロッパーの関係を、出版社と自分たちの関係に置き換えていく作業を進めていくと、かなり出版業界とゲーム業界は似ているところがあって。起きるトラブルや、詰まるところなども似ていて、この置き換えをできるようになってからは進めやすかったですね。

 その後は「こういうこと起きそうじゃない?」って考えてゲーム業界の人に話を聞いてみると、「ああ、あるある!」と。ネットなどで「東京トイボックス」について、「こんなことあり得ない」とか書かれたこともあるんですけど、そういうネタに限って実話だったり(笑)。

――具体的には、どんな人やメーカーを取材されたんですか?

小沢氏: 1番お世話になったのはアクワイアさんですね。新さんの本を読んで、すぐに編集部に「ここに取材に行きたいんだけど、アポ取れませんか?」ってお願いしたんです……けど、なかなか動いてくれなくて。で、自分でお問い合わせアドレスにメールを出したら、1時間半でメールがが帰ってきて、「なんだこの会社!?」って(笑)。

妹尾氏: どこでも寝られるように土足禁止だったり、そういうところは「スタジオG3」のモデルになっていますね。社内に打ち合わせスペースとして「ちゃぶだい」があるところは、「ソリダス」の仙水の部屋に取り入れられていたり。

小沢氏: 現在は別の会社に移ってしまわれた方も含めて、当時の「侍」チームの方々には本当にお世話になりましたね。「大東京トイボックス」に登場するゲーム「デスパレートハイスクール」のひな形になった「次元転換システム」は、実際に企画会議を開いていただいて生まれたものです。「大東京トイボックス」2巻が発売した後に、「3分間」というプレゼンの時間と、「燃え×萌えのシューティング」という縛りでブレインストーミングしてもらって、少しずつ形になっていったものなんですよ。

妹尾氏: 現在はカプコンで、元「侍」ディレクターの中西晃史さんも、当時はまだアクワイアにいらっしゃって、随分お世話になりましたね。

小沢氏: あとは米光一成さんですね。ブログなどもおもしろかった米光さんが「デジタルコンテンツ仕事術」という講座を池袋で始めるというので、それに自腹で申し込んだんです。そこに行って、米光さん自身はもちろんだったんですが、その講座を受講している人たち――企画の人もいればプログラマーの人もいたり、昔ゲーム業界にいたけど今は別の業界にいるみたいな、同人ゲームを作っている、そんなおもしろい人たちが集まっていたんですよね。

 大体ああいう講座の一期生って、自分たち棚に上げて言いますが、変な人が多いイメージがあります(笑)。そんな人たちの話を、当時はmixiだったんですが、ある程度クローズドな場所を作って「こういうことある?」って聞き集めたり。そうすると、夜中に質問を投げても、朝方までに誰かしらが答えてくれているという。今はFacebookに場を移したんですけど、そういうコミュニティで教えてもらったことは役に立ちましたね。

妹尾氏: 最終巻となる10巻でもお世話になりましたね。

――米光さんの講座の内容は、どのようなものだったんですか?

小沢氏: 「大東京トイボックス」3巻の「“ち”で始まる丸いもの」をみんなで考える、発想力テストのようなシーンがありますが、あれですね。ちなみにあのシーンで太陽が言った「ちまめ」という答えは、妹尾が実際に挙げたものです(笑)。

妹尾氏: 米光さんは「地球」って答えてもらいたかったらしいんですが、私が“ちまめ”って言っちゃって。「そういう答えを返されると困っちゃうんだよなぁ」って言われたのを覚えています(笑)。

小沢氏: “ちまめ”は米光さんのなかで、今でもベスト回答1つらしいですよ。

――作中ではストーリーにからめる形で、「チームワーク」という答えも出ていましたね。

小沢氏: あれは僕が時間をかけて考えたものですね(笑)。「丸いもので“ち”」のシーンは、米光さんに「使ってもいい?」って聞いて「人の飯のタネを!」と言われました。でも、米光さんも大学の講義であのシーンの絵を使っていたので「お互い様か(笑)」って感じで。

 でも、本当にあの講座は勉強になりました。ゲームを作る人の考え方をそのまま学んだという感じですね。名前こそ変わりましたが、今も米光講座は続いているので、興味のある方はぜひ。あとは、いろんな飲み会に連れて行ってもらって「弟切草」の麻野一哉さんとか、「巨人のドシン」の飯田和敏さんとかをご紹介させていただいて。

――なかなか濃いメンバーですね(笑)。

小沢氏: ゲーム業界的には極端な人たちかもしれませんね(笑)。最初はちゃんと取材をしようとしすぎて、固くなってしまっていたんですよ。でも、話していくうちに「これは違う。グチを聞き出したほうがおもしろい!」というところに辿り着いて。

