2013年9月2日月曜日

許すな差別・排外主義 9・23ACTION











■日本語






ハングル
中国語
 バングラ

その他


2013年8月9日金曜日

9・23 ACTION への参加・賛同呼びかけ

外国人差別にNO! 生きる権利に国境はない! 私たちの仲間に手を出すな!

      9・23 ACTION への参加・賛同呼びかけ


 外国人排斥を叫び、差別・排外を煽る、「在特会」をはじめとする集団の行動がエスカレートしています。特に新宿区大久保通りを中心に執拗に繰り返されたデモでは、「朝鮮人・韓国人を殺せ!」などと卑劣極まりない暴言を叫び、乱暴狼藉を繰り返しています。むきだしの憎悪が街頭を跳梁跋扈している状況が続いています。
 この事態に対して多くの人たちがカウンター行動に立ち上がり(6月30日には約千人)、多様な横断幕やプラカードなどで怒りと抗議の意思を示しました。差別・排外主義に反対する連絡会も、一連のカウンター行動に呼応しながらビラやリーフレットを、沿道の人々や商店に配布してきました。これまで私たちは、2011年の9月23日、2012年の9月23日の2回にわたって、「外国人差別にNO!」「生きる権利に国境はない!」を掲げ、新宿職安通りや大久保通りで、デモを行いました。その前後には、各国語でのビラの配布も試みました。何よりもこの地域で暮らす人、働く人、訪れる人たちに、レイシズムを許さないというメッセージを届け、街頭で声を上げることの必要性を痛感したからです。
 この問題は、さまざまなメディアで報じられ、国会でも取り上げられるようになりました。しかし、昨年末の衆院選と7月の参院選の勝利で改憲に突き進む安倍政権の、改憲や歴史認識、戦争責任への姿勢(さらには、麻生の「ナチス発言」も)は、明らかにレイシズムが育まれる土壌をつくりだし、かつ互いに連動していることを見逃してはなりません。
 こうしたなかで、私たちはこの9月23日に3回目のデモを準備しています。この勢力を社会的に包囲し、ヘイトスピーチデモを止めるためには、もっと多くの人々の英知と力が結集することが求められています。9・23ACTIONが、その契機になりステップになることを願っています。また、この行動はカウンターのための一日行動に止まらず、多文化共生と、生きる権利をめぐる闘いの国境を越えた連帯を目指します。
 この行動を実りあるものとするために、多くの皆さんの参加・賛同をお願いします。

○    9月23日(月曜) 13時30分集合 14時30分~デモ出発
○    会場:新宿・花園西公園 (新宿区新宿1の32 新宿御苑前駅か新宿3丁目駅下車)

                差別・排外主義に反対する連絡会
Email: hannhaigaisyugi@gmail.com
郵便振替口座:00200‐5‐38572 差別・排外主義に反対する連絡会
(ATMで振込の場合、口座名義人が「フォーラム S―16 」と表示されます)

以下をコピーいただいてメールで hannhaigaisyugi@gmail.com 宛てお送りいただいても結構です。
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        9・23ACTION に賛同します。

団体(1口 1000円)
○名称:


○口数:      口

 
個人(1口 500円 差支えなければ肩書きもお願いします
○お名前:                (     )


○口数:      口

公表   <可 不可>  (どちらかに○をつけてください)

公表については、ビラ(当日会場で配るのと、後日の報告ビラで掲載します。ネット上では出しません)
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2013年3月7日木曜日

ヒツジ100匹にヤギ1匹   「差別・排外主義にNO! 1・26講演集会  ~<バッシング>と差別・排外主義を考える~」報告


ヒツジ100匹にヤギ1匹
  「差別・排外主義にNO! 1・26講演集会
 ~<バッシング>と差別・排外主義を考える~」報告



 1月26日、東京・池袋の豊島区民センターでの開催です。メインの講演は、映画監督・作家の森達也さん。ある特定の集団に社会的なバッシングが集中する最近の状況について、なぜ多くの人々がバッシングに同調してしまうのかについて話していただきました。

