校長室より

第66回中学校卒業証書授与式が挙行されました

昨夜の雨がすっかり上がり、少し寒さが戻りましたが、春らしい晴天になりました。
ご来賓、保護者の皆様をお迎えして、第66回卒業証書授与式を行うことができました。
心より感謝申し上げます。

校長式辞です

 梅の香りと共に、寒さ厳しい冬が終わり、春の訪れを感じる暖かさとなりました。春の光あふれるこの佳き日に名古屋経済大学市邨中学校第66回卒業証書授与式を挙行できますことを嬉しく思います。
 本日ご多用の中をご臨席賜りました来賓の皆様に心より御礼申し上げます。
 先ほど、卒業証書を授与しました71名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。そして、お子様の成長を願い、この日を心待ちにしておられたご家族の皆様に心から御祝いを申し上げます。それと共に、これまでの本校の教育活動に対するご理解とご支援に対し深く感謝申し上げます。
 さて、3.11東日本大震災より、二年が過ぎました。被災地での追悼の儀式の様子が報道され、人と人との「絆」を再確認しようという思いが伝わってきました。しかし、あれだけの地震や津波の被害、そして、福島原発事故による被害を受けながら、被災地から遠く離れた地域の人々の記憶は徐々に風化が進みつつあるようにも感じられ、思いを新たにする必要を感じています。
 私は、震災後の始業式において、震災から日本が復興するためには君達は何をしなければならないかという話をしました。
 「君達はしっかりと勉強し、復興の力となる能力、学力を付けなければならない。正しく生活し、正しく生きることを学ばなければいけない。勉強するのは、試験でいい成績を取るためではない。自分の能力を伸ばし、力をつけるために勉強する。人のために尽くせるような力を身につける、そのために勉強してください。」
 二年たった今でも、思いは同じです。政権が交代し、経済回復への期待が高まっています。君達には、近い将来、日本の経済活動を担い、世界に出て世界と渡り合えるような力を付けることが求められています。その時、君達の力で大震災からの復興が成し遂げられるのだと思います。
 昨年のノーベル医学・生理学賞は、iPS細胞の作成に成功した、山中伸弥教授が受賞しました。身体の中のいろいろな細胞に変化できる細胞を作りだし、再生医療への応用など生命科学への革命的発展に寄与したのです。山中教授は協力者である若手研究者に、感謝すると共に、医学研究への期待感も述べています。
 授賞式前に、学生からのインタビューに答えて、「若いあなたに一つ助言できることがあるとすれば、時間を無駄にしないことだ」と言っています。
 時間がたつのは早い。中学校での三年間はあっという間だったでしょう。入学式の後、開田高原で未だ互いに打ち解けないまま共に過ごしたわたり合宿に始まり、弁論大会、芸術鑑賞会、体育祭、百人一首大会、合唱コンクールと、様々な行事をこなしてきました。最も印象的だったのは、おそらく、沖縄への修学旅行だったのではないでしょうか。戦争の悲惨さを肌で感じ取り、琉球文化の素晴らしさを体験し、亜熱帯の自然を感じるという体験は何物にも代えがたい感動の体験学習だったと思います。
 また、この三年間の毎日の授業で君達は確実に学力を身につけ、さらに毎日の小テストや確認テスト、補習や休み中の学習クリニックなどで、先生方にみっちりと学力を鍛えられてきました。一生懸命に打ち込んだクラブ活動や生徒会活動も忘れられない想い出だと思います。
 このようにして、時間を無駄にすることなく、瞬く間に過ぎ去った学校生活ですが、最も大切な事柄として君達全員の中に確実に根付いていて欲しいと願うのは、やはり、市邨学園の校訓三則として謳われた「慈 忠 忍」の心です。人を慈しみ、真心から人を愛し、真っ直ぐに正しい道を進み、苦しいときに粘り強く堪え忍ぶ、という本学園創設以来、つまり明治の時代から受け継いでいる教育理念です。この「慈 忠 忍」の心こそ、東日本大震災を経験した私たちが、復興の理念として、掲げ続けるべき指針なのだと思います。
 卒業生の皆さん、卒業式は学校生活の終わりではありません。むしろ人生の次のステージが始まるその出発点だと思います。四月からは高等学校での新しい学校生活が始まります。中学で培った学力と体力と精神力を信じて、力強く歩んで行ってください。どうか「慈 忠 忍」のこころを備えた、「人物」となるよう、時間を惜しんで、励んでください。やがて、あなた達が「世界我が市場」として活躍する姿を思い描いて式辞といたします。