妹尾氏: 失敗談とかもですね(笑)。

小沢氏: そういう話を飲み会などで聞いたのが、1番漫画にも使えましたね。だから「表に出したらヤバイ!」というネタは、マンガになっていない部分でもたくさんあります。いろんなチェックの抜け道とか、そういうちょっと「ワルイ話」とか(笑)。アクワイアさんと米光さんに加えて、さっき話題にもなった遠藤さんからの影響も大きいです。初めてお会いしたのが「東京トイボックス」が終わった後ぐらいですね。

妹尾氏: 作中に「ドルアーガの塔」を登場させた直後でした。「1回遊びに来いよ!」ってブログに書き込みがあって「は、はい!」みたいな(笑)。会社に伺って、そこでサイン会の練習だと言われて、スタッフ持参の単行本にサイン入れたりとか(笑)。

小沢氏: 遠藤さんにはいろんな話を聞かせてもらいました。あと、ゲーム業界の若い人たちの飲み会に誘われたとき、遠藤さんもいらしてて、ちょうど僕らに子どもが生まれた頃で「子どもが生まれまして」とお伝えしたら「よくやった!」と(笑)。

 「こんだけ若い連中がいるなかで、彼女がいるヤツなんかほとんどいないぞ……ましてや結婚して、子どもがいるヤツなんてほとんどいない。これじゃダメなんだ」って。これは遠藤さんに言われて、「大東京トイボックス」のストーリーにもちょっと影響を受けた言葉ですね。

■ 「東京トイボックス」の物語で描きたかったことは、個人個人の正しさ

――「東京トイボックス」が、ゼロから1本新しいゲームを作る話ではなく、「サムライ☆キッチン」というゲームの海外版を作るお話にした狙いは?

小沢氏: それは、連載がいつ終わるかわからなかったからですね。ゼロから作るお話にしちゃうと時間がかかって、いわゆる「俺たちの戦いはこれからだ!」で終わらすのも嫌だったし。「1度作ったゲームをなんとかしなきゃ」という話にすれば、ゲームのイメージもバシッと読者に伝えやすいだろうと。そう思ってひねり出したのが「海外版」というアイデアでしたね。

――妹尾さんは、そのアイデアについてどう思われましたか?

妹尾氏: 私はもっと「ゲーム業界あるあるネタ」みたいなものを考えていて。私は文系の人間なんですが、理系の人のちょっと変わった習性とか好きなんですよね。そういうのと、小沢が言っていた「ゲーム業界のサラリーマン」というネタが合致していて、それはいいねって思ったんです。だからもっと「コスプレして会議に出るとか」そういうネタを入れたりとか……。

小沢氏: いや、それは理系じゃないでしょ(笑)。説明がくどかったりとか、エンジニア的な考え方とか。妹尾はもっとコメディ寄りの話をやろうとしていたんですよ。

妹尾氏: そういうものを描きたいという思いと同時に、「熱いもの」を描きたいという気持ちもあって、それって矛盾しているんですよね。もっと軽い読み味で1話完結型の話をやろうかなと思っていたんです。小沢はいろんな立場の人の視点がある、群像劇のようなものをやりたいって話していたのを覚えていますね。誰かが間違っていて、誰かが正しいとかじゃなくて。

小沢氏: そうですね、今思い出しました(笑)。どうしても漫画の世界で王道とされるのって、主人公を立てて敵を作って、そこをゴリゴリぶつけていくというものなんですよね。

 でも、何かしらの組織にある程度の期間いた人だったらわかることだと思うんですけど、例えばペーペーのバイトの頃は「ムカつくよね、あの店長〜」って言ってうなずいている。でも年を取ると、そうやって下に言われてるのわかっていても、そのバイトを使わないといけない状況だったり心境だったり、なんて店長の気持ちもよくわかったりして(笑)。

 僕が昔働いていた会社の上司が「たまにはみんな、僕のいないところで飲んで、僕の悪口言わないとダメだよ」と言ってたのをよく覚えています。その立場ごとに正義ってあるし、間違いもあるし、見えている世界も違って、全員ある意味正しいんですよね。そいう「個人個人の正しさ」みたいなものを描きたいという思いはありましたね。「大東京トイボックス」になっても、その思いはありました。

――「ソリダス・ワークス」という大きな会社を登場させた理由は?

小沢氏: それは「スタジオG3」という中小のデベロッパーとの対比のためですね。

妹尾氏: 私は「ソリダス」という会社を登場させたことで、1話完結型ほのぼのギャグタッチはあきらめました(笑)。どうしても対立構造が生まれてしまうので。

――「ソリダス」にもモデルのようなメーカーはあるのでしょうか?

