瀬田川洗堰「全閉」撤廃へ国交省が方針転換
全流域でリスク分担

photo
国交省が将来的に全閉操作を撤廃する方針を示した瀬田川洗堰(大津市)

 国土交通省は十二日、琵琶湖から流れ出る水量を調節する瀬田川洗堰(大津市)で、洪水時に下流の大阪府や京都府を浸水被害から守るため堰を完全に閉め切る「全閉操作」について、将来的に撤廃する方針を初めて示した。明治時代から一世紀にわたって続いてきた操作方法が見直されることになり、上流の琵琶湖周辺の犠牲を前提とした治水対策から、流域全体でリスクを分担する方向に転換する。

■「願いかなった」嘉田知事

 同日午前に開かれた国土交通相の諮問機関、社会資本整備審議会の淀川水系河川整備基本方針検討小委員会で、同省河川局が明らかにした。

 同局は「一部の地域の犠牲を前提として、その他の地域の安全が確保されるものではなく、流域全体の安全度の向上を図ることが必要」との認識に立ち、計画論として「かつては琵琶湖から常に(自然と)流れ出ていたことにかんがみ、洗堰の全閉操作は行わないこととする」とした琵琶湖・淀川流域の基本理念案を示した。

 その上で計画規模を超える洪水が起きた場合には、流域全体でリスクを分担するため、洗堰の全閉操作や淀川に排出する沿川の排水ポンプの運転停止などの対策を一体的に講じることとした。

 また、淀川水系で川幅が狭い桂川の保津峡(亀岡市)、木津川の岩倉峡(三重県上野市)の開削については「極力行わないことが望ましい」との見解を示した。

 全閉操作は南郷洗堰の時から始まり、一九五九年八月に二十五時間閉鎖されるなど、戦後だけで七回実施されている。

 現在の治水対策は洪水時の全閉操作を前提に、人家が密集する下流の淀川では二百年に一度、琵琶湖を含む上流部は百年に一度の洪水にそれぞれ対応する。滋賀県は「計画上、安全度の低い琵琶湖周辺が全閉操作で浸水の危険をより増大させられている。不条理だ」と解消を求めてきた。

 小委員会に臨時委員として出席した嘉田由紀子知事は「全閉操作の解消が明確に示され、県民の長年にわたる願いをくみ取っていただいた。県民とともに意義深く思う」と話した。

≪洗堰の全閉操作≫
 一九〇五年の南郷洗堰完成に伴って始まり、六一年に完成した瀬田川洗堰にも引き継がれた。九二年には、淀川の大阪府枚方市地点で水位が三メートルを超え、さらに危険水位を超える恐れがある場合や、下流の天ケ瀬ダム(宇治市)が下流への放流量の調節を始めた場合に行うことなどが、操作規則に明文化された。

■解説
<宇治川など 下流改修が急務>
 琵琶湖周辺の犠牲を前提とした淀川水系の治水の在り方が、国の河川整備基本方針で根底から見直されることとなった。瀬田川洗堰(大津市)の全閉操作をめぐっては、一世紀におよぶ上下流の対立があった。一部の地域だけに負担を強いることなく、国が「流域全体の安全度の向上を図る必要がある」とした新たな計画論を示したことは歴史的な転換点と言える。

 だが、実際のところ、全閉を解消するめどは立っていない。一九九二年に操作規則を明文化した時、国が約十年をめどに実施するとしていた宇治川の河川改修と天ケ瀬ダム(宇治市)の再開発の整備が遅れているからだ。

 現在の治水計画では枚方市地点の淀川の最大流量は毎秒一万二千トン。このうち宇治川から流れ込む水量は千五百トンとしているが、観光地である宇治市の塔の島地区の景観問題で改修工事の地元合意が得られず、現状は約千トンにとどまっている。

 洗堰より下流の流下能力が向上しない限り、上流は我慢し続けなければならない。宇治川など下流の改修などが急務で、基本方針に基づく河川整備計画にどう位置づけるかがポイントになる。

 また、解消後に流す流量も大きな課題だ。その議論の目安とされるのが、洗堰ができる以前の瀬田川の自然流量だ。滋賀県は、過去の文献などを手がかりに洪水を迎える時の水量を約百六十五トンと試算している。今後、瀬田川の流量が下流にどの程度影響を与えるかも検証する必要がある。

[2007年1月12日夕刊掲載]