2002年4月24日
これがTRON攻撃の迷妄だ

悲しい中傷者

 世の中には、TRONの名を聞くと、発作的に理性を失って、無茶苦茶な中傷を垂れ流す人が、 たまに存在するものだ。そういう人がネットでデマを撒いてる所もあるだろう。しかし、その道で 「専門家」を称して、それなりの社会的影響力のある人がデマを垂れ流すなら、社会的な害をもたらす 可能性を無視はできない。

池田信夫の「ドット・コミュニズム」
第19回 死の接吻−官民プロジェクトはなぜ失敗するのか
http://www.hotwired.co.jp/bitliteracy/ikeda/020618/textonly.html

コンピュータ業界の口先男
坂村健『21世紀日本の情報戦略』岩波書店
http://www19.u-page.so-net.ne.jp/db3/ikedanob/Sakamura.html

 国際大学グローバルコミュニケーションセンター教授、池田信夫氏。彼の本来からの人格が否定 すべきものだとは思わないし、彼が書いている他の文章が、全部間違っているとも思わない。しか し、「国際大学教授」という肩書きを持って、こういう文章を書くからには、それなりに公の場で の「批判」に甘んじる責任を取る覚悟がある筈だ。


「ドット・コミュニズム」について

 さて、彼が説明する「ユビキタスコンピューティング」の説明なのだが、彼の文章では、時期関 係を「1980年代」とぼかしており、あたかも「マーク・ワイザーが提唱してきた概念」を坂村 氏が真似し、「訳し」て受け売りしたかのような印象を受けるが、坂村氏がTRONを提唱したの は84年、マーク・ワイザーのユビキタスコンピューティングの提唱は88年。
 この文章は「どこでもコンピュータ」の試みが失敗したとして非難しているようだが、実際にそ の後の文章で「失敗物語」として出て来るのは、殆ど「教育パソコン」の話だ。
 で、そのBTRON批判なのだが・・・。

 彼はどうやら「TRONが失敗した」のは「ビジネスとして成り立つはずがなかった」からであ って、アメリカが圧力をかけたからではない・・・と言いたいようだ。
 TRONが彼の言うように「当時すでに死に体だった」かどうかは別として、この主張は、一つ の事象の責任を問うのに、一つの原因を「犯人」として強調することで、他の原因は免罪できる・ ・・という論理に立っている。言うまでもないが、これは叱られた中学生が「あいつもやったんだ から、自分は悪くない」と言い訳するのと同じ論理なのだ。
 そして、以後論証するように、TRON教育パソコンがDOSと「互換性のない」から「当時すでに死に体だった」というのも「ビジネスとして成り立つはずがなかった」というのも、全く成り立たない嘘である事も明かであろう。

 少なくとも教育パソコンに関して、市場における「旧来の規格」と無関係な仕様が、立派に機能している事は、世界的にいくらでも類例がある。しかもこの時期、マルチタスクOSの普及期で、ウィンドゥズは2.0段階で普及に耐えず、対抗32ビットOSが覇を競っていた時代。当時の互換信者達が推奨していたのはOS/2で、結局失敗した。しかも当時のBTRONは286CPUを使うのだから、旧時代のシングルタスクソフトを使いたいのならOSを切り換えれば済む。「MS-DOSとインテルのCPUの圧倒的なシェア」によって「互換性のない」BTRONが「ビジネスとして成り立つはずがな」い・・・などという嘘をいつまで「100回言えば事実になる」と決め込むつもりなのだろうか。
 彼の言うような牢固とした互換信仰によって支持されたウィンドゥズの世界は、アプリによるデ ータ形式の差で、深刻な不自由を招いている。同じソフトですらバージョンが違うとデータの互換 が取れないから、取引先のデータと互換を取るために一式買い替えを迫られた・・・という話は多 い。