小沢氏: 具体的にどこということはなく、いろんな複合体ですよ(笑)。スクエニさんみたいにゲーム以外に出版をやっていたりとか、セガさんが「セガガガ」でビル建ててたので「ソリダス」もビルを建てようとか。あとはKONAMIさんにも取材に行っていて、「コナミスクール」という人材育成の体験入学をしてみたり。

■ “東京”の進化系だから、大東京。タイトル&キャラクター制作秘話

――「東京トイボックス」というタイトルは、どうやって付けられたのですか?

妹尾氏: 元々私が「トイボックス」って言葉がいいな、と急に思って。ただ、「トイボックス」だけだと何か足りないなという話になって「東京」を加えた感じですね。

小沢氏: その前は仮タイトル「ゲーム野郎」でしたからね(笑)。

妹尾氏: 編集長に「それだけはやめてくれ」って言われて(笑)。

小沢氏: でも僕は「東京トイボックス」というタイトルが嫌いだったんですよ。大体「東京◯◯」ってタイトル多いじゃないですか。「東京ラブストーリー」しかり、「東京ばな奈」しかり(笑)。ただ、続編で“大”を付けたときにやっと「アリだ!」って、このタイトルを受け入れられましたね。結構長い時間がかかりました(笑)。

――その“大”を続編のタイトルに加えた理由はなんでしょう?

小沢氏: これは「コミックバーズ」に移籍して続編をやるにあたって、編集さんから「“2”とか“続”とか“新”とかはやめましょう」ってリクエストされて。新規の読者さんも入りやすいようにしつつ、続編としても伝わるようにしたくて「どうしようどうしよう」と悩んで歩いていたとき……それがちょうど夏祭りのシーズンで、どこかから「東京〜東京〜大東京〜」と「大東京音頭」が聞こえてきて「コレだ!」と(笑)。東京の進化系は「大東京」だろうって。よく「魔界村」が「大魔界村」になったののオマージュだといわれるのですが、違うんです、すみません(笑)。

妹尾氏: 最初は「ネオ東京?」とか言ってましたけど(笑)。

――「スタジオG3」の個性的な面々について、どんな風にキャラを考えていったんでしょうか。

妹尾氏: 最初に決まったのは、意外かもしれませんがプログラマーのゴウ・ロドリゲスですね。アクワイアさんに取材に行って、開発室に入れていただいたときに、日本語ペラペラの外国の方がいらっしゃって。「このキャラは使える!」と(笑)。

小沢氏: あとは七海さん、太陽、月山とか、メインどころですかね……。

妹尾氏: ほかには、2〜3話ぐらいから「もっとスタッフちゃんと考えないとね」みたいに、キャラを徐々に立てていった感じですね。

小沢氏: 太陽は最初「天川銀河」という名前だったんですよ。あと、初期設定から変わったのは髪型ぐらいですかね。このネタの名残は10巻のラストで登場します。

妹尾氏: 最初、太陽はボウズで、月山が長い髪で企画を出していたんですが、編集長から「ボウズは……もう1パターン何かない?」と言われて、出したのが今の形ですね。

小沢氏: でもなんかしっくりこなかったので、「大東京トイボックス」でボウズにしてやりました(笑)。難しかったのは月山と七海さんで、「大東京トイボックス」から登場する百田モモ、この3人の属性がグッチャグチャで。

 初期設定では、七海さんが社長だったり、月山が新人だったこともありましたね。インターンシップで大学から「スタジオG3」に入ってきたり。とにかく女子を2人出したいと考えていて、太陽より立場的に上の人と下の人ですね。それで、今の月山と七海さんの形になって、入りきらなかった成分が「大東京トイボックス」のモモになりました。実は、ボツになった「東京トイボックス」の1話のネームと「大東京トイボックス」の1話のネームはほぼ一緒なんです。新人が転がりこんでくるという。

妹尾氏: 月山がツインテールでメガネかけていたときもありました。東北弁という設定は残りましたね。もっとバリバリしゃべっていました。

――太陽のモデルとなったクリエイターはいるのでしょうか?

小沢氏: とくにこの方がモデル、というのはないですね。

妹尾氏: アクワイアさんに取材をしていて、自分の中のディレクターという職業のイメージと、ある種ワンマンな太陽のキャラクター性がしっくりこなくて悩んだことはありましたね。ディレクターって、現場のスタッフとプロデューサーの架け橋、調整役のように考えていて。

 「大東京トイボックス」の3〜4巻ぐらいで悩んだりしているんですけどね。ちょっと話がそれるのですが、「スティーブズ」というスティーブ・ジョブズをモデルにしたマンガを描くために、彼のエピソードをいろいろ調べてて「あ、こういう人もいるんだ」って驚きました。まるで太陽じゃん!って(笑) 。

