先ずはこの習い損ねた人物の投稿をお読みください。自分の主張に対し都合の良い御書だけを引っ張り出し、自己陶酔に堕しているのがよく分かりますね。
大聖人様の御書には「五重の相対」から論じられたもの、また「法本尊」を説明されたもの、「人本尊を」論じられたものなど…、その御化導が「何を説明遊ばされているのか」をよく見極めなければ、このような読み損ねをしてしまうのであります、この方の投稿はその読み損ねの代表格であります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日蓮大聖人曰く
■日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし■
「なんだ」と思った?(^O^)アハハ!!
何度も読んで来た御書で知っていると思った?
しかし、まともに文章が読めなくなっているのが、日蓮正宗や創価学会のおじさんおばさん達なんです。(^O^)アハハ!!
日蓮正宗や創価学会では、このように講義するね。
「日蓮大聖人の魂が入っているのが大御本尊です。」
「日蓮大聖人の魂とは、御本尊なんです。」
「日蓮大聖人即戒壇の大御本尊なんです。」(創価学会では、都合が悪くなって言わなくなったかも^/^)
ってね。
しかしね。
この御書のどこにも「戒壇の大御本尊」どころか「御本尊が日蓮が魂だ」とは、書かれていないね。
よーく見て御覧。
「南無妙法蓮華経が日蓮が魂だ」と書かれている。
「南無妙法蓮華経」ってなあに?
「題目」だね。本尊じゃないね。
だから、
「南無妙法蓮華経の題目が日蓮大聖人の魂」だと、普通に文章が読める人は解釈するんだよ。
大聖人は、御本尊の事は「御本尊」と書かれている。
あたりまえだね。(^O^)アハハ!!
南無妙法蓮華経は、南無妙法蓮華経の題目のことだよね。
題目のことも御本尊の事も同じく「南無妙法蓮華経」と書いちゃったら意味が分からなくなって迷っちゃうよ。
日蓮大聖人は、みんなを迷わせるために生まれたんじゃないよね。
難しい法華経を正しく判断させ実践できるようにお生まれになった。
だから、
■日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし■
を噛み砕いて解釈すれば、こうなる。
「日蓮が魂とする南無妙法蓮華経の題目を(御本尊の法体として)書き顕したのである。信じて行きなさい。釈尊の御心は法華経であり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経以上のものではない!」
分りやすくなるように付け加えたけど、「法体」ってなんだか分る?
心だよ。魂だよ。本体だよ。
南無妙法蓮華経の題目は、御本尊の「心」「魂」である「法体」なんだよ。
法体である南無妙法蓮華経が中央に書かれている御本尊だから、三大秘法の一つである「本門の本尊」になれるんだよ。
人間も心と体で出来ているだろ。
御本尊も心と体で出来ている。
その「心」が、南無妙法蓮華経だね。
想像してごらん。
御本尊から南無妙法蓮華経の題目がぬけたら本尊ではなくなるでしょ。
「本門の戒壇」から「本門の本尊」が抜けたら本門の戒壇ではなくなるように、
「本門の本尊」から「本門の題目」が抜けたら本門の本尊ではなくなるね。
一番大事で、すべてを成り立たせているのは、「本門の題目」だと分るね。
別の言い方をすれば、すべてを生み出しているのは「本門の題目」なんだよ。
だから、「日蓮が魂」も「一大秘法」も「出世の本懐」も「本門の題目」の事なんだよ。
良い子の皆なら分ったと思うよ。(^O^)アハハ!!
http://kangaeruhito777.blog100.fc2.com/blog-entry-1153.html
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お分かりであろうか? 要するにこの方は「法本尊」を語っているにすぎません。
大聖人様は、このように仰せであります。
■「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり」
(阿仏房御書)
※明らかに御本尊のことです。
■「此の時 地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す 一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」
(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)
※明らかに御本尊のことです。
■「本尊とは勝れたるを用ふべし」
(本尊問答抄)
※明らかに御本尊のことです。
■「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
(就註法華経口伝)
※本尊とは日蓮であることをはっきりと述べられています。
■「諸宗は本尊にまどえり」
(開目抄 上)
※明かにこの習い損ねさんのことを指しておられますね。
■「霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」
(三大秘法稟承事)
■「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり」
(日蓮一期弘法付嘱書)
■「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」
(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝(百六箇抄)
※戒壇に「本門の題目」を安置するのでしょうか? 笑!