 昨年12月の衆議院選挙は自民・公明の圧勝でした。事前のマスコミ報道で両党の優勢が伝えられたことで両党の勢いが削がれるのではないかという観測もありましたが、結果は事前予想の通り。昔は「判官びいき」で劣勢の方に票が流れる傾向があったが、今は逆に強い方にはなおさら票が集まる傾向が顕著です。そして、「勝ち馬に乗りたがる」この傾向が強くなったのは、1996年からだそうです。
 その前年1995年には、阪神淡路大震災と一連のオウム真理教事件がありました。森さんはこの年のできごと、特にオウム真理教事件が時代の転換点だったと指摘します。人々が「恐怖」と「不安」を強く意識する時代に入ったということです。
 森さんは、オウム真理教を追い続けてドキュメンタリー映画を作られてきました。事件当時からオウム真理教への集中的なバッシングが続いてきましたが、その過程をつぶさに観察してきた経験から、バッシングの基礎にある社会心理的状況を次のように分析します。
 一つは、バッシングの対象者の本当に姿を知ろうとすることなく「自分達とは違う存在」とみなしたがること。二つは、生活上の実際の被害は受けていないのに自分達が「被害者」だと思うようにすること(必然的にバッシングの対象者は「加害者」になります)。三つは、動機がわからないこと。この3点から人々は、①強者に頼りたがる②大人数でまとまりたがる③自分達の「シンボル」を求めるようになります。
森さんはこの傾向を「集団化」と表現しましたが、政治の世界でのこの傾向を示したのが、「国旗・国家法」に代表される1999年の小渕内閣だと指摘します。それ以後、朝鮮民主主義人民共和国さらにはそれに最近は中国・韓国も加えて、まるで今にもこの3つの国が日本に戦争を仕掛けてくるような、「仮想敵」扱いのような論調が政界・マスコミで強くなっています。しかし、軍事・政治面の実体的な危機は、米ソの核軍事大国がにらみ合う冷戦時代の方がはるかに大きかった。今は、実体とはかけ離れた、ある意味不要な緊張感が社会に漂っています。
それはこの「集団化」が社会で起きているからと森さんは分析します。集団化は、国家の内側では「異物排除」、外側に対しては「仮想敵の設定」をします。みんなが一つの方向に流されずに視点を変えることで、このような集団化の構造を変えようという森さんの呼びかけでした。

 集会は、バッシングの矢面に立つ生活保護問題と高校無償化からの朝鮮学校排除の問題の関係者から、その実情について報告を受けました。
 生活保護問題では、『生活保護とあたし』を書かれた和久井みちるさん。この間のバッシングによって、“生活保護(受給者)のようになったらダメ”という意識が皆の中に作られていて、もはや「身分差別」といってもいい状況になっていると、受給者が置かれた苦しい状態が語られました。
不正受給者だけではなく生活保護で普通に生活している人を取り上げてほしいとマスコミ関係者に言ったら、相手は「きちんとしている人を取り上げても仕方がない(ニュースにならない)」と答えた話からは、今のバッシングがマスコミによって作られた側面が大きいことがわかります。
 ただ、各種の社会保障制度の中でも生活保護制度は、若年齢層と高齢者あるいは「障害者」が横につながれる唯一の制度であり、その面で希望の持てる課題であるという指摘は、これからの運動に展望を感じさせるものでした。
 高校無償化からの朝鮮学校排除の問題で発言されたのは、「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」の森本孝子さん。民主党政権下で「審査中」として棚上げされ続けたあげくに、自民党政権になって適用除外が決定されたこと。それは、安倍が首相になってからわずか4日目であり、国会審議が不要な文科省令改悪という形で強行されたことに、国の焦りにも似た強い悪意を感じ取ることができます。
 こちらのバッシングは、国家や政治家が主導する面が強いと感じますが、その理由が森本さんのお話からわかりました。なぜ在日朝鮮人が日本という国家から憎しみの対象になるのか?それは、在日朝鮮人が侵略戦争の「生き証人」だからというのが、森本さんの指摘です。そうであれば、私達もバッシングと闘うためにこの国の戦争の歴史と政策を問わなければいけないでしょう。
 当事者の反撃も始まっています。愛知・大阪では国を相手に訴訟を起こし東京でも訴訟の準備がされています。3月31日には東京で大きな集会が予定されています。

