校長室より

創立記念日にあたって

 明日、5月3日は市邨学園の創立記念日です。

本校は、105年前1907年(明治40年)に市邨芳樹先生により創立されました。
日本で初めての女子のための商業教育を起こそうと考え、長屋女子商業学校を創立したのが始まりです。
現在の地に移ったのは、戦争後の昭和29年のこと、そして、男女共学になったのは平成14年です。この時、商業科を廃止して、普通科となりました。校名が現在の、名古屋経済大学市邨中学校・高等学校になったのもこの時です。
共学になって10年になり、今年から3学年とも新しい制服に揃いました。

このように本校は、歴史と伝統を受け継ぎながら、新しい時代の動きを取り入れてた学校教育を行ってきたのです。私たちは、この歴史の流れの中にいることを自覚し、建学の精神である、「一に人物、二に伎倆」の言葉を実践する必要があります。

人物とは、徳を備え、社会性があり、ひとと調和できる人であり、社会に貢献できる人です。今年度、「礼儀正しく」を生徒指導の目標にして、服装や言葉遣いを正しくしようと取り組んでいますが、これも人物教育を目指していることの一貫です。


本校では、創立記念日にあたって、毎年人物、学業にすぐれた生徒を顕彰しています。「市邨賞」を贈って、その努力をたたえようというものです。今年は、高校からは、森部一斗君、中学からは川口夢乃さんが選ばれ、昨日5月1日に学園長から表彰を受けました。これを励みにして、全生徒が市邨の建学の精神を受け継いで努力して欲しいと思います。そして本校が、地域社会においてより評価される学校になるよう願っています。


講堂の壁面に残る「GCA」の文字は、名古屋女子商業学校の略称である、
Girls’ Commercial Academy
の頭文字です。


平成24年度前期学級委員・生徒会代議員任命式を行いました

 第6時限目に、全校生徒がグランドに集まって、任命式を行いました。昨日の雨にも耐えて、グランドの桜並木は、桜の花びらを散らしながらも艶やかさを保っていました。その花びらの絨毯を踏んで、式が行われました。
 各学年の代表2名ずつに、それぞれ学級委員、代議員の任命書を授与しました。
 そのあと、激励ということで、話をする機会がありました。

 学級委員の仕事は、学級をまとめて学校生活を充実させるという重要な役割があり、代議員には、生徒会役員と共に、学校行事や生徒会の取り組みを話し合い、進めていくという重要な役目があります。学級委員や代議員を選んだ人達は、選んだだけでなく代表の人達に積極的に協力して欲しいと思います。
 そのような役割の重要さを考えると、貴重な1時間を使って任命式を行うことは意義のあることだと思います。
生徒会活動やホームルーム活動が充実しているということは、学校の価値を高めることだと思います。
先週行った、全国選抜大会に出場した部活動の報告会で、大林生徒会長が生徒の皆さんに生徒会活動への積極的な参加を呼びかけましたが、今任命された学級委員・代議員を中心にして、意義ある生徒会活動にしてください。

 新学年が始まって、1週間が経ちましたが、まだ1週間、逆に、もう1週間という感想もあるようです。私としては、充実した1週間が過ぎ、順調にスタートを切ることができたなと思っています。
 千人を超える数の全校生徒がこのように一堂に会するということは、結構労力の要ることであり、これまであまりありませんでしたが、今年はその機会を増やしていこうと計画しています。同じ時間に同じ場所で、生徒と先生、全員が顔を合わせるということにより、学校としての一体感ができると思いますし、仲間なんだという絆ができてくると思います。
 全生徒が協力して、より価値のある学校を作っていきましょう。


平成24年度入学式を挙行しました

明け方の雨が何とか上がり、日が差してくる中、入学生達が、家族の方と共に登校されました。
入学式は、本校記念体育館にて、午前10時に開式しました。
校長式辞、学園長祝辞に続いて、中学生と高校生がそれぞれ誓いのことばを述べました。

平成24年度入学式校長式辞
 春の嵐が過ぎ去り、遅かった春もようやく街に顔を出してくれました。時を得て、正門の枝垂れ桜が咲き誇っています。光のどけき春の佳き日に平成二十四年度入学式を挙行できますことを心より嬉しく思います。
 本日ご多用の中をご臨席賜りましたご来賓の皆様に厚く御礼申し上げます。
 中学校新入生五十名、高等学校新入生三百二十八名の入学を許可するに当たり、保護者の皆様に心よりお喜びを申し上げます。そして、新入生の皆さん、入学おめでとうございます。
 君達は晴れて、また改めて今日から、この市邨学園の一員としてこの学舎で学校生活を過ごすことになりました。まるで、新しい部屋の入口に立ち、中の様子がわからないまま一歩足を踏み入れた、そんな感じがしているのではないでしょうか。まさにあなた達は、いま、人生の新しい舞台に立っています。第一歩を踏み出した緊張感がみなぎると共に、不安な眼差しも見て取れます。さあやるぞという心意気と共に、本当にやっていけるだろうかという迷いもまた見えるようです。
 安心してくださいとは、言いません。ここは、未来に向けた修行の場であり、これから自らを鍛えるための道場でもあるからです。これからの学校生活で生きる力を自ら掴み取って欲しいのです。

