一歩一歩かぞく

アドラー心理学を学んでいます。
その学んだことを、日々意識した毎日を送れるようこの場を借りて、記録していきたいと思います。
この記録は、アドラー心理学に基づいた私の思考や実践を綴った日記です。


テーマ:
子どもの交友関係1 、につづく)

そんなことがあった今週で、金曜日の朝、決定打がきた。


朝いつものようにバス停まで三人で歩いていく。「おはようございます」と挨拶をし、私はすでにいる二組の親子に気を遣いながら、息子と娘を見ながら話をする。

すると私の前にいた息子の方へ向かってじわじわMちゃんが寄ってきた。そして、「きょう(むすこ)くんとあそばない」と言った。周りのお母さんたちで何とも言えないちょっとした笑いが起きていて、私からみたら(なにいってるのぉ。そんなこといっちゃだめでしょう。ごめんなさいね~)的な感じに聞こえた。


息子は、体操袋の紐を開け閉めしながら私の方を見て、顔は笑ってた。
どんな風に思ってたんだろう。


そんなこと考えてたらまたMちゃんが
「きょうFちゃんとあそぶ。だからむすこくんとはあそばない。」と言った。

そうしたらそのうち幼稚園バスが。
子どもたちを「いってらっしゃーい」と送り出す。


私はものすごく悲しかったし、もやもやしてた。だから、いつもはなんとなく三人(+娘)で歩き出す帰りの道も、娘を抱っこしてたのでそのまま考えないように歩き出した。
その後娘のリトミックも控えてたし、そのまま「さようなら~」と挨拶した。

私が挨拶するかしないかのあたりで、もう一人のFちゃんママに向けてかみんなに向けてかMちゃんママが「昨日、むすこくんママと偶然あってさ~」と明るく話し出した。そんな会話に乗れる気分でもなく、私は会釈をして帰路をたどった。

失礼だと思うし、察して欲しいとかあったかもなんだけど、そんなこんなを考える前に、その時の私にはこの対応がこの時の私の限界だった。


私の中のモヤモヤは、
・Mちゃんはなんでわざわざいまいうの?朝からそんな息子ががっかりするだろうこと言わなくていいのに
・本人の意思なの?
・うちで、「むすこくんとはもう遊ばない方がいいんじゃないの~?」とか言われてるからそんな風に言ってるのでは
・Mちゃんママはなんだかんだいっても息子のこと嫌なんじゃないの?
・いつも子ども関係のとこに親が介入して登場してMちゃんはどう思ってるの?
・「○○とあそべない。△△とあそぶから」と言うのはいじめみたいじゃないのか(怒り)
・あーあ、バス停行くの憂鬱…
・息子が変わらず遊びた言って行った時、私どんな対応したらいいんだろう
・結局のところ、甘やかしっぽくみえる私の対応も嫌なのかもな。。

という妄想や想い。


もうこのまままたあのバス停に行く勇気はなかったから、お友だちに相談した。そこで見えたこと。

「たくさんあるけど、まず『課題の分離』だろう」とのこと。

「先日4千本安打?を達成した時のイチローのインタビューが素晴らしかったとはなしてくれたんだんだけど…

イチローは4千本成功するために8千本失敗していて(打率からみても)私は、成功の二倍は失敗していて、じゃあなんで、それを成し遂げることができたかというと、失敗した時にその都度逃げたりしないできちんと向き合ってきたからだ(みたいなお話)


だから、失敗は悪いことじゃなくて、まだまだ息子は5歳。たくさん失敗してからじゃないとうまく対応できるようになるのは無理だよね。失敗したら成功に一歩近づいたってことなんだよ。

お母さんの私も、今後合わない・付き合いたくないお母さんと付き合っていかなきゃいけないことは年齢が上がることにたくさん出てくる。そのための予行練習だと思えばいい。大きくなるにつれて難易度は上がってくるよ。だから、逃げずに向き合って解決して行くの。」


このお話の親の課題、子どもの課題ってなんだろう?自分の課題は自分で解決しなくてはいけない。

私が感じた妄想や想いは全部私の課題だ。

だけど、「子どものため」とか思ってた私はばりばり自己欺瞞だった(14-R)


「息子がお腹すいた。遊びたくない
(意訳)」 と言った時、私はその選択肢は選べないと言った。それは、遊びたいと言ってたのは子どもたちだったし、きてもらっている相手に帰ってというのは失礼な気がしたからだ。もし、気持ちが乗らなくて帰って欲しいなら自分で伝えるべきと思ってた。私はそれが息子のためだし息子の課題だから、そのために息子からお願いされたら協力できる部分だと信じ込んでいた。


しかし、これは実は私の課題だった。
だって息子はMちゃんたちが帰るのはこの時の気持ちから見たら全然困らないからだ。

期待や親が感じる迷惑は親の課題で親一人で解決してもOKなのだ。


こんがらがっていたように見えた糸だけど、やっぱりアドラー心理学でみるとシンプルだった。

息子は、責められるのが特に嫌な人なんだと思う。
あの時あの場で親である私ができたこととは…。

例えば、
Mちゃんママのお説教をきいたとき「お話ちゃんと聞いててお母さんいいことだと思うよ」「嫌な思いした?」と聞くこともできた。

「痛いことになるのがいやだったんだね」
「こわがらせるつもりはなかったんだよね」
「Mちゃん、何が悪かったかなぁ?」
と言うこともできた。

「どうしよっか?」と聞いたとして「わかんない」って言われたら、「じゃあまた今度あったときに考えようね~」と終わらせることもできる。

私が息子に「お手伝いすることはありませんか~?」と投げかけることもできる。


あぁ、やれることはまだまだたくさんありそうだな。と課題の分離からみることで気持ちが通常運転の時に戻ったのだった。

((子どもの交友関係)、のその後 、につづく)
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