酒井雄哉氏死去 比叡山大阿闍梨、千日回峰行2度
天台宗の荒行「千日回峰行」を2度達成した比叡山大阿闍梨(あじゃり)、酒井雄哉(さかい・ゆうさい)氏が23日午後2時27分、心不全のため、自坊の大津市坂本本町4239、長寿院で死去した。87歳。大阪市出身。葬儀は27日午後0時半から、大津市坂本6の1の17、生源寺で。喪主は遺弟の藤波源信(ふじなみ・げんしん)氏。
1926(大正15)年生まれ。44年、慶応義塾商業学校を経て予科練に志願、鹿児島県鹿屋市の特攻基地で終戦を迎えた。その後、東京で暮らし、飲食店や菓子販売など職を転々とし、妻との死別を機に40歳で比叡山に入り、出家、得度した。
長年途絶えていた飯室回峰を復興。80年、54歳で比叡山中や京都市内を7年間で約4万キロ走破し、9日間の不眠不臥(ふが)、断食断水の「堂入り」などを行う千日回峰行を満行した。さらに87年にも、戦後最高齢の60歳で、「別行」として再び千日行を達成した。千日行を2度達成したのは比叡山の歴史で3人しか確認できないという。
90年、天台宗の宗祖最澄の「東下り」の足跡をたどって京都から東京まで中山道沿いに750キロを歩いたのをはじめ、91年に天台宗の聖地で回峰行のルーツである中国・五台山を巡礼。東北や九州など各地を精力的に行脚した。95年には当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見した。
近年がんが見つかり、今年1月からは東京慈恵会医科大付属病院で治療。6月から自坊で静養していた。
著書に「今できることをやればいい」「一日一生」など。
【 2013年09月24日 08時51分 】