徳洲新聞2011年(平成23年)12/5 月曜日 NO.803 |
修復腎移植の臨床研究の成果をまとめた論文が、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催される「国際臓器提供調達学会」で優秀論文として表彰されることが決まった。
宇和島徳洲会病院での修復腎移植
慢性的なドナー(臓器提供者)不足の解消を目指し、治療のため摘出された腎臓を修復して腎不全患者さんに移植する修復腎移植は、現在、徳洲会グループが臨床研究として進めている。
これまでに第三者間で小径腎がんを対象にしたもの9例、親族間で良性腫瘍など幅広い疾患を対象にしたもの1例を実施。第三者間では、今年8月に当初の計画である5例目の術後経過観察1年間も終了し、10月31日には先進医療として承認するよう厚生労働省に申請した。
一方、同臨床研究の責任者である東京西徳洲会病院の小川由英・泌尿器科顧問が、第三者間の5例の実績をもとに、11月27日からの3日間、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催される国際移植学会の一部門である国際臓器提供調達学会(ISODP)に論文を応募したところ、「優秀論文」に選出され賞金1000ドルが与えられることになった。授賞式は現地時間で11月28日。
2008年に宇和島徳洲会病院(愛媛県)の万波誠・泌尿器科部長らによる論文が米国移植外科学会から優秀論文のトップ10として表彰されたのに続き、また国際的な移植学会で修復腎移植の試みが高く評価されたことになる。
今回応募した小川顧問は国際移植学会の会員ではないため、同学会のロン・シャピロ副会長(米ピッツバーグ大学)とフランク・デルモニコ次期会長(米ハーバード大学)が推薦人を引き受けるという異例の表彰。
小川顧問は「万波先生や協力していただいている瀬戸内グループの先生方、各委員会や徳洲会グループの皆さまの尽力に対する高い評価と受け止めたいと思います。これで、一段と修復腎移植に追い風が吹いてくることを期待します。今後は、来年の米国移植外科学会、米国泌尿器科学会議などにも論文を応募し、国際的な評価を確立させていきたいと考えています」と語る。
小川泌尿器科顧問
今回の小川顧問の受賞を国際的な修復腎移植評価の広がりの象徴と捉えるのは、難波紘二・広島大学名誉教授。
「国際移植学会会長のゲルハルト・オペルツ教授(独フライブルク大学)とは、07年にローマの学会で同席し、日本の修復腎移植を説明したところ、がんが再発する可能性は非常に低いと支持してくれた人。また、修復腎移植に関係した医師たちが、米国だけではなくドイツやオーストラリアなどでも積極的にその成果を学会や学術誌に投稿したことが、今回の受賞につながった。米国でも最近、UNOS(全米臓器分配ネットワーク)に小委員会が立ち上がり、移植における担がん臓器利用の可能性を真剣に模索し始めた。欧米が日本の経験から学ぼうとしているのだから、国内でもぜひ正当に評価してほしいと思う」
水附看護部長
11月19~20日、横浜市内で第14回日本腎不全看護学会学術集会・総会(大会長:萩原千鶴子・横須賀クリニック看護部長)が開催された。今回のテーマは「見つめよう 伝えよう 拡げよう 私の腎不全看護」。常日頃自分たちが行っている腎不全看護の専門性を見える形として捉え、周りに伝えることを目標とした。
特別講演では、岐阜県立看護大学の黒江ゆり子学部長が、糖尿病や慢性腎不全など、病気とともに生きる“クロニックイルネス"の考え方を紹介。また東日本大震災特別プログラムでは、同学会が派遣した透析療法ボランティアからの報告などが行われた。
同学会には、透析や慢性腎臓病(CKD)などに関わる看護師など約3800人が所属。理事長を務める葉山ハートセンター(神奈川県)の水附裕子看護部長は「透析や腎臓病は、患者さんの一生と深く関わるきわめて濃密な看護の領域。徳洲会の看護の“現場力"はとても素晴らしい。ただ忙しい中で自分が見えなくなることもある。理論とすり合わせることで自分の仕事に意味があると理解できれば、そこから自信につながっていくはず」と話す。
