8月10日 北陸〜名古屋旅行 1日目 後半

さてさて、だいぶ旧聞になってしまったけど、記録は残しておこう。
リゾートふるさとの旅は快適そのもの。

のんびり車窓を眺めていると、車内アナウンス。「まもなく穂高に止まります、穂高神社まで御案内致します」…なんだろう?停車時間が長く設定されていて、徒歩5分で神社まで行けるらしい。せっかくなので行ってみる。

ホームに巫女さんがお迎えに来ていた。写真を撮らせてもらう。

神社まで御案内しますって。てくてく。



More >> いざ穂高神社へ

# by sideplate | 2013-09-21 09:30 | Trackback | Comments(0)

8月10日 北陸〜名古屋旅行 1日目 前半

思いついたら即行動。あとは成り行き任せ。…いつまでもこれじゃあいけないんだけどなぁ。
まあでもこんな性格でも37年間やってきたんだから慣れてもきた。嫁さんには迷惑ばかりかけて申し訳ないんだけど。こないだはこないだで青春18きっぷの常備券(駅の端末でプリンタ出力じゃなくて、あらかじめ印刷したもの。通称赤券)を徳島まで日帰りで買いに行ってきた。せっかくの券なので有効利用しなくてはいけない。5日間、普通と快速列車のみの旅。2日分は近場の野暮用で使ったので残りは3日分。ちょうど名古屋で小学校時代の同窓会があったので行くことにする。まっすぐ行っても面白くないので、松本から大糸線周り、北陸を経由して名古屋に行くことに。さてさてどうなりますやら。

列車は長野行き。何両で来るだろうと思ったら5両で来た。前2両が長野色。後ろ3両がしなの鉄道色。この組み合わせはこれで今しか見られないかもしれない。上田で一旦下車して上田交通別所線へ。一日切符を購入。ホームに行くとちょうど列車が着いたところだった。元東急の2両編成。

さくっとかぶりつき。ワンマンなので乗り降りは有人駅を除いて一番前から。整理券発行機もついてる。ほどなく発車〜。上田駅は2階ホームだが地上に降りて橋を渡る。町中と田んぼの間を抜けて行くが何かとカーブが激しい。スピードも控えめでくねくね走る。写真を撮りにきたい景色。

別所温泉駅。一畑電鉄の出雲大社駅をほうふつとさせるレトロな感じ。列車はとっとと折り返すらしいので、駅前に置いてあった丸窓電車を撮影して自分もとっとと駅に戻る。

駅の看板とかも雰囲気があってとってもいいよね。

戻ってその足で篠ノ井まで抜ける。ここからようやく18きっぷの出番。…のはずが、駅の表示と自分の予定表があっていない。あれ?時刻変わった?あわててみどりの窓口で時刻表をめくる。普通列車の時刻が変わっていて、このままだと所定の列車に間に合わない。んー、どうする?この辺の路線はともかく今日のメインの大糸線は1本逃すと2〜3時間ずれるので、今日中に金沢にたどり着けない可能性も出てくる。あせった私は松本まで特急を使うという手段に出る。…お金かかるっちゅうに。でも間に合わないともっとアホだ。しなの号で松本へ。

うーん、快適だ。特急はいいな〜。あっという間に松本駅に到着する。とてもきれいな駅。
予定ではここから松本電鉄の新島々を往復するのだが、当初の予定表が崩れた以上、あまり遊ぶのは危険だ。またみどりの窓口へ…、ん、臨時快速?「リゾートビューふるさと」という快速が大糸線の南小谷まで運転されているらしい。全席指定。さっきみた大糸線の電車がかなり混んでいたのでもし空いていたら使えるかもしれない。窓口で聞いてみる「臨時快速空いていますか?」空いてるって!快速なので18きっぷも使える。

ホームに降りて待っていたら、長野方面からやってきた。さっそく乗車…ん?てことは篠ノ井からもこの列車に乗れたの?あまり考えてもショックが大きくなるのでやめて、さっさと乗り込むことにする。

アテンダントの人が乗務していた。松本から大糸線に向けて進行方向が変わるらしいので、座席をひっくり返して座る。ほどなく発車。

うむ〜快適。シート間隔が広くて足をゆっくり伸ばして座れる。

頭上にはモニターがあって、先頭からの景色を映してくれる。こんな快適な列車に指定券だけで乗れてしまっていいのだろうか?