明かに御本尊のことであります。就中、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊のことであります。
日興上人曰く、
■「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」
(日興跡条々事)
※弘安二年の大御本尊は「本門の題目」でしょうか? 笑っちゃいますよね。
以上、簡単に破折しておきました。
大聖人様の御書には「五重の相対」から論じられたもの、また「法本尊」を説明されたもの、「人本尊を」論じられたものなど…、その御化導が「何を説明遊ばされているのか」をよく見極めなければ、このような読み損ねをしてしまうのであります、この方の投稿はその読み損ねの代表格であります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日蓮大聖人曰く
■日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし■
「なんだ」と思った?(^O^)アハハ!!
何度も読んで来た御書で知っていると思った?
しかし、まともに文章が読めなくなっているのが、日蓮正宗や創価学会のおじさんおばさん達なんです。(^O^)アハハ!!
日蓮正宗や創価学会では、このように講義するね。
「日蓮大聖人の魂が入っているのが大御本尊です。」
「日蓮大聖人の魂とは、御本尊なんです。」
「日蓮大聖人即戒壇の大御本尊なんです。」(創価学会では、都合が悪くなって言わなくなったかも^/^)
ってね。
しかしね。
この御書のどこにも「戒壇の大御本尊」どころか「御本尊が日蓮が魂だ」とは、書かれていないね。
よーく見て御覧。
「南無妙法蓮華経が日蓮が魂だ」と書かれている。
「南無妙法蓮華経」ってなあに?
「題目」だね。本尊じゃないね。
だから、
「南無妙法蓮華経の題目が日蓮大聖人の魂」だと、普通に文章が読める人は解釈するんだよ。
大聖人は、御本尊の事は「御本尊」と書かれている。
あたりまえだね。(^O^)アハハ!!
南無妙法蓮華経は、南無妙法蓮華経の題目のことだよね。
題目のことも御本尊の事も同じく「南無妙法蓮華経」と書いちゃったら意味が分からなくなって迷っちゃうよ。
日蓮大聖人は、みんなを迷わせるために生まれたんじゃないよね。
難しい法華経を正しく判断させ実践できるようにお生まれになった。
だから、
■日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし■
を噛み砕いて解釈すれば、こうなる。
「日蓮が魂とする南無妙法蓮華経の題目を(御本尊の法体として)書き顕したのである。信じて行きなさい。釈尊の御心は法華経であり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経以上のものではない!」
分りやすくなるように付け加えたけど、「法体」ってなんだか分る?
心だよ。魂だよ。本体だよ。
南無妙法蓮華経の題目は、御本尊の「心」「魂」である「法体」なんだよ。
法体である南無妙法蓮華経が中央に書かれている御本尊だから、三大秘法の一つである「本門の本尊」になれるんだよ。
人間も心と体で出来ているだろ。
御本尊も心と体で出来ている。
その「心」が、南無妙法蓮華経だね。
想像してごらん。
御本尊から南無妙法蓮華経の題目がぬけたら本尊ではなくなるでしょ。
「本門の戒壇」から「本門の本尊」が抜けたら本門の戒壇ではなくなるように、
「本門の本尊」から「本門の題目」が抜けたら本門の本尊ではなくなるね。
一番大事で、すべてを成り立たせているのは、「本門の題目」だと分るね。
別の言い方をすれば、すべてを生み出しているのは「本門の題目」なんだよ。
だから、「日蓮が魂」も「一大秘法」も「出世の本懐」も「本門の題目」の事なんだよ。
良い子の皆なら分ったと思うよ。(^O^)アハハ!!
http://kangaeruhito777.blog100.fc2.com/blog-entry-1153.html
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お分かりであろうか? 要するにこの方は「法本尊」を語っているにすぎません。
大聖人様は、このように仰せであります。
■「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり」
(阿仏房御書)
※明らかに御本尊のことです。
■「此の時 地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す 一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」
(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)
※明らかに御本尊のことです。
■「本尊とは勝れたるを用ふべし」
(本尊問答抄)
※明らかに御本尊のことです。
■「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
(就註法華経口伝)
※本尊とは日蓮であることをはっきりと述べられています。
■「諸宗は本尊にまどえり」
(開目抄 上)
※明かにこの習い損ねさんのことを指しておられますね。
■「霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」
(三大秘法稟承事)
■「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり」
(日蓮一期弘法付嘱書)
■「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」
(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝(百六箇抄)
※戒壇に「本門の題目」を安置するのでしょうか? 笑!
明かに御本尊のことであります。就中、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊のことであります。
日興上人曰く、
■「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」
(日興跡条々事)
※弘安二年の大御本尊は「本門の題目」でしょうか? 笑っちゃいますよね。
以上、簡単に破折しておきました。
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