今回は、湘南鎌倉総合病院(神奈川県)の坊坂桂子、中部徳洲会病院(沖縄県)の外間千春の両看護師が演題発表を行った。
1700人を前にTPP参加反対を
訴える徳田代議士
11月24日、東京・ホテルニューオータニ・芙蓉の間で「徳田たけし君と語る会」が開かれ、徳田代議士の後援会メンバーをはじめ徳洲会や自民党の関係者など1700人が参集した。
祝辞では、最初に徳田代議士が所属する宏池会の古賀誠会長がスピーチした。
「徳田先生は大切な人。伝統、歴史、文化、秩序を重んじていて、真の保守主義を目指し国家と次代を担う大きな政治家になる人物だと期待しています」
次いで自民党の石原伸晃幹事長、茂木敏充政調会長、大島理森副総裁、武部勤・元幹事長、小池百合子・前総務会長、石破茂・前政調会長、森山裕・鹿児島県連会長が激励の言葉を送った。
徳田代議士はお礼の言葉として「議員になり、7年目にして初めてパーティーを開きました。大勢の方に支えられているのですから、その期待に応えていかなければなりません」と話し、東日本大震災で被災した人たちのことを忘れてはならないと訴えた。さらに「今は国難のとき」と、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加は、全てを市場にさらすことになるので反対だと主張した。
乾杯の音頭を取ったのは、岸田文雄・国対委員長。「夜回り先生」で知られる児童福祉運動家の水谷修氏は、友人の一人としてエールを送った。中締めは長谷川岳参院議員。
自民党の谷垣禎一総裁や塩谷立総務会長からの祝電とともに、徳田虎雄・徳洲会理事長からの祝電も披露され、会場から歓声が湧き起こった。
13日 | 13時 | SE部会後、TIS(株)・尾崎社長ほか47名来室。 |
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14日 | 14時 | 池田亘弁護士ご夫妻来室。 |
16日 | 15時 | 茂苅所長、坂上次長、房氏来室。 |
16時 | 一力行雄氏来室。 | |
17日 | 12時半 | 徳田秀子副理事長、秀和会より20名来室。 |
14時半 | 奄美女性部会より6名来室。 | |
15時半 | 初台リハビリテーション病院・酒向正春先生、島田顧問来室。 | |
17時半 | 茅ヶ崎駅前クリニック・田村泰院長来室。 | |
18日 | 15時 | 越澤徳美社長、湘南鎌倉総合病院・小林副院長、大竹部長、高室氏、尾崎社長、高橋部長、堀江氏来室。 |
17時 | 社会福祉法人敬心会・郷原建樹理事長来室。 | |
17時半 | アーサー氏、鈴木専務来室。 | |
19日 | 13時 | 放射線責任者会より13名来室。 |
13時半 | 越澤社長、徳田美千代理事来室。 | |
14時 | 徳田恵子理事、南部徳洲会病院・屋田局長、おきなか福祉会・眞栄城顧問、秋山課長来室。 | |
14時半 | 坂上次長、房氏来室。 | |
15時半 | 木川和彦先生、篠崎専務来室。 | |
20日 | 10時 | 小・中規模病院医事部会より45名来室。 |
11時半 | 能宗専務、北口室長、竹林部長、柳次長来室。 | |
15時 | 1年次研修医・中間研修会より今西康次副委員長ほか93名来室。 | |
23日 | 15時 | 油谷和子さん、田中実氏、徳田秀子副理事長来室。 |
15時半 | 徳田美千代理事ご家族来室。 | |
19時 | 最福寺・池口恵観先生来室。 |
「全地は1つの言葉、1つの音、1つの言語のみなりき」。『旧約聖書』の創世記第11章に記された物語の書き出しです。紀元前3000年頃、人は皆同じ言葉を使っていました。東から来た人々は、シンアル(バビロニア・現イラク)の地に住み着き、「レンガを作り、それを焼こう」、「石の代わりにレンガを」、「漆喰に替えてアスファルトを」と、手に入れた技術を用いて町をつくり、さらには頂が天にまで届く塔を建てる大事業を始めたのです。
神は人間の高慢で不遜なこの企てを見抜き、それができる理由として言葉が一つであるからだと考えました。そこで、これを実行する人々を分断するために「彼らの言葉を混乱させた」のでした。塔を造る人々は、互いの言葉を理解することができなくなり、世界にちりぢりに別れていったとされています。この町はバベルと呼ばれるようになりました。偶然かもしれませんが、「バベル」という言葉は、英語で「意味不明の言葉の羅列」を表す「バブル」という言葉によく似ています。