# by sideplate | 2013-08-14 22:15 | Trackback | Comments(0)

ぷらっとあさま。

私と同じく鉄道好きのビーバースカウトからまた描いた絵をもらった。こないだ引退した169系のS51編成。

何かお礼をしないとなーと思って、今まで撮った写真をあさってみる。だが、昔はいっぱい撮っていたのだがここのところ撮影に行っていなかったので、ビーバーがわかりそうなネタがない。
このままだと申し訳ないので、買い物ついでに長野新幹線を撮ってきた。軽井沢町と御代田町のちょうど境目くらいにある撮影ポイント。以前からビーバー隊集会の帰りに通っていた道沿いのポイントで、何とか撮れるんじゃないかな〜と気になっていた。デジタル一眼レフ(もう古いけど)と三脚を用意して向かう。
実際にポイントに立つのは初めてだったが、何とかなりそうだ。携帯で時刻表ををみるとちょうどさっき列車が軽井沢を出たところらしい。もうくるじゃん!
三脚立てるヒマもなくカメラを構える。1分もしないうちにあさまが通過して行った。新幹線はスピードが速いので、シャッター速度も1000分の1以上。1枚きりで勝負をかける。すぐにカメラ屋さんに持ち込んでチェック。なんとかブレもなく撮れていた。さっそくプリントする。今度の集会でプレゼントしよう。

ビーバースカウトは2年間なので彼はもう10月になるとカブ隊へ上進する。写真をあげられるのは最後になるかもしれない。家の近くの小学校に通っているので、遊びにきてくれるといいのだけれど。

# by sideplate | 2013-08-08 17:51 | Trackback | Comments(0)

近くて遠いアメリカ

このブログで何度か触れてはいるが、アメリカが嫌いである。
ただなんでもかんでも嫌いという訳ではない。一度は行ってみたいなと思いつつも、多額の費用をかけてまでは…という思いがある。根強い人種差別、正義の押し売り、などなど。
今日は珍しく「私の好きなアメリカ」について触れてみたい。
大学、鉄鋼、MTBについてである。

まず大学。MITとかハーバードはどうでもいい(今気づいたけどハーバードもマサチューセッツだった)。昔、テレビか何かで、なんとか州立大学とかの「戦う大学教授」の話を聞いたことがある。
「権威を問いただせ」をスローガンに、自らデモやビラまきを繰り返し、警官隊と衝突しては逮捕される、これを繰り返している人だそうである。さすがに名前は忘れてしまった。
日本に同様の人間はいるのだろうか?無論、反権力を旗印にしている人はいるが、残念ながら国内ではまともな市民権を得ているとは言えない。昔で言う万年助手の扱いである。
大学は教授会によってコントロールされており、中には派閥もある。泥臭いね。アメリカにも派閥はあるだろうが、不思議とこういう問題児も普通に教授職についていたりする。この辺の本当の意味での「多様性」を認める文化が、アメリカにはある。もちろん、黙って得られる権利などないので、日々の運動を重ねて来た成果ではあると思うが…。

次に鉄鋼。日本だと高炉があり余っている状況だが、アメリカは電炉が強いんだな。特にnucor(ヌーコア、ニューコアとか読む)という会社が強い。日本に増してスクラップだらけの現状を利用して、鉄筋から自動車用鋼鈑まで何でも作っている。ついでに日本のような普通鋼・特殊鋼メーカーという区分けもあんまりないのでnucorは特殊鋼も作っている。これも多様性のなせる技かなと思う。1つのやり方にこだわらず、経済のバランスに任せられるところは任せる。アメリカの良いところの1つではあると思う。

最後にMTB。もともとMTB自体Gary-Fisherというアメリカの会社が発祥ではあるが(諸説あるかもしれない)、特にアルミフレームに置ける進化はアメリカが抜きん出ている。KLEINというメーカーが溶接後にフレーム丸ごと熱処理をかける手法を確立したことで、アルミフレームは現在でも多くのMTBに用いられている。ロードバイクは最近ほとんどカーボンになっているが、岩とかにヒットしたときの安全性を考えて、特にダウンヒルレーサーではアルミが生き残っている。もちろん、カーボン化を否定する訳ではないし、すでにパーツからカーボン化もすすんでいるが、私の好きなSANTAKRUZも含めて、まだまだ健在(だったはず…)。どうでもいいけどSANTAKRUZって性能いいけど、高いのよ〜。80万円くらい。ん〜車が買える!

今日はこのくらいで。いつかまたお金が貯まったらSANTAKRUZのダウンヒルが欲しい私でした。


# by sideplate | 2013-07-10 00:54 | Trackback | Comments(0)

「国歌にしろ」に思う。

twitterを読んでたら、「国歌にしろ」というトレンドがあって、思わず読んでしまった。くだらないけど面白かった。
元々は初音ミクの「千本桜」という歌があって、それがいいから国歌にしろとかいうムーブメントになってしまったみたいだが、twitterなのでさっそくそれのパロディーが出てくる。
曰く「国鉄115系を国歌にしろ→サハ115(モーターなし)だったので全員無言」とか「女々しくてを国歌にしろ→全員で『ドゥン!』」とかまあくだらないのだが、くだらないのが好きなので笑ってしまった。

もちろん笑ってる人ばかりではなく「君が代をバカにしとんのか」的な意見もあった。まあtwitterとかは面白くてなんぼなので、あまり真面目な意見は通らないが、せっかくこんな機会なので、ちょっとはまじめに考えようと思う。