 今私たちは、未来が予測できない世界にいます。ある特定の仕事や職業に就くために、こう勉強すればこうなるんだという確かな図式はなくなりました。未来は不確かです。人々が一生の間に何度も仕事を変える必要が出てくる、そんな時代になっています。予測できない変化に適応し、生き抜いていく必要があります。周りにあふれる膨大な情報の中で、自分にとって何が正しい道かを、適切に判断するには、先ず自分についてよく知り、自分で判断する力、人について行くのでなく、自分が自分を導いていく力が必要です。また、それと同時に、一人だけで行くのではなく、人と協力し、コミュニケーションする力も必要です。
 ことに、東日本大震災以来、あるいは福島第一原発の事故以来、自分の置かれた状況を的確に判断し、問題解決に向けて努力する力の必要性は、ますます人々の口に上るようになりました。
 このような未来を予測できない時代だからこそ、私は、「前を向いて、その遠い先を見よ」と言いたい。
 君達が、単に学校の授業で教えられることを記憶し、テストで点を稼ぐことを目指そうという学習は、足下を見ているが、前を見ていない。そうではなく、予測できない未来に適応する力を付けるためには、毎日の学校生活の中で、学ぶことに楽しさを感じ、日々努力することの楽しさを知り、新しい世界に向けて自分の力が開花する喜びを知ることが必要です。つまり、これからの学校生活の中で、科学技術を学び、言語能力を高め、社会経済活動を理解し、政治的見解を持ち、文芸や芸術を理解し、身体能力を高めて生涯にわたってスポーツする能力を獲得すること、そのとき、君達は少しだけ遠くを見通す力を持つことができ、進むべき道を見つけることができるでしょう。更に遠くを見るために、学校生活を越えて、生涯、その努力は続くことでしょう。
 市邨学園の建学の精神は、創設者である市邨芳樹先生が掲げられた「一に人物、二に伎倆」という言葉に表されています。「人物」になることを目指す。「人物」とは、社会や人生の有り様をよく理解し、知識や技能に優れると同時に、寧ろ、人に対する情が深く、穏やかで徳の備わった人であれということです。慈しみの心を持ち、まっすぐな心で、忍耐強い、つまり本校の校訓三則であります「慈 忠 忍」の心を持った人になれということです。学ぶとは自分のためでなく、人のためでもあります。
 とは言え、目標は目標として、人とは弱いもの、ちっぽけなものであることも確かです。一人では生きてゆけそうにありません。いつも誰かに支えられて生きていくものです。これまで君達は家族の支えがあって生きてきました。でも、自分は自分なんだという、独立心も芽生えてきています。大事なことは、自分はちっぽけな存在である、しかし、自分こそが世界の中心であるという、自負心を持つことです。そのような、確固たる自分を信じることが、予測できない未来を切り拓く力に繋がるのです。

 保護者の皆様、どうか、これからも、子どもたちに、時には寄り添い、時には離れて、見守ってやって下さい。学校では、人生の修業の場として、時に厳しく励まし、時に感動に涙し、情に熱くなりながら、未来を生きる力を付けてやりたいと思います。

 新入生諸君、君達は名古屋経済大学市邨中学校・市邨高等学校に入学し、人生の大切な時期を過ごすことになりました。その目的は、楽しい時を過ごすためではなく、むしろ、悩み、考えることで、やがてくる未来を生き抜くための力を付け、人のために尽くすことのできる力を付けることにあります。君達が、自分の力を信じ、自らの未来を切り拓いていくことを祈念して、式辞といたします。

平成二十四年四月六日

        学校長 澁谷有人


平成24年度始業式を行いました

春の嵐が過ぎるのを待って、校庭の桜が花開きました。その桜花を背景にして、グランドにて、平成24年度始業式が行われました。

平成24年度始業式式辞
 おはようございます。
 昨日まで吹き荒れた春の嵐が過ぎていきました。今度こそ本格的な春の訪れでしょうか。この校庭の桜の花を始めとして、一斉に草花が芽吹いたような気がします。
 今日から新学年の始まりです。こうして生徒諸君の顔を見ていると、清々しい気持ちで、新学年がスタートできそうです。この休み中には大勢の生徒達が部活動に励んでいました。また、体操部、テニス部、バドミントン部、ハンドボール部、そして、剣道部が全国選抜大会に出場し、「愛知に市邨あり」を示してくれました。嬉しいことです。
 さて、この春の嵐のように、市邨高校・中学校は厳しい新年度のスタートを迎えています。今こそ、新しい市邨学園を作る営みを始めなくてはなりません。今年はこれまでになく少ない生徒数の新入生を迎えます。クラス数にして、昨年より四クラス少ない数です。私たち教職員はこのことを真剣に受け止め、市邨高校・中学校をより魅力ある学校にするため、より学校力を高めるために努力する覚悟です。
「学校力を高めよう」というのは、今年度の教育目標です。生徒の学力を高めることを第一として、競技力を高め、学校祭などの行事に一丸となって取り組むなど、総合的な学校の力を高めようという事を大きく掲げています。
 新しく、二、三年生になった皆さんにとっては、市邨で勉強できてよかったと思えるような、市邨での学校生活で、学力や体力がこれだけ伸び、心がこれだけ成長したと実感できるような充実した一年にしてもらいたいと考えています。特に三年生には、仕上げの年として、進路目標を実現して欲しいと思っています。
 すでに、学校力を高めるために、いくつかの改善を進めています。目に見えない部分もあるし、目に見える改善もあります。確実に学校が進化していくよう生徒と教職員が共に協力し合って、実践していきたいと思います。
 たとえば、この半年間実験期間として進めてきた本校のWebサイト(ホームページ)が本格的に動き出します。これまでも生徒募集の情報を提供したり、学校行事や部活動の活躍など本校の活動をアピールしたりしていましたが、内部向けとして、行事案内や連絡事項など学内情報を学内向けに発信していく準備をしています。また、携帯用のサイトも立ち上げています。これからどんどん活用が広がってくると思いますので、期待してください。
 そして、今年から三カ年かけて校舎の全面的リフォームを進めていくことなど、多くの場面で施設設備の改善を進めていきます。
さらには、目に見えないことですが、今年から、高校の学年主任の先生は担任を持たないこととしました。それは、学年主任は学年全体の担任として、学年の生徒の学習状況を良く把握し、生活態度の改善や、進路の実現に向けてのアドバイスをするためです。担任の先生と協力してきめ細かな指導をしていただけると期待しています。
 でも、学校力を高めるために、最も肝腎なことは、生徒諸君の姿勢が変わることです。学習への意欲が湧き、生活のリズムが生まれ、友達との絆が深まり、学校生活が楽しくなることです。
 先月の修了式で紹介した、「努力することが楽しいということに気づいた」生徒に象徴されるように、君達にはまだ見ぬ可能性が秘められているし、自分でも気づいていない未来への夢があるのです。まだ開花せぬ力を信じて、この一年を新たな自分へと変化する時にしようということ、これが最も肝心なことです。毎日の努力が、新しい自分を創ります。