 最後に、バッシングが跋扈する今の社会のあり方を暗示するエピソード。森さんが放牧が盛んなモンゴルを訪れた時の話です。放牧されているヒツジ100匹の中に必ずヤギが1匹入っているそうです。なぜか?ヒツジは群れで動くが、自分からは何もしないしできない。だから、ヒツジ100匹だけではみんな餓死してしまう。そこで群れを引っ張る役割としてヤギを入れているそうです。1匹のヤギが動けば100匹のヒツジも動く。
 日本人は“ヒツジ度”が高くて、このままでは危ないという森さんのお話でした。差別・排外主義のヤギが大きな顔をするのは許してはならないということでしょう。また、みんなが自分でモノゴトを考えて動ける“ヤギ的人間”になろうということでもあるでしょうか。
この日の参加者は90人でした。

※発言では、オスプレイ配備に反対する首都圏ネットワークからの緊急アピールがありました。
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2012年12月21日金曜日

差別・排外主義にNO!1・26講演集会

差別・排外主義にNO! 1・26講演集会
<バッシング>と差別・排外主義を考える

跋扈(ばっこ)する<バッシング>現象と<在特会>現象ーその関係とは?
通底する問題とは?
背景にある構造とは?…



日時:1月26日(土) PM6:00~

場所:豊島区民センター4F
講演:森 達也さん
資料代: 500円
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 森達也さんプロフィール
1986年 テレビ番組制作会社に入社。デビュー作は小人プロレスのテレビドキュメント作品。以降、数々の作品を手がける。
1998年 オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタ リ-映画『A』を公開。
2001年 続編『A2』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。現在は執筆が中心。
近著に、『A3』、『僕のお父さんは東電社員です』、『311を撮る』(共著)などがある。
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皆さんご存知の様に、この数年来、「在特会」勢力は至る所で、「妬み」等の劣情を刺激し、差別・排外主義を煽り、「在日」等の当事者に対し脅迫、妨害、襲撃の蛮行を繰り広げています。そして、ネットの映像でそれを見て拍手喝采し、「スカッと」する多くの人々が存在します。
また、一方で、この国では、いわゆるバッシングが跋扈しとどまることを知らない社会現象になっています。集中砲火のターゲットになった事例は、「オウム信者」、「イラク人質若者ボランティア」、「光市事件弁護士」、「オーバーステイ外国人」、「朝鮮学校」、「公務員」、「生活保護受給者」等々とちょっと思い浮かべるだけでも枚挙にいとまがありません。バッシングに血眼になるテレビ、マスコミとそれに拍手喝采し、「スカッと」する多くの国民の「共犯関係」の構図が浮かび上がります。更に、政治家までも人気取りのためかバッシングの急先鋒としての役割を演じている有り様です。

私達は、これまで、「震災下」、「ヘイトクライム」、「世界のレイシズ」等の視点から、<在特会>勢力ー差別・排外主義について考える集会をささやかながら開催してきました。それは、差別・排外主義について様々な視点、角度から考え深めることが、それを社会的に包囲し封じ込める大きなうねり=様々なスタンス、問題意識の人々による広範なネットワーク作りの足がかりになれば、と考えるからです。

さて、今回、私達は、『<バッシング>と差別・排外主義』と銘打ち、講演ー討論の場を設けることにしました。
その意図は、「<在特会>勢力の登場とそれに拍手喝采する多くの人々の存在は、<バッシング>現象とどのように関係しているのか?」、更に言えば、「この国の深部に歴史的に連綿と巣くう差別と排外主義が<バッシング>現象の背後に横たわり、それを支え、そして、<在特会>勢力は意図の有無は別として、「巧み」にその構造に乗じてきたのではないか?」等、これらの問題を講師の提起を受け皆さんと共に考え、探っていければと考えます。

皆さん、1月26日集会に是非とも参加してくださるようお願いします。

2012年12月16日日曜日

Column No.03  「ある会議の情景」 By 梅


「私たちの連絡会は、やはり数年前の蕨でのカルデロン一家、とくに中学生のN子さんに対する憎悪と醜悪さに満ちた在特会たちの嫌がらせに対する怒りから出発しているのだと思います。それは弱い立場に立たされた人間に対するほとんどいじめにも類する、とても卑劣な攻撃でした。しかし、それはそうであるけれども、だからといって私たちは彼らと同じスタイルでの対抗的行動を延々と政治的にやればいいということではないと私は思います。たとえ、そうしたデモンストレーションを繰り返しやったとしても、それは苦悩する当事者についに届くことのない身勝手な部外者の闘いであると思うのです。むしろ問題はさまざまな隠された小さなところで、限りなく進行する差別と迫害の現実に無力でありながらも、どのようにともに連携していけるのかという、そんな繋がりが問われていると思うのです。だから私たちは、パフォーマンスに対するパフォーマンスではなく、延々と続くこの私たちの地のおぞましい状況を、具体的なところからなんとかしたいとおもってここに集まっているのではないでしょうか。たとえそれが無力なものではあっても、やはりかすかな声は私たちでも出せるのだ。私たちの声のつながりを求める闘いはやはりそこにあるのではないでしょうか」