最近、友人から21世紀の100年カレンダーを贈られ、それを部屋に飾っています。カレンダーには100年間の日々が全て記載され、2000年から始まり、世紀の初めから終わりまでを1行に10年間ずつ、10行で表されています。
100年カレンダーを見ていると、徳田虎雄理事長が辿ってきた時間の長さや、成し遂げたこと、これからやらねばならないことなどが、ひとまとめになって胸をよぎります。徳洲会ができて、たかだか39年にすぎず、カレンダーではたったの4行です。患者さんのために時間を使う喜びを感じ、過ぎていった時間や残された時間を考えることができます。まさに「39年は偉大な足跡にして、50年は恐るべし」と感じます。
徳洲会グループの病院は、20年で救急医療の受け入れ病院として認知されました。45年の歴史を刻む頃には、国立の名だたる病院の収入を凌ぐ運営力をもつ、トップクラスの病院をいくつも出現させることでしょう。
50周年を迎えるときには世界中に徳洲会の理念を伝え、実践するネットワークを広げ、徳田理事長の言う「教会の数より多い徳洲会病院をつくる」を実現しているかもしれません。
そして100年を過ぎる頃、「いつでも、どこでも、誰でもが安心して最善の医療を受けられる社会を目指して」コツコツと地域医療を継続拡大し、世界の人々に貢献することで世界医療の主軸になるという前人未到雄大な構想の実現は、決して“夢物語”ではなくなっているように思えます。
徳洲会グループでは病院の新設、新築移転が矢継ぎ早に進められています。現在予定されているだけでも新設5病院を含めて31病院に上ります。ところが新築移転した病院も、時代の変化には30年しかもたないのです。30年後には再び新築移転が必要になります。
徳洲会グループ全体の経営は好調に見えます。確かに、前年同月比の利益が三十数カ月間連続で上回っているのは事実です。新しい病院ができて1、2年の間は運営に苦労します。しかし30年前の徳洲会と比べると、今でははるかに運営しやすく、人材も集めやすくなりました。だからといって驕りたかぶり、気を緩めると、たとえ利益が出ているように見える大病院といえども、全てが急激に悪くなってしまうのです。
その一方で、グループによる離島・僻地の医療は十分ではなくなっています。離島・僻地にある病院は、当初は全職員の情熱と使命感によって始められましたが、今は残念なことにひと握りの人々とそれを支えるグループ病院の医師たちの力で、からくも維持している状態です。
100年カレンダーは、空間や時間や、時代すら俯瞰できます。ここに徳洲会の歴史と個人の歴史を重ねると、にじみ出てくるのは大切な共通の言葉である徳洲会の理念です。自分のためではなく、人のためにという想いをもち続けること、医療弱者や社会的弱者を守りたいという徳田理事長の決意が見えます。
これを遂行するには経済力も身につけなければなりません。また、グループの原点である離島・僻地に対する思いを見直すべきでしょう。その思いを具体的に世界に示せるかが試されています。離島・僻地病院を“支援するのだ”という距離を置いた思いではないのです。ルーツである離島・僻地医療が満足に展開できないような組織なら、徳洲会の理念は嘘になってしまいます。その地から医療のあり方を世界に向けて発信してこそ、徳洲会の医療が本物だと認められるのです。
私たちの医療が、虚名を競い、研究成果や名誉を誇示し、利益のみを追求するようでは、徳洲会の存在理由はありません。
壮大な建築物「バベルの塔」は共通の言葉を失って頓挫し、人類は世界に離散しました。私たちの共通の言葉は、徳田理事長の心の中に生じ、口から発せられた「生命だけは平等だ」の叫びと、「いつでも、どこでも、誰でもが安心して最善の医療を受けられる社会を」との願いです。自らの名誉のためでなく、「己を忘れ、他を利するのは慈悲の極みなり」という最澄の言葉が徳田理事長の行動に重なってきます。それは弱者のために医療・福祉を提供したいという徳洲会共通の思いなのです。