 平成二十五年三月十四日
                           名古屋経済大学市邨中学校 校長 澁谷有人 


生徒間トラブルへの対処について

いじめ等の生徒間トラブルへの対処について、教職員で協議し、指導のあり方について再度確認をしました。

まず、(1)いじめを許さない環境作りです。つまり、
① 日頃から、いじめは卑怯な行為であり、人間として許すべからざることであるという指導を行う。
② 本校の建学の精神である、「一に人物、二に伎倆」に述べられた人物教育の理念をさらに徹底工夫して、日常的に指導していく。その際、本校の校訓三訓である「慈 忠 忍」(いつくしむ心、まっすぐな心、がまんする心)の指導を徹底する。
③ 教職員は、教職員同士の意見交換が活発であることが、生徒理解を進め、共通理解ができ、ぶれない指導の確立に繋がることを再認識する。
次に必要なことは、(2)いじめの徴候を把握するための情報収集を徹底することです。具体的には、
① 教職員は、日頃から教員間における生徒情報の交換を密にし、生徒の人間関係の把握に努める。その際、生徒の交友関係や、家庭状況、とりわけ親子関係や、それらの変化について、個人情報の取り扱いに配慮しつつ、的確に把握するよう努める。
② 年間数回、記名方式あるいは無記名方式のアンケートを実施する。アンケートや日常の観察、生徒や保護者からの情報から得られたいじめの気配や徴候に対して、いじめがあるという前提で、注意深く情報収集をおこなう。
そして、(3)いじめ問題等の生徒間トラブルが起きた場合の対応として、
① 徴候を察知した教職員は、単独で対処するのでなく、速やかに管理職に報告する。
② 生徒指導部、該当学年、カウンセラーからなる対策チームを立ち上げ、校長、副校長の指導の下に素早く対応する。
③ 対策チームにより、当事者の生徒や当事者以外からの情報収集を行い、事実関係を把握し、適切な指導方法を検討する。適宜、学年会に報告して協議する。また、個人のプライバシーに配慮しつつ全教職員が情報を共有できるようにする。
④ 指導の方向は、まず、いじめとなる行為をやめさせること。そして注意深く生徒間の人間関係を探ってその再構築を図ることである。その過程で、きっかけになった原因を探る。
⑤ 状況によって、厳しく対処すべきは厳しく対処し、停学や退学を視野に入れた特別指導措置を検討することもある。万が一、法に触れるような事態が明らかであるときには、警察などの外部支援機関に協力を求める。
⑥ また、これらの対応の過程や問題解決した事後の処置等においても、必要に応じて医師に相談する。
⑦ 一連の指導について逐一校長始め管理職が把握し、理事長に報告する。
以上のような考えの下、(1)(2)(3)の3段階によって、日常的に、あるいは非常時における対応をとって参ります。

基本的には、全教職員が、いじめは絶対許さないという強い意思を持つことだと考えています。
今年を再出発の年と考えて、さらなる一歩を踏み出しますので、どうぞ今後ともご理解、ご支援をお願いします。


