記者の目:「消えた震災」昭和東南海地震=山本佳孝
毎日新聞 2013年09月24日 00時16分(最終更新 09月24日 00時24分)
一方で住民の被害は「救護その他応急措置の問題」と最後に触れられ、「直ちに警察官、警防団を動員して警備を強化」と、秩序維持に力点を置いていた様子がうかがえる。被災者の聞き取りも進めてきた木村准教授は言う。「情報統制の中で、全体状況の見えない自治体は適切な救護もできず、被災者は生活再建の道筋さえ立てられなかった」
思い出すのは、福島第1原発事故後に発覚した放射能の拡散予測システム「SPEEDI」の問題だ。発表に伴う混乱を恐れた政府が情報を伏せたと指摘される。日本人が敏感な放射能という要素があり、戦前と同じだとは言わない。だが、何も知らされなかった原発周辺の一部住民が放射性物質の飛散方向に重なる避難経路を選んだ悲劇は、情報遮断が人命に直結する恐ろしさを教えて余りある。
◇生き延びた生の証言こそ英知に
高齢の体験者への取材は時間との闘いでもあった。ようやく連絡がついても重い病で入院中だと家族から告げられることが少なくなかった。それゆえ、70年近い歳月を超えた肉声は胸に響いた。袋井町の国民学校で、下敷きになりながら生き延びた筒井千鶴子さん(79)は、恐らく静岡県内でたった一人の地震の語り部だ。紙芝居で聞かせる「あの日」は、自分たちの街のどこで大きな揺れが生じ、被害はどこに集中したか、生き延びるために何をしたかが生々しく語られ、集まった子供は毎回聴き入った。震災体験が具体的地名とともに年長者から次世代へ引き継がれる意味は大きいと感じた。
3・11の反省から、政府が相次いで公表した南海トラフ巨大地震をはじめとするさまざまな被害想定は、1000年に1度あるかないかの地震も排除せず被害の数字を網羅している。最悪の場合、静岡県なら死者は全国の3分の1ほどに当たる約11万人に上る。
ショッキングな数字ばかりだが、多くの想定が並列的に示され、巨大地震が予想される地域で、何が現実感のあるシナリオか、判断がつかなくなってはいないだろうか。だからこそ、肌身に感じられる体験者の証言が重要だ。太平洋戦争の従軍や空襲の証言が研究者らによってアーカイブ化されているような取り組みがあっていい。90年前の関東大震災から、「阪神」「東日本」まで、体験者の記憶が形になって集積されれば、減災につながる確かな英知になるだろう。