 「学校力を高める」ためのもっと具体的な生徒指導の目標は、「礼儀正しく」です。全ての人に礼儀正しくすること、服装、身だしなみを正しくすること、言葉遣いを正しくすること、そして挨拶をするということ。 礼儀正しくするというのは、「他への思いやりと感謝の心」を持つということです。東日本大震災で被災した人たちが言うように、今ここに生きていることはあたりまえではない、生きていることを感謝すること、ここから思いやりが生まれるということです。礼儀は、感謝する心の表れです。みんなが意識して実行しましょう。これも「学校力」の一つです。「礼儀正しく」という目標は、この一年間全教職員の毎日の指導の柱となるものです。
 君達生徒諸君を中心にして、学校全体が、一年後のさらなる成長を目指して、共に歩んでいきましょう。
 

校長式辞の後、今年からお勤めいただく4名の新任教員の紹介をしました。
始業式に続いて、この三月に全国選抜大会に出場した、テニス部、ハンドボール部、剣道部からそれぞれ代表が報告を行いました。
校長から、今日は大会のために出校していない体操部の女子の活躍と、強化合宿に参加しているバドミントン部の紹介をしました。「このようにたくさんの部が選抜大会に出場するということは素晴らしいことで、誇りにしていい、そして春休み中に他の多くの部活動の生徒が活躍していたことは、本校の学校力を示すもので、嬉しく思う」
生徒会長からは、全国選抜大会に出場した各部の選手達をたたえる話があり、新学年が始まるにあたり、生徒会クラス役員には多くの生徒が自ら立候補して欲しいと訴えがありました。

最後に、生徒指導部主任の伊東先生から、新年度の生徒指導方針「礼儀正しく」について話がされました。

なかなかいいスタートが切れたと思います。


平成23年度校長式辞をまとめました

平成23年度前期始業式式辞
 おはようございます。
 今年は春になっても寒い日が続きましたが、ここに来てようやく春らしくなってきました。
 このたび、長年にわたって本校の校長を勤められ本校の発展に多大な貢献をされました山田和夫校長先生が退任されました。後任として私が勤めることになりました。澁谷有人といいます。よろしくお願いします。新しい校長の顔と名前をどうぞよく覚えていてください。
 おそらく例年ですと始業式はこの満開の桜の花の下で執り行われたのだろうと思いますが、今年はまだ満開になっていません。五分咲きというところでしょうか。少し華やかさに欠けますが、さらに心の中もどこか晴れ晴れとしない新年度のスタートとなりました。
 それというのも、先ほど、全員で黙祷を捧げましたが、三月十一日に東北関東地域を襲った巨大地震・津波、3.11東日本災害のことが頭から離れないからです。
 謹んで、亡くなった方々にご冥福をお祈りするとともに、被害者の方々の一日も早い復旧をお祈りしたいと思います。被災地によっては未だに昨年度の終業式を行えず、入学式や始業式も抜きで、四月末までにいきなり新学期を始めるように準備をしている所もあると聞いています。
 凄まじいばかりの自然の猛威と力を過信した人間の原子力発電所の惨状はこれからの日本のあり方を変えるだろうと思います。復興に多大な労力と時間がかかるということだけではありません。社会的混乱と経済的問題、エネルギー政策の見直しや産業の仕組みなどこれまで当たり前とされていたことができなくなり、根本からの見直しが必要になっています。日本は必ずこの難局から立ち上がり、復興を遂げるだろうと多くの日本人は信じているし、私もそう思っています。
3.11大震災の前と後では、違った日本になると思います。社会生活においても経済や政治も大きく変わります。

では、私たちは何をすればいいでしょうか。大人たちは、君たちはどうすればいいのか。
 復興支援のために、義援金を送る、支援物資を送る、大切なことです。でももっと大切なこと、しかも全員ができることがあるのです。
 それは、我々みんながきちんと生活すること、正しく生きること、買いだめしり、自分の利益ばかりを優先したりしないこと、日本が復興できるかどうかは、これまでのような、これまで以上の経済力を維持し、産業が活性化する必要があります。そのためには、社会がもっとしかりしなければならない。
 君たちはどうするのか。
君たちはしっかりと勉強し、日本を復興させるだけの能力・学力をつけなければならない。正しく生活し、正しく生きることを学ばなければいけない。勉強するのは、試験でいい成績を取るためではない。自分の能力を伸ばし、力をつけるために勉強する。人のために尽くせるような力を身につける、そのために勉強してください。
 それが、百数年前に本校を創立したとき、市邨良樹先生が建学の精神として掲げられた「一に人物、二に伎倆」という、理念にかなっていると思います。社会に貢献できる人物、人のために尽くすことのできる人間を育成し、知識の詰め込みでなく、本当の力となる勉強をし、人物を育成するという理念は、この時代に合うすばらしい精神だと思います。

平成二十三年度が始まりました。この一年間で授業に取り組み、学校行事などの特別活動では仲間と力を合わせ、部活動では自分を鍛えるとともにチームに貢献する、すべての生徒諸君が今より優れた能力を獲得することを願っています。これからの一年間が、すばらしいスタートができた今日のように順調にいくことを願って始業式の挨拶とします。

 何より、今回の原発の惨禍から日本人が立ち直れなかったら、もうどこの国も原子力を利用することはできないと、世界中の人たちが見ています。いまこそ日本人の真の力が試されるのです。
 そのとき、日本にとって本当に大事なものは何かが問われます。
 皆さんはなんだと思いますか。
 私は教育だと思います。日本が世界に誇れるもの、日本が今回の震災のなかでもっとも評価されたことは何か。それは、日本人の倫理観、正義感、礼儀正しさであり、人を思いやる心です。それは家庭によって、地域によって、なによりも、学校によって育まれたものだろうと思います。ですから、子供たちの教育に力を注ぐことが、これからの日本の復興にとって最も大切な事柄なのです。これはまさに百数年前に本学が設立されたときの、建学の理念に一致すると思います。一番大事なものは人のために尽くせる人間をつくることであり、学校でいい成績を取るために勉強する子供たちではなく、本当に人のためになる力を持った人材を作ることだと思うからです。
 君たちは、復興を支援するために何ができるか、何かしたいと考えていると思います。今はまだ直接的な支援はできませんが、今の君たちにできることの最大のものは、正しく生きることです。どう生きたら正しく生きることができるのか、生き方を学ぶことです。被災者を支援するには莫大なお金が必要です。税金を投入しなければなりません。それは誰が負担するのでしょうか。経済活動が沈んだままではそれはできないのです。とにかく日本人みんなは働いて、稼ぐことで復旧を成し遂げなければなりません。