第104回卒業証書授与式が挙行されました

第104回卒業証書授与式が挙行されました。

校長式辞を掲載します。

 格別寒かった冬がようやく終り、春の光溢れる日々となりました。寒さの中にも、梅の蕾が膨らみ始めています。
 本日ここに名古屋経済大学市邨高等学校第一〇四回卒業証書授与式を挙行できますことは誠に喜ばしく嬉しく思います。
 ご多用の中をご臨席賜りましたご来賓の皆様に心より感謝申し上げます。
四五一名の卒業生の皆様、卒業おめでとうございます。そして、これまで変わらぬ愛情で育んでこられた保護者の皆様に心よりお喜びを申し上げるとともに、これまで本校教育活動へのご理解とご支援に対し深く感謝申し上げます。
君達卒業生諸君の在学中には日本にとって大きな出来事が幾つかありました。二年前の三月十一日、あの東日本大震災と福島原発事故がありました。多くの人たちの働きや思いにもかかわらず、復興未だならず、の感があります。昨年末には長引く経済不況と、政治への不信によって、政権の交代がありました。今の政権は経済回復への期待を集めていますが、先行きは定かではありません。先行き不透明な時代が続いているといわざるを得ません。
 そのような時代に、三年間の市邨高校の学校生活は君達にとって何をもたらしたのでしょうか。市邨らしさとは何か、市邨に居たからこそできたことは何か、もっと敷衍していうならば、市邨の生徒としてのアイデンティティーは何だったのか、このことを卒業に当たって君達にもう一度再確認して貰いたいと思います。
 建学の精神はいつも君達と共にあったと思います。「一に人物、二に伎倆」の言葉に表された人物教育の理念、「桜は桜、松は松たれ」は、天から与えられた才能を発揮して、個性を磨けとの教えであります。また、「世界我が市場なり」とする先進の心意気、そして、本校を卒業してもなお、終生学習を続けよとの生涯教育の教え。この一〇六年の伝統を受け継いだ本学の教育理念は君達にどのような心を育んできたのでしょうか。
 君達の学年から今の制服が始まりました。最初は違和感があったと思います。それが三年が過ぎ、完全に市邨高校の姿になりました。この先導者としての役割は学校にとっても、君達自身にとっても非常に大きな価値があったと思います。
 毎日の授業や部活動はもとより、修学旅行や体育祭、文化祭などの学校行事の折々に、先生方から受けた熱い指導と、交わした心のやりとりは、君達を励ましたり、自ら奮起を促したり、あるいは恩情に涙する場面もあったことでしょう。それは、生活指導上の、時には厳しい指導であったり、学習指導の中で学力を伸ばしたという達成感であったり、進路の実現を可能にした喜びでもあったりしたと思います。市邨高校での学校生活のあらゆる場面で市邨の生徒としてのアイデンティティーは形作られてきたと思うのです。
 不透明な時代が続くといいました。このような時代にあって未来を切り拓くのはやはり君たち若者でなければなりません。私は、卒業に際して「学ぶことはこれで終わりではない、ここから君達自身の学びが始まる」と言いたい。「世界我が市場」と思い、世界に乗り出していく君達卒業生は、荒波にもまれても、断崖絶壁の縁にたっても、市邨精神に支えられて、学び続けることによって、真っ直ぐな道を進んでいくことを信じています。

 ニューヨークヤンキースのイチロー選手は新聞のインタビューで、若者について聞かれた時、次のように話しています。「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」。
 彼は自分に厳しいことで知られています。毎日の日課として自らに課している鍛錬は厳しく、科学的合理性と強靱な精神力に裏打ちされています。彼がこのインタビューでいっているのは、『自分は努力しているというのは、ちっとも努力ではない。毎日あたりまえにやっている事が、他人から見てすごい努力だと見える時、ようやく本当に努力というのに値するのだ』ということでしょう。こんなに努力しているのだから 、報われるはずだとか、頑張っていることを評価して欲しいというのは、彼に言わせれば、甘えているとしか見えないということでしょう。
 努力という言葉は、寺本明日香選手のオリンピックキャンペーンのポスターにも彼女自身の字で書かれています。「努力すれば いつかきっと夢は叶う」 これはオリンピックへの夢を実現した寺本さんが、応援してくれる皆さんに向けて発したメッセージですが、この『努力』の意味をイチロー選手の言葉と重ねると、「いつか夢を叶える事ができる人は、他人から見ればすごい努力を努力とも意識せず淡々とこなす事ができる人だ」ということになるでしょう。
 努力の度合いは自分で計るものではなく、この位やったんだからもう良いはずというものではありません。努力自体が日常のことになっていなければ、夢を掴むことはできないということです。

