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旧陸軍戦闘機「隼」、5年かけ復元へ=山梨の男性、個人で奮闘

旧陸軍戦闘機「隼」、5年かけ復元へ=山梨の男性、個人で奮闘

旧日本陸軍の戦闘機「隼」の尾翼と写真に納まる「河口湖自動車博物館・飛行舘」館長の原田信雄さん=8月31日、山梨県鳴沢村

 太平洋戦争終結から68年余。国内には1機も残っていない旧日本陸軍の戦闘機「隼(はやぶさ)」を部品から復元しようと、一人の男性が奮闘している。山梨県鳴沢村にある「河口湖自動車博物館・飛行舘」を個人で運営する館長原田信雄さん(76)。「あと30年もたつと、戦争の話は完全に忘れ去られる。そのためにも、今残しておかなければ」。7歳のとき、空襲で東京の実家から焼け出されたこともあり、その思いは切実だ。
 本業の貿易商の傍ら、旧日本軍の戦闘機などの収集に関心を抱き活動する中で、ニューギニアのブーツ東飛行場で1945(昭和20)年1月、オーストラリア空軍に接収された隼の機体の一部が現在もあることを知った。同国を経て90年ごろから保管していた英国の博物館などに足を運び、交渉。思うように進んでいなかったが、今年初め、譲渡してもいいと連絡があり、同博物館から購入した。
 7月に船便で「帰国」を果たしたのは、隼のエンジンと胴体、主翼、尾翼など、機体の主要部分。ただ、「敵機」として住民らによって壊されたのか、あちこちへこんだり、穴が開いたりした状態だ。
 原田さんは「全部一度ばらした上で、復元していく。来年は尾翼から操縦席の手前まで、再来年以降は操縦席を含む残りの胴体部分と主翼の復元にそれぞれ2年かけ、5年後には完成させたい」と語る。専属の技術者ら計3人が、エンジンの修復と並行して進める。
 毎年8月の1カ月間だけ開館している自動車博物館・飛行舘では今年、旧日本海軍のゼロ戦などとともに、隼の尾翼部分を展示した。ゼロ戦の設計者堀越二郎を主人公にした宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」が公開された影響か、例年よりも多くの女性が訪れたという。
 「(隼などの戦闘機は)工業遺産、歴史遺産としても重要なのに、日本にはそうした博物館すらない」。原田さんはそう嘆きつつも、「隼の資料は限られている。持っている人は協力してほしい」と呼び掛けている。(2013/09/21-06:53)


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