平成23年度入学式式辞
 校庭の桜が一斉に咲き誇り、光あふれるこの佳き日に、平成二十三年度入学式を挙行できますことを誠に喜ばしく思います。
 御多用のところ、ご臨席賜りましたご来賓の皆様に厚く御礼申し上げます。
 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。そして、この日を心待ちにしておられた保護者の皆様に心より御祝いを申し上げます。
 さて、合格が決まってから今日の入学式までの間、おそらくこれまでの新入生とは違って心に痛みを感じながら日々を過ごしたのではないかと思います。3.11東日本大震災が起きて以来、連日報道される被害の様子は日本だけでなく世界中に衝撃を持って受け止められています。自然の凄まじい脅威、原子力を安全に管理することの困難さ、果たしてこのような事態は予測不可能だったのでしょうか。何という無力感でしょう。しかし一方で、日本は必ず立ち上がる、復興すると信じてもいます。日本が立ち上がれなければ、世界のどの国もこのような大震災から立ち上がることはできないだろうと言われています。
 3.11の前と後では日本は大きく変わるだろうと思います。復旧のために莫大な費用と労力がかかるだけでなく、経済の仕組みが変わり、産業構造の変化が起き、高度情報化社会といわれるこの社会は大きな転換を余儀なくされます。政治もまた大きく変化するでしょう。
 そのとき、日本にとって本当に大事なものは何かが問われます。
 皆さんはなんだと思われますか。
 私は教育だと思います。日本が世界に誇れるもの、日本が今回の震災のなかでもっとも評価されたことは何か。それは、日本人の倫理観、正義感、礼儀正しさであり、人を思いやる心です。暴動や略奪は起きず、少ない救援物資の配給にもきちんと列を作る。誰に強制されなくても自然に、社会秩序を守ろうとする正義感や礼儀作法が存在するのです。それは家庭によって、地域によって、なによりも、学校によって育まれたものだろうと思います。これを大切にしなくてはならない。さらにまた、学校が被災地の人々の生活の場となり、生徒たちが、自ら高齢者を励ましたり、救援物資を配布したり、支援組織を運営し活躍しています。これまで学習によって培っってきた様々な能力が、この困難な場で発揮されている様子を見るとき、改めて学習することの意味を理解し、学習する意義を新たにしたのです。願わくば、外国からの救援隊に生徒達が英語で話しかけたり、彼らが話すことを日本語に通訳したり、また、インターネットが回復したら生徒達が自ら英語で被災した状況や必要な支援を発信することができたらと思います。ですから、子供たちの教育に力を注ぐことが、これからの日本の復興にとって最も大切な事柄なのだと信じています。
 これはまさに百数年前に本学が設立されたときの建学の精神であります。市邨芳樹先生が掲げられた「一に人物、二に伎倆」の理念はこの苦難の時にあってまさに光を放っているのではないでしょうか。一番大事なものは人のために尽くせる人間をつくることであり、学校でいい成績を取るために勉強する子ども達ではなく、本当に人のためになる力を持った人材を作ることだと思うからです。
 私たちは、支援のために何かをしたいと思っています。義援金を送るとか、支援物品を送るとか、直接的な支援が考えられます。今はまだ直接的な支援はできません。今の君たちにできることの最大のものは、何でしょうか。
それは、正しく生きることです。思いやりの心を持って、自分とともに人のために生きること。買いだめをして、自分の利益だけを考えたりしないことです。そして、どう生きたら正しく生きることができるのか、その生き方を学ぶことが、今君たちにできる最も重要なことです。それは毎日の学校生活の中にあります。君たちが卒業するまでに学ぶ事柄が、すべて君たちの生きる力となり、人のために尽くす力となって、日本を支える力とならなければいけない。そうでなければ、日本の復興はあり得ないと思います。君たちが、科学技術を学び、言語能力を高め、社会経済活動を理解し、政治的見解を持ち、文芸や芸術を理解し、身体能力を高めて生涯にわたってスポーツする能力を獲得することが、日々の学校生活の中で保証されているのです。君たちはそのような学ぶことに全力を挙げてほしい。そうやって獲得した能力を存分に生かすことでしか、3.11以降の日本の復活はないと思います。

 新入生諸君、緊張した面持ちのあなた方の心の中は今、どのようでしょうか。喜びと怖れ、期待と不安、あるいは、強気と弱気、様々な気持ちが入り交じっていると思います。今日、人生の新しいステージに踏み出そうとする時にあたり、どうかこの気持ちの高鳴りを、この感動を忘れないで心に刻んでおいて下さい。

春になるとなぜ植物は芽を吹き、ぐんぐん伸び始めるのか。しかも、その時を知っているかのように花を咲かせ、芽を出すのか。私は、小さかった時、不思議でなりませんでした。春の草花を観察したり、それに群がる青虫や色鮮やかな蝶の幼虫を眺めるのが好きで、生き物の世界に親しくなると、更にそれを取り巻く自然の不思議や神秘に心打たれるようになりました。なぜ暖かかったり寒かったりするんだろう、月や星はなぜ、少しずつ動いているんだろう。
 中学生となって、私達は宇宙の中にいるんだと知ると、宇宙はどんな大きさで、何時どうやってできたのか、できる前は何があったのか、そしていつ宇宙は終わるのか。次から次へと疑問にとりつかれたのでした。
 高校に入ると、そのようにいろいろなことに疑問を感じる自分はいったい何者だろうと思いました。つまり、世界があるから自分があるのか、自分がいるから世界が存在するのではないか、という疑問です。果たして自分抜きに世界は存在するのか、などと「存在と認識」という哲学的な大難問に突き当たったのです。
 好奇心が強くなれば、悩みが多くなります。悩むことは人生において必要です。それを自分だけで抱えるのも良し、人に相談するのも良し。大事なことは、そのように悩む自分に向き合い、考え、好奇心を失わないことです。
 新入生諸君、自分はちっぽけなものだということを忘れないで、でも自分こそ世界の中心だという思いも同時に持ち続けてください。