三年間、あるいは六年間の市邨学園ですごした日々は、充実した授業や、ひたすら打ち込んだ部活動を共に過ごした同級生や、先輩、後輩、そして先生方の想い出で一杯だろうと思います。そのような君達の周りの全ての人々に対する感謝の心を持って、新しい世界に乗り出してください。そして、生涯にわたって学び続けることによって、全ての卒業生諸君が「慈 忠 忍」の心を備えた「人物」となって、「世界我が市場」を求めて活躍されんことを祈念して、式辞といたします。

  平成二十五年二月二十八日

                              名古屋経済大学市邨高等学校長 澁谷有人


年頭のあいさつです

冬休み明けの今日は始業式はありませんが、午後、高校生を集めて全校集会を開きました。
校長の年頭のあいさつと、生徒会役員認証式、各部による入賞報告及びスキー部インターハイ壮行会を行いました。
以下は、年頭のあいさつです。


明けましておめでとうございます。
寒い日が続いていますが風邪など引いていませんか。
今年の元旦は天気が良く、初日の出を見ることができました。新しい年の始めを、輝かしい日の光で迎えることができたのは幸先が良いと、嬉しくなりました。

皆さんはこの16日間の冬休みをどのように過ごしましたか。学習のためにほとんど毎日学校に出てきていた人もいました。部活動に毎日一生懸命汗をかいた人もいましたね。多くの人が、家庭の用事を手伝ったり、家族や親戚との時間を楽しんだり、日常とは違った充実した時間を過ごしたことと思います。
年末の慌ただしい中で実施された衆議院議員総選挙の結果、自民党が復活し安倍政権が再び国政を担うこととなりました。国民の期待は確かに大きいのですが、民主党が駄目だったからという消去法で選ばれた政権であるだけに、国民の目は覚めているといった方が現状に近いようです。
一昨年の東日本大震災や福島第一原発の事故からの復興は順調には進んでいません。具体的な復興を進めないで、原発をどうするのかを議論するのは机上の空論に過ぎません。福島原発は始末できるのか、住民はどこで生活するのか、放射性物質の影響はどのようなものなのか、それらの復興の財源は誰が負担するのか。それらのことが人々の生きる権利や為すべき義務、政府や企業の責任の所在の明確化などが議論されないままで、2030年代に原発をなくすとかなくさないとかいうのは政治家の怠慢でしかありません。
2030年というと、17年後の世界です。その時代というのは、最早私の時代ではないでしょう。もちろん、今日本をリードしている政治家の時代でもありません。そのとき君達は、30代初めから中頃の年齢になっているはずです。そうすると、この2030年代の原発の問題というのは、まさに君達の問題です。君達が、日本を背負って生きていく時代のエネルギーを何に求めるかというのは、君達が決める権利と義務を持っているといっても良いでしょう。
世間では、少し前まで、今の若者は自己中心的で社会性や協調性がないとなどと、広く語られていました。ところが震災以降、若者に対する不満や批判の声は減ってきて、今の若者に期待するように、多くのメディアの姿勢が変わってきたように思います。
そして現実に、多くの若者はこれらの現状から目を背けるのではなく、積極的に未来を切り拓いていこうという姿勢が見られるように思います。
しかし、君達は、そのための有効な準備をしているかと問われたら、どのように応えるでしょうか。

教育の世界はここ何年間も教育改革の流れの中にあります。今年の4月からは高等学校の新しい学習指導要領が全面実施されます。本校でも、そのための準備を進めてきており、授業時間の改訂とか3学期制への復帰とか、各教科の授業内容の変更など幾つもの改革が実行されます。それらは全て、君達生徒諸君にどのような学力をつけるか、という観点から考えられています。
私が最も大切だと思っているのは、君達の言語能力をどう高めるかということと、自然現象や産業技術などを論理的に理解しようとする理数科能力(科学技術リテラシー)です。そしてそれらの大本には、倫理観、道徳観をどのように育むかという大きな課題が横たわっています。もちろん、学校生活の大問題である、「いじめ」などを解決するための君達の精神的・社会的発達をどのように保障するかという切羽詰まった問題もあります。これらの問題は互いに絡み合っており、どれかを進めれば、他の課題も前進するという性格を持っています。
たとえば、君達の言語能力が高まれば、人に対する理解が進み、人に対して自分はどう振る舞うべきかという倫理観が醸成され、いじめなどの暗い側面は影を潜めるでしょう。言語能力は、日常の授業によって形成されなくてはなりません。それは、国語や英語などの直接言葉を扱う授業だけでなく、数学や理科など他の全ての授業において創り出されるものです。更にその能力は、新しく始まる「総合的な学習の時間」において発揮されることになるでしょう。これまで本校が伝統的に取り組んできた、卒業論文作成や修学旅行レポート作成といった言語活動の取り組みは大いに学習効果を上げると思います。