「生命だけは平等だ」の言葉は、50年や100年の時間を超えて、私たちの全てのベクトルを一致させたときにだけ達成できるでしょう。日々を重ねる最大の原動力は、弱者への思いやりと運営力の強さです。人々のために役立ってこそ、壮大な夢が実現するのです。覚悟をもって皆で頑張りましょう。
10月19日、千葉県文化会館で「平成23年度千葉県献血感謝のつどい」が開催され、当施設が「日本赤十字社千葉県支部長感謝状」をいただきました。5年以上献血に協力した事業者に贈られるものです。
当施設には毎年2回、献血バスが来て職員が献血を行っています。血液は、人間の生命を維持するために欠かせないものであり、長期間保存することができません。そのため、絶えず誰かの献血が必要です。
健康な血液は尊い命を守ります。これからも職員一同、献血に協力していきたいと思います。
(総務課 井口大介)
10月22日、下肢静脈瘤を特集した公開医療講座を林間学習センターで開催しました。演題は「足の血管のコブでお悩みの方へ~レーザー治療をご存じですか?」(西田智喜外科医師)と、「下肢静脈瘤~正しいストッキングの着用法」(生出和子・日帰り手術センター看護師)の2題。
西田医師は、下肢静脈瘤になる理由、その種類や症状、治療方法について講演し、生出看護師は、ストッキングの着用法を解説しました。
質疑応答も活発に行われ、「日帰りでできるの?」、「血管を抜いてしまって大丈夫?」など、レーザー治療について多くの質問がありました。
これからも地域に密着して、公開医療講座を開催したいと思います。
(地域連携室 餅田隆)
10月22日、当校で「第2回看学祭 絆~つなごう!みんなの輪!!」を開催しました。当日は、あいにくの雨模様にもかかわらず多くの方が来校。校内には、看護学校ならではの妊婦・老年体験や健康チェック、子どもコーナーなどを設け、楽しんでいただきました。
学生は、広報・体験・食事・展示の各パートを担当。広報係はポスターやパンフレットを作成し、笑顔で参加者の方を案内。食事係は、おなかを満たしてくつろげるスペース提供に活躍。展示係は、学習成果の発表や学校案内など、当校に興味をもってもらうために奮闘しました。
私は実行委員長として企画運営に携わりましたが、一般公開は初ということもあって不安でした。限られた予算とスタッフ、準備期間に戸惑いながらも一つずつ課題を解決し、皆さんのおかげで無事に終えることができました。あらためて感謝いたします。
今回の経験を、来年の学祭で生かしていきたいと思います。
(実行委員長 2年生・島貫梓)
10月22日、厚別西地区センターに文化祭を見に行きました。
同センターの方から招待され実現した企画ですが、進行が早く到着時にはほぼ終了していました。しかし、時間を延長して踊りや詩吟などを再披露してくださり、無事に見学できました。
最後は厚別西老人クラブの田中武男会長の呼びかけで、私たちも1曲披露することになり、会場の方と一緒に『故郷(ふるさと)』を大合唱。
帰りには花束もいただけ、とても楽しい時間を過ごせました。
(一般棟/行事委員長 中村史緒里)
10月22日、業務改善発表大会を実施しました。4回目の今回は、18演題が発表されました。
5分間という短い時間でしたが、オーバーする発表者はおらず、スムーズな進行。各部署の精鋭が関西らしいノリで面白おかしく、そしてパンチの効いたプレゼンテーションを展開しました。優勝は、患者さんの待ち時間緩和について考察した看護・予約外来の「私の順番あと何番?!」でした。
患者さんのアメニティーにも一層の気遣いを心がけ、地域から求められる病院であり続けたいと思いました。
(医事課 川原功輔)
10月27日、5回目の健康友の会研修旅行が行われ、68人の方が参加されました。この旅行は評判が評判を呼び、毎年参加者が増えています。
観光バス2台で出発し、山形県にある風車村を見学。その後、リンゴ狩りを行いました。天候にも恵まれたせいか、皆さん、自然と笑顔になっていました。ちなみに写真は昼食時のものです。
急病人が出るようなこともなく、当院に無事戻れ、来年も元気で参加することを約束して解散しました。健康友の会会員の皆さん、またお会いしましょう。
(総務課 川瀬靖夫)