中国を揺るがせた一大政治事件にひとまず区切りがついた。内陸の中心都市、重慶市のトップだった薄熙来被告がきのう、無期懲役の判決を受けた。問われた罪は収賄などで、一見、汚職[記事全文]
スポーツを、すべての人が楽しむ社会に。メダルの獲得数より、こんな目標を掲げたい。東京に五輪が来ることになって、政府が「スポーツ庁」を新設する検討を始めた。[記事全文]
中国を揺るがせた一大政治事件にひとまず区切りがついた。内陸の中心都市、重慶市のトップだった薄熙来被告がきのう、無期懲役の判決を受けた。
問われた罪は収賄などで、一見、汚職事件ではあるが、その本質は荒々しい権力闘争にほかならなかった。
市の共産党委員会書記だった薄被告がめざしたのは、党中央最高指導部への昇進だった。
貧困層のための住宅建設や、毛沢東時代のような革命歌の運動。そうした異色の施策は、党幹部の腐敗に怒る多くの庶民を味方につけるためだった。
そのうえで、経済成長を優先して格差拡大を放置した党中央に挑戦する手法をとった。
そこで党中央は追い落としに奔走した。元書記自らも腐敗し蓄財していたのだから、刑事訴追の理由はこと欠かない。
だが、立件した収賄額や横領額はごく一部に絞り込まれた。すべて掘り起こせば他の指導者に累が及び、党の権威が失われかねないからだ。
党中央は裁判の正しさを演出するため、中国版ツイッターの中継で公開した。ところが元書記はそれを逆手にとり、裁判の政治性を公に訴えかけた。
元書記のしたたかさがあぶり出したものは、中国政治の仕組みが抱える弱さではないか。
毛沢東時代からトウ小平が1997年に死去するまで、国の中枢には建国神話にからむ人物がいた。前総書記の胡錦濤氏まではトウ小平の息がかかっていた。
だが、そんな鶴のひと声は、もはや存在しない。新体制づくりの昨年の党大会に向けて、一介の地方指導者が中央昇進の野心に燃え挑んだことは、旧来の密室政治のほころびを露呈したといえる。
中国共産党は、これまでのように水面下で権力の継承を決めようとしても、複雑に絡む争いや妥協を闇にとどめておくことは難しくなるかもしれない。
ましてや、民衆の目は厳しさを増している。
今も元書記を支持する人々は、重慶からはるか遠い山東省の裁判所周辺にまで現れた。89年の天安門事件以降、指導者に共鳴して民衆が声を上げることは久しくなかった。
外から見る中国は富国強兵の道をひた走る大国と映るが、内なる中国はカリスマ不在の国家統治をめぐる底知れぬ難問に悩んでいる。権力の多極化と経済格差がもたらす不安は、これからもずっとぬぐえない。
そんな中国の脆弱(ぜいじゃく)さをのぞかせる第二の薄熙来事件が、またいつ、起きるとも知れない。
スポーツを、すべての人が楽しむ社会に。メダルの獲得数より、こんな目標を掲げたい。
東京に五輪が来ることになって、政府が「スポーツ庁」を新設する検討を始めた。
スポーツ界は、国をあげた選手強化と予算の拡充のため、その創設を求めてきた。
メダルを取った選手にあこがれてスポーツをする子どもが増える。体力は上向くし、プレーヤーのすそ野も広がる。その効果はあなどれない。
ただ、閉幕後のことも考えれば、五輪で好成績をあげるためだけに新しい官庁をつくるべきではない。
昭和の東京五輪は、メダルが重い意味を持った。敗戦から19年。国民が自信を取り戻すために、その証しが必要とされた。選手にはとてつもない重圧がかかったはずだ。
けれども、いまや日本は成熟社会になった。「メダル増も求められるが、一人ひとりの国民がスポーツを通じて人生をさらに豊かにできるような環境整備も必要だ」。下村文部科学相の言葉にはうなずける。
五輪をきっかけに、総合的なスポーツ政策を描くことを考えてはどうか。
課題はいろいろある。不況や少子化の影響で企業スポーツや運動部の活動が停滞しているぶん、地域のスポーツ活動を盛り上げる。長寿社会だから、シニアも気軽に楽しめるスポーツも工夫したい。
だれもが健康のため、人生を楽しむためにスポーツに親しむ。その中から優れた選手が生まれ、結果としてメダルも増えれば言うことはない。
スポーツ庁をつくるかどうかを考える原点もそこにある。
日本のスポーツ行政は縦割りが著しい。体力づくりに関係する省が少なくとも五つある。
例えば、スポーツ一般と障害者スポーツが文科省と厚生労働省にわかれている。五輪とパラリンピックの支援策も従来バラバラだった。諸外国では、ひとつの省が担うのが普通だ。
これをスポーツ庁に一元化すれば、たしかに全体のスポーツ予算を効率よく使えるようになるかもしれない。
一方で、障害者福祉全般から障害者スポーツが切り離されるなど、新たな縦割りの壁ができることによる弊害はないか。
スポーツ庁でないと本当にだめなのか。利点と欠点を慎重に吟味して判断すべきだ。
国の威信など気にせず、選手も観客もプレーそのものを楽しむ。そんな大会にして世界から集まる人々をもてなしたい。