◇終わりなき“自分探し”を続けないために。

聖教新聞を整理していたら、興味深い記事があった。
8月16日の社説に、次のように書かれていた。
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自分はダメな人間だと思う‥
若い世代が自分を否定的に捉える割合が6割を超えているという。(日本青少年研究所調べ)
今の若者たちは、いわゆる“バブル経済”が崩壊した後、長く続く景気低迷の中で生きてきた。
高度経済成長期とは異なり、厳しい就職状況や低賃金、少子高齢化など、多くの課題が山積する。自分に自信が持てず、未来への希望や夢を見出しにくい時代の渦中にあるといえるだろう。
社会学者の古市憲寿氏は、本紙のインタビューの中で、「夢や希望が容易にかなわない現実の中で、自分とは何か、どう生きればいいのかが分からず、終わりなき“自分探し”を続けている「希望難民」が増えていると語っている。
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私は高度経済成長の時代に育まれ成人しました。
しかし、当時、私にとっては希望に満ち溢れていた時代という認識はありません。
むしろ、私は病気がちの子供時代で、どう生きればいいのかということについてもずっと迷い苦しんでいましたし、同級生のエリートたちに比べ、いつも、「自分はダメな人間だ」と思っていました。
その当時の記事は、→
ここをクリック!ですから私は、同じく希望難民だったと言えるでしょう。
では、私は、どのようにしてその呪縛から逃れたのでしょうか。
それは、仕事をするようになって、自分自身の存在意義を発見したことに始まります。叱られながらも仕事をし、生産に関与することで、生きる価値を見出せるようになったのです。
仕事以外にもあることでしょう。「何か良いことすること」、「必要とされること」‥
そのことを感じられる生活ができれば、「ダメ人間」でなくなります。
私は「ダメ人間」になりたくなかった。だから1つ1つを頑張りました。
しかし、順風満帆ではありません。
行き詰ると途端に不幸を味わうことになります。
人間関係やトラブルで浮き沈みします。だから悩んで信心をしたし、今も様々に変化する人生の中で信心をしている。
大事なことは、相対的に生きないことです。
あの人に比べて自分は勝っている、負けている‥
それを幸福の判断基準にしないことです。
でも、そう思ってみたところで本質は変わりませんよね。
とどのつまり、命を変えるしかない。
だから信心。だからお題目しかないのです。
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