自由の響きは何とも伸びやかです。憲法はいくつも自由と権利を保障しています。国家がそこに強引に入り込んでくると、社会は窒息してしまいます。
<日本の下層階級は(中略)世界の何(いず)れの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。そうして彼等(ら)の権利は驚くばかり尊重せられていると思う>
<しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも余りその比を見ないほどの自由である>
江戸人は自由だった
この記述は現代の日本についてではありません。幕末の一八五七(安政四)年に来日した、オランダ軍人のカッテンディーケが「長崎海軍伝習所の日々」(平凡社・東洋文庫)に書いた一文です。江戸幕府が設けた長崎海軍伝習所の教官で、勝海舟らに航海術や測量術などを教えたことで有名です。
江戸時代の庶民が自由であって、権利が尊重されているという観察は、あまりに意外です。
五九(安政六)年に来日した、英国の初代駐日公使オールコックも次のように書いています。
<一般大衆のあいだには、われわれが想像する以上の真の自由があるのかも知れない。(中略)一般民衆の自由があって民主的な制度をより多くもっている多くの国々以上に、日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることがなく…>(「大君の都」、岩波文庫)
江戸時代は封建社会で、身分制度に縛られた抑圧の時代ではなかったのでしょうか。閉塞(へいそく)的なイメージがあります。なぜ江戸人が自由に見えたかはわかりません。
少なくとも、幕末の外国人記録は、われわれの固定観念に疑問の目を持たせてくれます。カッテンディーケもオールコックも、日本に二、三年、滞在した知識人です。「自由」や「権利」という言葉を使った記録は侮れません。
天賦人権説も否定か
身分といっても、外国人にはほとんど差がないように見えたのかもしれません。武士は庶民の感情を傷つけないように、振る舞っていたのかもしれません。
それにしても、近代の扉を開いた西洋人が、当時の水準ながら、日本人を「自由だ」と評価したことには、驚きを禁じ得ません。どこか誇らしくも感じられます。
もちろん、現代ニッポン人は、江戸人よりもはるかに確立された、自由や権利を持っています。日本国憲法で保障されているからです。国民主権であり、基本的人権が規定されています。
人権とは人間が生まれながらに持っている権利で、近代憲法では、国家はこれを侵してはならない約束事になっています。思想・良心の自由や表現の自由などの自由権があります。
健康で文化的な生活を営む生存権も、教育を受ける権利も、労働基本権という社会権もあります。経済的、社会的弱者を国家の保障で、守らせる装置です。
だから、われわれは自由の空気を胸いっぱいに吸っているのです。でも、暗雲が覆い始めています。自民党の憲法改正草案が現実味を帯びてきたからです。
憲法九条の改正も大問題ですが、自由と権利を定めた一二条なども要注意です。改正草案はこう書きます。「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」−。
現憲法の同条文に義務の言葉はありません。つまり、義務を押しつけ、国家が「公益」や「公の秩序」に国民を服従させる意図が露骨に表れています。これでは国家が勝手に秩序の枠を決めることも可能です。何と窮屈なことでしょう。
個別の条文にいくつも「公益及び公の秩序」の言葉を入れています。国家がわれわれの権利に手を突っ込もうとしているのです。
驚くべきことに、改正草案のQ&Aでは「西欧の天賦人権説に基づく規定を改める」という趣旨の解説をしています。生まれながらに持つ人権の考え方を否定するのでしょうか。人類普遍の原理のはずです。欧米諸国の人々が、改正草案を見れば、時代錯誤だと思うでしょう。近代以前の代物です。
権力を振り回さないで
幕末に日本を訪れた外国人は、「日本の民衆が幸福そうで、生活に満足している」という記録も数多く残しています。これは江戸人が「自由と権利」を持っているとの観察と密接不可分です。
カッテンディーケは「日本政府は民衆に対して、あまり権力を持っていない」とも書いています。江戸人が自由に見えたヒントは、ここにありそうです。権力を使わないから自由−。そんな関係かもしれません。国家が権力を振りかざし、国民生活に介入するほど、幸福の風景はかすみます。
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