 彼は「BTRONはMacOSの貧弱な模造品」と言うが、実身・仮身のハイパーテキストに相当するもの を、その「模造元」である筈のMacOSは持っていない。ハイパーカードはマックのアプリケー ションで、しかもそれが世に出たのは、BTRONが世に出たのと同じ87年だという事実を、彼 が知らない筈はないと思うのだが・・・。こういう、とっくにネタの割れた民間伝承を未だに抱え込んでる姿は、気の毒と言う他は無い。
 ハイパーテキストは、今でこそHTMLの普及で、読む分にはどこにでもある技術だが、自分で 書くとなると「HTMLエディタ」でタグからシコシコ書き込む知識が必要な代物で、BTRON の、切り張り感覚でハイパーテキスト文書を書ける世界は、今もなお高い操作性レベルを維持して いる事は否定できない。
 だからこそ「パソコンを使える教師は何%」とか言う一般の学校を尻目に、パナカルETを採用 した学校では殆どの教師が自作の教材を使う・・・という報告が出て来る事になる。これが標準教 育パソコンとして多くの教師が使用していたら、日本のパソコン教育が大発展していた事は間違い無い。それが外圧によって妨害された事は、全くもって残念という他はない。

 彼の文章には「インテルの80286によるエミュレーション」とあって、何のエミュレーションかが明記されていない。まさか「MacOSの」と言うつもりではあるまいが・・・。
 TRONチップ上の「本家BTRON」のエミュレーションのつもりなのだろうか。TRONチップは命令セットを揃えて「どこでもコンピュータ」を創り易くするためのもので、別にBTRONがTRONチップ上に構築されなければならない訳ではない。
 池田氏は「時代遅れのCISC」と、「これからはRISCの時代」の固定観念でTRONチップを否定したつもりでいるようだが、そのRISCはマルチメディア命令などをどんどん増やし、RISCとCISCの違いはどんどん曖昧になっていったのが実情だ。スピード至上主義で登場したアルファチップは結局消滅した。TRONチップは規格化された豊富な命令セットによる使いやすさこそが身上で、だからFA分野などがその利点に注目し、92年頃に多くの需要が見込まれたのが、半導体摩擦に伴って強要された「部分委譲」で、政治的に輸入CPUに食われた、というのが実態だ。
 元々坂村教授自身は「CPUは何でもいい」という立場だった。それが、半導体摩擦による脱DRAMの要請でメーカーがMPUの開発をやりたがった・・・というのが、複数の証言で解っている事実。ここからも、彼の主張する「セールストークでメーカーを引っ張り込んだ」という言い張りが大嘘である事が解る。積極的だったのはメーカーなのだ。そしてメーカーはその時の経験をAMマイコンやSHチップの開発で活かし、しっかり元を取っている・・・というのも、関係者の証言で明かだ。

 池田氏は、外圧時のBTRONを「デモだけが動く張子細工」と称しているが、少なくとも88年に教育関係者に公開した時点で、ワープロ・グラフィックのソフトは載っていた事が、取材したプロンプト誌の特集にも出ている。89年にはTACLの試作もされていた。89年の外圧直前には松下では発売体制に達した事が発表されており、むしろ教育パソコンの行方を待っていたのは、当時の新聞を読めばわかる。
 彼が89年5月の外圧段階で「あっという間に消えた」と称するBTRON教育パソコンは、実 際にはAX4社や松下が市場ベースで出そうとしたのだ。そうしたメーカーやBTRONソフトウ ェア懇談会のソフト会社に対し、執拗な圧力をかけた事実が10月に報道されている、これを彼は どう説明するのか。そして翌90年にもスーパー301条の圧力をかけ、最後には「発売を強行す るなら松下製品を締め出す」と脅した事実を「民間伝承」呼ばわりするのは、あまりに強弁に過ぎ ると言わざるを得ない。
 「制裁の候補になっただけで、実際にはスーパー301条は適用されなかった」と彼は言うが、本 指定にかからなければ「圧力」ではないとでも言うのか。これはあまりに「経済外交」を知らない 主張だ。その「候補」とされた時点で、「本指定回避のために譲歩を」と、深刻な交渉があったの は、当時の報道を見れば一目瞭然だ(通産省は国内向けには「外圧は相手にしない」などと強がっ ているが)。殴った側(の立場を代弁する人)は忘れても、殴られた立場の多くの日本人は、けし て忘れない。