 保護者の皆様、どうか、子どもたちに、時には寄り添い、時に離れて、見守ってやって下さい。学校では、人生の修業の場として、時に厳しく、時に励まし、日本の復活を担い、未来を生きる力を付けてやりたいと思います。

 新入生諸君、君達は名古屋経済大学市邨中学校・市邨高等学校に入学し、人生の大切な時期を過ごすことになりました。その目的は、楽しい時を過ごすためではなく、むしろ、悩み、考えることで、やがてくる未来で生き抜くための力を付け、人のために尽くすことのできる力を付けることにあります。君達が、自分の力を信じ、自らの未来を切り拓いていくことを祈念して、式辞といたします。

 平成二十三年四月六日

                                  学校長 澁谷有人

平成23年度前期終業式式辞
 グランドコンディションが悪くて、教室で聞いて貰うことになりました。生徒諸君の顔を見ながら話ができないのが残念ですが、しばらく話しに耳を傾けてください。
 話の前に、今の自分の服装を点検してください。10月から衣更えですね。6月から9月まで夏服ですが、10月から5月までは冬服と決められています。ただし前後一ヶ月、つまり5月と10月は夏服でもよい、となっています。注意が必要なのは、夏服は夏服、冬服は冬服であって、それを混ぜてはいけないということでした。制服を着る目的は、常に市邨生としての意識を持つ、市邨生だという誇りを持つということです。制服を自分勝手に着崩してしまうと、市邨アイデンティティーを失ってしまいます。ですから、先生方は熱心に指導されるのです。

 前期の試験が終わり、前期終業式を迎えることになりました。一年間の学校生活の丁度半分、折り返し点にきたのです。
 ここで学校生活を振り返ってみると、おそらく多くの人が、楽しかったことより、苦しかったこと、悔しかったことの方が頭に浮かんでくるのではないでしょうか。先ほど終わった前期試験のことを考えても、ああすればよかった、こうすればよかったと、後悔することばかりでしょう。でもそれが、今度こそうまくやろうという向上心につながるのです。終わったからすべて忘れてしまおうというのでは、次も同じことです。良くなりません。辛かったことや悔しかったことの記憶は必要かもしれません。
 四月の始業式は東日本大震災からひと月もたたない時期でした。日本中が大混乱の最中にあり、被災地の学校では始業式も実施できなかった所がありました。この3.11の前と後では、世界が全く違ってしまったかのように思います。半年が経ってもまだ被災地は片付いたとは言えず、復興計画も立っていません。政府や自治体では財源をどうやって確保するかの議論が続いています。
 本校の部活動各運動部では春から夏に行われた県大会を経て、いくつかの部が全国高校総体や全国中学校体育大会に勝ち進みました。実は君たちが地区大会や県大会をやっているとき、目指している全国大会、つまり北東北三県で行われるはずの全国高校総体は開催されるかどうかわからなかったのです。東北の高校生の力や学校スポーツを応援する人たちの復興を支援しようという声に押されて、実施することになったのです。全国から支援が集まり、みんなの思いが実って、大会は成功しました。本校からは、テニス部、バドミントン部、剣道部、体操部が参加し、中でも体操部は女子団体優勝を遂げるなど大活躍をしました。これらの部の活動は復興への支援につながったと思います。
 また、ボランティアとして直接復興支援に出かけた人もいました。文化祭でも支援活動が発表されていました。自ら与えることで多くのものを貰って帰ってきたことと思います。その他にも支援活動が行われたことを高く評価します。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故とその対応については、政府や産業界、学者、マスコミなどこれまで権威があると思われていた人たちの情けない姿をみせつけられました。何が安全で何が危険なのかきちんと示せないまま、憶測が飛び交っています。放射線の安全基準については、様々な説があり、定まっていません。でも、放射線量を計ることはできるはずですし、計ることでしか、実際の危険度を知ることはできないはずです。実際の放射線量を知ることなく、危険区域の農産物だから危険だとか、花火さえやめろというのは間違っているし、逆に安全だから元の生活ができるだろうというのも理屈に合いません。原発の事故はこれまでの科学技術の考え方のどこが間違っていたのか、きちんと検証しなければなりませんが、第一歩は、被害の状況、つまり、放射性物質の拡散の実態を正しく知ることだと思います。学校教育においてはこれから、放射線量の測定は理科の授業等で取り入れられていくはずです。そういう意味でも、本校の文化祭で我々の生活するこの地区の放射線量を計った研究発表がされたのは、意義のあることだと思います。
 文化祭での生徒諸君のエネルギーは目を見張るものがありました。毎日の授業や部活動はもちろん、開田高原での合宿や、遠足、体育祭など、この半年間、生徒の皆さんがいろいろな場面で活躍し、成長したことを嬉しく思います。それとともに、いくつかの問題点も指摘しておきたいと思います。
 それは、主に君たちの日常生活の中に現れていることです。一人一人の君たちは真面目で、しっかり判断力もあり、自己主張も正しくできます。しかし、友達との関係では、傷つきやすく、また、容易に人を傷つけてしまっています。ちょうどいい距離の仲間関係を築くことが苦手の人が多いようです。
 多くの生徒たちにとって関心があるのは、他人ではなくて自分のことです。人のことをどう思うかよりも、自分が人にどう思われているかが気になります。意識は自分の内側に向いています。友達のことが気になるのは、友達が自分のことをどう思っているかが気になるからです。だから、友達のちょっとした一言で傷つきます。たいてい自分は被害者だと思っています。実は、自分も相手を傷つけているのに、そのことには気づきません。
 自分に関心を持ってもらいたい、と思うのは少年から青年になるこの時期、思春期にはあたりまえのことです。しかし、人は成長するとともに、自分以外の他人の存在に気がつき、他人にも自我(自分という意識)があることに気づきます。自分の見ている世界と同じ世界を他の人も見ているはずなのに、人によってはその見え方が自分と違うことがある、そしてその世界もまたその人にとっての真実なんだということが判ってくるものです。そうすれば、独立した一個の人間となることができます。アイデンティティーの確立です。どうか、君たちは自らのアイデンティティーを確立するよう成長してほしいと願っています。
 内向きになるというのとは少し違いますが、独立した自分というものが確立していないということは、マナーやモラルの面で未熟さが現れます。よく問題になるのは、一人では渡らない赤信号を仲間たちとは渡ってしまったり、つい自転車の二人乗りをしたり、注意されると一人ではごめんなさいが言えるが、仲間がいると、うるせーと言ってしまったり、学校には人に連れだって何となく来てるけど、目標がないまま毎日遅刻を繰り返したり、違反していると判っていながら、制服や髪型で主張してみたり。
 先生方はこのような現象に対して随分丁寧に指導されています。この半年間を振り返って思うことを話しました。どうか、生徒諸君は学校生活の中で、まだまだ幼い部分のある自分に自ら気づき、更に人間として成長してくれるよう願っています。これをもって、前期終業式の挨拶とします。

