原発と、猫の「福ちゃん」の物語9月21日 10時12分
「福ちゃん」は、雑種の雄猫です。
今、フォトジャーナリストの大塚敦子さんと一緒に東京で暮らしています。
しかし、生まれたのは福島県大熊町。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、すべての住民が避難を余儀なくされている所です。
大塚さんは、福ちゃんとの出会いで「運命の不思議さ」を感じ、「誰の命も置き去りにしないように」という思いを強めることになります。
そこには、こんな物語がありました。
「福ちゃん」との出会い
取材で大塚さんの自宅を訪れたとき、福ちゃんは2階のリビングの床に、ゆったりと寝そべっていました。
大塚さんと記者(私)が話を始めると、自分のことが話題になっていることを感じ取ったかのようにテーブルに上がってきました。
そして、寝そべったまま、しっぽで、くるん、くるんと記者の手をなでました。
大塚さんが初めて福ちゃんと会ったのは、去年1月です。
東日本大震災で、多くのペットが飼い主と離れ離れになっていることを知り、動物保護団体のホームページで引き取り手のない猫を探していました。
目にとまったのは、福島第一原発から4キロほどの所でボランティアに保護された雄猫です。
いくつもの戦いをくぐりぬけてきたためか、顔には多くの傷跡があり、右目は失明していました。
高齢で(のちに11歳と判明)、猫免疫不全ウイルスに感染。
「私のほかに、引き取る人はいないかもしれない」。
そう思った大塚さんのひざの上に、猫は、するっと乗ってきました。
「この子は人を信じている。ずっとかわいがられていたに違いない」。
大塚さんは確信し、福島にちなんで「福ちゃん」という名前を付けました。
元の飼い主が見つかる
それから2か月半後、福ちゃんとの生活に慣れ始めた大塚さんに、ある知らせが届きました。
元の飼い主が見つかったというのです。
福ちゃんの家族は、もともと、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、そして3人の姉妹でした。
原発事故が起きたとき、ほとんど何も持たずに大熊町の自宅を離れざるをえず、猫を連れて行くこともできませんでした。
最初は、すぐに帰れるはずだと考えましたが、事故の詳細が明らかになるにつれ、無理だということが分かってきました。
そして、震災から1年。
「死んでいるなら、弔ってやりたい」と思った家族は、インターネットで手がかりを探しました。
ホームページに掲載されていたのは、思いがけない「保護」の情報。
家族は、ボランティアを通じて、すぐに大塚さんと連絡を取りました。
(実はこのとき、「福ちゃん」の名前は「キティ」だったことも判明しました。しかし、この記事では、今の大塚さんの呼び方に従って「福ちゃん」のまま、お伝えします)
「ちゃんと覚えていた!」
去年の5月、大塚さんは福ちゃんを連れて、仙台市に避難した家族のもとを訪れました。
「猫は、飼い主を忘れてしまうと言うでしょう。でも、そんなことはないんです」。
大塚さんのことばどおり、福ちゃんは、ちゃんと覚えていました。
しっぽをピンと立て、いちばんかわいがってくれていたおばあさんに駆け寄ったのです。
福ちゃんを見たおばあさんは、涙をこぼしました。
そして、「置いていってごめん。あのときは2、3日で帰れると思っていたんだよ。よく生きていたなぁ」と語りかけました。
せっかく見つかったのだから、これからはずっと一緒に暮らしたい。
家族の間には、そうした思いもあったかもしれません。
しかし、おばあさんたちは大塚さんを信頼し、福ちゃんを託すことを決めました。
避難生活を続けるなかでは、猫と一緒に住むことは難しかったのです。
“諦めない”生き方
その4か月後、2度目に仙台を訪問したとき、大塚さんは少しわくわくしていました。
おばあさんが、避難先の庭に畑を作ったというのです。
お世辞にも、野菜作りに適しているようには見えなかった場所。
到着してみると、庭の一部には緑が茂り、野菜が生長していました。