 坂村氏がTRONを「お上の権威によって普及させようとした」に至っては、悪い冗談以外の何物でもない。通産省が手を貸したのは教育パソコンだけで、これは彼が「政府やマスコミに売り込ん」だのではない。CEC側がオープンポリシーの共通規格を必要として、TRONに辿りついたに過ぎないのは、これまた周知の事実だ。CECは各社が以降に出す教育パソコンの互換を取るために「アウターOS」を検討していたという。それに対してNECなどがすんなり自社パソコンの仕様を差し出していたら、BTRONの出る幕は無かっただろう・・・というのは、小林紀起氏の結論だが、要するにCECの求める必要に沿った規格としてBTRONが採用された事は、RCAが家庭用ビデオのOEM先としてVHSを採用し、富士通が汎用コンピュータでIBM互換路線を選んだ・・・というのと、その本質において何ら違いは無いのだ。
 BTRONに「現場の教師が反対し」たというのこそ、まさに民間伝承で、実は現場教師側の担当者を集めた説明会でも「互換性を考えてほしい」という声は出ても「BTRON反対」の声は一切無く、彼等は純粋に外国からの圧力で潰されたと思っていたのだ。その「互換性」だって、TRONだけではなく、MSXや各社の互換性の無い16ビットパソコンも含めての互換性で、教育パソコンをDOS機にすればいいというものでもないのだ。

 彼がユビキダスコンピューティングを批判するように、電話やテレビのような情報を扱わないものがネットワークで繋がる価値があるか無いかは、工場のFAネットワークを見れば解るだろう。ものを「動かす」という行為自体、その動作を求める「人の要求」それ自体が「情報」なのだという、事の本質を理解しなければならない。  近年来の家電のファジーやニューロを動員した多様な付加機能を思うなら、その求める情報を「スイッチを入れたり切ったりする程度」とは、到底本気で言っているとは思えない。洗濯機の、材質に即した洗い方、レシピに対応したレンジのコントロール(説明書きに従ってピザを炭にした経験もありますが)・・・。スイッチのタイマーで十分・・・というに至っては、「外出先で、電話回線からスイッチを入れて、帰宅するまでに部屋を暖める」という、言い古された未来ビジョンを知らないのだろうか。

「コンピュータ業界の口先男」について

 この文章の中身の半分は「ドットコミュニズム」と全く同じだが、こういう無茶な言いたい放題 の罵詈雑言は、TRON支持者でなくても気分が悪くなるだろう。精神衛生を考えるなら、池田氏 の文章こそ「読んではいけない」代物かもしれない。

 まだ市場として「物になっ」ていないから「口先男」の「騙し」なのだろうか。ザナドゥのテッ ドネルソンを誰が「口先男」などと罵っただろう。家庭用ビデオにしても、最初にソニーが出した のが60年代半ば。マガジン式を出したのが後半で、市場として開花したのは80年代になってか らだ。一つの技術が「ものになる」のには、それだけの試行錯誤が必要なのだ。それを「無駄な失 敗」呼ばわりして非難するような人が充満したら、社会を進歩させるなど不可能だ。
 坂村氏が主導して、ユビキダス環境のモデルとして現実に創った「電脳住宅」は、当時の多くの 国で絶賛された。その代表として雑誌に特集を組んだIEEEも、彼の言い分では「コンピュータ 業界の実態を知らない建て前論」に騙された「何も知らないオヤジ」という訳だ。
 その後、「米国標準導入ブーム」と「経済危機」で、一時期、電脳住宅計画は進まなくなったが、あれと全く同じコンセプトで、松下がモデルハウスを作り、JAVAや電力線・無線などを使った家電ネットワークを多くの国の企業が作っているのは、TRONが働きかけたからでも何でもない。一方で、サンマイクロのマクリーニ氏は「TRONのサカムラが言ってるような事をやりたい」と90年代初頭から考え、それがJAVA・JINIの結実に大きな影響を与えた事は、彼自身が証言している事実だ。