平成二十三年十月六日
                    学校長 澁谷有人

平成23年度後期始業式式辞
おはようございます。
 朝、学校に来ますと、、校庭には金木犀の香りが漂い、コスモスが咲いていました。薄曇りですが、空にはすじ雲が浮かんでいます。日増しに秋らしくなってきました。
 今日から、平成23年度の後期が始まります。スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋です。気持ちを新たにして勉強に部活動に励んでください。

 さて、読書の秋ということで、本を二冊紹介したいと思います。
 一つは、「宇宙は何でできているのか」(幻冬舎新書)という東京大学の宇宙研究機構の村山斉教授の本です。昨年の秋に出版され、今年の新書大賞第一位になりました。このような題の本が多くの人たちに読まれているのに驚きました。もう一冊は、三年前に出された「私たちは暗黒宇宙から生まれた」(日本評論社)という、名古屋大学の福井康雄教授がまとめた本です。
 なぜ紹介するかというと、私はこれらの本をここ数ヶ月の間に読んだのですが、先日、今年度のノーベル物理学賞が発表された時に、今年の受賞者が、宇宙研究の二つのグループだったことに少し驚いたからです。パールムッター博士のグループと、シュミット博士、リース博士のグループです。これは一九九八年の大発見に対しての受賞でした。ノーベル物理学賞が、発見からわずか十数年で与えられるのは珍しく、それだけこの発見が画期的で、衝撃的だったということです。
 それは何かというと、新聞でも紹介されていますが、宇宙が膨張を続けている、しかも膨張速度が加速しているという発見です。宇宙は百三十七億年前に何もないところから誕生しました。ビッグバンといいます。それ以来、宇宙は膨張を続けています。例えば、風船を膨らませるところをイメージしてください。風船の表面に点で模様を描くと、それが星や銀河、銀河団です。それがだんだん膨らんでいく。それはやがてしぼんでいくだろう、そして元のように何もなくなる、それを、ビッグクランチといいますが、私が学生で研究していた頃はそう考えられていました。天文学の常識、宇宙を研究する者の常識だったのです。ところがそれが違うことがわかったのです。宇宙はやがてしぼむどころか加速膨張している。そうして数千億年も経てば星も銀河も互いに離ればなれになって見えなくなってしまうというのです。そのように風船が膨らんでいくには、しぼまないようにエネルギーを注入しなければなりません。それが、ダークエネルギー(暗黒エネルギー)です。風船に乗っている星や銀河、つまり目に見える物質は全宇宙のたった4%にすぎません。暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる見えない謎の物質が23%で、ダークエネルギーが実に73%を占めていると考えられています。
 そういうことが、この本には理論的にわかりやすく説明されています。
 もう一方の本には、実際に宇宙を観測実験する立場から観測装置や観測方法についてわかりやすく書かれています。日本とアメリカとヨーロッパが協力し合って、一千億円の費用をかけて作り上げた電波望遠鏡(ALMA計画)の話が書かれているのです。この超巨大電波望遠鏡によって、ビッグバン直後の宇宙がわかり、宇宙の未来がどうなるのか、銀河や恒星と惑星の成り立ち、そして生命の起源についても、空前の詳しさで、判明するだろうと期待されています。この望遠鏡は、二〇〇二年から南米チリのアタカマ高原に建設が開始され、10年かけてようやく完成し、観測を始めたのが、二〇一一年10月6日、つまり、先週のことだったのです。今世界中の研究者がその観測の成果を待っています。
 これらの世界第一線級の研究者に共通するのは、「知りたい」「わかりたい」という素朴な思いをズーと持ち続けて、ここまで来たということです。「宇宙はどうやって始まったのだろう」「宇宙に終わりはあるのだろうか」「生命は地球以外にもいるのだろうか」、そして「自分はいったい何者だろうか」という疑問を持ち続けてそれを追求してきたのです。その人たちの思いがよく伝わってくる本です。

 わたしは、この九月に何人かの高校三年生と話をしました。そのとき感じたのは、自分の目標を見つけたら、人は変わる、目標ができたら自分の未来をつかむための努力が始まる、そして生活態度が変わるということです。それを見てうれしく思いました。自分の興味関心に向かって準備し追求するということは、今話をした研究者たちと同じです。その芽生えが本校でもできているということは素晴らしいことです。知りたい、わかりたいという興味・関心を持ち、目標をしっかりつかんで努力すること、これを君たち生徒全員に期待したい。今日進路希望調査がありますが、これを機会に自分の目標をしっかりと考えて欲しいと思います。

 いよいよ、今年度の後半に入ります。しっかりと自分の未来に向かって、未来を切り拓いて進んでください。特に高校三年生にとっては、進路を決める厳しい時期を迎えます。あと半年をどのように過ごすかはここ数年先の未来設計に大きく影響すると思います。進路が決まっても勉強を続けて更に学力をつける努力をしてください。中学三年生は高校へ進学する準備をするときです。一、二年生は毎日を大切にして、目指す目標を見つけてください。
 最後に、10月7日に本校のホームページが新しくなったことを知らせておきます。これまで、諸君はあまり本校のWebサイトを見なかっただろうと思いますが、これからは、学校行事や日常の生活やクラブ活動の様子など、先生からの連絡やメッセージ、先には君たち自身に作って貰うことなど、魅力あるものにしたいと考えています。とりあえず、校長の式辞、入学式や終業式、始業式の言葉を載せていますので、わかりにくかった話などの確認や保護者の方に校長がどんな考えでいるのか見て貰いたいと思います。これを活用して、よりよい市邨高校・中学校にしたいと考えています。
 それでは、平成23年度後期、生徒諸君の精一杯の努力を期待します。