 Aさんが訥々と語る。その一つ一つの言葉にぼくは目を伏せながらある種の暗い思いを持ちながらもうなずく。そう、そうなんだ、それこそが僕たちの出発点だったのだ。それにしても、このある種の絶望感は何なんだろうかと自問する。
多分、私たちはとてつもなく困難な敵対者に遭遇し続けている。第一に、およそ「良心」というようなカテゴリーがまったく通用しない者どもに僕たちは対峙しているのだ。彼らの陰湿な精神は、あたかも影でいじめを楽しむような、そうしたひそやかな匿名性の愉悦に彩られている。これまで、口にすることもはばかれた言葉が跋扈している。つまり最後の良心がついに失われた地点で罵言が吐き出され、そのカタルシスに匿名性のネット右翼は酔いしれる。これは差別の状況の中でいつも見られた光景だ。そう、いつも繰り返されてきた光景なのだ。よく見つめてみるべきだ。

 差別や排外主義が跋扈するとき、特徴的な傾向がある。迫害された人間たちの沈黙と、迫害する人間たちの饒舌という非対照的な対比だ。ひとはひとを傷つけたとき、いくらでも傷つけたほうはそのことをリセットできる。しかし、傷つけられた沈黙者は、どのような言葉の展開が巡ろうと、そのことのうちにとどまり続ける。つまりその「裂け目」はどのような言い繕いがあろうとも残り続けるということだ。

 Aさんはこうも言っていた。「私たちは迫害される人を助けるために活動しているのではない」と。そう、この社会での不当なことにたいして、声高に「正しいこと」を叫ぶ前に、僕たちはそれを作り上げている僕たちの日常と闇に目を向けなければならないのだ。そうして、もし、苦難の中で悔しさと憤りを刻印されながらも、しかしなお「沈黙と沈思」にある友があったとしても、私たちはその「沈黙の闘い」にこそナイーブに反応し、傍らに佇まければならないのだ。なぜなら、その沈黙は私たちのものでもあったからだ。そしてもっと大事なのは、それは非対称的なもの、一方的なものではなく相互的なものでなければならない。佇んでいるつもりが、実は佇まれているということにひとは気づくべきなのだ。ひとは深刻な状況にあるとまず黙る。考える。解決は遠い。それでもなお、ひとは声を出す。なぜか。簡単なことだ。それだけ社会が腐っているからだ。スローガンには注意しなければならない。私たちは白馬の騎士ではない。登録商標には注意しなければならない。正しいことには気をつけなければならないのだ。

おおむね表現することが苦手な僕らのミーティングであったのだが、突然に前回のコラムに書いた信濃さんの言葉がぼくの脳裏に浮上する。それにはこうある。
「あえて言えば『差別・排外主義にまみれている』からこそ、それを克服するために活動しているのです。」
すがすがしい言葉だ。そして闘うことの意味としてぼくの情感にグサリとくる。
ひとを傷つける「快感」に比べれば、「良心」などというものはおそらく何ほどもひとをひきつけるものではないだろう。「通邸不能」という言葉が真っ先に鳴り響く。それでもやはり僕らはある最後の砦の上に屹立する必要があるのだ。私は通俗的でありいつでも憎しみの世界に陥落しやすい。でも多くの人がののしりの快感に酔いしれたとしても、100人のうちの一人であれ、私は孤立してもいいと思う。最近映像を作ろうとしているのだが、そこでは昔なつかしサルトルを引用した。

「彼らは憎悪を選んだ。憎悪がひとつの信仰となった。言葉と理性をはじめから無価値にすることを選んだのである。」(サルトル『ユダヤ人問題』)

2012年9月26日水曜日

「差別排外主義にNO! 9・23行動 2nd」行わる!


