かつて、マルイデパートにいた時、俺は指紋や毛の大量に入った新品の時計などを、名指しで批判していた。そして、それが大問題になった。
ここで問題があったのは、俺の主張が正しいかとか間違っているかとかではない。必要以上にメーカーを愚弄し茶化す物言いで、天狗になってたことだろう。言葉を選んでないし、面白おかしく、茶化す批判に終始してた。
人々の批判を買った理由はもうひとつある。マルイで仕事でき、恵まれた環境に行けるまでの、俺の苦労や努力、じつは相当なものがあった。しかしそれを否定し、強がっていた。そればかりか、努力をバカにしているともとられかねない事を言っていた。
他人を認めるのは勿論だが、自らの努力を否定していては、道は開けない。それは「努力なんかしなくてもチョロいぜ!」と言っているような、天狗になっているのと同じだからだ。
努力をしてもチャンスに恵まれない人の立場を理解できる優しさが無ければいけないのかもしれない。