 彼が坂村氏にレッテルを貼るような、テレビによく出て来る「目立ちたがり屋なマスコミ大好 き人間」は、現実には大勢いる。それこそ「インターネットが全て。アメリカ基準が全て」と、誰 かさんのようにIT革命のラッパを鳴らすばかり・・・というのが大抵だ。坂村氏とは全く違い、 自らの発想で社会システムをデザインしよう・・・などという姿勢はみじんも無い。
 それに坂村氏は「メーカーとの共同作業を自分ひとりの手柄にする」どころか、開発に参加したメーカーの若い技術者の手柄として発表させるために、毎年の「TRON国際シンポジウム」の他にもITRONやBTRONの「技術研究会」などを設定し、多くの技術者を育てたのだ。そうしたおかげで名を上げた、例えば、松下でBTRON開発に携わった櫛木氏などは、その後、松下のマルチメディア部門を統括する地位を与えられ、今や重役に上り詰めている。

 これを読むと、彼がTRONを非難するのは、どうやら「個人的な恨み」があるらしい。彼が勤めていたNHKが「TRONの特集番組を作」って、「マルチメディアでもうけようとした」のが「1億円以上の大赤字を出した」・・・というのだ(東大経済学部卒、NHK報道局などに勤務、96年慶大政策メディア科修士過程修了。経歴から見る限り、TRONの技術面を理解出来ないのも無理はないのかも知れないが、それにしても曲解が酷過ぎる)。
 88年に「コンピュータの時代」というシリーズがあって、坂村氏が出演してTRONに関する解説なども行った。本やビデオにもなっているが、ビデオはCSKが制作費を出し、本は角川から出ている。当時、坂村氏の書いた「TRONを創る」などがベストセラーになっており、テレビ番組にしたNHKなども随分期待した筈だ。とてもじゃないが、坂村氏が強引に売り込んで番組にしたと言い張っても、まるで説得力が無いのは、当時を知る人なら誰でも解ることだ。
 問題は、「もうけようとして1億円以上の大赤字を出した」というくだりだ。NHKの仕組み(受信料で番組を作り、広告収入は無し・・・が基本)を考えるなら、特別番組で「赤字」という言い分が、どう考え てもおかしい・・・という事は、誰が考えても解るだろう。事実、その「泣かされた」筈のNHKは91年には再度、坂村氏が出演する「コンピュータナウ」のシリーズを作っているのだ。結局のところ「仕事で1年もつきあわされた」という彼個人の感情的な摩擦という他に、解釈のしようがないではないか。

自分の頭で創造せよ


 TRONは彼の言う「官民プロジェクト」ではない。予算を出しているのは民間の会員企業だ。これは彼が官民プロジェクトとして批判しているシグマなどと比べれば解るだろう。  嘘は100回言っても「真実」にはならない。真実であるかの如く錯覚させるだけだ。そしてその錯覚は、必ず大きな害をもたらす。西和彦氏が「TRONが失敗したら、10年、日本で新しい試みは途絶える」と言っているが、結局のところ「TRON攻撃」は、日本人が何か新しい事をしようとする試みに対する攻撃にしかならないのだ。
 そして、そういう風潮が、「アメリカ標準」を輸入するだけで結局自分では何も創らない人達がこの国の情報化をリードする状況を作ってきた。西和彦氏しかり、池田氏と同様の言い分で、自らのTRON潰しの策謀を正当化した孫正義氏しかり・・・である。そうした「誰かが創ってくれた標準を受け入れるのがいいんだ」という風潮こそが、この「失われた10年」を演出したのではないか。日本製の技術を捨ててマスコミが鼓吹するアメリカ技術を担いだ挙句、「物真似ニッポン」だの「フリーライダー」だのと蔑まれ、「知的所有権」で毟られたり不利な基準を押しつけられたり・・・。日本人の努力による繁栄をあたかも盗品であるかのように否定する・・・その既成概念もまた、「誰かが(不当な利益のために)創ってくれた標準」だ。それがつまり、池田氏が擁護する「外圧」だろう。それを不当と知りつつ、多くの日本人が唯々諾々と受け入れたのだ。その偏見が「圧倒的なシェアを持」った「世界の常識」だという理由で・・・。
 要は、其々が自分で何かを考える姿勢が重要ではないのか。
 池田氏自身、「新しいもの」を提案する人ではない。単なる評論家だ。もちろんそういう人も必要だろうし、その点で彼には、それなりの実力もあるのだろう(私は知らないが)。ただ、彼がこれからあるべき「時代の変革」の中で、「抵抗勢力」の道を歩まぬ事を祈るばかりだ。