 昨年に引き続き、今年も9月23日に「生きる権利に国境はない! 私達 の仲間に手を出すな! 差別・排外主義にNO! 9・23行動 2nd」」とした集会とデモが行なわれました。東京は冷たく強い雨でした。激しい雨のなか西戸山公園に足を運んでくれた参加者は、これまで色々な機会に交流を重ねてきた人、ビラやネット の告知を見て初めて足を運んでくれた人、総勢130名。かなりの雨でスタッフは少人数でのデモを覚悟していましたが、その困難な条件のもと多くの心ある仲間が集まってくれました。
 デモに先立ち集会が開催され、主催者である差別・排外主義に反対する連絡会の仲間から、この一年間、在特会など「行動する保守」勢力による在日朝鮮人など在日外国人への差別・排外主義に満ちた攻撃がやまないばかりか、日本社会の閉塞状況、不況、社会不安の増加によって更に増長し、最近では反原発運動への敵対行動も目立ち、また、大久保地域への執拗な嫌がらせ行動などが続いており、本日の行動は単にこの地域をデモするだけでなく、地域の外国人へ私たちのメッセージを届け、交流の場としよう、という意義が提起されました。
 次に、この集会・デモに賛同する団体からの発言がありました。差別や排外主義が吹き荒れるそれぞれの現場からの発言が続きました。いまだに差別的扱いが続く高校無償化問題からは「「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」、渋谷地域における急激な野宿者排除の嵐にさらされる「のじれん(渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合」、天皇・靖国問題で右翼からの攻撃にさらされる「反天皇制運動連絡会」、朝鮮人従軍慰安婦問題を取り上げた安世鴻さん写真展で数度にわたる妨害にさらされ続けた「『重重』市民でつくる写真展in練馬実行委員会」、川崎地区で慰安婦問題を問い続ける「日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会」、そしてなお生活困窮者の排除がつづく荒川や墨田の仲間たちからの問いかけとして「荒川・墨田・山谷&足立実行委員会」や「竪川河川敷公園」からの野宿者排除に反対する発言があり、最後にこの日本の地に逃れてきたビルマやエチオピアそのほかの多くの難民問題を踏まえた「難民を支援し連帯する会」からの発言がありました。
 「今回のデモの 目的は私達の連帯のメッセージを地域に届ける事」と意思一致をした後にデモは出発。デモコースは多くのコーリアン・ショップがひしめく大久保通り、そして明治通りを経由してここにも韓国ショップが多くある職安通りをシュプレヒコールを挙げながら進みました。この一帯は韓国をはじめ、南アジア、アフリカ等のエスニックな店が並んでいます。日本人とオールドカマー、ニューカマーが共に働き暮らす街です。しかし最近では毎週のように差別・排外主義的なメッセージを掲げたネット右翼たちの嫌がらせデモが続いており、住民たちはこの嵐に「沈黙」で応じる事を強いられています。私達はデモに先立つ一週間ほど前に、この地域の人々と知り合い、デモの趣旨を説明しメッセージを伝えるためにビラとリーフレットを手に店々を回りました。さまざまな反応がありました。多くがニューカマーの人々ではありましたが「朝鮮人はでていけというのはまだ我慢できる、しかし朝鮮人は殺せという罵言は許せない」、そんな憤りがすべての実情をあらわしていました。私たちのデモや活動の説明をすると「じゃあ店の中にビラを預かろう。30枚くらいあるかい?」との申し出も。こうした事前の訪問もあって、土砂降りのなかにもかかわらず沿道からは多くの人たちが好感の意をもって私たちを迎えてくれたようでした。ネット右翼たちが店に因縁をつけワゴンを蹴飛ばしても警察はそれを許してきたという現実があります。そのことに対するやり場のない憤りというものが大久保の町に蔓延しているのではないかという思いがスタッフの脳裏に去来します。
 とりわけ「尖閣」や「竹島」という領土問題で急激に国家間ナショナリズムによる対立があおられている現状です。そんなきな臭い状況の中で、私たちは憎しみのナショナリズムに屈することなく、連帯の声を大久保の町に上げるべくデモを行いました。もちろん、私たちはその町に押しかけるのではなく、差別・排外主義に反対する者たちがなお「ここにいる」という存在の連帯性を証明するために行動したのでした。事前の訪問では「尖閣や竹島問題なんてのは政治家が勝手にあおっているので私たち民衆には関係ない」と、こちらが何も言わないのに切り出した店主は、丁寧にも店の入り口まで送ってくれるという一幕もありました。
 土砂降りの大久保の町にシュプレヒコールが響き渡ります。「외국인을차별하지마 ウェグギヌルチャビョラヂマラ! 外国人を差別するな!」。そしてプラカードには「살아가는 권리에 국경은 없다! サラガヌン クオルリエ クッキョングン オプタ 生きる権利に国境はない! 」。私達のビラには日本語以外に中国語、ハングル、ベンガル語でメッセージが綴らました。
 デモはつつましくも大きな目標を達成して無事に終了しました。参加された皆さん、ありがとうございました。そして参加できなかった皆さんにも、ここに熱い「連帯の思いを伝えたいと思います。私たちは誰でもが参加できる、しかしいま声をあげねばならない本質的な問いに導かれて、今後もさまざまな試みを行っていきたいと思います。
 私達はなお気を緩めることができません。デモの翌週には池袋で中国人に対する外国人排外を訴えるデモが行われ、同じ日に大久保のタウンが再び攻撃にさらされる事態が発生してます。「お前ら出て行け」「ぶっ殺すぞこの野郎」、そうした聞くに耐えない罵言をまきちらす愚かしいネット右翼たちは、しかしその騒々しいパフォーマンスにもかかわらず、この社会の背後に進行する深刻な差別・排外主義の「露払い」に過ぎないのだと私たちは考えます。そうした「前景」の背後には、連綿と続くわれわれの地のおぞましくぬぐいがたい現実が横たわっていること、そうした不気味な「後景」をうつことこそを私たちは望みます。
 無関心と沈黙、そして惰性こそがこの社会の退廃と解体を準備するのではないかということ、気づいたときには「それは」私たちの玄関前にきてしまっているのだということ、そんな歴史的教訓を踏まえつつ、私たちは訴えます。
 「やつらを通すな! NO PASSARAN!」
 私たち自身のために。そして多くの不可視の、まだ見ぬ連帯のために。
 