平成23年度高等学校卒業式式辞
 厳しい寒さに震えた冬が終わり、光あふれる春の訪れを感じるようになりました。本日ここに名古屋経済大学市邨高等学校第103回卒業証書授与式を挙行できますことはこの上ない喜びであります。
 ご多用の中をご臨席賜りましたご来賓の皆様に心より感謝申し上げます。
 ただいま、卒業証書を受けられた四百二十二名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。そして、この日を心待ちにしておられた保護者の皆様に、心より御祝いを申し上げます。それと共に、本校の教育に対するこれまでのご支援とご理解に対し感謝申し上げます。
 昨年三月十一日に起きた東日本大震災の記憶は一年経っても鮮やかに記憶に残っています。あの時の身体全体を揺さぶる長く続いた不吉な揺れと、その後テレビから流れる信じがたい津波の映像、人間を圧倒する自然の驚異、そして、福島第一原発の爆発の恐怖は今もって私たちの心を凍らせています。それまでは「昨日と同じ明日が来る」と信じていた日常が、実はあっけなく壊れるものであると思い知らされたのです。
 古典の授業で習ったことと思いますが、鎌倉時代に鴨長明が書いた「方丈記」という随筆があります。その中に、一一八五年、(今から八二七年前)に起きた「元暦の大地震」についての記述があります。「そのさま世の常ならず。山崩れて、川を埋(うず)み、海はかたぶきて、陸地(くがち)をひたせり。土さけて、水湧き出で、巖(いはお)割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。」京都の町は、一つとして無事な建物はなく、人々は逃げ惑ったと記されています。その後三ヶ月以上にわたって余震が続いたとも書いています。今回の大震災と同じではありませんか。
 方丈記を書いたのは、その地震の後、二十数年経ってからのことですから、その頃には、「月日重なり、年経にし後は、言葉にかけていひ出づる人だになし。」という有様で、人々の記憶から薄れてしまったことを嘆いています。昨年の東日本大震災もやがて人々から語られなくなる日が来るのでしょうか。
 彼はこの方丈記の有名な冒頭の一節で、世の無常について述べています。「行く川の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。淀みに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し」。日本に住む我々の心の何処かには、この「無常観」が住み着いているようにおもいます。歴史の流れや移ろいやすい人の心を「無常」と捉えています。
 しかし、かえってそのために人々は諦めや無気力に陥ることなく、しぶとく生きてきたのではないかと私は 思うのです。元々「諸行は無常」であるから、自然や社会経済の脅威に怯むことなく、自分の生活をしようという生命の強さがあると思うのです。震災後の多くの避難場所にあって、怒りや悲しみの内に混乱状態に陥るのでなく、整然と列をなして乏しい配給を受け、自治組織まで作られるという光景はやはり誇って良いことだと思います。その中心に学校があったということが私には一層力強く感じられます。
 これからの日本が再生するには、若者の力によるほかなく、その力の源は教育にあると信じています。学校こそが日本の復興の中心であると信じています。
 学校とは学ぶところです。何のために学ぶのかは、本校の建学の精神に明確に述べられています。「一に人物、二に伎倆」の教えは、学ぶとは「人物」になるためであり、「人物」とは、社会や人生の有り様をよく理解し、知識や技能に優れると同時に、寧ろ、人に対する情が深く、穏やかで徳の備わった人であれということです。慈しみの心を持ち、まっすぐな心で、忍耐強い、つまり「慈 忠 忍」の心を持った人になれということです。あるいは、市邨芳樹先生は、卒業式の式辞の中で、至誠の人、つまり、誠実で、真心のある人たれとも、述べられています。
 また、本校開学当初の卒業式において、我が校の教育について二つの意味を示されています。狭い意味での我が校の教育とは、各教科科目の学習により、職業人としての基礎基本の教育を施すことであるとし、広い意味での我が校の教育とは、本校を卒業した後、実世界に出て本校で学んだことを能く応用して自身の才能を発揮して、人生を全うするという終身教育、つまり現在の文部科学省のいう生涯教育であると述べられています。
 そして、卒業する君達は、狭い意味における第一の我が校を出て、広い意味における第二の我が校に入ろうとしているのだと、基本教育をおえた学生としての諸君を送ると共に、更に終身教育に就こうとする学生として君達を迎えよう、と仰っています。
 これはまさに一〇〇年後の現代までも通用する卓越した教えであります。私もかねてより卒業生諸君に、「学ぶことはこれで終わりではない、ここから君達自身の学びが始まる」と言っている所以であります。

 卒業生諸君、三年間、あるいは六年間の市邨学園での日々の授業や充実した部活動そして全国大会での活躍の想い出や、あるいは学校祭や修学旅行などの学校行事における数々の想い出を胸に、君達の周りの全ての人々に対する感謝の心を持って、巣立っていってください。そして卒業した後も、生涯にわたって学び続けることによって、さらなる飛躍を遂げてください。「慈 忠 忍」の心を備えた「人物」となって、「世界我が市場」を求めて活躍されんことを祈念して、式辞といたします。

平成二十四年二月二十九日

       名古屋経済大学市邨高等学校長 澁谷有人

平成23年度中学校卒業式式辞
 厳しい寒さにふるえた冬が終わり、ようやく梅の香り漂う春の気配が感じられるようになりました。春の光あふれるこの佳き日に名古屋経済大学市邨中学校第65回卒業式を挙行できますことをこの上なく嬉しく思います。
 本日、ご多用の中をご臨席賜りました来賓の皆様にこころより御礼申し上げます。