私が育った環境は「なんとなく日の丸と君が代がある」ようなものであった。戦中でもなく戦後の学生紛争の時期でもなく、「しらけ世代」とも言われた私は、別に日の丸に火をつけるようなこともなく、かといって愛国心を育む訳ではなく、何となく一緒に育った感がある。
「はだしのゲン」とかを見て、狭窄な愛国心は危険だなとは子供心に思ったが、別に行動に移したりはしなかった。

それが変わったのは大学に入ってからだろうか。内と外で変化があった。内の部分は大学の寮に入ったこと。当時でもまだその寮は学生運動の機運が残っており、右翼と左翼でよなよな議論している環境であった。学生運動というとどうしても左翼が多いが、私もどちらかというと左っぽかったかな。
外の変化は「日の丸・君が代の教育現場への強制」であった。日教組が事実上崩壊し、教育現場は校長の権限強化のもと、思想管制が強化された。子供の頃は「君が代を歌いたくない人は歌わなくてもいい」感じであったが、歌わないとか起立しないことがもう罰則を伴うものになった。

強制される、となると私のようなひねくれものは極端に嫌がるものである。当時の私は日の丸と君が代に強烈なアレルギーを感じた。それ以来日の丸を掲げるような場所にはあまり行かないようになった。大学の卒業式も行かずじまい。けたくそ悪かった。

その後も世の中は右傾化といえばいいのだろうか、思想強制路線をひた走る。日の丸を国旗、君が代を国歌とする法案が可決されると、全国の教育現場で君が代を歌わない教員への処罰が始まった。よく右翼を「保守」とかいうが、何を守っているのか私には分からない。守っていたのは教員の方じゃないか。

そんなこんなで私は今でも日の丸・君が代を愛するには至っていない。学生時代より人間的に少しは丸くなったので、「右は右で、左は左で好きにすれば」的なところであろうか。

まあ私の話はいいや。その後の世の中である。戦中は国を挙げて聖戦に突っ走ったが、敗戦に終わり、その反省と当時のアメリカの思惑をあわせて、平和憲法なるものが出来たはずである。当時の軍部の中心人物はA級戦犯として死刑になり、すべては清算されたようにみえた。
そうならなかったのが、日の丸と君が代、そして天皇制である。あれれ、戦時中は天皇のために殺したり死んだりするのが究極に美化されたのに、なんでそのまま残ってるんだ?

もちろん裏事情としてはポツダム宣言受諾に当たっての、駆け引きがあったのだろう。天皇だけは生かしておいてくれという交換条件がなされたのは想像に難くない。

別に今の世の中で「天皇制を廃止しろ」とか言いはしない。私ももう歳だし、敵も十分作った。今では「天皇陛下が軽井沢に来る」とか聞くと、どこに行くのかな〜と思うくらいである。

だ、が、し、か、し。
この「未清算のつけ」は今を持って日本人の愛国心の育成を阻む最大の要因となっている気がする。戦時中の「天皇を崇めて、どこの国の人でも殺して回る日本」は、外から見る限り何も清算されていない。変わったという証拠が見受けられない。内側から見てもそう。日の丸を掲げろ君が代を歌え天皇を崇めろという思想統制は、日を増すごとに国民に暗い影を落としながらのしかかっていくばかりである。ちょっとこの国を愛するって思ったり、他の国の人々に言うのはリスキーな気さえする。

平和憲法もだいぶ骨抜きにされてきた。橋下某の動き次第では、今の衆院の勢力図でも改憲は可能になるだろう。まあ、その「平和」憲法すらも、人殺し大国のアメリカに下賜されたものに過ぎないのだが。

近隣の他国といざこざが起きるたびに、私の中でゆらぎが生じる。たぶん私の中では一生消えないものだろう。

状況を救うのは「考える」人間の育成だと思う。与えられた、ましてや押し付けられた思想ではなく、自分で考えてその上で身に付いた信念をまとって、歩ける人材作りが必要だと考える。
今の国はそれを一番嫌がっているし、恐れている。円周率は「3」でいいし、君が代は無条件で歌わせる。操られた教育の最後に咲くのは「考えない人間」である。今の日本にぴったり。
何の信念もなく、教科書は鵜呑みにし、日経を読んでは新しい単語に飛びつき、選挙は好きな人間に入れる。右翼でも左翼でもないフォーマット済みの空虚な人間を量産することが、今の世の中という工場の産物であろう。

思想は与えられるものではなく、自分の中で時間をかけて育むものである。既存の思想は自分の思想を育むヒントにはなるが、それ自体は枯れた木であってもう花は咲かない。同じことの繰り返しと笑う奴はいるだろうが、自分で種をまいて水をやって咲かさないと、自分のものにはならない。

自分の子供がどんな思想にたどり着こうが別に構わない。ただそれを自分のものと胸を張って生きられるように、きちんと考えに考え抜いた上で、モノにしてほしい。ただそれだけを望む。




# by sideplate | 2013-04-06 16:29 | Trackback | Comments(0)

< 前のページ 次のページ >