おばあさんは、生ゴミを利用して堆肥を作り、少しずつ土を改良していました。
自分が耕していた土地と引き離されても、どこかで土とつながりを持っていたい。
おばあさんからは、自分らしい生き方をしていくという決意と、諦めない強さが伝わってきました。
「希望の光を見いだしたようだった」。
大塚さんは、心を揺さぶられたように感じました。
「責任ある飼い方」と「お互いさまの心」
大塚さんは、パレスチナ人の民衆蜂起=「インティファーダ」や湾岸戦争などの国際紛争を取材したあと、今は、動物と人の関わりなどに注目して取材・執筆を続けています。
今回の震災では、津波や原発事故で飼い主が緊急に避難せざるをえなくなり、多くのペットが自宅に取り残されたほか、ペットを連れて避難した場合でも避難所でトラブルになるケースがありました。
また、避難所に入れないためペットと一緒に狭い車の中で過ごし、体の不調を訴えた人もいたといいます。
一体、何が問題だったのだろう。
海外で取材を続けている経験から、大塚さんは、課題の1つに自分の犬や猫を制御できない飼い主が多いことがあると考えています。
アメリカならば、子犬のときから「伏せ」や「待て」など、基本的な動作を教え、人間の社会に適応して暮らせるようしつけをします。
猫は、持ち運び用のかごに入れても不安にならないよう、ふだんから慣らしておき、行方を確認するためのマイクロチップも広く利用されています。
「動物は家族の一員。だからこそ、動物に対しても周囲に対しても『責任のある飼い方』を忘れてはならない」と、大塚さんは言います。
一方で、周囲の人たちも、動物と飼い主に寛容であってほしいと感じています。
避難所に動物がいることを完全に拒否してしまえば、飼い主はその場にいられなくなってしまいます。
しかし、許し合うことができれば、動物と飼い主を同時に救うことにもつながります。
大塚さんは、「日本には、『お互いさま』ということばがあり、迷惑をかけたりかけられたりすることを許し合える土壌があったはず。ペットが人を支えている存在だということを理解してもらい、周りにいる人たちが暖かく見守ってくれるような関係を、ふだんから築いていくことが重要なのではないか」と話しています。
環境省は8月、新たなガイドラインをまとめました。
その中では、大規模な災害が起きたとき、飼い主は原則、ペットを連れて避難するとしたうえで、自治体が避難所での飼育場所を事前に検討しておくことなども求めています。
動物と人間が、幸せに暮らしていくためには何が必要なのか。
多くの人たちに考えてほしいと大塚さんは思っています。
「命」を置き去りにしないということ
福ちゃんの元の飼い主の家族のうち、おじいさんとおばあさんは、少しでも故郷に近い場所で暮らしたいと、福島県いわき市の仮設住宅に移りました。
おばあさんは、大塚さんが送った福ちゃんの写真を壁に貼り、毎日、「ごはんは食べたかい」、「かわいがってもらっているかい」と話しかけているといいます。
福ちゃんと家族は、なぜ、離れ離れにならなければならなかったのか。
一体、いつ、おばあさんたちは故郷に帰れるのか。
震災から2年半がたっても元どおりにならないものが、まだ、たくさん残されています。
福島から来た猫の「福ちゃん」。
「私は、全力で福ちゃんを幸せにしたい。そして、命が置き去りにされることがないように、これからも訴えていきたい」。
大塚さんが、そう話しながら福ちゃんのあごをなでると、福ちゃんは静かにのどを鳴らしました。
「福ちゃん」についての展示会と写真絵本
展示会:「いつか帰りたい ぼくのふるさと」。
期間:10月14日まで(休館日=月曜日、月曜祝日の場合、翌日休館)。
場所:横浜都市発展記念館。
※大塚敦子さんの写真絵本「いつか帰りたい ぼくのふるさと」も出版されています。
大塚敦子さんのホームページ
http://atsukophoto.com/
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