巨人が19日の中日戦(ナゴヤドーム)に3―2で勝ち、2位の阪神が広島に敗れたため優勝マジックは1となった。いよいよリーグ連覇に王手をかけたわけだが、舞台裏ではこの日のオーナー会議で辞意を表明した加藤良三コミッショナー(72)への怒りの声が充満していた。巨人優勝の陰に隠れて自身の話題を小さくしようという思惑が見え隠れしたためで、球界トップの配慮のない所業に、チーム内はあきれ返っている。
優勝へのマジックを1とした原監督は「明確な目標が数字というものでキッチリ出てきたということで気を引き締めて、東京ドームに戻って、しっかり意識して戦うということです」。これまでは優勝に関して慎重すぎるほどの姿勢を貫いてきたが、目前に迫ったリーグ連覇に強い意欲を示した。
2位阪神とは12・5ゲーム差。数字だけ見れば圧勝だが、やっているものにしか分からない苦しみもあった。優勝の喜びは何物にも替え難い。そんな祝賀ムードに冷や水をぶっ掛けるようなNPBトップの辞意表明。原監督は加藤コミッショナーについて「一番強く印象に残っているのはWBCの2009年です。侍ジャパンの団長として戦い、そして強く応援してくださった。常々、スポーツを通じて世界平和、そういったものを強く思われていた方で、個人的にも人間としても大変影響を受け、勉強になった人です」とコメントするなど“大人の対応”を示したものの、チーム内では同コミッショナーの身勝手ぶりに怒りの声が止まらなかった。
前日(18日)の試合でチームが中日に勝っていれば、この日に原監督が胴上げされる可能性は十分に考えられた。最短Vが21日にずれ込んだのは“たまたま”と言えなくもない。それだけに巨人関係者は「空気を読めないとは思っていたけど。最後の最後までこれとはね。球界のことを何も考えてないということが分かって、悲しくなるね」とあきれるばかりだ。
一方で、このタイミングでのコミッショナー辞任を予測する向きもあった。6月に一連の統一球隠ぺい問題が明らかになると球界内の話題はコミッショナーの進退問題で持ちきりだったが、当の本人は「知らなかった」の一点張り。責任回避とも受け取れる発言を繰り返していただけに巨人内では「このタイミングで辞めないということは秋になるんじゃないか。ちょうどオーナー会議があるし。優勝にぶつけてくるんじゃないの」と“どさくさ辞任”の可能性が指摘されていた。
巨人には、この時期の“自爆テロ”にトラウマもある。「清武の乱」と言われた一連の騒動において、清武元代表が最初に会見を開いたのは日本シリーズ(中日VSソフトバンク)前日の2011年11月11日。「あの時は散々“話題潰し”と言われて、球界全体から批判を受けた。東日本大震災が起こってスポーツの力が注目される中、個人のエゴですべてが台無しになった。それ以降、うちはそれまで以上に情報発信に気を配るようになった」(球団関係者)。そんな経緯もあって「あの人と変わらないじゃないか!」と憤る声もある。
後任が正式決定するまで、この話題がくすぶり続けることは確か。最後の最後まで「メンツと保身」を最優先にした加藤コミッショナーへの怒りは収まりそうにない。
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ボートレース住之江で開催されていた「第25回大阪スポーツ賞アクアクイーンカップ」は16日、第12Rで優勝戦が行われ、インからコンマ09のトップスタートを決めた中里優子(埼玉)が逃げ切り快勝した。
「GⅠ第56回オールスター競輪」は17日、最終日を行った。決勝は地元の後閑信一(43)が、2角まくりを決めて優勝。2006年7月寛仁親王牌以来、3回目のタイトルを手にした。