年の初めから、難しい話をしました。
私は若者に期待しているのです。とりわけ、この市邨高校・中学校の生徒諸君が世界に羽ばたき、「世界我が市場」という市邨精神を発揮してもらいたいと願っています。そのために、大いなる希望を持って、新しい学校づくりに取り組んでいこうと、決意を新たにしています。
市邨の「学校力」を飛躍的に高めて、結果を出す。結果とは、君達に学力がつき、人生の次のステージに進むこと、あるいは、スポーツや芸術において全国大会や国際大会などのより高いステップに進むことを意味しています。
これらの目標を持って、新しい年を学校再生の年にしていきましょう。


休暇前指導が各学年ごとに行われました

本校は、2学期制ですので、この時期に終業式はありません。
明日から1月6日までの冬休みを前にして各学年ごとに指導が行われました。
私は、2年生進学・特進コースの指導で、おおむね次のような趣旨の話をしました。


今日はどういう日か知っていますか。冬至ですね。中国など世界の各地でで騒ぎになっている「世界が終わる日」ではありません。これはマヤ暦が、2012年12月21日で終わっているために、世界がこの日で終わるという話が広まっていて、大騒ぎしているわけですが、およそ非科学的な話を信じる世界があるということは残念ですね。
冬至は、この日を境に昼の時間が長くなるということで、地球が太陽の周りを回っているわけですが、ちょうど公転軌道の転回点にあたるということです。これから昼が長くなっていき、春分の日に昼と夜の時間が同じになるわけです。明るさに向かう節目ですね。

今年一年を振り返ってみると、夏にかけて寺本さんのロンドンオリンピックを支援しようということで大いに盛り上がりました。生徒会や吹奏楽部や軽音楽部の皆さんのおかげで、全校生徒が支援してくれ、市邨が一丸となって、パワーを発揮しました。そして、修学旅行が印象的ですね。私は、ラフティングに参加しましたが、あのときの爽やかな感動冷たい水が首筋に入ってきた感触が残っています。(あれは、ドライスーツが古かったせいなんですね。しっかりした奴だと首や手足から水が入ってくることなどないです)
そして、ついこないだの総選挙で政権交代が実現しました。皆さんは余り関心を持っていないかもしれませんが、教育に対する影響は大きいと思います。今民主党の政策によって、公立高校の授業料がタダになっていますが、見直されるかもしれません。私学は公私格差の是正を言っていたので良い方向なのかもしれませんが、私は、教育費は未来の日本を担う人材育成のための投資として、国が負担し、無料にすべきだという考えですので、むしろ、私学もタダにすべきだと考えています。