      2012年9月 
 

差別・排外主義に反対する連絡会
http://noracismnodiscrimination.blogspot.jp/
Email:hannhaigaisyugi@gmail.com

画像

2012年8月21日火曜日

差別排外主義にNO! 9・23行動 2nd

2012.9.23(sun) 東京・高田馬場/西戸山公園(馬場駅から5分線路沿い 旧寄せ場)
集合 PM1:00 デモ出発 2:00~
会場が変更になりました。ご注意ください。
チラシ
誰にでも、生きる権利がある。
どこででも、生きる権利がある。
私たちは、隣人と手をつなぐ。何人の排除も許さない。
差別・排外的暴言や暴力には、私たちのスクラムで向き合おう。合言葉は、
「生きる権利に国境はない!」
「私たちの仲間に手を出すな!」

 
各国語
私たち差別・排外主義に反対する連絡会は、昨年9月23日(金)新宿柏木公園から大久保地域を貫くデモを、9・23行動に賛同する160名の仲間とともに勝ち取りました。
 デモコースは飲食店に働く外国人の仲間が多く、在日やニューカマーの経営する店舗が多い地域です。「在特会」のデモで食堂に嫌がらせが行われた地域でもあります。当日は私たちのデモに、在住の方や通行人からのさまざまなエールも寄せられました。
 いま周りを見渡せば、いまだに朝鮮学校への高校無償化適用除外や補助金打ち切りが続いています。差別暴言を撒き散らしながら居座る石原都知事や橋下・大阪維新の会の躍進など、レイシスト・ファシストとも言うべき輩の増長は目に余るばかりです。
 「在特会」「排害社」らは、「反日左翼から原発を守れ」と経産省テント前に登場し、この間は沖縄の辺野古テントをも攻撃対象としてデモを仕掛けています。先日は生保問題に関する新宿駅南口情宣でたまたま通りかかった男性に集団暴行を働くなどの蛮行がニュースになりましたが、京都朝鮮第一初級学校襲撃事件や徳島県教組抗議行動に引き続き、ロート製薬の本社抗議行動でも逮捕者を出すなどしています。
 こうした中で、私たちは、今年も「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!差別・排
外主義にNO! 9・23行動 2012 2nd」を呼びかけます。
 心ある仲間たちの大きなスクラムで社会的包囲網を形成し、ヘイトスピーチや差別・排外主義の温床を根絶やしにしていく取り組みを、一人一人の力で成功させたいと思います。
ぜひご注目と参加をお願いします。


 プラカード:ハングル

プラカード:中国語
 プラカード:バングラ


会場地図