色々反響を頂いているので、別記事を起こしました。「遅刻するヤツは社会人失格だ」?そんな息苦しい常識、押しつけないでください
迷惑が掛からないならOK?
みなさんの意見をいただいてクリアになったのですが、ぼくは倫理的に潔癖なようで、「その遅刻によっていかなる迷惑が掛かろうが、それを許すというのが善い行為である」という立場を支持したいと考えています。
いくつかいただいた意見のなかで、「その遅刻によって誰も迷惑が掛かっていないのなら、叱責する必要はない」という、言ってみれば功利主義的な立場のものがありました。
例によって絡んでくるメカAGさんも、このような「迷惑」「被害」「損害」を観点にして、ぼくについて批判しています。
しかし会社員が遅刻について怒ったり怒られたりするのは、感情の問題ではない。後の打ち合わせの予定が詰まっている場合、相手が遅刻してきたら、打ち合わせ時間が減ってしまう。後の打ち合わせの開始時間をずらすわけにはいかない。
(中略)イケダハヤトは自分1人でしか仕事をしてないから、自分が我慢しさえすればいいと考えているのだろう。別に遅刻について怒ってる人間は、個人の感情で怒ってるわけではない。
もっと本質的にえぐってくるこちらの反論も、「損害」が切り口になっていますね。ワンツイートながら、これはすばらしい反論です。こういうフィードバックが欲しかったです。
@IHayato 例えば在宅介護の仕事においては大げさではなく数分の遅刻が利用者の生命にかかわることもあるのですがどう考えますか?友人との待ち合わせに遅刻とは同列には考えにくいと思うのですが
— 時遊神/中田 毅志 (@theuzing) September 19, 2013
いかなる迷惑が掛かろうが、それを許す
で、前段で申し上げた通り、ぼくはこうした「損害」「被害」の多寡を問わず、その行為を許すということが、大切だと考えるのです。
中田さんの質問に沿うのなら、もしも介護スタッフが遅刻し、それによって命が失われたとしても、その遺族がスタッフと会社を許すことができれば、それは本当に善いことだということです。
なんでこんな非現実的、潔癖主義的な態度を強調するかというと、こうした功利主義的な態度は、大袈裟にいえば、市民社会の堕落を招くとぼくは思うのですよ。この点については、下で引用した意見が、もっとも近い立場です(余談ですが、KomaTamaSent、大学の後輩です。元気にやってるかい?)。
@IHayato それって結局、「人は生きる権利がある。何か成果を残している限り。」とか「人は休める。仕事をきちんとしている限り。」とか「いじめは悪い。本人に原因がない限り。」とか本来あって当然の尊厳を誤解しているのと同じような気がしますね。
— Shinohara Keisuke (@KomaTamaSent) September 19, 2013
「迷惑が掛からなければ、損害が小さければ」という「条件付き」の許しというのは、本当の意味で許しにならないと思うんです。それって全然許してないじゃないかと。それは単なる利得の交渉、違う言葉でいえば「商取引」です。
「許し」というのは、本質的に「損得勘定でみれば、どう考えても損をしているけれども、それでも、それでもですね、私はあなたを尊重し、関わりつづけます」という意思から発する行為です。損得勘定に囚われている時点で、それは許しじゃないのです。
メカAGさんが指摘する「相手が遅刻してきたら、打ち合わせ時間が減ってしまう。後の打ち合わせの開始時間をずらすわけにはいかない」なんてことは、本当にくだらない話なのですよ。そういった損害を「許す」ことが、市民の美徳だとぼくは思うのです。
書きながら気づいているのですが、ぼくはそういう実践困難で、非現実的で潔癖な美徳の価値を、問い直したいと考えているようです。ぼくらは「損得勘定を超えること」を忘れてしまいすぎです。子どもを育てることすら、損得感情が気になってしまう社会ですからね。
もう少し。ぼくの性善説的な態度には、違和感を覚える人もいるでしょう。実際、コメント欄では「遅刻を許すことが文化になったら、それに甘える人も出るだろう」という、これまた本質的な意見をいただきました。
ぼくはこの点に関しては、まず「だからこそ、市民の倫理観を磨いていくことが大切だ」と考えております。人々が善いことを善いと、悪いことは悪いと判断できない社会では、フリーライダーが登場し、不公平感は強まっていくでしょう。
…が、同時に、そういったフリーライダー(「遅刻したっていいじゃん!悪いことじゃないし」と、堂々と遅刻する輩)の存在すらも「許す」ことができるとしたら、それはハイレベルな成熟だとも考えます。
もっとも、フリーライダーによって社会全体が退廃しては元も子もないので、彼らを許しつつ、彼らの成熟に向けて努力する、という態度が求められるのでしょう。
と、遅刻することからはじめて、善悪の議論まで広げてみました。みなさんはどう考えますか?記事中で引用した二つのツイートが、よい問いを与えてくれると思いますので、思考材料としてぜひ。