さて、10月末に君達は進路テストを受けましたが、その時のアンケートを見ますと、自分の将来について考え見えてきた人が多くなったこと、そのための進路についても具体的に大学の学科などを挙げることができるようになったことは良いことだなと思います。
ただ、心配なのは君達の勉強時間です。ベネッセによる全国の高校2年生、普通科全日制の高校生に対するアンケートでは、約4分の1が家庭学習時間ゼロという結果が出ています。この結果が出たときに、教育関係者から日本の未来が危ういとの心配の声が挙がりました。世界の若者達と競わなければならないのに、これでは太刀打ちできないのではないかということです。それが、本校2年生は約半数にのぼるということでした。これは大変なことだと思うのです。学習する習慣はすぐにはつきません。
そして、多くの人が指定校推薦もしくは推薦狙いだということです。自分の進路希望実現のために推薦制度を活用するというのは有効なことですし、良いことだと思います。しかし、日常の勉強が推薦をもらうためだけの勉強で、定期テストでの点数を上げるための勉強だとしたら、本当の学力はつきません。大学に入るためだけでなく、その先にある、自分の目指す職につき自分の希望を実現するために必要とされる能力を身に付けることはできないでしょう。
また、推薦がとれればいいという考えの勉強では、その先大学に入ってからの勉強に太刀打ちできません。学内で他の生徒より良い点を取って推薦を勝ち取っても、大学に入ってから競い合わなければならない他校出身の生徒に負けてしまいます。あるいは、外国から来る留学生達に、学習の熱心さや学習内容でかなわないということになるでしょう。
大学の方でも、推薦やAO入試で入学する生徒について、平均して学力に劣るところがあるとしています。そのために、推薦やAOで合格した生徒に対し、入学前の課題を出しています。現3年生もすでに多くの合格者を出していますが、その生徒宛に大学から送られてくる課題を見ると、結構大変な課題なのです。課題となる専門的な図書を指定してそのレポートを2月何日までに提出せよ、あるいは、保育に関する専門書を読ませて自分で研究課題を立てさせレポートを求めるものとか、数学の課題を期日までにやらせるとか。その目的は、入学前に学力の差を埋めようという考えなのか、推薦合格者の学習意欲を持続し、学習習慣をつけさせるためと思われます。

必要な学力とは何か。たとえば、経済学部に進むのに、英語だけとか英、国、あるいは英、国、社だけ勉強し、入試科目もそれでOKという場合がありますが、経済学を学ぶには英語と数学は絶対に必要なのです。数学なしの経済学はあり得ません。ですから高校の数学を身につけずに大学の経済学部にいっても、最初から大きなハンディーを背負います。
英語の必要性はわかるでしょう。グローバルな視野で経済をとらえるには、あるいは、世界を市場として活躍するには英語が必要であることはわかりやすい。では、なぜ数学が必要かといえば、経済学は変化を数量的に追いかける学問だからです。経済分析をするためには、高校の数学でいえば微分積分は必ず必要なのです。
私は数学の先生なので、数学で話をしますと、まず数学はただ問題を解くためにやっているのではないということです。皆さんは今、数学Ⅱをやっている。もう微分に入っていると思いますが、微分で出てくるのは、速さです。速度というのは、たとえば、1時間かかって60km進んだとすると、速さは、距離を時間で割り算して、時速60kmというわけです。30分かかって30kmすすんでも、15分かかって15km進んでも時速60kmです。時速60kmというのは君達にはだいたい感覚ではどのくらいの速さかわかると思いますが、速さとは目に見えないので、長さのように実物を目で見ることはできません。時速60kmで1時間走るといっても、途中では信号で止まったり、100キロぐらい出すこともあって、平均して時速60kmなのです。平均するというのは割り算するということです。距離を時間で割る。でも、ある時間の間の平均の時間でなく、今この瞬間の速度というのがあると思いますよね。それは、距離/時間ではないかもしれない、もはや割り算ではないかもしれないけど、距離/時間の割り算の延長として速さというものがある、と考えるのです。つまり微分というのは割り算の一種、拡張といえるのですが、時々刻々と変わるものを瞬間瞬間でとらえる(計算する)という考え方をするのです。ですから、変化するもの、経済動向の変化とか金融の変化といった流動する現象を捉えようとすると微分が、それらの動きを全体としてとらえようとすると積分が必要なのです。
微分を勉強するときその意味をつかむところまで行かないと、ただ単に計算したなあ、よくわからんルールの下で計算することだろ微分というのは、ということになってしまいます。理科系の学部で必要なのはわかるけど、経済学で必要だとは知らなかったということになるでしょう。数学を学習するのは、大きな意味があるのです。

勉強とはテストで点を取るためにするものではありません。将来にかけて自分の希望を実現するための力になるのです。本当の学力を付けて欲しいと願っています。そのためには、学習時間ゼロというのは話になりません。
この冬休みには、毎日勉強する習慣を付けてください。必ず、毎日机の前に座ることから始めましょう。
君達に、学習する習慣がつき、生涯にわたって学び続ける力がつくことを願っています。