 彼が批判している官民プロジェクトに関して、例えば第5世代コンピュータの方針に対して、坂村氏が批判派の急先鋒だったのは有名な話だ。シグマも本当の意味での官製プロジェクトだが、互換信者が支持している(はずの)「世界標準」であるUNIXに全面的に頼ったものだ。ちなみにあれを推進していた官僚は、TRON潰しの実行犯の1人である林良造だ。
 TRON=通産省という民間伝承は根強いが、棚橋祐二などの指導的官僚が裏で孫正義などと癒着して策動し、TRONを潰す方向で動いていた裏事情が最近になって暴露された。むしろTRONは官によって抑圧されていたのだ。あのTRON潰し以来、TRONは常に通産省を中心とした官民支配者層から白眼視され、裏面での心理的圧迫を感じながら活動してきたという参加企業の証言もある。最近のTRONに対する「再評価」と言っても、つまるところ、そうした抑圧的状態から、ようやく開放されようというのに過ぎないのだ。

 日本の政府がいかにどうしようもない存在か・・・などという事は、坂村氏のほうが遥かに身に染みて知っている筈なのだ。しかし、だからといって「官が関わるのは全て駄目」と本当に言えるのか・・・という問題もある。
 アメリカでも欧州でも様々な標準仕様に政府が関わった。UNIXの標準化で大きな利益をもたらしたPOSIXなどはその代表だろう。そして今日の欧米半導体の復活にも、セマテックのような官民プロジェクトが大きく関わっているのが事実なのだ。アメリカの半導体製造機器の規格化を進め、この分野でも日本から主導権を奪ったのは、まぎれもなくセマテックの成果なのだ。
 フォードシステム以来、アメリカはこの「規格」の概念を武器に、今の繁栄を築いた。そして90年代、実に多くの分野で政府や企業連合が「公的立場」を看板に、多くの規格を作ったことが、現在のアメリカの復活の基礎となった。日本でも、公的な規格として今までJISが果たした役割は、否定はできまい。

 結局、規格などというものは、それを必要とした人がどんどん作ればいい。誰かが創った規格の中から「使いたい」と思ったものを各自が使えばいい。TRONはけして「これを使え」と強制はしない。TRONの参加者に対しても、だ。だからTRONチップにUNIXも載れば、スパークにITRONも載る。インターネットを使いたい人がいればインターネットに乗せる。JAVAが使いたい人がいれば、JAVAも載せる。そういうものをTRONの枠組で使いたい人が、参加して作るのだから、当然のことだ。坂村氏の果たしているのは、TRONの枠組とそれらが整合性を持つように指導する、調整役のようなものだ。
 要はその「枠組」だ。より大きな体系の中で多様な主体の情報を整合化させることで、多様なシステムを有機的に連携・協調させる・・・。こうした事が「情報化社会」をより高度化させるために必要だと。その具体化のビジョンとして「どこでもコンピュータ」があった。こうした枠組の調整には、結局は公的な見地で動く組織が必要だ。しかし日本の政府は、そういう戦略的(より良い社会を作る戦略という意味で)な智恵が無かった。だから彼はTRONを作ったのだ。
 そうした公共性が気に入らないというなら、それではあなたは、道路も貨幣も使わないのか・・・という事になる。そもそもインターネットのアドレス配給組織だって、公的な見地で動く集団ではないのか。

 日本の国や政府の行動がスカなのは、多くの人が感じている。しかしそれと「公的な見地で動く事を目的にした組織」を認めるかどうか・・・というのは別だ。日本の政府を批判する人でも、普通は国という、公的な見地で動く事を目的として創られた組織の必要性を認める。今の国の有り方が気に入らないなら、変えればいい。ここは民主主義の国だ・・・と、実際、多くの人が変えようとして発言しているし、変わらなければ私達の社会は終りなのだ。


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