 89名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
 そして、お子様の成長を見守り、この日が来るのを心待ちにしておられた保護者の皆様に、こころより御祝いを申し上げます。また、この三年間、本校の教育活動にご理解とご支援を賜りましたことに対し、深く感謝申し上げます。
 さて、卒業生諸君は、三年前にそれぞれ通い慣れた学区の小学校に別れを告げ、この市邨中学校を自ら選んで入学しました。それ以来この市邨学園を学舎として、毎日の授業に臨み、学習に努め、体育祭、合唱コンクールなどの学校行事で活躍しました。また、開田高原での宿泊や遠足などでは、多くのことを体験し、学習してきました。一人一人の心の中にはそれぞれのかけがえのない想いが強い印象として残っていると思います。とりわけ、沖縄への修学旅行は、みんなにとって、青い海と空に囲まれた異文化を体験する中で、戦争の悲惨さへの想いと人間への慈しみを感じ取ることができた貴重な学習の旅だったと思います。
 今、こうしてこの、卒業式に臨んだあなた達の顔を見ていると、確かに成長した大人の若者の顔を見て取ることができます。なんと逞しく、凛々しくなったことでしょうか。
 一年前の東日本大震災は多くのいのちを奪い、未だに三千人を超す行方がわからない人たちがいます。石巻市内の中学校では、先日の卒業式で一緒に卒業するはずだった生徒に卒業証書を渡したと聞きました。卒業というのは成長の証です。被災地での卒業式は、亡くなった子ども達も含めてみんな一緒に成長してきたんだ、地震や津波に負けてなるか、という人たちの思いを込めて行われたのだと思います。
 私たちが今日ここで卒業式に臨んでいるのは、あたりまえのこと当然のことではないと思います。君達が大きくなったのは、君達自身の努力の結果であると共に、両親や家族、友達、先輩や後輩達、そして先生や地域の人たちのお陰です。皆に支えられてここまで生き、成長してきたのです。人は一人では生きられません。人に支えられて生きているのです。けれども、それに気づかず、人に背を向けても、生きていけると思っている人がいます。でも、ひとたび災害が起きると、人はなんとちっぽけで、弱いものか、人は人の支えによって生きているのだということに改めて気づかされます。

 そうであれば、私たちは、人に対する感謝の気持ちを持ち続け、その感謝の気持ちを言葉に表していかなければなりません。態度や行動に表さなくてはいけません。たとえば、おはようございますの挨拶だったり、出会った人にお辞儀をすることであったり、会話の中での優しい言葉遣いだったり、つまり、慈しみのこころを表したいと思うのです。あなた達は市邨に入学して以来、市邨芳樹先生の教えである校訓三則「慈 忠 忍」のこころを学んできました。これからもずっと、この「慈」のこころ、人に対する慈しみのこころを自分の中で育てていって欲しいと願っています。

 卒業式は、学校生活の終わりではありません。人生の新たなるステージに向けて踏み出す出発点だと思います。四月から始まる高等学校での新しい学校生活を自信を持って、歩んで行ってください。君達にはその力が充分に備わっています。
 卒業生の皆さん、どうか「慈 忠 忍」のこころを備えた、「人物」となるよう、これからも励んでください。やがて、あなた達が「世界我が市場」として活躍する姿を思い描いて式辞といたします。

平成二十四年三月十五日

      名古屋経済大学市邨中学校   校長 澁谷有人

平成23年度修了式式辞
おはようございます。
 今年は春が来るのが遅いようです。雨の後、一気に春が来るかと思ったら、また寒さが戻ってしまったようです。明日は春分の日です。夜が短くなり、昼が長くなって同じになります。この日を境に、昼が長くなっていくのです。確実に春は来ています。
 この季節の変わり目の日に、平成二十三年度の修了式を迎えることができて嬉しく思います。この式に出席している生徒達は、無事一年間の学業を終え、成績や特別活動の成果が一定基準に達したので、新たな学年に進級することができると認定されたのです。おめでとうと言いたい、それと同時に、この一年君達を学校に送り出し、勉学をさせてくれた、保護者や家族の皆様に御礼を言います。君達自身も今年自分たちを支えてくれた家族や友達に感謝の気持ちを持って欲しいと思います。
 先日、ある先生から生徒のこんな感想をお聞きしました。その生徒は、「この市邨高校に入って学ぶ楽しさに気づかされました」というのです。今まで、勉強や運動や生活など努力しなければならない様々なことから逃げてきました。凡人であるのに努力してこなかった、でも、この高校に入って少しずつ変化してきた、努力しようとおもうようになった、というのです。そして、努力って意外におもしろいことに気づいた、そうしたら毎日が今までよりも充実した日になった、という話でした。いい話だなあと、嬉しくなりました。
 私は、今年の新年の挨拶の中で、「学校力を高めよう」という話をしました。
 学校力というのは、たとえば、生徒が大学進学を目指すとすると、大学入学という壁を越えなければなりませんが、すべての受験生が同じ高さの地面から壁を越えるわけではありません。地面の高さがある人は高く、ある人は低いのです。地面が低いと、より高い壁を越える必要があります。目的を達成するには多くの努力を必要とします。立っている地面が高いと、軽々と壁を越えられるでしょう。この地面の高さが学校力だと思います。
 これは学力のことだけではないのです。同じ事が多くの部活動の大会にも言えるのではないかと思います。学校力がなければ、一から部活動を作っていかなければなりません。学校力があれば、その上に立って、個々の競技力を伸ばすことができます。その高い学校力を基礎にして、全国大会に出場する事もできるし、全国優勝も狙えるようになると思うのです。
 競技力や学力だけでなく、総合的な学校の力を付けないといけない。先ほどの、学ぶ楽しさに気づき、努力をしようと思うようになった生徒が、もっと増えて、努力をすることが楽しいって思えるような学校になると、それが、学校力が高まるということなのです。
 来年度は、学校の目標の一つとして、「礼儀正しく」というのを置きたいと思っています。礼儀正しくとは、まず、挨拶をしよう、服装をきちんとしよう、言葉遣いを正しくしよう、ということです。生徒が礼儀正しく振る舞う学校というのは、学校力が高いということです。
 最後に、今年の卒業生の残した進学実績は素晴らしいということを話しておきたい。国公立大学へは、七名が合格し、そのうち一名が一般入試で名古屋大学に合格しました。難関私立大学にも大勢が合格していますし、名古屋経済大学にも多くの生徒が進学しています。また、就職希望者の全員が就職を決めることができました。これは本校の学校力を表しています。決して低くいと言っているのではないのです。自信を持って、さらに学校力を高めるよう、みんなで努力しましょう。
 明日から十五日間の春休みを有効に使い、学習に部活動に励んでください。
 四月から始まる新しい学年に期待します。