 そこからは、多少ワンマンでも魅力的なディレクターがいてもいいじゃないかと開き直れて、気持ちよく太陽を描けるようになりました。

小沢氏: でも、すごく調整力と協調性の高いディレクターを主人公にしてたら、たぶんつまらなかったと思うんですよね。「マンガですから」って言ってしまうとズルいんだけど、そこはエンタメなので夢を描かなきゃいけないかなって。

――「東京トイボックス」1巻の幕間を見ると、サブキャラクターも含めて、略歴や初めてのPC、果ては恋愛関係など、細かな設定が用意されていますよね。

小沢氏: 全部僕が楽しいから考えています(笑)。僕「ファイブスター物語」の年表が好きなんですよ。そういったものへの憧れもあって、こういう設定資料集的なものを熟読するのが好きというのが根っこにありますね。

妹尾氏: 私は小沢が考えたものを見てゲラゲラ笑っていて(笑)。

小沢氏: あとはページが余ったので何で埋めようかっていうのも(笑)。加えて、いつ終わるのかわからない作品だったので、いつ描けるかわからないから、もったいないから出しちゃおうといったノリで。でも、ああいう細かなことを考えることで、月並みですけどキャラのイメージが固まっていきましたね。「スタジオG3」に入ってきた理由を散らしたりとか、なるべくかぶらないように。

――「どこの会社でもこういう人、1人はいるよね」みたいな、バランスのとれたメンバーですよね。

妹尾氏: そう言ってもらえるとうれしいですね。

■ 魂は合ってる……! 「東京トイボックス」名言が生まれるまで

――太陽の「仕様を一部変更する!」、「魂は合ってる」など、こういったセリフを生み出すのには苦労されたのでしょうか? それともスッと出てくるようなものなのですか?

小沢氏: 僕も「魂は合ってる」は好きですね(笑)。

妹尾氏: 実際にこのセリフを使ってくれたという人をTwitterで見かけましたね。自分のプレゼンでことごとく数字が違っていて、「お前これなんだよ」って言われたときに、「でも魂は合ってます」って。自分で言っちゃうんだ、と(笑)。

小沢氏: 「魂は合ってる」は、「東京トイボックス」1話の「魂が違ったんです……」とつながっているんですけど、僕はそのセリフが月並みすぎて嫌いだったんです。それで納得がいってなくて、「大東京トイボックス」1話でひっくり返して、あの状況(面接を受けに来た百田を帰すため)において「魂は合ってる」って言ってしまうのはアリだな、と。そこで回収できて、やっとこの「魂が違ったんです……」も受け入れられるようになりました。

――「仕様を一部変更する!」についてはいかがでしょう?

妹尾氏: これは「東京トイボックス」1話の時点では、太陽の決めゼリフというわけではなかったんですよ。ただ、「仕様を変更する」ということが、スタッフが疲弊してディレクターとぶつかる原因になるということは、取材を通じて頭にありましたね。

小沢氏: このセリフも「大東京トイボックス」含めると何度も使っているんですが、その使いどころによってカッコよく聞こえたり聞こえなかったり、意味も変わっているんです。ただ、「仕様を変更する」ということって、ある意味、ディレクターの華だと思うんですよね(笑)。

 これは取材を続けていく過程で、刺さったというか、自分自身も漫画で変えるところはギリギリでも変えますし。ましてゲームって、マンガと比べると動いているお金や人数も違うので。やっぱり漫画を作っていくなかで、シナリオを書いて、ネームに起こして、ペンが入って、そこでやっとキャラクターがセリフをしゃべっているときの気持ちがわかったりするんです。そうすると……変えたくなるじゃないですか、セリフを(笑)。

妹尾氏: 表情によってセリフが変わるというのは、作画を担当している身としては醍醐味ではありますね。絵じゃなくて、セリフを変える分には……ですが(苦笑)。

小沢氏: 絵を変えてもらうことも多々あります(苦笑)。ただ、漫画に限らず、ものを作る過程って作業じゃなくて、最後までクリエイティブなことだと思うんですよね。漫画を作る上で最初の企画を考える段階だけがクリエイティブで、そこから先の作画などは作業なのかといったら、そんなつまらないはずはないだろうと。最後の部分までがクリエイティブなものだとするのなら、仕様変更は致し方なし、と。

――今、妹尾さんが微妙な表情をされました(笑)。

小沢氏: あと、作中では描いてないんですけど、仙水って仕様変更をしないタイプだと思っていて。最初に自分のクリエイティブ性を発揮する瞬間があって、そこで決めた通りに現場に作ってもらって、最後まで変えないと思いますね。

(後編に続く)


【GAME Watch,安田俊亮】

最終更新:9月24日(火)13時55分

Impress Watch

 
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